第133話「確実性に欠けるとは言ったが」
「オイラはね、貧しい家の子なんだ。父ちゃんはオイラが赤ん坊の頃に死んじまって、今はこのスラムの荒ら屋で病弱な母ちゃんに育てられてる。毎日毎日ゴミ箱を漁って食えそうなものを拾って生きているんだ。時には盗みに手を出したことだってある。それが悪いことだってことはわかっているけど、やらなきゃオイラと母ちゃんは死んじまうんだ。それに――」
長々と、一人の少年――浮浪児のように思われた少年、テムはいかに自分が哀れで可哀想な境遇なのかを語った。
病癪な母親と二人暮らしらしいが、話を信じるならばかなり苦しい生活をしているようだ。はっきり言って社会の枠組みというものからは完全にはじき出されたはぐれものであり、犯罪行為にも手を出している崖っぷちの存在だ。
そんな彼が何故延々と自分の境遇を聞かれてもいないのに語っているかと言えば……同情を引くためだろう。
テムの目的はあくまでも金持ちのお慈悲、つまり施しだ。同情を誘い少しでも自分を手助けしたくさせてやろうと、幼いながらに考えた生きるための策略なのだろう。
だが――
「……ねえ? この子は何か自分可哀想って感じで長々と喋ってるけど……慰めるべきなの?」
「知るか。好きにしろ」
――相手が悪かった。
テムの境遇話に首を傾げているのは、シルツ森林産まれの野生育ちコボルト、コルトと悪辣を極める魔王ウル。
魔王ウルは当然人間の子供への同情心など持ち合わせることはあり得ないし、コルトからすると……弱小種族として森を生きてきた経験を踏まえれば、人間の子供が語る不幸な身の上話は色々と甘いものであった。
「こんな小さな子が苦しんでいるんなら……慰めくらいはしてもいいと僕は思う」
「……まあ、思うだけなら自由じゃないか? 俺はどうでもいいが」
だが、ウルはともかくコルトは基本的に善性を有する人格の持ち主だ。
それ故に、コルトなりに『コボルト的常識』によって慰めの言葉をかけることにしたらしい。
なお、小さな子とは言っているが、実年齢ならばテムよりもコルトの方が年下であることに関してウルは何も言わないことにしたようであった。
「ねえ」
「な、なんだよ?」
「そんなに卑屈にならなくてもさ……親なんていないのが当然だよ?」
「へ?」
コボルトの生態は群れだ。そもそも夫婦、番という概念がなく、子供を作れるくらいに成熟した若い個体が発情期に一カ所に集まり、各々一斉に子作りを行う。
その結果生れてきた赤子を群全体で育てるというのがコボルトの群れの常識であり、明確に自分の親が誰なのかなど気にする者はいない。なお、血が濃くなりすぎると弱い個体や異常が発生しやすくなるが、お互いを匂いで近親者か否かを分類することが可能なのでその心配は無い。
ようするに、子供は群れで育て群れで守るのがコボルトの常識であり、一人二人死んだとしても群れが生き残っているならばそれでいいのがコボルトなのだ。
これを人間に当てはめるなら、父親とやらが死んでいたとしてもこれだけ大きな王都という群れがあるんだから何も問題は無いんじゃないか、というのがコルトの素直な感想なのである。
事実、もしかしたら親兄弟かもしれない仲間が毎日当然のように死んでいく環境だったので、一々気にしていたらコボルトはあっという間に絶滅していることだろう。
「それに荒ら屋暮らしって言っても、雨風が凌げる住処があるなら十分じゃない?」
「ええぇ……」
野生コボルトの住処は、上質なもので自然にできた洞窟である。次点で自分で掘った穴に潜って敵をやり過ごし、それも用意できないのならば野ざらしが当然であった。
比較対象が酷すぎるだけであるが、そんな野生の魔物事情からすればボロボロだろうが立派な建造物に住んでいるというのは十分恵まれている方だ。
「それにゴミ箱漁るだけで食料が入手できるなんて、むしろ羨ましいくらいだよ。僕ら、昔は毎日ギチ虫が獲れればラッキーで、基本抜きだったからね。獲物を獲るのに命をかける必要がないってだけで十分でしょ」
