第147話「思い出せ」
「……魔王国とは、また面白い」
ガルザス帝国皇帝・ジークリンド・エスタール・フレア・ガルザスはもたらされた報告書を読んで愉快そうに笑った。
未だ25才という若さで大国の頂点に君臨する彼の周囲には、皇帝に忠誠を尽くす屈強な騎士達が集っている。最強の戦士たちによって守りを固められる彼の風格は、騎士達を統べるに相応しい王者のオーラに満ちていた。
人々が『皇帝』と聞いて想像する風格と威圧感をそのまま具現化したような覇気を纏う黒髪の男――それが皇帝ジークリンドである。
「現在我が国が狙っているル=コア王国への宣戦布告を行うということですが……いかがいたしますか?」
「そうだな……これが他の有象無象の横やりであればまとめて黙らせるところだが、魔王となると話が変わるな」
「何故でしょう? その、魔王という宣言にそれほどの意味が?」
ジークリンドは愉快そうに報告を聞きながら、自らの秘書官の疑問に答えていく。
「一言でいえば……あり得ないからだ。この状況はこの俺の想定していたあらゆる事態に該当しない」
「ならば、何か対策を?」
「フム……それに関して、ディートより報告があるそうだな?」
「はい。まずは謝罪を。ル=コア王国潜入任務を独断で中止しまして申し訳ありません」
ジークリンドの言葉によって、騎士の中から一人が一歩前に出て跪いた。
彼の名はディート・セバスタス。つい先日まで『バトラー』の偽名でル=コア王国に潜入していた騎士である。
当然、この場では執事服ではなく皇帝直下の騎士団としての正装をしていた。
「それを認めるか否かは報告次第……と、言っても俺はもう聞いているので結論は出しているが、まずはこの場の者達にお前が作戦を放棄すべきだと判断するまでに見聞きしたものを語るといい」
「御意に。では、まず私が見たものについてのお話を――」
皇帝の命令により、ディートは一度皇帝には行った報告を改めて口にした。
適当な方法でドラム王太子へ近づき配下として潜入したこと。その立場で様々な違法行為の証拠を掴んだこと。王国の実情も理解せずに堕落の限りを尽くしていた様子など……客観的な視点より王国の腐敗を語っていったのだった。
「既に知ってはいたが……やはり、あの国の寿命はもうさほど残されてはおらんな」
「私見を申し上げれば、あの国を殺すのに十分な情報は集まっているかと」
「俺も同意見だ。この時点でディートは任務の放棄ではなく、任務を達成して帰還したという扱いで問題は無いな?」
「陛下の仰るとおりかと」
既に決まっていたディートの独断に対する不問を確定させ、皇帝は話の続きを促した。
「そろそろ潮時かと思っていたとき、王都で魔物と遭遇いたしました」
「魔物、というのはその辺にいるような奴隷魔物とは違うのだな?」
「はい。その対極……まさに魔物の王と称しても過言ではない覇気と威厳を持っておりました」
ディートの報告に、元の話との繋がりが見えてきたと集められた帝国の臣下達の顔に理解が浮かんだ。
「お前から見たその者の情報を詳しく聞かせよ」
「はい。獣人型と呼ぶべきコボルト系統の進化種と思われ、魔王ウル・オーマを名乗っておりました」
「その名は宣誓書に書かれていたものだな?」
「はっ! 確かに、建国宣言及びル=コア王国への宣戦布告文に記された魔王の名です」
「魔王自ら敵国へ潜入とは剛毅なことだ。物語のように城の最奥で勇者を待ち続ける引きこもりとは違うらしいな。……それで? その者の実力は?」
「一度直接手合わせしました。お互いに実力を隠しながらでしたので、全てを見切ったなどとは口が裂けても言えませんが……見えた部分だけで言いましてもその辺の領域支配者程度では相手にならないでしょう。我々帝国騎士団で言えば、どれだけ低く見積もっても皇帝直下騎士団に匹敵するかと」
「我が国最高の精鋭と最低でも互角か。それは確かに、お前が撤退を決め報告を優先した気持ちもわかるな」
ディートの報告を聞いた文官達からは驚きの声が漏れ、武官からは獰猛な気配が零れだした。
皇帝直下騎士団とは、皇帝ジークリンドが自ら選び出した精鋭中の精鋭。皇帝直々の命令をこなすために存在する帝国最強の騎士のみが集う場所であり、その皇帝直下騎士団と互角というのは決して軽い評価ではないのだ。
「恐れながら陛下。それほどの怪物が誕生しているというのならば、これ以上の成長を許す前に討伐すべきではないでしょうか?」
「私も同意見です。今ならばル=コア王国を囮に使うことも可能でしょうし、魔王軍とやらが王国へ攻めている背後から奇襲をかければ勝利は確実ではないでしょうか? 状況次第では、そのままル=コア王国の征服も可能となりましょう」
「もっともな意見だ。だが、俺はそれをあえて却下しよう」
臣下達が迅速な魔王討伐を口にすると、皇帝は満足そうな笑みを浮かべながらもそれを否定するのであった。
「理由をお聞かせ願えますか?」
