第149話「なってくれるはずだ」
「つまらん」
魔王ウル・オーマは目の前の光景を見て一言呟いた。
「……他に言うことないの? 働いたのは僕たちなんだけど」
「だからつまらんのだ。俺がやることがないではないか」
退屈という感想を隠しもしない魔王に苦言を呈する、一仕事を終えたコボルトのコルトであったが、ウルの意見は変わらない。
この、崩壊した陣地と寄せ集めの民兵集団を虐殺し終えた死体の山を前に、魔王が思うことは『弱すぎて遊び甲斐が無い』ということだけなのだ。
「確かに、些か退屈ですな。初戦は雑魚ばかりとは聞いていましたが、雑魚にも限度がある」
「まぁ……所詮こいつら一般人だからな。そもそも戦闘員じゃないのだ。期待するだけ時間の無駄だろう」
この場にいるもう一人の幹部、ケンキが剣を振るう必要もなかったと自身の戦果を語る。
ここはエ=シブラムの街と呼ばれていた場所だ。
王国内での立ち位置は、ウ=イザーク公爵領に隣接する場所……という以上の意味は無い。特産品も無ければ特色があるわけでも無い平凡な領地であり、そこを治めている貴族もまた前公爵エリストの不正を見て見ぬ振りをするくらいしか能の無い男であった。
故に――金も無ければ才も無い領地の軍勢など悲惨なものだ。
専業軍人とは、平時においては日夜訓練を積みいざという時に備えるのが任務。つまり平和な世の中では何も生み出すことの無い金食い虫であり、シブラム領で抱えることなどできはしない。
それは仕方が無いのだが、そうなると『いざという時』に動かせる戦力が存在しないということであり、結果として動員されるのは普段鍬を持って畑を耕す農民達になってしまう。
農民に安物の鎧と槍を持たせてそれっぽい形だけ整えた軍を対魔王軍とする。そんな有様のル=コア王国とケンキ軍団長を主軸としコルトを補佐につけた魔王国の最初の戦いは、戦いにすらならない魔王軍の圧勝に終わったのであった。
「まぁ、こいつらは限りなく一般人だが一応兵士という触れ込みでここにいたのだ。殺されても文句は言うまい」
「思いっきり悪態吐きながら逃げ惑ってたけどね、最初の一当たりで」
ケンキ率いる魔王軍とシブラム領軍の最初の戦いは、武装ゴブリン部隊による盾を構えての突進で始まった。
自分達は農民であり戦士ではないとはいえ、極普通の人間である彼らは所詮魔物と高をくくっていた。シブラム領軍は数少ない専業戦士――領主子飼いの護衛――に教えられたとおり、槍衾を構えて待ち構える戦術をとったのだが……魔王軍の装備は異界資源を贅沢に使用した一級品揃い。数だけは多い農民兵全員に行き渡らせることしか考えていない粗末な槍で貫ける相手ではなく、また使用者の身体能力も技量も比べるのも阿呆らしいほどの差があり、舐めきっていたゴブリン達にあっさりと吹き飛ばされ叩き潰されたのだ。
一度隣の人間が肉塊に変わるところを見てしまえば、もう一般人である彼らに戦意を保つ術などない。
ようやく自分達がいる場所が戦場であることを理解し、また魔物に対する誤った認識を強制的に正され、我先にと逃げ出す羽目になったのである。
「正確には、逃げようとしただけで逃げられたわけではないがな。我らも教訓としなければいかんな、軍の統率の重要性は」
しみじみと、ケンキは人間達の醜態を思い返して呟いた。
農民兵は数だけは多かった。一塊になっていれば素人集団でもそれなりの威圧はできたのだが、逃げるとなるとその数が邪魔になる。
何せ、前にも右にも左にも、そして後ろにも味方の兵がいるのだ。本来ならば撤退をするにしても統率をとり一つの流れを作りながら動かねばならないところを、パニックとなり烏合の衆と化したシブラム領軍は自分だけは逃げだそうとお互いがお互いの邪魔をしあい、勝手に倒れて勝手に死んでいく有様だったのである。
当然、そんな鈍間な軍勢を見逃すほどケンキ達は優しくもなければ愚かでもない。あっさりと回り込み逃亡を阻止しながら、一方的に狩り尽くすことに成功したのである。
