第137話「貴様の全てを我に見せよ」
「ふぅぅ……」
「いくら気合いを入れてみても、攻撃にも防御にもここぞというときの気迫が感じられません。そんな迷う心で握る剣で斬れるほど、私も弱くはないですよ?」
クロウ対バトラー。待合室としては広いが戦うには些か狭い場所で、もう一組の戦いに干渉しないよう戦っていた二人の勝負は、クロウの明確な劣勢となっていた。
その原因は、バトラーの言葉どおり……クロウの不調にある。純粋な実力ならばクロウも決して負けておらず、切り札である真の英雄の証――勇気の功罪を発動すれば勇者聖人以外の人間に後れを取ることは早々ないはずだった。
しかし、今のクロウは本来の実力と比較すれば動きは鈍く攻撃も軽い。そして、功罪は発動すらできていなかった。
「太刀筋を見る限りでは……ハンター、ですか? 魔物相手の殺し合いには自信があるようですが、人間相手に剣を振るのは不慣れのようで」
「ク……!」
バトラーは、クロウの不調の原因を見抜いていた。
クロウは元ハンターであり、その戦闘スタイルはどこまでも『魔物の領域に侵入すること』を前提に考えられたもの。仮想敵は魔物や獣だ。
つまり、対人戦など初めから考慮していない。相手が一般人やそこそこ強い程度のレベル――ウ=イザーク攻略の際に戦った兵士程度ならば素の身体能力差でどうにでもできるが、スペック的にさほど差が無いバトラークラスとなるとその問題が浮き彫りになってしまう。
しかも、対するバトラーはクロウとは対極の『対人戦用格闘術』を収めた格闘家。人間を相手に戦うことを前提に作られた技術形態を修めているらしく、軍人によく見られるスタイルであった。
人間を相手にすることを考慮していないハンタースタイルと、人間を効率よく破壊することを追求した軍人スタイルがぶつかり合えば、どうしてもハンターであるクロウが不利になってしまうのだ。
加えて――
「貴方は、人間を斬った経験がほとんどないのでは? より正確に言えば、人間を襲ったことが、というのが正しいかもしれませんが」
「……ッ!!」
バトラーの言葉に、クロウは何も言い返せなかった。
この殺伐とした世界で、しかも腐敗した王国に生まれ育った武闘派であるクロウは、当然のように人の血で自分の手を汚した経験もある。
しかし、それは違法に領域に入り込んだ密猟者などの罪人を裁くなど、クロウ側に絶対の正義がある上でただ殺しただけのものであった。
すなわち、今回のように、自分から人間を攻めたり襲ったり……という経験はないのだ。彼はあくまでも、人間のために戦うハンターだったのだから。
魔物である魔王の命令で、人間と戦う。その覚悟が、今のクロウにはできていない。できたいとも思っていない。
故に、心は乱れ、技は鈍り、力は出し切れない。そんな有様で雄々しい勇気を源泉とする勇気の功罪が発動できるわけも無く、ただ不利になるばかりとなってしまうのだった。
「――破ッ!」
「グ――オッ!?」
バトラーの正拳突きが、一瞬攻撃にでるか防御にでるかを迷った隙をついてクロウの腹に突き刺さった。
素手にもかかわらず硬質な金属でも纏っているような硬く握り込まれた拳はクロウの身体に深々と突き刺さり、内臓を抉り、その身体を大きく吹き飛ばすのであった。
「痛っ……!」
吹き飛ばされながらも、クロウは空中で体勢を立て直して着地する。しかし内臓を抉る正拳突きは流石にダメージが大きく、脂汗を流して顔を顰めるのだった。
(まったく……情けないことだ。相手がマフィアだとわかっていても、心が納得しないのだからな……)
クロウは自分の醜態を心の中で笑う。こんな無様を晒しているのは、自分がいつまでも中途半端だからだと。
「ク……ククク……」
「おや? 何がおかしいので?」
「気にしないでくれ……こっちの話だ」
