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第134話「余裕を見せてこそ」

 命の道/五の段/読心。

 その名の通り、相手の心を――より正確に言えば、頭の中の情報を読み取る術である。

 一見すると対人戦において無敵の術のようにも思えるが、いろいろと弱点もあり過信は禁物の術である。


 まず、あくまでも読み取れるのは思考の表層のみ。つまり相手が今考えていることを読み取ることしかできず、考えていないことまで全て把握することはできない。それがしたければより高位段の魔道を必要とする。

 次に、警戒されると効力が大きく落ちること。思考を読まれまいと心に防壁を作るような警戒心を持つだけで、魔道の素養が無い一般人相手でもかなり術の精度が落ちてしまうのである。熟練すればある程度は無視して読み取ることもできるようになるが、基本的には使っていることを知られた時点で失敗と言ってもいい魔道であるため、完全無詠唱による魔道の発動を要求されると言っても過言ではない。

 更に言えば、虚偽情報を掴まされる恐れもある。この術の存在を知っている者ならば頭の中で大嘘を作ることで相手を騙すことも不可能ではなく、単純に標的が事実を勘違いして認識していたりしてもその誤情報がそのまま術者の元に来てしまうのである。

 なによりも、魔道の使い手ならば読心術の対策として存在する[命の道/五の段/防心]を使うことでカウンターを仕掛けることも可能だ。逆に自分の心を読まれたり、完璧に偽装した偽情報を送りつけたり、無意味な情報を過剰に送りつけて脳をパンクさせ意識を遮断させたりと、カウンターを受けると致命的なことにもなりかねないのだ。


 それらの要素が重なり、便利だが過信は禁物……という程度の評価に収まる魔道となっている。

 使いこなせなければ返って自分の首を絞めてしまうリスクから、魔王ウルも現代において他者に伝授はしておらず、自身を唯一の使い手に留めている。

 本当ならば拷問尋問と合わせて使うか、相手が安心しているような雰囲気を作り会話の中でさりげなく使うか、隠し事をしている余裕が無いような戦闘中に一瞬だけ敵の作戦を先読みするために使う……という運用法が正しい。


 それを知りながらも、奇襲同然にスラムの少年テムの心を読んだウル・オーマであったが……その心を正確に読み解けた自信はあった。

 だからこそ、彼は今魔王の笑みを浮かべながらも内心で悩んでいたのであった。


(構造を知らない者からすれば迷宮としか思えない構造の地下水路だと? 当然汚物まみれの下水で空気は最悪、悪臭しかない環境では嗅覚による追跡は困難。魔道を使った追跡をするならば初めから聞き込みなどしないという話になってしまうが……どうしたものか)


 広範囲に魔力をまき散らす必要がある探知系の魔道は使わない。その条件で動いている以上、悪臭に満ちた迷宮という障害を取り除く術がウルには無かったのだ。

 王都には全く縁が無かったクロウがそんな地下迷宮の構造など知っているはずも無く、最も探索の類いの技術を磨いてきたグリンであっても初見の迷宮をいきなり攻略するとなればどれだけ時間がかかるかわかったものではない。

 今は時間との勝負である以上、少しでも確実で早い攻略法を用意しなければならないというのに、手持ちの駒ではどうしても確実性もなければ速効性も無い策しか無いのであった。


(唯一あるのは……)


 チラリと、ウルは心を言い当てられて未だ動揺から抜け出せていない人間の少年テムを見る。

 現状、ウルが知る範囲で最も地下水路に詳しいのはこの小汚い少年だ。実際に入った経験もあると頭の中で言っていたので、案内役としてもそれなりには期待できることだろう。

 読心術では今思い浮かべてはいない迷宮の地図までは読み解けない――というよりも、そこまで複雑な情報を読み取ることはできないため、ウルにテムの知る迷宮の構造を奪うことは不可能だ。そもそも言葉で説明されても理解できるかわからないような複雑な情報を、盗み見同然の魔道で知ることなどできるはずがないのである。


(やむを得ん、か――)


 ウルは自分の中で何かに妥協し、しかしそれを態度に出すことは無くあくまで強気にテムへ向かって提案をすることにしたのだった。


「……テム、とか言ったな?」

「え……うん」

「金が欲しいのだったな? ならば、一つ仕事をする気はあるか?」

「え……いくらくれる?」

「仕事を完全に達成した場合、金貨一枚。全額後払いになるがね」

「き――!? やりますやります人殺し以外ならなんでもやります!」


 ウルは実際に金貨を一枚懐から取り出し――当然本物である――テムに提示したところ、少年の目の色が変わった。

 それも当然だろう。金貨など、スラム暮らしの住民が目にすることなどまずあり得ない大金だ。住居の確保からこれからの食料の全てを賄える……とまでは言わないが、当分の間はパンにも水にも困らない生活が送れることだろう。