初戦ということで自らも出陣していた魔王ウルが、後方の自陣から一歩も動く必要もないほど圧倒的に。最前線で武威を放つはずだったケンキが何もすることが無いほど一方的に。ケンキが見えない小細工部分のカバーを役割としていたコルトが自分の仕事を何一つ見つけることも叶わないほど単調に滅ぼしてしまったのである。
「フゥ……まぁ、まずは勝利を素直に喜ぶか。当初の予定どおり、いくらかは生かしてあるな?」
「うん。まあ、生かしたというか自分で転んで足を折ったりとかで勝手に動けなくなったのがその辺にいるだけだけど……」
「よろしい。そいつらに仕掛けを施すぞ」
魔王の戦いに倫理観など皆無だ。
人間と人間の戦争という、同族同士の小競り合いとは違う、本物の生存競争。種と種がお互いの存在を消し去ろうとぶつかる戦い、ルールなどあるはずもない。
それを熟知している魔王ウルは、どんな外道な手段にも躊躇しない。まずはその一手として、生かしてある人間を有効活用するつもりなのであった。
「今後はもっと厳しい戦いになるはず……なってくれるはずだ。その前に少しでも村や町を落としてこっちの陣地を広げておきたい。ケンキとコルトはこのまま、予定のルートで軍を進めろ」
「承知しました」
「わかったよ。ウルは仕掛けを終えたらどうするの? 僕たちと一緒に?」
「いや、俺はいったん下がる。まだ見えていない部分もあることだし……お客さんが来そうなのでな」
「お客?」
「なに、気にするな。約束があるわけでもないし、来たら丁重にお迎えするまでだからな……」
◆
「……魔王国がル=コア王国に、まずは勝利を収めたらしい」
見晴らしのいい草原地帯に居を構えるとある部族の指導者達が、一つの小屋に集まり真剣な顔で会議を開いていた。
彼らは牛人族。魔物ではなく亜人に属する種族であり、人間に牛のパーツをくっつけたような外見をしている。牛の魔物には有名どころでいうとミノタウロスがいるが、あちらは二足歩行する牛なので違いは一目瞭然だろう。
種族的な特徴としては、人間と比べて一回り以上大きな身体が挙げられる。男は皆最低でも2メートルを超えるガタイの持ち主であり、女であっても人間の成人男性よりは力に溢れた骨格を有している。総じて、力自慢の種族と言っていいだろう。
しかし、そんな身体的特徴と相反して、彼らは基本的に温厚で戦いを好まない。
その大きさで威嚇し戦いを避けるのが第一であり、平和な暮らしを求める種族なのだ。本物の牛ではないので肉も魚も食しはするが、草だけでも生きていけるので滅多に狩りもしないほど闘争から離れたところにいるのである。
だからと言うべきか、その扱いやすい性格と優れた力は労働力として適しているとされている。争うくらいなら素直に従う道を選ぶ性質は初心者にも躾けやすい奴隷候補として、人間の奴隷狩り対象に選ばれやすい種族なのだ。
牛人族が見通しのいい平原に骨組みと布だけでできているテントを建て、移動しながら生活するのも人間から逃げるための工夫だ。
遮蔽物が無い平原ならば奴隷狩りの接近に素早く気がつくこともできるし、移動を繰り返していれば自分達の居場所が特定されるリスクも減らせる。そういう考えのもと、彼らは見渡す限り草しか無い平原に住まうことを選んだのである。
牛人族達のもう一つの特徴として、そのパワー溢れるガタイの代償なのか、基本的に鈍足なのである。故に、逃げるときは敵に捕捉されるよりも早く外敵を発見することが必須なのであった。
「魔王国は亜人と魔物の混成国家と聞く。保護を求めるのはどうだろうか?」
しかし、そんな事なかれ主義とも言える種族の性質を以ってしても、最近の人間の横暴さには耐えがたいものがあった。
奴隷狩りの苛烈さが増し、争いを避けるためなら……などと悠長なことを言ってられないほどに彼らは追い詰められてしまったのだ。
