第144話「言い訳の余地も無い」
「ここでいいのか? もっと落ち着いて楽しめる場所はいくらでもあるぞ?」
「いえ……此処こそが、この戦いに最も相応しい場所でしょう」
魔王ウル・オーマ。
元ギルドマスター、クロウ・レガッタ・イシルク。
両者はア=レジルの広場――かつて決闘を行った場所で、再び武器と拳を交えるべく対峙していた。
「マスター……」
「いったい、どうして今決闘を……?」
周囲に人払いはされておらず、かつての戦いと同様に住民達が観戦に訪れていた。
未だ『魔王国の建国』および『魔王支配からの解放』は伝えられておらず、契約に縛られた状態のままこの決闘のことを知らされて飛んできたのだった。
「今じゃ生活も随分楽になったのに……?」
「今更事を荒立てる必要はないんですよ!?」
支配されたままのア=レジルの民達であったが、実のところその生活は安定していた。
三年の月日をかけて魔王ウルが裏から支配した公国の領土には当然ア=レジルも入っており、今では契約による出入り禁止の縛りは公国領土全域まで広がっている。
そうなれば、ほとんどの民にとっては元の暮らしと大差がないものであり、むしろ不正役人も悪辣な領主もいない今の暮らしは本来の人間社会のそれ以上と言っても過言ではない。
更に魔王とその配下がもたらした数々の技術と異界資源まで考慮すれば、もはや少しでもこの生活を長く続けるべきだと主張する者まで出てくるところまで来ていたのだ。
だからこそ、彼らには理解できない。
今となっては人間代表のような立場で魔王に従う事となっていたクロウが、何故突然反旗を翻したのかと。
「……さて、お前から言いだした決闘だ。ルールに希望はあるか?」
「一つだけ。周囲の観客には被害を出さないこと。それだけで十分ですよ」
「そうか。ならば、前と同じく指定されたフィールドから出たら負けとしよう。その他遠距離攻撃に巻き込んでしまうのは、他の連中に結界を張らせておくとするか」
「それで問題はありません」
突然の戦い、その理由を語ることなく淡々と準備を整えていくクロウ。そして、そんなクロウの心に興味がないのかこちらもただ戦うことのみを考える魔王。
両者はただ、内の考えを言葉にしないまま闘気だけを高めていくのだった。
(……俺は、半端者だ。魔物に下っても人であることを諦められず、しかし色々言い訳をして魔王に挑む覚悟はなかった)
だからこそ、クロウはただ心の中でだけ自分の思いを言葉にするのだ。
(ル=コア王国……俺の故郷への宣戦布告。だが、それは事実上の人類への宣戦布告だ。人類は決して魔物の勢力圏など認めないだろうからな)
魔王ウル・オーマがその存在を公にしたとき、遅かれ早かれ待っているのは魔物と人間の全面戦争であろうとクロウは思っている。
ウルに言わせればそれほど上手くはいかない――主に人間同士の内輪もめが原因で――とのことだが、仮にも自分が生まれた種族だ。そこまでの愚か者揃いだと思いたくはない。
だから、ここが最後の分水嶺。魔王ウル・オーマについて人間と本気で剣を交えるのか、人の下に戻り魔王に剣を向けるのか、その決断を求められる時なのだ。
(そこですっぱり『俺は人間を守るために戦う』と言えるんなら……幸せだったろうなぁ)
クロウは天を仰ぎ、自分の正直な気持ちを心の中でだけ語る。
人に刃を向けることを躊躇い不覚を取ったマフィアとの戦い。それを思い返せば感情は人間の味方をすることを望んでいることは明白だが、しかし計算に基づく理性はそれを否定してしまう。
腐りきった王侯貴族が蔓延る生まれ故郷よりも、遥かに優れた支配者が君臨する魔王の独裁国家。そちらの方が、民達はきっと幸せに暮らせるだろう、自分だってもっと自分の仕事に誇りを持って生きられるだろうことがわかってしまうから。
(心は人間社会で培ってきた常識に囚われて、頭の中では魔王がもたらす恵みを求めている。こんな有様ではどちらの立場に立つこともできまい)
無論、魔王ウル・オーマがただ恵みをもたらす都合の良い存在であると思っているわけではない。
宣戦布告を決めた以上、きっとル=コア王国への攻撃は勝敗は別にして多くの人間に被害を出すことだろう。善悪など考慮されることも無く、ただただ破壊の限りが尽くされることになるのだろう。
しかしそれでも、クズ共の快楽のために消耗され続けるよりはいいのではないか? 魔王の娯楽のために消耗されることになるかもしれないという不安はあるが、それでも腐った人間よりは確かな為政者としての能力がある魔王の方がマシではないか?
