第140話「完敗だ」
「グ……?」
「目が覚めたか?」
黒組統括、ノワールは悪い酒でも飲んだかと間の抜けたことを考えてしまうような頭痛と共に目を覚ました。
「テメェは……そうか、俺ぁ負けたんだったか」
そして頭の痛みを堪えて目を開いてみれば、そこに写ったのは毛むくじゃらの魔物。世間一般的には『弱者』として知られるコボルト種であった。
そんな弱者に負けた自分は何なんだと世の常識を疑いつつも、ノワールは速やかに今の状態を確認する。
(身体は……動かねぇか。縛られているわけでもねぇのにこれは、薬を盛られているな)
この場から脱出することは可能かと考える前にまずやるべきことは、自分の身体が自分のものであるかを確認することだ。
その結果、今のノワールの身体はノワールの意思から離れていることが判明した。よほど薬の扱いに長けている者がいるのか、意識だけはっきりと覚醒させつつも首から下は全く動かない状態に麻酔をかけられているらしい。床に転がされるのではなく椅子に座らされているので、最低限の人権は尊重するつもりがあると思いたいがと彼は考える。
「改めて名乗ろう。我が名はウル・オーマ。魔王である」
「そうかい……俺様はノワール・カラー。こんな様だが、カラーファミリー最高幹部の一角やらせてもらっているぜ」
完全に敗北し、生殺与奪を握られてなお殺されていない。
この状況から考えられる敵の目論見は、尋問か取引と相場が決まっている。
ノワールが持つ情報そのものを欲しているならば、これから始まるのは拷問だろう。だが、ノワールの身柄を欲しがっている誰かとの取引材料として使うつもりならば、最低限の身元確認さえできればそれ以上の用はないはずだ。
どちらが狙いかなどとそんなことを考えつつ、いずれにせよ『黒組』を預かる人間として、どんな目に遭おうとその誇りだけは穢してはならないと覚悟を決めるノワール。
そんな人間に、自称魔王は場違いなほどゆったりとした口調で語りかけるのだった。
「そう警戒するな……とは言わん。十分に警戒しろ、これより先の話は悪魔との契約だ」
「悪魔……へぇ? コボルト系の魔物に見えたが、正体は悪魔なのかい?」
「あぁ、そのとおりだ。だから油断するなよ?」
人間社会において、魔物とは奴隷階級であり軽視される存在だ。
しかし、悪魔だけは――そもそも魔物扱いされない天使含め――例外である。というのも、人の心につけ込み悪を成すことを生態とする悪魔は人間がどれだけ力を付けても決して油断できる相手ではなく、勇者や聖人ならば討伐できる……などと言っている余裕がないのである。
何せ、悪魔の本質はその狡猾さ。そもそも勇者や聖人に頼ることができないまま大事件に発展することがほとんどであるため、いくら平和ボケしていても悪魔にだけは警戒心を忘れることができないのである。
「それで、その悪魔さんは俺様にどんな聞こえの良い取引を持ちかけてくるんだ?」
「フフフ……まずは結論から言おう。俺はこの国を落とすつもりだ。そのために協力してもらう」
「国を? ……クククッ! それはそれは、思ったよりも大きな話だねぇ……」
ノワールは平静を装いながらも、ウルの言葉に覚えた違和感の分析に脳をフル回転させていた。
(国をとる? 妙だな……悪魔ならそこは『国をとる手伝いをしてやるからその代わりに』って話をするもんじゃねぇのか?)
