第143話「精々楽しもうではないか」
「せ……宣戦、布告?」
カラーファミリー完全制圧の後、ウルは自らの分身である悪意の影を監視役に残して一度ウ=イザークへと帰還していた。
目的は宣言どおり、魔王国として正式に建国を宣言することと、軍備を整えることだ。元々の予定を大幅に繰り上げる関係上やることが多く、敵地に潜入している場合ではなくなったのである。
それを伝えるべく、主要な幹部勢を招集し、自らの決定をウルは語ったのであった。
そんな事情を聞かされた魔王軍の面々は、まず呆然となった。今まで聞かされてきた計画を全てひっくり返すような決定に困惑するのは当然であるが……真っ先に立ち直ったのは、その言葉を待っていたと言わんばかりに凶悪な笑みを見せる大鬼、ケンキだ。
「承知しましたぞ……我が王よ! このケンキ、今度こそいかなる敵が立ち塞がろうとも全て切り伏せてご覧に入れましょう!」
「期待しよう。まずやることは、俺を王とした正式な建国だ。ウ=イザーク、シルツ森林を含む新公国をそのまま魔王国の領土として宣言する」
「私はもちろん構いませんが、宣言……と言っても、周辺諸国が納得するとは思えませんが?」
ウルの次の言葉に反応したのは、現公国の公主として君臨しているシャルロット・イザークだ。
数少ない文官として裏で支配するウルを支えている才女であり、長年実の家族に虐げられてきた鬱憤を晴らすべく地下で実の親を含む肉親への拷問が生きがいという魔王の悪影響を全力で受けているアレな人でもある。
「別に構わん。元々、誰に認めてほしいわけでもないしな。俺がやると言えばそれに従うのが世界の法だ」
「暴君まる出し理論ですね……最悪、危険な思想の持ち主として五大国を含む周辺諸国が連合を組んで襲いかかってくる恐れもありますよ?」
「元々、相手が魔物というだけで襲いかかってくる野蛮な種族だからな。それは最初から避けられん話だ。だが……俺はそこまでのことにはならないと読んでいるぞ?」
「人間だって野蛮さをウルに言われたくはないと思うけど、なんでそう思うの?」
仮に魔物が建国を宣言すれば、人間勢力は団結してそれを殺しにかかる。
そう予測するシャルロットだが、ウルはその予測を否定した。
「第一に、人間とは人間を信用していない。というよりも、人間以上に人間を嫌悪し殺す種族はいない」
「え?」
「昔実験したことがあってな。様々な種族を混合、あるいは種族ごとに隔離して生活させたらどうなるかという主旨の」
「完全に実験動物扱いだね」
「その結果、いろいろ条件を変えてみてもほとんどの場合人間種が最初に同族殺しに走るのだ。いや本当に、人間の遺伝子の中には人間を殺したくて仕方が無い何かが刻まれているとしか思えないくらいにな。かといって他種族と友好的にやれるわけでもないから、最終的に僻地に押し込んで殺し合いたければ勝手にやれと放置するしかなかったくらいだ」
人間は同族と争うのが好きな生き物である。外部に強大な敵が現れたとき団結する習性があるにはあるが、よほどのことが無いとそうはならない。
すぐに国が違う肌の色が髪の色が目の色が違う信じる神が違うと何かしらの差異を見つけては嫌悪しあい、最終的にお互いを殺して対立そのものをなかったことにしようとする野蛮極まりない種族だ。
ウルは人間の性質をそう語る。とにかく『自分と違う何かを持つ』相手を受け入れることも認めることもできない圧倒的な心の狭さ。それこそが人間の本質であると。
「そんな人間の特徴から考えるに、簡単に団結など絶対にせん。そもそもル=コア王国がこっちを舐めている現状、団結して魔王を討とうではなく魔王討伐を大義名分として他国が軍事力を送り込んでくることをまず間違いなく警戒する。それに、たかが魔物の討伐に他国の力を借りる必要などないと見栄を張るのも間違いない」
「人間同士の内輪もめで勝手に足の引っ張り合いになるってこと?」
「そうだ。ついでにいえば、その助けを求める他国の立場からしても、未知数の敵に自国の軍勢を使いたいとは思わん。自分が襲われるならばともかく、対岸の火事にわざわざ出向くようなことはせんさ。それで王国が単独で勝利したとしても戦争の傷跡が残り敵国が弱体化するだけだし、魔王軍が勝ったとすれば情報収集の場として戦場は最適だというだけの話だ」
