第139話「本当に良く鍛えられている」
植物魔物が埋め尽くすジャングル状態となった一室から飛び出した先で、二つの拳がぶつかり合っていた。
「――鬼力貫手」
並みの金属など豆腐のように抉る四本の指が大気を抉る。
「天の型・鉄指」
金属の鎧も容易く引き裂く爪を使った貫手が轟音を上げる。
魔王ウル・オーマと謎の執事バトラーの戦いは、バトラーにとっての専門分野――格闘戦の体を成していた。
二人の貫手がぶつかり、込められた力が逃げだそうと爆音を上げて弾ける。並みの人間ならば衝撃波だけで吹き飛ばされるような力の中心にいながらも、ウルとバトラーは無傷。
片や魔獣の肉体強度で、片や人間の限界を無視するほどに硬化された肉体を以って、致死性の打撃を無力化し合っているのだった。
(……強い)
既に交した拳は数百を超える。破壊力、精密さ、速度、どれを取っても超一流の域にあると、バトラーは素直な称賛をウルに覚えていた。
バトラーも格闘家として鍛え続けてきた人間だ。相手が魔物とは言え、自分と同じ道を進みここまで極めた者には敬服の念を覚えざるを得なかった。
同時に、口惜しく思う。この相手に本気を出せない今の状況と、相手もまた本気ではないという確信を持ててしまっていることが。
(私の技は対人間を想定したもの……にもかかわらずここまでのびのびと拳を振るえるとなると、合わせてもらっている……ということでしょうかねぇ?)
先ほどのクロウとの戦いでは、対人戦の技を持つバトラーが有利だった。
ならば、今度は魔物であるウルとの戦いとなると多少は不利になるはずなのだが、今のところそれで問題を感じたことはない。
ウルは獣人型――人間とほぼ変わらない身体構造を持った種族なのだから当たり前といってしまえばそれまでだが、それでも別の種族。人間とは異なる特徴の一つや二つは持っていて当然なのに、ウルの動きは『やろうと思えば人間でもできること』という制限をかけているようにも思えるほどやりやすいものなのだ。
(考えられることとしては、こちらの実力を探っている……というところですか? あえて全力を出せる状況において、私の底を探ろうとしている……?)
初対面の魔物に手加減してもらう謂われはないため、可能性としてはそのくらいだろうとバトラーは考える。
同時に、そうであれば今の自分が100%の力を出していないこともまた見抜かれているのだろうとバトラーは予想する。
その考えは、概ね正解であった。
(良い拳士だ。純粋な鍛錬の結晶……神にも悪魔にも頼らない、己自身の力を信じ極めようとする強い意志を感じる。裏にいるのが何かは知らんが、本気で殺し合えないのが残念だな)
魔王ウルから見て、バトラーは大変高評価であった。
復活してから見た人間の中では最も『人として極めた者』に近づいていると言っても過言ではなく、全盛期を過ぎて一線を退いていたクロウにはなかった気迫が何とも心地よいものだった。
それだけに、相手が全力を出していないこともはっきりとわかってしまい、些か残念に思っているが……自分もまた諸々の事情で全力とはほど遠い以上、この場は自己紹介がてらの遊びだと割り切るべきかと方針を切り替えている。
既に目的であるミーファーの安全を確保した以上、この場において魔王ウルに義務は何もないのだから。
「貴様が何者か……実に気になるところなんだがなぁ……?」
「それは、こちらの台詞なのですがね――!」
バトラーが繰り出したのは蹴りであった。上半身を全くブレさせずに放つ無動前蹴り。
並みの格闘家では何をされたのかもわからないまま吹き飛ばされてしまうだろうが、ウルは蹴りに合わせて蹴りをぶつけた。
同時に、まるで金属の塊をぶつけ合ったかのような高い音が響く。ウルは足を命の型・剛体法により硬化した上で更に魔力強化を施しているための硬度であるが、人間であるバトラーも同格の強度を誇るとは驚くべき事であった。
(フム……流派は異なれど、筋肉を締めて肉体を硬化させる技の原理自体は同じだな。だが……それだけでは少々説明できんな)
(まったく……冗談でしょう? いくら全力ではないとはいえ、私とまともに攻撃をぶつけ合って互角とは……)
ウルは敵の使う技術の分析を優先し、手を変え品を変えバトラーが隠している何かを引きずり出そうとする。