「はあ……?」
心の中だけに留めておけなかった自分への小さな嘲笑が届いたのか、バトラーは不思議そうに首を傾げるのだった。
(魔王の傘下に収まったとはいえ、やはり自分の心は騙せんな……)
クロウが魔王ウルの命令に従う理由。それは、言うまでもなく決闘に敗れたからだ。
しかし、魔王ウルとの決闘は敗北することを前提としたものだった。あえて敗者になり、魔王の庇護下に収まることでア=レジルの住民を守ることが目的だったからだ。
結果としてその決闘でクロウは大きく殻を破り、引退した身でありながら全盛期以上の力を発揮して勝利を目指すようなことになったが、始まりが敗北を前提とした策略だったことには変わりない。
だからだろうか? 今、自分が本気で魔王の命令に従いたくないと思っているのは。犯罪者が相手でも、人間を傷つけたくないと心のどこかで思ってしまうのは――と、クロウは腹の痛みよりも強く感じる心の痛みを思う。
中途半端に魔王の手先になり、中途半端に人間の味方でいたがっている。そんな無様な自分を、クロウは笑うことしかできないのだった。
「――ほほう? 中々面白い結果になっているではないか」
そんなとき、クロウを追い込んでいるある意味での諸悪の根源が姿を現した。
手と服を多量の血で汚したその姿からは、恐怖しか感じさせない。一つの命を救いに行ったはずの存在であったが、しかし視覚情報は何かの惨劇を引き起こしていた後としか思えない姿であった。
「――ウル殿! ミーファー様は!?」
「とりあえずの危機は脱した。今はグリンに守らせているが、心配ならお前も行け。後は俺がやってやる」
「……! 感謝、します!」
敵に隙を晒すことになっても躊躇せず、クロウとは少し離れた場所で戦っていたシークーが魔王ウルに頭を下げた。
それを、対戦相手であるノワールが攻撃することは無い。今のノワールは、シークーよりも遥かに危険なオーラを放つウルを警戒するので手一杯だったのだ。
そのまま、場の均衡は崩れる。シークーがウルの言葉どおり戦いを放棄してミーファーの下に向かい、ノワールがフリーになったためである。
「あ、ウル。大丈夫だったの?」
「まぁな。かなりやばい状態だったが、とりあえず死にはしないと言える状態までは持ち直した」
「ふーん……後でレポートもらってもいい?」
「いいだろう。事が済めば書類にまとめてやるから、医療班にも共有しておけ」
丁度このタイミングで、近くにいた黒組の制圧を終わらせたコルトが戻ってきた。いつの間にかこの部屋にいた黒組は全て気絶させ、そのまま外に出て緊急事態を聞きつけたまだ倒していなかった人間達の相手をしてきたらしい。
「さて……クロウよ、随分苦戦しているようだな?」
「面目ないですよ、本当に……」
「フン……ま、お前の問題だ。お前が何とかしろ。さて――」
クロウの心の問題をわかっているのかいないのか、ウルはそれだけ言ってクロウから目を逸らした。
代わりに睨み付けるのは、ノワール。そして、バトラーだ。
「選手交代、だな。コルトはそっちの短刀の男を相手しろ。俺はそこの拳士とやろう」
「え? 今一仕事終えてきたばっかりなのに休みも無いの?」
「いやなら単独でこの国の人間を皆殺しにする仕事でも構わないが?」
「……わかったよ」
冗談半分本気半分のコルトの愚痴に、9割くらい本気のウル。流石にそれは超過労働だと大人しくノワールに向けて構えるコルトに、ノワールもまた油断はしないと短刀を向けた。
「ただのコボルト……なんて、間抜けな油断はしねぇぜ? 明らかにヤバいんでな」
「えぇ……どうせなら、もっと油断してくれた方が僕としては有り難いんだけど?」
シークーと互角の戦いをしていたノワールと、大勢の黒組を一人で相手にしていたコルト。