「ル=コア王国に恩を売る目的で、積極的に手を貸そうと考えるものはいないのでしょうか?」
「ル=コア王国自身が拒否するのに恩も何もないだろう。それに、恩を売るとは恩を恩で返す心構えを持つ者にのみ有効な手段だ。今の王国を見る限り、恩を仇で返されることはあってもそれはないと誰だってわかっているさ」
結果、こっちで何かしなくとも王国側が他国の干渉を抑え込んでくれ、他国はそれを幸いにと静観する。
建国と宣戦布告を行った場合の人間の行動予想を、魔王ウルはそう語った。
その自信満々すぎる態度に納得しそうになる一同だったが、シャルロットはまだ懸念があると否を唱えた。
「確かに、他の国は無理に関わることは無いかもしれませんが……エルメス教国だけは別です。あの国は魔物狩りを是とする狂信者の集団……魔物が国を興すとなれば、必ず潰しに来ます」
全ての聖人、聖女を管理するエルメス教の総本山、エルメス教国。
七聖人を筆頭とする魔物狩りのプロフェッショナルを抱える五大国最強の武力、国力を持つ国。宗教国家として魔物の存在を否定している以上、何があっても関与してくるのは避けられないとシャルロットは述べるのだった。
「そうだな。アリアスを潜入させているが、あいつにも国そのものの行動指針を覆すほどの力はないだろう。だから、できる限り抑えるしかないな」
「できる限り?」
「詭弁でも暴論でもなんでもいいが、とにかく『全戦力を魔王国に向ける』という結論さえ出させなければ良い。元々あいつは王国に出張していたらしいし、その縁で自分が行くと誘導できるだろう」
流石に聖人を集団で送り込まれては、今の魔王軍では太刀打ちできない。
ならば、少数ごとに各個撃破すればいい。魔王ウル・オーマが本来の力を取り戻せば聖人が億人がかりでも問題はないのだから、とにかく時を稼げれば良いのだ。
元々の予定では陰に潜んでその時間を稼ぐつもりであったのだが、そのことはもう言っても仕方が無い。
「では聖女アリアスにエルメス教国のことは任せるとして、肝心の王国戦力は大丈夫なのですか? 私は軍事の方には関わっていませんので、その辺のことはわからないのですが……」
「さて……それはやってみなければわからんな。俺は勝つが、国として勝つかどうかはお前達次第だ。弱ければ死ぬだろうし、強ければ生き残るだろう」
魔王ウル・オーマは勝つ。それは確定事項として、その他の勝利があるかは配下達次第だと挑発した。
シャルロットはその言葉を受けて武力担当の魔物達の方を見るが……魔王の思惑どおり、闘気を滾らせる姿を見てこれ以上自分が何を言っても無意味だと姿勢を正して黙るのであった。
「まあ……ウルがやるって言う以上、そこを考えても仕方が無いよね。それで、建国って具体的にはどうすればいいの?」
「ウム。人間のルールはこの際無視するとしても、国民、国土、力の三つを用意するのが最低条件だな。国などと言ってもお前らが今まで見てきた魔物の領域と本質的には変わらん。とにかく自分の縄張りだと主張する領土を治められるだけの民と力があればそれは国だ」
魔獣の理論であった。
強い奴が今日からここは俺の縄張りと宣言すればそのとおりになる。文句のある奴は殺して黙らせる。それだけである。
「えー……かなり乱暴な解釈ですがそれで間違いはありません。五大国は別として、小国ならば今もできたり滅んだりしていますしね。既にファルマー大陸の大半は誰かの領土となっていますので、その領土の持ち主から奪うなり買うなりして国土を手に入れる。そしてその国を維持できるだけの国民……つまり経済を持つ。そしてそれを守れるだけの軍事力を持つ。それができればとりあえず国と認められます」
ウルの説明を、シャルロットが補足した。
「認められるって……誰にだ?」
それを聞いて、ケンキが反応した。元々は大きな縄張りの主だった身としては、人間の文化にも興味があるのだろう。
「周辺の諸国にですね。誰だって自分の国の隣に得体の知れない国ができるのは嫌なものですし、危険だと判断されれば潰されます。逆に言えば、国としてそこにあっても構わないと近隣の国々に認められれば一先ず安泰ということです」
「まぁ、それを俺たちが満たすのは不可能だからそれは考えなくてもいいがな」
普通は周辺諸国の合意があって初めて国際社会から国と認められるものだが、魔物が王となれば人間達が認めるわけがない。