「よろしい。……安心しろ、別にお前に人を殺せと言うつもりはないからな。依頼内容は地下迷宮に消えたと思われるマフィアの足取りを辿ること。可能か?」

「うーん……多分大丈夫。オイラもどこへ行ったかまでは知らないけど、大体の方角ならわかるし、あんな大人数で移動したんだったら絶対いつもと違う何かが残っているはずだしね」

「それは心強いことだ。では、早速頼めるか?」

「オッケー!」


 ビシッと親指を立てて任せろと胸を張る少年を見て、ウルも満足そうに頷いた。

 実際の能力は知らないが、仕事を任せて胸を張れる相手というのは頼りになるような気がするものだ。これで実際には役立たずだと落胆も激しいということになるが、とりあえずは必ずやり遂げられると思わせてくれる自信はあるにこしたことはない。

 ウルは早急に集合するように聞き込みを続けるクロウとシークーを呼び戻し、全員でテムの案内に従って地下へと潜っていくのだった。


 そして、最初の一歩でコルトが悲鳴を上げた。


「臭っ!? 本当に臭!!」


 言うまでもなく、コボルトは嗅覚に優れた種族だ。人間の何万倍とも言われる嗅覚は、下水が大部分を占める地下水路の悪臭をこれでもかと受け一瞬で意識を朦朧とさせてしまうのであった。


「しっかりしろ未熟者」


 意識を手放しかけたコルトの頭をウルが叩く。わりと強めで。

 その衝撃で意識を覚醒させたコルトであったが、やはり涙目で鼻を摘まんで苦しんでいるのであった。


「なんへうるは平気な顔しへるの?」


 鼻を摘まんだままなので、聞き取りづらい言葉でコルトはウルへと問いかける。

 ウルも特殊とは言えコボルトには違いが無い。当然嗅覚に優れていることに変わりは無く、こんな場所で平然と歩けるはずが無いのだ。

 当のウル本人は素知らぬ顔であるが、何か秘密があるとコルトはウルを観察する。


 すると――


「あ! 頭を空気(くうひ)の膜で守っへる!?」

「やっと気がついたか。こういう場所では必須技術だぞ」


 ウルは予め、地の道を使い自分の頭周辺の空気を確保していたのだ。

 当然汚物由来の匂い物質など無い、自然豊かな山の如く清々しい空気で顔を覆うことで悪臭を完全に遮断しているのだった。


「……もしかして、それ私との決闘のときも使っていました?」

「ん? どうしてそう思う?」


 ウルの対策を聞いて、少し離れた場所を歩いていたクロウが反応した。


「いえ……実は、あのときそれなりの激臭を放つ匂い袋を持参していたのですが、全く影響が無かったので」

「ああ、やはりそんなことをしていたか。まぁ……察しのとおりだ」


 嗅覚に優れた魔物を狩るときは、強烈な匂いを武器にする。ハンターとしては基本的な作戦の一つであり、実はア=レジルにおける一騎打ちでもクロウはその作戦を実行していたのだ。

 しかし全く効果が見られなかったので今まで忘れていたのだが、そんな細工をしていたのかと今更ながら悔しい思いをするのであった。


「……もっと早く言ってくれてもよくない?」

「何事も、自分で気がついてこそだ。それに、自分でやってみて初めて気がつくこともあるだろう?」

「ん……確かに、悪臭はしなくなったけど、他の匂いもしないってのは……結構不安だね」


 ウルの魔道を見ただけで再現してみせたコルトは、ようやくまともに息ができると安堵しながらも不安を口にした。

 匂いを遮断する魔道ということは、当然悪臭以外の全ての匂いを断ってしまうということだ。

 そうなると、コボルトにとっては最大の感覚器である嗅覚が機能しなくなってしまうということになる。悪臭でまともに動けないという状態よりはマシだが、鼻が潰れるという問題自体は変わらないのである。