どちらが有利なのかは不明だが、少なくとも心理的には互角のようであった。
そして――
「……これはこれは。今日は本当に予想外のことが起こりますね」
「それは俺も同じだな。正直なところ、シークーとクロウならばただの人間に後れは取らんと思っていたんだが……そのどちらをも退けたとなると、中々どうして人間も捨てたものではないではないか」
バトラーを標的とした魔王ウルは、お互いの実力を感じ取っていた。
バトラーはそのセンスと戦闘経験からウルの実力を感じ取り、ウルはそれに加えて配下の実力を超える相手だと知って。
「これでも疲労しているんですから、手心は加えてほしいのですが?」
「安心しろ。疲労しているということなら条件は同じだ。楽しませてくれ」
連戦となるバトラーと、専門外の治療を行ったばかりのウル。どちらの消耗が激しいかといえば、ウルの方だろう。
それだけ治癒の魔道を行使する……それも、死にかけの重体を治すのは負担が大きいということであり、一方的にクロウを追い込んだバトラーはそれほどダメージがないということでもある。
客観的に評価して、自分に不利な状況。それをウルは熟知した上で、余裕を見せる。それが魔王が見せるべき姿だからというのもあるが、それ以上に――
「我が名は魔王ウル・オーマ。さあ、貴様の全てを我に見せよ――人間!」
――失望していた現代の人間の中にも、骨のある者がいることを知れた喜びが強かった。
神を信仰する聖人はそもそも相容れない存在であり、勇者はクズ。唯一輝きを見せてくれたのは英雄クロウだけであるが、その彼も戦いの中で輝きこそしたがそれまでは取るに足らない人間でしかなかった。
魔王ウルからすると、これが復活して以来初めてなのだ。十分な実力を有する――己の才覚と努力だけで積み上げた力を持つ現役の人間と戦うのは。
「魔王とは……恐ろしいことで。では、遠慮なく!」
魔王という言葉にどんなリアクションをすればいいのか少し迷ったバトラーが放ったのは、真正面からの正拳突き。先ほどクロウを吹き飛ばしたのと同じ攻撃だ。
真正面からの工夫がない攻撃だと侮ることなかれ。一流の拳士が放つそれは、並みのものならばこれから打ちますと宣言されていたとしても殴られるまで指一本動かすこともできない速さと鋭さをもっている。
ウルが知る現代で最強の徒手空拳の使い手、元専属ハンターのコーデ・エゴルの放つそれよりも明確に格上と断言していい拳は、ただ繰り出すだけで必殺必中の威力を持っていると言っても過言ではない。
しかし――
「小手調べにしては派手な一撃だな」
相手は魔王ウル。魔道だけではなく、格闘術もまた魔王流の開祖として極みの位置にいる存在である。
今のワーウルフの姿では本来反応しきれない速度の拳も、事前の先読みと体術を以ってすればいなすことは難しいことではない。
(仮にも潜入の途中。しかも領域の外。これ以上の進化を見せれば流石に不味い……今のままで倒すには、さてどうしてやるべきか?)
(簡単にいなしますか。力で対抗ではなく体術で無力化を図るとは、明らかに武の心得がある。それも、最上位の……陛下に報告する内容が今日一日で大分変化しそうですねこれは)
初手でお互いの実力を理解した両者は、しかし獰猛な笑みを浮かべる。
相手を威嚇し、自分の優位をアピールするような笑み。それすなわち、心理戦までも含めて勝ちに行くべき相手だとお互いを認識した証であった。
一方――
「それじゃ、よろしくね――食人花・蛇蔓」
「植物の強制成長……! あのお嬢ちゃんもやっていたが、最近流行ってんのか!?」
「一緒にしてほしくはないなぁ。僕は魔力なんて一切使っていないわけだし」
コルトとノワールの戦いは、相手との距離を常に空けようとするコルトのバトルコントロールにより、ノワールが一方的に攻撃される展開を見せていたのだった。