悪魔が契約を持ちかけてくるのは子供向けのお伽噺になるくらいには有名な話であるが、それは常に『契約者の欲望』につけ込むものであるはずだ。
しかし、ウルの話しぶりでは自分の目的にノワールを利用すると言っているだけで、欲望につけ込むような狡猾さを感じられない。どちらかと言えば、自分流の脅し文句に近いと感じられた。
「ククッ! それなりに頭は回るようだな。そのとおり……俺は今、悪魔として人を惑わそうとしているんじゃない。お前の流儀に合わせて脅迫しているんだ」
「お見通しってわけかい……しかし、俺様を相手に脅迫とはね」
「お前は黒組とかいう脅迫担当なんだろう? ならば、一番わかりやすい方法でお話しするのが一番だと思ってな」
「それに俺が乗るとでも? 俺様は――」
「脅しのプロだ、か? 相手を脅すプロは同時に脅されることに対しても耐性がある。どんな拷問を受けようが決して口を割ることはない訓練も受けている……と言ったところかね?」
自分が言おうとしたことを先読みしたウルを前に、ノワールの口は閉じられた。
全てわかった上で言っているとなると、流石の百戦錬磨も不安を感じてしまうものだ。
「お前の覚悟に挑戦し、俺の持つあらゆる拷問術を試してやってもいいんだが……今は止めておこう。俺としても、使える人材を廃人にはしたくないんでな」
「そりゃ、どうも」
「代わりと言っては何だが……デモンストレーションをやろうと思う」
「あん? まさか……俺の代わりに俺の部下を痛めつけるとでも言いたいのかい?」
「いやいや。お前みたいなタイプには確かにそれも有効だが……配下を殺した相手は死んでも許さない頑固さもある。義理堅さは裏社会で生きていくためには必要なものだろう?」
「へっ! 生憎だが、俺様はそんな甘い人間じゃねぇよ。自分の利益だけを考えている奴だけが生きていけるのが裏社会ってもんだぜ?」
「そうかね? 自分でそう思いたいならそれでもいいが、少なくとも完全に決裂するまでは『黒組』には手を出さないことを約束しよう」
強がってみせるノワールの言葉が何も響かないウル。
こういうときは、多少のリスクを背負ってでも相手の感情を引き出しそこから真意を読むのがセオリー。
なのだが、悪魔を名乗る魔物からは『人間如きの言葉では微塵も心揺らぐことなどない』と宣言するような冷たさしかノワールは感じ取ることはできないのであった。
そんなノワールに、ウルは更なる一手を打ち込む。
「赤、青、黄、緑、黒、白。そして無……で、合っているか?」
「……カラーファミリーのことは、それなりに調べてあるようだな」
ウルが告げたのは、カラーファミリーを構成する七つの組織のコードネームである。
「この中に一つ、気にくわないのがあってな。デモンストレーションはそれを使うつもりだ」
「……俺様が言うのもおかしいが、表に顔を出すことに意味がある黒組と違って他の連中は地下深くに潜っている。簡単に会える相手じゃねぇぞ?」
「それは問題ない。……もう持ってきた」
「は?」
ウルが何かハンドサインを出すと、近くにいたらしい誰かが何かを床に放り投げた。
ノワールが動かない身体の代わりに顔だけを何とか動かしてその方向を見てみると――そこには、ノワールとは異なり鎖で厳重に縛り上げられた知った顔の男がいたのだった。
「……そいつは、緑の……」
「麻薬関係担当の統括らしいな。俺は個人的にその手の薬は好まんので、排除することにした。そのついでに、お前との交渉をしようと思ってな」
転がされたのは、緑組統括の最高幹部であった。
何故彼がここにいて魔王の手に落ちているのか? その答えは簡単であり、意識を失ったノワールの頭の中から直接読心術の応用で情報を抜き取り他のカラーファミリーのアジトを特定、あっさりと誘拐してきたという話である。
他の敵対組織と直接対決をすることも想定した黒組と違い、緑組に戦力と呼べるものはほとんどない。正確に言えば護衛として普通の人間基準の手練れならばそれなりにいたのだが、その程度で魔王を止めることなどできるはずもなく、簡単にこの状況になったというわけであった。
「では――始めようか、脅しのプロ。もしこの魔王ウル・オーマの技術がお前を超えていると思えば、膝を折ることにも躊躇いはあるまい?」
「魔王……ね。面白いじゃねぇか」
脅しのプロとしてのプライド。それに真っ向から挑戦され、圧倒されてなお貫く意地などあるはずも無いだろうと笑う魔王に、やってみろとノワールもまた笑う。
これは挑戦であり喧嘩だ。ならば笑って真っ向から受けるのがノワールの流儀であった。
ノワールにとって守るべき仲間は黒組のみ。同じカラーファミリーでも他の組の連中は同盟関係程度の立ち位置であり、別に傷つけられても赤の他人としか思わないのが本音なのである。
だからこそ、ノワールは冷静に色々と道具が用意された魔王の脅しとやらを冷静に観察できるのだ。
「さて……せっかくだから、目標を決めようか。そうだな……緑組の統括であることを証明する連絡方法を教えろ、でいこうか?」