そんな思いが頭にあるせいで、クロウは人間の立場に戻ることができないのだ。培ってきた常識に従うことができず、立ち止まってしまっているのだ。
故に――この決闘で、クロウは己の心を納得させることにしたのだ。
クロウが己の人生で磨いてきたのは、結局のところ武力だ。魔物と戦うためのハンターの技術だ。
ならばそれを、もう一度ぶつけよう。正真正銘の全力をぶつけて、目の前の怪物の器と自分の器を比較してやろう。
その上で――自分が勝利するならば、人として生きる。敗北するならば、過去を断ち切り忠誠を誓う。
自分の頭と心で決められないなら、自分が何よりも誇りとしてきた力で決めよう。
一介の戦士として、クロウは小賢しい理性も女々しい心も叩き出し、剣に全てを託すことにしたのであった。
「……以前戦ったときは、私も机の前で仕事をしている期間が長く、満足のいく戦いができたというわけではありません」
「うん? 今更負け惜しみか?」
「いえ……ただの事実です。しかし、今は違う。この三年で一から鍛え直し、今の私の肉体は全盛期以上の活力に満ちている。だから――これで負ければ、もはや自分自身にすら一切の言い訳はできないでしょう」
「……なるほどな。お前の考えは大体わかった。ならば、魔王としてその挑戦を受けよう」
ウルはクロウの短い言葉で全てを悟ったのか、ニヤリと笑って構えを取った。
以前と同じく、自分からは攻めずにクロウの出方を窺う待ちの構えだ。
(やはり、そう来るか)
クロウもまた両手に自らの得物、功罪武器、黒羽根吹雪を構える。
以前とは違いその存在は既に知られているため、出し惜しみなしの二刀流の構えだ。
(魔王の悪癖、やはりここでも出してきたな。これならば可能性はある)
剣を構えた以上、もうクロウの中に葛藤はない。
ただただ冷静に、如何にして魔王を殺すか。それだけを考える戦闘マシーンとして自らを定義していく。
「ふぅぅぅぅ――ハッ!」
大きく息を吐き、呼吸を整えたクロウは全身から白銀のオーラを放つのだった。
「【勇気の功罪・英雄の闘気】……前のように、使い慣れないそれとは違うぞ!」
「フム……中々だな。ならば、こちらもそれ相応の姿で行かせてもらおうか――進化樹形図励起・鉄騎狼人!」
気合いを入れ、魔王に対抗できるだけの力を纏ったクロウに対し、ウルもまた自らを進化させ第三進化体へと変貌する。
それがフルパワーではないことを知っているクロウは眉を顰めるも、しかし仕方が無いことだと気持ちを切り替える。
以前の自分はこの姿に敗れたのだから、文句があるならまずはこれに勝ってからだと。
「――いざっ!」
クロウはその場から消えた。
否、魔王流地の型・瞬進によって一気に距離を詰めたのだ。
「大分上手くなったではないか」
剣を構えた高速移動による突進を、ウルは魔力で強化した手刀で受け止めた。元々鉄騎狼人の体毛は鋼鉄以上であるとはいえ、今のクロウの一撃を真正面から止められるというのだからそこに込められた魔力量がわかるというものだ。
歩法に関しても、常人ならば移動したことに反応すらできない見事な速度とキレであったが、技の開祖を斬るにはまだまだ練度が足りていない。
「瞬進はもうマスターしたと言っていいのか?」
「いえ――まだまだでしょう!」
止められたのは想定内だと、クロウは素早く次の攻撃に移る。
魔王の悪癖――相手の土俵に合わせる癖が鳴りを潜めない内に、勝負を決めるために。
(意図的なものか無意識から来るものかはわからんが、魔王は戦闘時、相手の得意とする戦術で戦おうとする癖がある。ならば今のうちならば、我が全力をたたき込める!)