対するバトラーは、自分の能力を知っているが故に『自分の土俵で互角』のウルに驚きを隠せない。ただでさえ、万全にはほど遠い消耗状態であると彼は見抜いているのに、だ。
「……まったく、お疲れでしょうに、よくもまあそこまで動けるものですね?」
「ほう? 俺が疲労していると?」
「ええ。流石に理由まではわかりませんが、これだけ打ち合っていればある程度は読めますとも」
流石に手練れと言うべきか、バトラーは自分と戦う前からウルが消耗していることを読み取っていた。
それも、ただ連戦だというのとは別の疲労だと直感している。優れた戦士は一昼夜戦い続けても疲労を表に出さないパフォーマンスを発揮するものだが、慣れない仕事をした疲労は簡単には抜けるものではない。
その読みは的中であり、ウルは本来専門外……壊すのと奪うのが専門である魔王であるにもかかわらず生死の境を彷徨っていた命一つ救うという大仕事を熟した後なのだから、それは疲労も溜まるというものであった。
だが――
「そう思うのならば、もっと果敢に攻めてきたらどうだ? 今ならばこの首、取れるかもしれんぞ?」
「……さて、どうしましょうかね」
そもそも疲労……力が全快にはほど遠いという意味では、魔王ウルは復活して以来ずっと極度の疲労状態のようなもの。
あまり自慢できることではないが、少ないエネルギーで動くコツはこれでもかと身についており、極度の疲労状態であったとしても『その状態でできる最適な動き』を瞬時に組み立てるくらいはできる。
その余裕があるからか、あるいはハッタリか、いずれにせよウルの異様なまでの余裕にバトラーは消耗を確信しつつも深く攻め込むことができないのであった。
そのとき――
「ん? ……終わったか」
「余裕ですね!」
ウルは愉快そうにそう呟くと、チラリと僅かに目を逸らした。
それを隙とみて、バトラーは武闘家の本能に突き動かされて動いた。隙を見せたら叩く、それは戦士としての条件反射に等しい。
しかし……残念ながら、魔王ウルは隙を晒したわけではないのであった。
「クククッ! 想像以上に良い腕だな、人間!」
「全く――これほどの使い手に出会ったのは、これが初めてですよ!」
ほんの僅かなチャンスを見逃さない判断力と行動力。実に素晴らしいと讃えつつ、当然のようにウルはその拳を包み込むようにして掌で受け止めた。
獣人の掌は肉球が存在しており、ウルにも当然ある。そして肉球とは別に観賞用についているものではなく、本来は着地などの衝撃を和らげるためについているのだ。
まして、魔物のそれとなると生半可な衝撃など完全に吸収してしまう打撃殺しといっても過言ではなく、完全な無の型の受けと合わせてバトラーの突きは無力化されてしまうのだった。
(半端な技では効果無し。全力を出す――のは、ダメですね。となると……)
今使える手札で魔王ウルを打倒するのは可能か不可能か?
バトラーは戦士として、客観的思考でその可能性を追求する。
「どうやら、この場の決着はついたようだな」
「……なるほど」
しかし、ウルの言葉でその考えを放棄した。
何故ならば、先ほど自分達が飛び出してきた壁の穴から、一匹のコボルトが顔を出したのだから。
(突然ジャングル化した一室……功罪か何かが解除されて、敵方のコボルトが五体満足で観戦モード……負けましたか)
バトラーは一応味方であったマフィアが敗北したことを悟り、これ以上この場で戦うこと自体に意味がないと結論する。
一人の武人としては、極限に至るまでこの達人と死合いたいという思いが無いわけではないのだが、元々お互いに全力を出せないのではその欲も半減だ。となれば、目指すべきは勝利ではなくこの場からの離脱であるとすっぱり気持ちを切り替えるのであった。
「どうやら、こちらの負けのようで」
「そのようだな……しかし、お前から見て今の状況は負けなのか?」
「えぇ……まあ。少なくともこの場における勝利がなくなったのは間違いないでしょう」
バトラーの任務を考えれば、最良は突如乱入してきた詳細不明の魔物一味を排除してこのまま潜入を続けることだった。
しかし、現われたのは自称とは言えお伽噺の住民である魔王であり、その実力も決して侮れるものではない。吟遊詩人達が謳うようなお伽噺に比べるとそこまでの力があるとは言えないが、現実の脅威として評価するならば十分だ。
