第136話「どっちの味方かね?」
「では通してもらおうか」
「そう簡単に、通すとでも? あんまりマフィアを舐めちゃあいけないねぇ」
「私はマフィアではありませんが……職務の都合上、ハイどうぞと言うわけにはいきませんね」
配下に指示を出し、敵の足止めを命じた魔王ウルは一人ミーファーがいると思われる部屋――手術室へと乗り込もうとする。
しかし、一対一を受けることには乗ってもウルを通す理由は無いノワールとバトラーは当然妨害しようとする。このまま二人の相手を命じたシークー、クロウが戦い始めるまで待って隙を見ても良いのだが、あまり時間的余裕はない。
そう判断したウルは、全てを無視して通ることにしたのだった。
「一つ教えてやる」
「あ?」
「俺の要求への答えは全てイエスだ。異論は聞かん」
「――なっ!?」
ノワールは、思わず敵から目を背けた。
何故ならば、つい先ほどまで目の前にいた魔物――ウルの声が、自分の背後からしたのだから。
「それじゃ、後は頼むぞ」
「わかりましたよ」
「ミーファー様を頼みます!」
背を見せたまま手をヒラヒラと振り、真っ直ぐ手術室へと向かうウルを、ノワールは止めることができなかった。
目を離したつもりは無いのにいつの間にか自分の背後を取っていた。そんな未知の敵を追うリスクを冒す必要性を感じなかったことと――剣を抜いたシークーが特攻を仕掛けてきたからだ。
「血の気の多いこった!」
「先ほどの屈辱、利子を付けて返してやる!」
本来後方で指示を出すのが本分のノワールと、距離をとって弓矢を使うのが本職のシークー。お互いにとって得意とは言えない接近単独戦闘が始まった。
そして――
「うーん……彼を追ってもいいんですが、どうも貴方は背を見せて無視していい相手ではないようですね?」
「過分な評価、恐れ入るよ」
「ご謙遜を……かなりの使い手とお見受けしましたとも」
人間対人間の戦い、バトラーとクロウの戦いは、間合いを詰めない静かな読み合いより始まったのだった。
◆
「な、何だお前は!?」
「こ、ここは神聖な医療の場だ! 部外者は――」
「消えろ、愚物共」
「ぐべっ!?」
戦いを配下に任せ、手術室へと乗り込んだウルは努力した体裁だけでも整えようとしていた闇医者達をねじ伏せ、手術台の上に寝かされたミーファーの前に立っていた。
「フム……開腹途中か? しかし……予想どおり、経絡はズタズタになっているな。その余波で全身の血管にも深刻なダメージ、内臓器官も幾つか機能停止、ついでに筋繊維も千切れているところがあるな。これは強烈な痛みが残るだろうが……まずは止血というのはわかるが、腹を開いてもあまり効果は無いだろうが」
ミーファーは闇医者達の手で腹を切られ、内臓がむき出しになっていた。解体や殺害が目的ではなく血管を直接縫合するつもりだったのは見ればわかる状態ではあるが、これではとても間に合わないだろうとウルは判断する。
(まずは消毒。次は確か……気道確保、呼吸、止血、中枢……の順番だったか? 治療は専門外なのだが……とりあえず、自発呼吸は大丈夫だな)
魔道で自分が持ち込んでしまった雑菌を殺し、清める。最低限の準備をしたところで、これからやるべきことを頭に浮かべた。
救命医療には順序がある。古代魔王軍の軍事教育の一環としても救命医療は教えられており、まず最優先されるのは気道の確保。つまり鼻から肺までの道を通すことであり、ここが血液や嘔吐物で塞がっていれば大抵の生物は数分も持たない。気道が通ったら、次は呼吸の回復を最優先とする。場合によっては自発呼吸ができないことも十分に有り得るので、その場合は呼吸器に繋ぐ必要がある。といっても、文明が劣化した現代にそんなものはないので、魔道で代用するほか無いが。
そのマニュアルに従えば、今回のケースでは最低限のところまでは既に解決している。特別なことをしなくとも胸部は上下に動いており自発呼吸が確認でき、とりあえず窒息死する心配は無い。
となると、次の問題は血液の循環だ。とにかく出血している部分を片っ端から塞ぎ、血圧を安定させなければならない。これに関しては壊滅的であり、苦し紛れの開腹をしただけでほとんど何の処理も施されてはいない状態であった。
(止血の次は脳などの異常を含む意識の回復――だが、とりあえず脳には問題は無いなら後回しでいいな)