魔王ウルは相手の全力を引き出した上で勝利することを好む。
魔道も接近戦もどちらも熟せる引き出しの多さを持つ魔王ウルが本気で勝利を目指すならば、取るべき戦術は相手が強みを発揮できない立ち回りだ。
剣士が相手ならば空に上がり一方的な遠距離魔道攻撃で封殺し、魔道士が相手ならば魔道を使えない超接近戦で封殺するべきなのだ。
どちらも高いレベルで熟せる魔王だからこそ取れる戦術を、しかしウルは行わない。相手の思考の裏を読み嵌め、嫌がらせすることにかけては天下一品の頭脳と勘を持っている魔王がそれをわからないはずがないのに、相手を封じる戦い方をウルは取ろうとしないのである。
むしろ、剣士が相手ならば剣の間合いで、魔道士が相手ならば魔道の間合いで戦うことを好むのだ。
ここまでの付き合いでそれを見切っていたクロウは、だからこそ躊躇することなく全力をたたき込める。
もし、クロウが未だ実戦レベルでは会得できていない飛行魔道でウルが距離を取ってくれば、文字通り手も足も出ない結果になることだろう。だが、剣の間合いに居続けてくれるのならば、クロウにも勝ち目は十分にあるのだから。
「ミスるなよ、俺――瞬進・廻!」
クロウは未だ未完成の歩法、瞬進の応用により相手の背後に回る技を使う。
瞬進とは、初動を魔力のみで行う魔王流の移動技。肉体は力を溜めるだけで使わずに、初動を足からの魔力噴射のみで行うことで敵の予測を狂わせる。同時に、爆発的なエネルギーを全て移動に注ぎ込むことで一瞬でトップスピード以上の速度へと至り、本来初動で使われるべき足腰の力を二歩目に注ぎ込むことで更に加速。
予測不可能な動きと二段階の超加速による擬似的な瞬間移動。それが瞬進の正体であり、クロウが行ったのは二歩目を直線的な加速ではなく曲線的な方向転換に使う技である。
単純な加速よりも難易度はかなり上であり、タイミングと方向を間違えると加速したエネルギーの流れがそのまま自分の身体を痛めつけて吹っ飛ぶだけに終わりかねないものだ。
練習におけるクロウのこの技の成功率は、約五割。実戦に使うには余りにも心許ない数字であるが、クロウは見事に技を決め、一瞬で魔王の背後に回ることに成功したのだった。
「【狩人の功罪・狩猟機構】!」
背後を取ったクロウは、そのまま自身最強の技を解放する。自己強化の功罪である狩猟機構を使った滅多斬りだ。
勇気の功罪を発動したままの狩人の功罪。二つの功罪の重ねがけ、これは間違いなく三年前のクロウには不可能だった荒技であり、間違いなくクロウという戦士の最大戦力だ。
だからこそ、これにどう対処するのか……それを、クロウは知りたいのだ。
「いいだろう。更に先を見せてやる!」
クロウの殺気を感じ取ったのか、魔王が瞬時に振り向きその剣を素手で弾く。
振り向くと同時に更なる進化――第四進化体、邪爪狼鉄人の姿を見せることで更に強化された肉体強度を持って。
「――まだだ!」
弾かれ防がれはしたが、クロウの攻撃は終わらない。クロウの奥義の終着点、それは外した攻撃全てを刃に帰る黒羽根吹雪の能力なのだから、一度や二度弾かれた程度で止まる理由はないのだ。
無論、それを知るウルからすれば、いつまでもいいようにやらせてやる義理もないのだが。
「後ろがお留守だな」
「ッ!? しま――」
ウルはクロウと同じ歩法を使い、連続剣の攻撃範囲から簡単に抜け出しクロウの背後を取った。
先ほどクロウが背後から斬りかかったのにウルの反応が間に合ったのは、技が成功したといっても魔力の流れから動きを先読みされていたことが大きい。
しかし、今のウルの動きはクロウにはとても予測できるものではなく、全力で前だけを見ていたためとても背後に振り向く余力はないのであった。
「思った以上に成長していたな……褒美だ、魔王流の奥義を見せてやる」
世界がスローになったかのような錯覚すら覚える感覚の中で、クロウは見た。
圧倒的な魔力を右腕に込め、振りかぶる魔王の姿を。
「天の型極み――堕天!!」
「グ――ガハッ!?」
それは、一見するとただの手刀打ち。誰でもできる、やや指を曲げた構えからの打ち下ろしでしかなかった。
しかし、武の心得がある者からすれば感嘆すら覚えるほどに、その一撃には無駄がなかった。一切の無駄を無くし、全ての力を吸い込まれるように的確な急所へと叩き込む。
攻撃の理想とも呼べる手刀がクロウの背中へと叩きつけられ、白銀のオーラを蹴散らしこの決闘に決着を付けるのであった。
「……俺の勝ちだ。満足したか?」
「ええ……完敗です。言い訳の余地も無い」
気絶はしない程度に威力を抑えていたのか、クロウはうつ伏せに地面に叩きつけられめり込んではいたが、しかし意識は保っていた。
背中の強烈な痛みを感じつつも、クロウは思う。全てが思い通りに運び、なお敗れた。これ以上、どんな言葉でもこの敗北を覆すことはできないだろうと。
クロウ自身がそう納得し、誰にも顔を見られることのない地面に埋まったままであったが……敗者であるはずの男は、吹っ切れたように笑ったのだった。