そんな想定外にも程がある状況で、次の行動を自己判断で決めてしまうのは裁量を越える。バトラーの真の主の計画に支障を来してしまうのは避けられないが、事前の計画に固執して目の前の脅威を無視する方が叱られることになるだろうから。
「……帰るつもりか?」
「許してもらえるのならば」
「まぁ……一応許さんぞ? 最低限の妨害と追跡くらいはするがね」
「でしょうね。なるべくお土産は残さないように……消えさせてもらいます」
次の瞬間、バトラーがその場から消えた。
魔王流・瞬進。ウルが何回か見せた瞬間移動の歩法を、バトラーは僅かな戦いの間に見よう見まねで会得したのだ。
「見事なものだ。我が配下共は、これを会得するだけでも四苦八苦しているのだがな」
「――やっぱり、あっさり追いつかれますか」
しかし、技の源流こそが魔王ウル・オーマ。魔王流の中でも高難易度の技を見ただけで模倣するセンスは流石だが、付け焼き刃のそれと本家のそれでは流石に劣る。
バトラーの移動先に瞬時に追いついたウルは、そのまま叩き潰すべく移動の勢いを利用した回し蹴りを繰り出す。
それは回避されることを前提とした一撃であり、避けた後に追撃するつもりで放った蹴りだ。
だが、バトラーは魔王の蹴りをあえて避けることなく土手っ腹で受けるのだった。
「ム――」
「【剛体の功罪・金属の肌】――さらばです」
蹴りが命中した瞬間、バトラーの身体は鉄の塊に変化した。
同時に、その威力を利用する形で跳躍。一気に魔王ウルとの距離を離すのであった。
「貴方の技、有り難く頂戴しておきます」
「フン……最後にようやく見せたか。まぁ、いい」
離した距離を有効活用し、再び瞬進により逃げの一手を選んだバトラー。
その背中を、ウルは特に追うことなく腕組みをして見送るのだった。
(連続での瞬進とは、本当によく鍛えられている。今あのレベルで使える奴となると、ケンキとコルトくらいじゃないか? 中々に期待ができる奴だ……金属の肌も確認できたことであるし、この場はこれでよかろう)
ウルは去ってゆくバトラーを称賛しながらも、その能力を頭に刻み込んだ。
剛体の功罪。
肉体鍛錬において他者を突き放すある領域に辿り着いた者が発現することのある功罪であり、その効果は単純明快“自分の肉体を強化する”だけである。
しかし単純だからこそ、この功罪を得られるほどに修練を積んだ武術家は脅威になる。
金属の肌の場合は、動きを阻害するような何の制約も受けることなく金属製の武器防具を身につけたに等しい効果を『生身でも武装した相手を一撃で殺せる使い手が』得ることができるといえば、その凶悪さもわかるだろう。
しかしその習得方法の単純さ故に、類似する効果を持つ功罪を見ることは多く、ウルも拳士ならば恐らくはそれだろうと予想はしていた。
故に、この場で仕留められないのならばせめて『異常なほど硬い四肢』の秘密だけでもはっきりさせておこうかと追撃を仕掛けたというわけである。
戦闘中はかなり手を抜いていたのか、最後の離脱のために使った金属の肌の強度は今までの比ではなく、蹴ったウルの足にも痺れが残るほどであったが……目的は果たしたからよしとそれ以上の追撃は諦めるのだった。
恐らく、あの男をこの国で見ることはもうないだろうと直感しながら……。
◆
「……ふぅ。結局、逃げるだけでも使わされちゃいましたか。せっかく、見破られるにしても『四肢を硬化する能力』程度に思わせられるように振る舞ったんですけどね」
無事に逃げだしたバトラーは、今度は気配を消して建物の死角に潜んでいた。
一応、追っ手を警戒してのことだ。魔王ウルの雰囲気からして追っ手は来ないと予想はしていたが、念には念を入れねばならない。
全神経を張り巡らせてそのまま数十分敵の気配がないか警戒し続けたバトラーは、ようやく追っ手なしと判断して緊張を解くのだった。
「あんな使い手が突然出てくるとは……陛下、予想してたんですかね?」
自分に『敵国の王子のネタを探れ』と潜入任務を命じた真の主――ガルザス帝国皇帝ジークリンド・エスタール・フレア・ガルザスのことを思いながら、これ以上の任務続行は予期せぬ不利益を被る可能性が高いと判断し、王国より撤退することを決めるのであった。
偽りの名、バトラーから帝国第一軍、皇帝直下騎士団所属の騎士ディートへと戻って……。