それは、外部に漏れれば組織そのものが自由に操られかねない最高機密。王もそうだが、手紙などの口頭で直接指令を出すわけではない方法で配下に指示を出す場合、必ず本物であることを証明するための工夫が施されるものだ。
そうでなければ、敵対者に好き放題命令系統を混乱させられてしまう。下手をすると『隣にいる奴は敵のスパイだから速やかに殺せ』なんて指令を組織全員に出す……なんて同士討ち命令だってできるのだから、その取り扱いだけは決して外に漏らしてはならないのだ。
それこそ、自分が殺されることになったとしても。
しかし――
「ヤ……ヤメテ、クレ……ナンデモ、ハナス、ガラ……」
「何だ? もう終わりか? せっかく他にも色々用意したのに」
魔王との勝負は僅か一時間足らずで終了した。
せっかく用意した道具をまだ半分も使っていないと少々不満を浮かべながらも、魔王はその内容を手早くメモしていく。
統括として絶対に喋ってはならない機密を必死に話す、既に半分人の形を崩してしまった同僚を前に、ノワールは――
「……完敗だ。俺ァ、あんたの下に付くぜ」
魔王の卓越した拷問術を知った果てに、心底一人の職人としての敗北を認めるまでさほど時間は必要ないのであった。
黒組統括ノワールの目には、年齢に見合わない輝きが宿っていたのだ。幼い少年が憧れの英雄を見るような、長い年月をかけて極めたつもりの拷問術、その遥か先を歩くものの存在を知って……。
◆
「はぁ……僕の金貨はちゃんと払われるのかなぁ?」
そのころ、魔王一行の道案内を担ったスラムの少年――テムはとぼとぼと自宅まで帰るべく薄暗い地下道を歩いていた。
彼はスラムの住民しか知らない地下水道を案内するという大役を熟し、その対価として魔王ウルより金貨一枚を受け取る契約であった。
しかし――テムは未だ金貨を手にしてはいなかった。というのも、確かにテムは魔王ウル一行を黒組のアジトまで見事案内してみせたのだが、魔王ウルとの契約は『姿を消したマフィアの下まで案内すること』であり、つまり王国の住民なら誰もが知っている『関わってはいけない相手筆頭』の眼前まで行かねばならないということだったのだ。
(いや、流石にそれはないでしょ)
流石にそれは命あっての物種と、テムはアジトの前まで行って逃げた。それはとても理性的な判断であり誰に責められることではないが……その時点ではまだ『マフィアの場所まで到着してはいない』ので契約達成とはならなかったのだ。
一応『本当にこの中に標的がいるならば契約完遂と見なす』とウルは言ったので、問題なく目的を達成できていれば金貨一枚はテムのものとなったことだろう。
しかし、それを確認するには一緒にマフィアのアジトに乗り込むということ。流石にそれには付き合えないと、テムは一人一度帰ることになったのである。魔王ウルが約束を守ってくれることを信じて。
……というか、そもそもマフィアのアジトに殴り込みをかけて生きて帰ってくるのかと心配しつつ。
そんなときであった。テムの歩く方向から、誰かの話し声が聞こえてきたのは。
「臭い! なんだこの悍ましい場所は!」
「はっ! その、地下下水道ですから……」
「我が王都にこのような場所があるとは許しがたいぞ! 焼き払うよう父上に進言すべきか……?」
「その、ここも王都の施設としては重要な場所ですので……」
「まったく……これでメスエルフが大した価値のないものであれば容赦はせんぞ!」
声の主は大層不機嫌らしく、お付きの者らしい誰かに怒鳴り散らしていた。
テムは慣れたものだが、この地下下水道の悪臭は慣れない者には厳しい。だから不機嫌になっても仕方が無いのだが、よくもまあこんな声の反射する場所で怒鳴り散らす気になれるものだとテムは謎の感心を持ってしまうのであった。
「ん? おい、あれはなんだ」
「はっ……身なりから察するに、スラムの子供でしょうか?」
「……偉大なるこの次期国王の前に、そのような卑しいガキが立つとは許されることであるか?」
声の主――王太子ドラムは、自らのストレスのいい発散場所を見つけたとニヤリと笑う。
テムはその短い人生で得た経験――貴族っぽい奴に関わると碌なことにならないという事実を前に、さっさと立ち去ろうと脇道に逸れようとするが……
「捕えよ」
「はっ!」
ドラムは護衛らしき兵士に命じ、テムを捕えさせた。
流石のテムも、訓練を積んだ大人には敵わない。あっさりと少年の小さな身体は捕えられてしまうのだった。
「な、何すんだよ!?」
テムは必死に抵抗するが、誰も取り合わない。
王太子という最高位の肩書きを持つ人間の側仕えとなれば、皆最低限の身分は保障されている存在だ。
そして、差別意識が強い貴族社会に生きる彼らにとって、スラムの貧民などそもそも人間とは認めていない。
だからこそ、彼らは実に人間らしくその狂気を振りかざすことができるのだ。
「罪状は、この私、偉大なる王太子の前を歩いた罪。異論は?」
「何もございませぬとも、ドラム殿下」
権力という名の猛毒に侵された悪鬼達は、その顔を暴力の悦に酔わせるのであった……。