「ああ。まず……この宣戦布告書だ」
「それがいかがいたしました? 確かに、常識ではあり得ない挑発的な文面ではありますが……」
「この挑発的な言葉選びは、実のところ真意は別にあると俺は見ている」
「真意、ですか?」
「文句があるならば止めてみろ……とでも言いたげなこの文面の裏は、つまりこう言っているんだよ。『お前ら人間は、お互いの足を引っ張ることしか考えていないからどうせ協力などできないだろう?』とな」
皇帝の分析を聞いて、文官達の目に鋭さが増した。
確かに、今まで彼らはル=コア王国を利用する計画を立てても助けるつもりなど毛頭なかったのは事実。皇帝の読みが正しければ、まんまと魔王の嘲りに乗るところだった……ということになるのだ。
「魔王ウル・オーマとやらは人間をよく知っているようだ。恐らく、王国に他の国が大々的に協力することはあり得ないと読んだ上でバラバラに動くことを狙っているのだろうよ」
「では、下手に軍を動かせばかなりの被害が出る……と?」
「最終的に負けるつもりは無いが、予定外の問題を見て慌てて動くのは賢いやり方とは言えんだろうな。といっても、これはさほど重要な理由ではないのだが」
皇帝ジークリンドは考え無しに動くことの危険を周知した上で、動かないと決めた本命の理由ではないと告げた。
では、何故……と臣下達が疑問を顔に浮かべたのを確認し、皇帝に相応しい堂々とした動きでその胸の内を語るのであった。
「最大の理由は、予定外だからだ。俺はこの先我がガルザス帝国が世界の頂点に立つまでのルートを思い描き、それを現実のものにすべく行動してきた。その思惑は今のところ外れたことは無い……今日まではな」
「魔王の存在は想定の外であった、ということですか」
「ああ……だからこそ面白い。何でも思い通りに動くつまらないゲームよりも、予想外と想定外が押し寄せるヒリヒリとした勝負の方が何事も愉快ではないか」
皇帝ジークリンドは優秀である。そして、同時に刹那的な快楽主義者でもあった。
何年も先の未来を正確に予知しているとまで称えられる思考力を持ちながらも、その予測が外れ自らの想像から外れるような何かが起こることを常に期待している。
最終的な勝者が自分であることを一切疑わない王者の傲慢と、それを慢心にはしない能力を持つ偉大なる皇帝。だからこそ、彼は想定外の何かを子供のように楽しむ余裕があるのであった。
「……つまり、面白そうだから静観する、ということでしょうか?」
「そのとおりだ。何か文句は?」
「いえ……全ては陛下のお心のままに」
「よろしい。……といっても、ただ動かないだけでは魔王の読みどおりでしかなくそれもまた不愉快だ。ここは一つ、かの魔王が想定していないであろう一手もついでに打っておくとしよう。宣誓文に対する返事を書く。誰か筆をもて」
皇帝は思いつきのように筆を持ち、オーマ魔王国よりの宣誓文へ返事を書くことにした。
一つ目は、魔王国の建国を支持するという人類としてはあり得ない宣言。そして、もう一つの宣戦布告文には『要望があればいつでも魔王国に協力する』という、戦争における魔王軍の正義を認めるというものであった……。
◆
「……思ったより、少なかったな。もっと逃げ出す者が多いかと思ったが」
「それだけこの三年の暮らしは捨てがたかった、ということでしょう。特に、ア=レジルの民など魔王国から離れてル=コア王国へ戻りたいと願う者は極少数でしたから」
「それはお前の功績だなクロウ。あの場でお前が俺に対して頭を垂れたのは結果として有益だったようだ」
建国宣言および宣戦布告を行った公国改め魔王国は、早速戦争をするためにも軍備を整えることに大忙しであった。
特に、建国宣言後魔王国から逃げ出す人間がどのくらいいるのかは未知数であったため、人間をどの程度戦力に組み込めるかはやってみなければわからないという状態であった。
なのでやってみてから考えているわけだが……意外なほどに『魔物の王など認められない』と逃げ出す者は少なかった。もちろんいない訳ではないが、ウルが事前に予測していた数の半分以下だったのだ。
「あれだけスッキリと完敗したのです。そうなった以上、もはや私も腹を括りました。この先、幾人の同族を手にかけることになろうとも……最後まで、陛下と共に歩むつもりです」
その原因は、やはり人間代表として魔王に仕えることとなる男――クロウ・レガッタ・イシルクの宣言が大きいだろう。
彼は二度目の決闘で敗北した直後、ダメージで碌に動かない身体を気力で動かして跪き、魔王への忠誠を誓ったのだ。
最も勇者に近い実力を持つ人間『英雄』クロウが魔王へ下ったというのは決して軽いものではなく、また彼を慕っている実力派のハンター達も揃ってクロウに付いていくことを宣言したこともあり、ア=レジルからの人材流出が抑えられたのである。