つまり、そもそも周辺の合意など知るかという強気な態度で行く以外の選択肢は初めから残ってはいないのだ。
「ところで……一つ、いいですかな?」
話の流れを遮り、クロウが発言した。
マフィアとの戦いで醜態を晒し落ち込んでいたが、しかしこんな大事に黙っているわけにもいかない立場なのだ。
「なんだ?」
「はい。ウル殿が王として直接君臨するとなれば、今まで公国で暮らしていた人間達からの強い反発が予想されます。元々魔王ウルの存在を知っているア=レジルの民は例外でしょうが……」
「あぁ……そうだな」
人間への強烈な罵倒を黙って聞いていたクロウであったが、これだけは無視できないことであった。
仮に魔王の君臨が公表されたとき、先ほどのウルの発言ではないが簡単に受け入れられるものではないだろう。逃げ出す者は多く出ることだろうし、最悪自分達の手で魔王を排除しようと無謀な挑戦をして無駄死にする恐れもあるのだから。
「フム……それに関しては、全て許すつもりだ」
「全て……とは?」
「契約で縛ったア=レジルの民も含めて、自由を許す。俺の支配下に残りたいのならばそれでよし。敵対するのならばそれもまたよしだ」
ウルの発言に、クロウは目を見開いた。
人間の解放――まさか、それがこんな形で叶うのかと。
「いいの? そんなこと言って」
「これから戦うというのに文句を言うだけの輩なんぞいらん。必要なのは、己の意思で俺に続く戦士か俺の正面に立つ勇者のみだ。背を見せて逃げる者には興味がない」
ウルは本気であった。
人間達に選択の権利を与える。自分に付いてくるか、自分に刃向かうか。それを自らの意思で選ぶ権利を。
その考えを聞いて、シャルロットは小さく笑うのだった。
「私としては、思うほど離反者は出ないと思いますよ?」
「……何故だろうか、シャルロット様?」
クロウの動揺を余所に、この場にいるもう一人の人間であるシャルロットは平然としたものであった。
人間でありながらもその余裕に、クロウは訝しげな目を向ける。
「忘れてはいけないこととして、王国は腐っています。庶民ほどその腐敗の煽りを受けており、生活は困窮しているものです」
「それは……そうだが」
「そして、ウル様の統治は優しくはないですが清廉でした。決して甘さはないですが、それでも役人の不正を許さないその在り方は庶民からすれば希望そのものです。更にもたらした数々の技術や経済の発展を考慮に入れれば、十分善政と言っていいものでした。あえて王国の統治下に戻りたいと思う者は案外少ないかも知れませんよ?」
「ムウ……」
クロウはシャルロットの主張を否定できなかった。
クロウから見ても、貴族の不正や怠慢で苦しむ民を何度も見てきた。クロウ自身としても、ギルドマスターとしての真っ当な要望を下らない理由で却下されて苦しんだことも一度や二度ではない。
それに比べて、ウルの支配は強引だが公平だ。決して契約を破らないその在り方は、支配される者からすればある意味で理想的な安心感をもたらしてくれる。
その分気まぐれで無理難題を押しつけられるストレスも発生するが……それは幹部クラスだけの話。王に関わることのない庶民だけを見るならば、もはや弁護の余地が無いほどに王としてウルは王国の王侯貴族よりも優れているのだ。
ただ一つ。彼がただの王とは一線を画す魔王である、という問題にさえ目をつぶれば。
「……ウル殿」
「なんだ?」
「先ほど、ア=レジルの民にも選択の権利を与える……と仰いましたが、それは私にも適用されるのですかな?」
「俺は自分の言葉は曲げんぞ?」
「……もう一つ。ウル殿はいつでも自分を超えられる自信があるならば刃を向けることを許す、と宣言されていましたが、その権利は今も有効ですか?」
「無論だ。俺はいつでも挑戦を受けよう」
クロウはウルの言葉を聞き、目を閉じた。
自分の中の何かに問いかけるようにしばらく黙った後――クロウは、ウルに向かって強い炎を宿した目を向けるのであった。
「ならば、魔王ウル・オーマに願う。我が挑戦を、今一度受けて頂きたい!」
「……構わんぞ? 精々楽しもうではないか」
人の英雄クロウ・レガッタ・イシルク。
その心に何かを宿して、彼は再び魔王に挑むことを宣言したのであった――。