止血に手間取った結果、脳のダメージが手遅れになり脳死状態になる……というケースもあるが、ミーファーもそこは守り切ったようだ。
元々が自分の魔道の自爆なのだから当然だが、心臓、脳といった最重要器官だけは守り通したらしい。
(加えて、無意識レベルで無の道と命の道を使い血流を無理矢理生存できるギリギリで保っているな。一先ず合格だ)
意識を失っても、自分の生命維持だけはやり通す。これは魔王ウルが魔道を教える際に叩き込む基本にして奥義であり、これができるようになるだけで生存率は跳ね上がる。
これは最悪の状態になった後を前提としている緊急避難的な魔道の使い方であり、経絡がボロボロの状態でも何とかなるように考えられている。真面目に修練を積んでいたミーファーは、どうやら実践レベルでその技術を身につけていたようだ。
「ならば片っ端から塞ぐとしよう。下手に開いたせいで血圧が落ちているようだし、手早く正確にな。ここは、腹の穴を起点とした体内への無の道による魔力止血で行くとしようか」
エルフと人間の身体構造は似通っている。魔物となると種族によって大きく異なっているが、エルフならば人間の解剖学がほとんどそのまま適用できる。
そして、魔王ウルとはこの世で最も人体を解体し暴いた存在である。優れた武術家は時に医学者を凌駕する人体の知識を持つこともあるが、それは優れた拷問術の持ち主にも当てはまることだ。
人をどこまで傷つければ死に、どこを壊せば死に、そしてどこまでならば壊しても死なないか。それを知り尽くした魔王ウル・オーマにとって、救うことは専門外であっても学問としての医療技術はある意味で専門分野の一つとも言えるものであった。
「グリン、お前に助手を任せる。人体解剖図は頭に入っているな?」
「御意」
王の護衛として影に潜んでいたグリンを呼び出し、治療の助手に任命する。
暗殺を専門として鍛えられたグリンもまた人体の構造図を頭に叩き込んだ鬼であり、その知識は医術にも応用可能だ。
「[命の道/三の段/全体解析]による出血箇所の特定……重傷32カ所、軽傷68カ所。軽傷は自然治癒で問題ないと判断。重傷患部への魔力注入――[無の道/一の段/障壁]だ」
出血箇所を魔力で塞いで止める。これを繰り返し、出血を止める。
応急処置であり、後できちんとした治癒魔道を使い傷を丁寧に塞ぐ必要があるが、まずは死を回避する。
「体内に多量の血が溜まっているのは抜かねばならないな……特に、肺が圧迫される恐れがあるのがまずい。胸部に小さく穿孔、身体への負担を最小限に留めて血を抜く。そのまま抜いた血を命の道で洗浄、自己輸血を行う。血液の保存と循環は任せるぞ」
「承知」
このままでは血液が足りない。流石に詳しい検査もできない人間用の血液では危険過ぎて使えないので、ここは本人の血を再び体内に戻す方法を使う。
通常ならば一度体外に出た血液など雑菌などに汚染されておりとても使いものにはならないが、そこは魔道で解決だ。といっても量は全然足りていないので、最後はミーファーの気力と体力を信じるほか無いが。
「最後に[命の道/三の段/治癒]だ。俺が都度調整する形でやるから、お前は患部の魔力をはね除けてくれ」
「はっ!」
「腹部は縫合で閉じる。この規模を魔道で一度に閉じるのは身体への負担が大きい……幸い、道具だけは揃っているようだからな」
仕上げに、傷口を塞ぐ治癒の魔道を全身にかけてしっかりと塞いでいく。あまり過剰にやると逆に身体に負担になってしまうので、患部ごとに適量の魔力を注ぐのがポイントだ。
グリンが魔力を放出し、ミーファーの体内を流れる魔力をはじき出す。これでウルの魔力が100%妨害なく傷口まで届くことになるのだ。
その形で、ミーファーの身体は一気に再生していくのだった。
(……やはり医療に魔道を使うのは神経を使うな。破壊の何百倍も消耗が激しい)
専門家顔負けの知識と技量を持ってこそいるが、ウルは王であって医者ではない。そして癒やす者ではなく壊す者であるため、資質的にも向いているとは言いがたい。
流石に消耗が激しく、一人の治療を施すだけで疲労を覚えるほどだ。やはり専門の医師を育てねばならないと、既にそちらの方面で育てているゴブリンやコボルトのことを考えながらも――
「――皮膚縫合終了……だったか? 正直、この術式の名前など覚えていないが」
無の道で操る針と糸で腹を塞ぐ。後はしばらく自然治癒に任せて体力を戻した上で治癒魔道をかければ傷跡も残らないだろう。