そして、魔王の存在を知らされた上で支配されていたことが明らかとなったア=レジルの民が逃げ出さないのならば、さほど危険は無いのではないか……と、他の都市の人間達も楽観論で考え始めることになったのだ。
「忠誠は受け取ろう。……まぁ、お前はともかく、逃げ出さない人間共は俺に忠誠をとかそんな理由ではないだろうがな」
クロウの言葉に頷いた後、ウルは人間達の分析を続ける。
事前にウルより出された宣言は『今日よりこの国の王はこの俺、魔王ウル・オーマとなる。文句がある者は逃げ出すことを許す。俺に挑むことも許す。ただし、逃げだした先が俺の敵であるならば逃げた者も敵となることだけは予め知っておくように』というものであり、それなりに腕自慢がウルに挑んでは返り討ちになるなど色々あったものの、かなり強い魔王の怒りを買うよりも大人しく従った方がいい……という結論を出したのが大半だろう。
「一般に知られる魔物とは桁が違う存在である、ということが周知され、更に屈強な戦士が軒並み返り討ちになったとなれば積極的に敵対宣言する気概のある者も少ないでしょうね」
「……まあ、人間共の心理を分析すると、逃げていいと言われても逃げた先でどうするという話もあるようだがな」
仮に魔王の支配下から逃げだしたとしても、彼らに行けるのは古巣であるル=コア王国くらいのもの。
しかし、今まで生活していた土地も家も失った先の暮らしは想像するだけで悲惨なものになるのは言うまでもなく、よほど財産に余裕がある者でなければまず逃げ出すこと自体が困難だったこともある。ル=コア王国において、経済的弱者に対する救済など期待するだけ無駄なのだから。
「実際、生活の水準は陛下の治世とル=コア王国のそれでは比べものになりません。わざわざ劣悪な環境に戻りたいと思う者が少ないのも当然では?」
「俺が言うのもなんだが……それでいいのか? 人間の国は」
ウルはクロウの言葉に呆れを隠さずに呟いた。
事実上の魔王による支配が行われていた三年で上がった生活水準。飢えることのない食糧の安定供給、高価な魔石に頼らない便利な魔道具の流通、庶民が手にすることなどできないはずの効果の高い薬の格安販売などなど、一度手にした豊かな暮らしを捨てるのは惜しいだろう。
まるで悪魔の誘惑ではあるが、魔王の支配下で暮らしていることそのものを罪として糾弾するようなこともないだろうという考えもあり、魔王が討伐されるまではこのままでもいいだろう……と、住民の大半は考えたのであった。
「残る懸念事項は……こいつか」
「帝国からの文、ですか?」
「あぁ。嫌がらせなのかもしれんが、まさか人間如きが俺の予想の外で動くとはな」
ウルはそう言って、手元にある帝国からの文書に目線を落とした。
「魔王国の存在を認め、場合によっては味方するという内容……確かに、想定の範囲外でしたな」
「フン……俺の挑発を正確に読み取った上での意趣返しというところだろう。どうやら、帝国は王国とは違って頭が切れる上に度胸のある奴がいるようだ」
「まあ……元王国民としては複雑ですが、帝国の発展の目覚ましさはよく聞こえていましたからな。エルメス教を否定しているという国としての姿勢と、だからなのか勇者が一人もいないというハンデを背負いながらも五大国として君臨する手腕は確かなものかと」
「何とも期待させてくれる話だ……帝国とはどんな形での関わりになるかわからんが、ゴミ掃除よりはずっと楽しめるのは間違いないな」
自分の想定を超え、その存在をアピールしてきた帝国に魔王は少しだけ機嫌を良くしていた。
戦うにせよ共闘するにせよ、どうせならば優秀で強い者と共にある方が楽しい。それがウルの持論である。
そんな魔王の様子に一先ず問題はなさそうだと、クロウは話を元に戻すのだった。
「それで……既に宣戦布告はしたわけですが、いつ本格的に始めるので?」
「ククク……まぁ、最初は向こうも碌な準備もできてはいまい。準備が整うまで待ってやってもいいが、今のままではいくら待ってもまともに軍備など整えんだろうし……とりあえず、近場の村でも襲わせて拠点作りといくかな」
想定よりも多くの駒が手元に残ったのは喜ばしいことだ。何かあればすぐにでも敵に寝返るだろう不安定なものだとは言え、それは想定に含めておけば何も問題は無い。
ならば、やるべきことは一つだ。
「既にケンキとコルトに指示は出してある。この戦争の最終目的は王都の陥落だが、その前に、まずはカラーファミリーに調べさせた魔神会とやらに接触するのが最優先だな。どちらも王都住まいらしいから、じっくりじっくり一枚ずつ落としていこうではないか。俺の機嫌が直るくらいに、楽しみながらな……!」
魔王の宣戦布告。
かつての時代であれば民も王族も国を捨てて別の大陸まで逃げ出すような死の宣告を前にしても、ル=コア王国は暢気なものだ。
それを諫めてやろうと、魔王は自分の駒を動かす。
(思い出せ、人間共よ。魔王の恐怖と絶望を、もう一度教えてやろう――)
ついに、魔王が動くのだ……。