「………………」
普通のコボルトの食事事情は、小さな虫くらいのものだ。本来は肉食なのに弱いので狩りもできず、不本意な食事に満足するほか無かった。
その不本意な食事ですら、獲りに行くには常に外敵に襲われるリスクを抱え命を懸けねばならない。それに比べれば、安全な同族しかいない街で探索するだけで糊口を凌げるというのはイージーモードすぎる。
……繰り返しになるが、比較対象が酷すぎるだけである。
「食料の強奪なんてよくあることだしね。本当に飢えているときはお互い命懸けで、時には他のコボルトの群れを襲ったことだってあるし。まだ死んでいないならラッキーな方じゃないの?」
飢えの前に倫理観もなにもあったものではない。虫すら獲ることができず群れが飢えたときは、一か八か他の魔物の群れの食料を奪う以外にはない。
その相手がゴブリンなのかコボルトなのかはその時々によるが、群れの半分が囮として命を捨て、その隙に残りの半分が食料を奪って逃げる――なんてこともそんなに珍しいことではない。
人も魔物も飢えの前には平等なのである。その代償としてコボルトならば殺されて盗った分の食料の代わりになることを考えれば、盗みは悪いこと~なんて言える余裕がある人間は恵まれているとつくづく思うコルトであった。
……異種族間の常識の違いというのは難しい話である。
「えっと……」
「あー……坊主。お前のやりたいことはわかるが……異種族相手に不幸自慢は止めておけ。一応補足しておいてやるが、こいつは別にお前と不幸自慢で勝負しようとか思っているわけではない。ただ思ったことを正直に言っているだけだ」
困ってしまったテムをウルが諭した。
コルトは別に『人間などよりも自分の方が不幸だ』と言いたいわけではない。ただ純粋に、その程度ならば別に嘆くことも無いんじゃないと、善意で励ましているのだ。
何せ、野生時代の暮らしも、コルトは別に『自分は不幸だった』などとは思っていないのだ。コルトからすればコボルトなら誰もが同じような生活レベルだったわけで、今にして思えば過酷な生活だったとは思っても『それが普通』という価値観に変わりは無いのである。今が恵まれているだけで、過去が不幸だったなどと思うことは――人間に襲われ群れが全滅するという悲劇以外は――ないのだから。
そんなコルトは人間を憎んでいるとは言っても、こんな痩せ細った子供にまで憎悪をぶつけるほど狂ってはいない。あくまでも善意によって励ましの言葉のつもりで言っているだけなのである。
種族間の価値観の違いに未だ慣れていないコルトは、ウルの補足に首を傾げているが。
「ま、そもそも不幸自慢なんてものは、本当に辛いのならば口にも出さんものだ。こいつだって今は生活も改善されているから笑顔で過去を語れるのだし、お前とて他人に嬉々として聞かせることができる程度のことでしかないのだろう? そもそも本当の話なのかは知らんが」
「ほ、本当だい! 嘘なんか吐いてないぞ! ……病気の母ちゃんはいないけど」
一方、不幸自慢の目的を十分に理解しているウルはついでと言わんばかりに『嬉々として自分の悲しい過去を語る』テムへ嫌味をぶつける。
人間も魔物も、本当に辛く苦しい過去は簡単に話さないし話したくないものだ。それを大した理由も無いのにペラペラ語るということは、どんな内容であれ本人の中では同情を引く道具に使ってもさほど気にならない程度のものになっているということなのである。
なんて冷静かつ無慈悲に分析してしまう魔王ウルと、人間的視点から見て辛く苦しい環境が本人基準において辛くもなんともないと断言できる過酷すぎる環境で育ったコルト。
理由は異なれど、同情を誘うのには余りにも相応しくないコンビなのであった。
「……で、理解したと思うが、俺たちを相手に同情を誘うのは無理無意味だ。用件がそれだけならばさっさと消えろ」
「うぐぐ……」
テムは哀れな少年を見ても1%の同情心すら持ち合わせていないことを確信できる冷たい声に怯むも、しかし簡単には引き下がれない。