呼吸安定、血圧安定、心拍数異常なし。多量の出血による貧血はどうしようもないが、概ねの問題は解決し命の危機は越えたと評価できるミーファーを前に、ウルは一息吐いた。
これで死ぬことは無い。しばらくはベッドの上で安静にしなければならないだろうが、後は寝ていれば解決する状態だ。
「さて……外はまだ続いているな?」
自分にしかできない仕事――元を正せば自分の失策が原因だと似合わない救命活動を行ったが、まだ仕事は終わっていない。
今も外では戦闘が続いているのだ。
「グリン、お前はここでミーファーを見ておけ。何かあれば知らせろ」
「御意」
グリンをミーファーの見張りに残し、ウルは外に出た。
すると――
「――ほほう? 中々面白い結果になっているではないか」
視界に入ってきたのは、お互いにボロボロのシークー、ノワールの戦いと、やや形勢不利な様子のクロウであった。
◆
――時は少し戻り、シークー対ノワール、クロウ対バトラーの戦いが始まってしばしが経過した頃。
「ふぅ……やるねぇ、エルフの兄ちゃんよ」
「クッ……! お前こそ、人間とは思えん腕だな」
「よせやい、照れるじゃねぇか」
シークーとノワールの戦いは、互角であった。
本来遠距離戦を得意とするシークーと、部下を率いての集団戦が本分のノワール。どちらも本領を発揮できない近接タイマン勝負であったが、その条件ならば拮抗していたのだ。
いや――
(何故か一瞬、身体が動かなくなるときがある……アレが無ければ既に勝負はついていたはずなのだが……)
(俺様の目を使っても、一瞬止めるのが精一杯。かなりの修羅場を潜ってきた戦士ってやつかねぇ……あまり深追いはしたくないんだがな)
純粋な技量ならば、戦いこそが本分であるシークーに軍配が上がるはずだった。
しかし、要所要所……ここぞいう場面でシークーの反応が一瞬遅れることが何度もおこり、そのせいで勝負がつかないのだ。
その秘密は、ノワール・カラーが持つ功罪【眼光の功罪・恐怖の目】にある。
長年恐喝、脅迫を商売として成り上がり、大国最大のマフィア最高幹部まで上り詰めた悪名が生み出したこの功罪は、睨むだけで他者の動きを止めてしまう。
発動条件は、目と目があうこと。つまり自分の目を相手が視認することで発動する。
その効果は相手の心の強さによって変化し、もし恐怖心に囚われれば数時間は指一本動かせなくなる程度には強力だ。その反面、戦う意思と勇気を持つ者には効果が薄く、一瞬動きを止めるくらいのことしかできないが。
そう言うと雑魚専門の使い勝手の悪い能力のようにも思えるが……武芸者にとって、一瞬の隙は即、死に繋がるほど大きなものだ。特に接近戦で打ち合っているときに一瞬でも止まるなどそのまま殺されても何もおかしな事ではなく、強敵相手に使うにしても十分強力な功罪であると言えた。
それを使っても、勝負を決められず、互角の戦いを演じることになっている。その事実は、そのまま戦士としての格の違いをノワールに突きつけるものになるのだった。
(実力差……歳は取りたくねぇな。俺様も、後十年若けりゃこんな若造に舐められることは……って、相手がエルフじゃ実は向こうのが年上かもしれねぇな)
組織の長として、ノワールは自分の立ち居振る舞いの重要性を理解している。
だからこそ、内心は決して表に出さない。功罪をフルに活用しても互角が精一杯という焦るべき状況であっても、決して老獪さを感じさせる余裕の笑みは崩さない。
それを見せるべき部下が、一匹のコボルトを相手に翻弄されている状況では、なおさらに。
「……時間は、どっちの味方かね?」
長引いたとき、援軍が来るのはどちらか?
普通に考えれば自分達の拠点にいるノワールが優勢になるはずなのだが、コルトと呼ばれたコボルト一匹に手も足も出ていない配下達が横目に見える状況では楽観できるはずもない。
もし黒組の配下を片付け終わったコルトが参戦すれば、流石のノワールも耐えられないだろう。そう考えれば長引くのは不利なのだが――
「――グッ!?」
「……貴方、何やら迷いがありますね? 腕前は一流のようですが、流石にそんな心構えでは私も負けませんよ」
もう一つの大戦力のぶつかり合い――クロウとバトラーの戦いが、バトラーの一方的優位に進んでいるとなると、もしかしたら時間はノワールの有利に働くのかもしれないのだった。