このまま現状に甘んじれば、種族そのものが滅びる。その危機に直面して、ついに温厚で知られる牛人族達も戦う道を選ばざるを得なくなっていた。その剛力がついに解き放たれるのだ――と、言いたいところなのだが……
「魔物など信用していいのか? もし襲われたら……」
「いや、しかし逃げ続けるにも限度がある。どこかで賭けに出なければいけないなら……」
「我々だけで戦っても勝てる相手ではないしなぁ」
この部族の牛人族の数は、老人赤子まで含めても300に届かない。少数民族と言っていいだろう。
その人数で数百万を超える人間国家、ル=コア王国に抵抗するなど無謀すら通り越した無駄である。いくら個人の腕力が人間を大きく超えているとはいえ、数の暴力は如何ともしがたい。
加えて言えば、戦いを避け続けてきた彼らには戦いのノウハウが無い。武芸の類いを修めている者もおらず、戦術も近づいて殴るだけ。まともな武器防具を持つ文化もないとなれば、気持ちの問題だけで何とかなる話ではないだろう。
「……ここも直に見つかってしまうだろう。そうなる前に、一族全員で魔王国へと向かう。後のことはついてから考えるしか無いんじゃないか?」
「そうだなぁ……ここで考えている時間も惜しい。まずは動いてからじゃないか?」
「だなぁ」
自分達だけではとても戦えない彼らが求めるのは、強大な保護者だ。
保護の見返りに何を求められるかという不安はあるが、人間達から守ってくれる巨大な戦力を彼らは求めていた。
その条件に唯一当てはまるかも知れないのが、人間に真っ向から戦争をふっかけているという魔物と亜人の国――魔王国。
ただの無謀ではなく、初戦を大勝で飾ったという実績があり、その実力は折り紙付きだ。詳しい国の内情が不明なのは不安だが、亜人も暮らしていると聞いた話が嘘でなければ牛人族も受け入れられるかも知れないと希望を持つことができる。
ならば、絶望しか無い今よりはいいだろう。しばらく迷った牛人族達であったが、結局集団で魔王国へと向かう道を選んだのだった。
「では、魔王国へと移動するぞ! 忘れ物は無いか?」
牛人族の指導者達の話し合いによる決定に従い、300人の牛人族達は皆自分の家を背負ってゆっくりと歩き出した。
家を背負うというともの凄いことをしているように聞こえるが、テントなので実際には丸めたデカい布を各家族が一つ運ぶだけである。だけとは言っても、それでも重量はかなりのものになるが。
パワー自慢というだけのことはあり、牛人族達はその他の家財に食料まで荷車一つ使わず腕力だけで運ぶ。その姿を見ると、確かに労働奴隷として優秀だろうと納得できるものがあるのであった。
その先頭を行くのは、牛人族達の族長、カウル。年齢的には人間換算で20そこそこの若者であるが、生まれ持ったとある能力を評価された男だ。
牛人族の族長は集団で移動するときに先導するのが役割だ。別に書類仕事があるわけでもなく、戦うわけでもない彼らの長とは『安全な道を示すこと』が全てである。
通常は長い経験を積んだ年寄りが族長となり皆を先導するのだが、カウルは特別強い危機感知能力を産まれたときから備えていた。本人も説明できないのだが、妙に鋭い勘で『こっちは何となく危ない』と危険な生物の接近などに誰よりも早く気がつくことができるのである。
その能力を駆使し、カウルは牛人族一族を安全に移動させ、目的地である魔王国の国境まで導く。
道中何度も人間と遭遇しそうになっては勘によって回避することを繰り返し、一人の犠牲者も出すこと無く最初の目標である魔王国とル=コア王国の国境に辿り着くと、そこで見たのは――
「我らは虎人族! 魔王国とやらよ! 我らと同盟を結ぶがいい!」
「同盟だと? 生ぬるいな虎共! 軟弱なエルフ如き、我ら獅子人族に平伏させてくれるわ!」
恐らくは牛人族と同じ目的で魔王国にやってきたのだろう、しかし非常に好戦的な亜人種族が吠えている光景であった……。