ウルとコルトが身に纏っている衣装は、全てが人間社会では高級品扱いとなる異界資源で作られたもの。その中でも王と幹部の衣装なのだからかなりの値打ちものなのだ。
テムにそんな高級品を鑑定する目などはないが、それでも金を持っていそうな相手を見分ける嗅覚はある。それがないのならば、同情戦術もスリも機能せずにとっくに野垂れ死んでいるだろうから。
しかも、相手は魔物。人間社会では最底辺の奴隷階級。
同じく最底辺の住民であると自覚のあるテムに魔物を見下すほどのプライドは無い――というより、主人からエサが貰える分自分よりはマシという認識すらあるのだが、いずれにせよ魔物にこんな立派な衣装を渡せるほどの主人がバックにいるとすれば限界まで粘って集りたいのだ。
そこで、テムは戦術を切り替えることにしたのだった。
「えーと、えーと……そうだ! 兄ちゃんたち、人を探しているんだろ?」
「ん? ああ……聞いていたのか?」
「そりゃ、そこら中で聞き込みしてるんだろ? オイラみたいなのには情報収集だって大切だからね」
「地元住民のネットワークか……それで、お前は何か知っているのか?」
「へへへ……さあどうだろうね? ただ、一つだけ教えてあげられるとすれば……このスラムの住民の中に、よそ者に親切にしようなんて奴は一人もいないよ?」
「なるほど……情報も出ないわけだ」
他人に親切にすると自分の何かが減る。他人に何かを渡すのならば、それと対等以上の何かが手に入る保証がある時だけ。
それがスラムの住民の心得であり、無償での助け合いの精神など鼻で笑うのが此所で生きる人間達の考え方だ。
せめて同じスラムに生きる者同士ならば仲間意識や後の見返りを期待できると手を貸してくれる可能性もあるが、いついなくなるかもわからない旅人に対して何かを与えるなど絶対にあり得ない。
例え何気ない世間話に過ぎない情報だとしても、それを話したのが自分だと知られて危ない相手の恨みを買うリスクはゼロではないのだから。
「となると……どうする?」
「一人一人拷問にかけてもいいが、今は時間も無い。読心術の魔道でもいいんだが、あれは確実性に欠けるからな」
と、言いつつウルはテムの方をちらりと見た。
そんな視線に、テムは胸を張ってさあどうすると両手を前に出す。ここに金を置くか否か、と。
だが――
「……なるほど、地下水路か」
「え゛!?」
テムの目を見たと同時に、ウルが呟いた一頃にテムは思いっきり動揺を露わにした。
――この王都の地下には人工的に作られた下水道が存在し、知らない者が迷い込めば複雑な迷路と悪臭にやられて二度と出られないちょっとした迷宮となっている。
これは下水工事が計画レベルで杜撰であり、責任者となった貴族やその配下が自分の懐に公費を入れることばかり考えて必要のないその場凌ぎの工事を繰り返した結果である。
結果として最低限求められる機能を持たせることはできたが、複雑怪奇に張り巡らせた地下迷路と化してしまったのだった。
逆に言えば、構造さえ知っていればまず見つかることのない隠し通路としては最高の性能を持っている場所であるともいえ、後ろ暗い世界の住民がよく利用する犯罪の温床になっているとも言える場所であった。
地元住民であり、軽犯罪にも手を出しているテムは当然それを熟知しており、実際に盗みを働いたあと地下水路に逃げ込んだことも一度や二度ではない。
だから、カラーファミリーの強面集団が姿を消した場所も十中八九そこだろうと予想していた。予想はしていたが……何故それを知られたのかと、驚愕の表情でウルを見ることしかできないのだった。
「……ウル? ひょっとして……?」
「命の道の読心術だ。確実性に欠けるとは言ったが……使わんとは、言ってないからな」
人間如きのこざかしい駆け引きなど知ったことではない。そう言わんばかりの態度で全てを見下す魔王ウル・オーマ。
ジト目で隣の魔王を見るコルトの予想どおり、この魔王は無断で人の頭の中を盗み見ていたのであった……。