「……できれば、私にも使ってほしいですね。人間でも結構きついですよ、ここ」

「自分でやれ。魔道は使えるようになっただろうが」

「簡単に言ってくれますね……まだそこまで使いこなせないんですよ」


 悪臭に辟易としているのは自分も変わらないとコボルト二人を恨みがましそうに見るクロウであったが、残念ながら相手にされなかった。

 ウルによって経絡を活性化させられ、魔道士としての素養に目覚めたクロウであるが……まだまだ腕は未熟であった。

 若いコルトや他の魔物達は魔道という新しい感覚にもすぐに馴染んだが、全盛期を過ぎた中年であるクロウが新たな技術を会得するのは三年ぽっちの鍛錬では難しいことなのであった。


「……その、もう少し真面目にやっていただけませんか? ミーファー様を無事に救出する確率を少しでも上げるためにも、ほんの僅かな痕跡でも発見したいのですが」


 どこか緩い会話をしながら進んでいた三人に、一人平常心を大きく失っているシークーが苛立ったように呟いた。

 エルフの嗅覚は人間と大差ないが、シークー個人の嗅覚は森という遮蔽物の多い環境で戦うことに特化した戦士である関係上かなり鋭い。それでもコボルトに比べれば流石に大きく劣るものでしかないが、下水の悪臭は脳みそにクルものである。

 主君の安全が保証されてない状況と、環境的なストレスが重なりかなり精神的に不安定になっているようであった。


「フン……焦っても得はないぞ? 焦りと不安で頭がいっぱい……そんなときこそ、適当に力を抜くのが成功の秘訣だ」

「しかし……」

「どんな分野でも、ベテランほどその辺りのことを知っている。まだまだ若いお前にはわからんかもしれんが、大きなミスや想定外の危機に陥ったときこそ余裕を見せる度量があって一人前だ」

「ま……ピンチの時ほど笑え、とはハンターの世界でも言われる格言ですね。私もそれなりに積んできている方なので、これは結構大切なことだと思っていますよ」

「……僕は別に年寄りでもベテランでもないよ?」

「誰が年寄りか」

「私だって、ベテランではあっても年寄りと呼ばれるほど老けてはいません」


 肩に力を入れまくり、目を血走らせているシークーを煽るように緩い余裕綽々な態度を崩さないウル。そして、それに合わせるように軽口を叩くクロウとコルト。

 そんな現在の大主君を見て少々イライラが溜まったようにも見えるが、同時に少し脱力したようにも見えた。

 人間もエルフも魔物も、ここぞと言うときにこそ不必要な力は抜かねばならない。それは言葉でいくら言われても理解できるものではなく、時間をかけて経験を積まねば本当の意味では理解できないものであるが、この場での力を抜くことはできたようであった。

 ……なお、この中で圧倒的に若い満五歳コルトまでこんなに落ち着いている理由は、常人が一生かけて経験するような危機的状況を超圧縮して経験させられた賜である。極悪非道の鬼畜外道という称号を意のままとする魔王直々のイジメ……シゴキ……もとい修行を年単位で強制的に受けさせられれば、嫌でも心の動揺と頭脳の冷静さを切り離す能力が身につくというものである。


「……見つけたぜ、兄ちゃん達!」

「ん? もう見つけたか。思ったよりも優秀だな」


 ぐだぐだと緊張を解す目的一割、焦燥する顔を玩具にしたい邪心九割の会話をしていたら、先導していたテムが嬉しそうに手を振っていた。

 完全に慣れているのか、テムにはこの場の悪臭を気にする素振りは無く、目的のマフィアの痕跡を発見したと元気に叫ぶのだった。


「どれ……」

「あれ、足跡だよ! 上物の革靴が沢山」

「……なるほど。当たりの可能性は高いな」


 テムが示した地面には、うっすらと靴の痕が残っていた。

 大人数で踏み荒らしたためほとんど消えてしまっているが、僅かに残された痕跡を見つけ出したのは大したものだと素直に評価できる働きだ。


(ボス、同様の足跡が先に続いています)

(よし、先行して辿り、気配を探れ。俺たちもこの足跡を追って進む)

(御意)


 影に潜むグリンに指令を出した後、ウルはさあ進むぞと余裕を崩さずに命令を下すのだった。


「あの、そろそろ仕事完了ってことには……」

「ならんな。まだ発見していないのだから、ここで帰るのなら報酬はなしだ」

「はーい……」


 一刻も早く金貨を手にしたいテムとそんなやりとりがあったりしつつ、一行はカラーファミリー『黒組』本部への道を辿る……。

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