第132話「随分度胸がある」
「……なるほど、そういうことだったか」
ホルボットエルフの若き族長、ミーファー誘拐の知らせを受けた魔王ウルは、王都に散らばっていた手勢を呼び戻していた。
一度全員の安全を確認した後、集合の間に治療を施したシークーから事情を聞き出したのだ。
「今のお前ならば、普通の人間程度なら問題なくあしらえると思ったんだがな」
「面目次第もありません……」
自らが守ると誓いを立てたミーファーをみすみす奪われたシークーは、ウルの失望を込めた言葉を受けても頭を下げ、自らへの怒りに震えるばかりであった。
とはいえ、あらゆる責任の所在は全て王――ウルに返ってくる。
こういう言い方をすると戦士であるシークーには酷な話であるが、配下の力を過信して『敵より弱い配下に任せる』という判断により各個撃破される原因を作ったのはウルだ。
責任者の仕事は責任を取る事。配下が敗北したならば、その責任は当然作戦の統括者であり責任者である魔王ウルに帰属する。それを理解した上で、ウルは次の行動を決定しなければならないのだ。
「……よし、まずは状況の確認だ。敵はカラーファミリーの人間であると推測される状況だが、100%とはいえん。しかし低い可能性を現状で考えても仕方が無い。よって、まずはカラーファミリーを第一の敵とする」
ウルは自分を予言者と思ったことは無い。頭の中で策を練りそれを実現させ、端から見れば未来を見通しているかのように現実を己の描いたとおりに演出することもあるが、当然失敗することもある。
というより、復活以前の……万年億年と存在し続けてきた悪魔、ウル・オーマとしての経験から言えば、自身の想定から現実がどこかへ行ってしまい計画が完膚なきまでに狂う確率の方が遥かに高いとすら言えた。
優れた軍師とは未来を予知することができる者のことではない。想定外の事態に遭遇した際のリカバリーの早さと的確さ、そして予想を外しておいて全ては想定内と言い切れる図々しさを持つ者のことをいうのだ。
もっとも、魔王ウルは魔王であって軍師ではないのだが、指示を出す者としては共通する理念である。
「世の中、複雑なようで単純だ。まずは状況を整理しよう。他の者は特に問題は無かったのか?」
「僕は通気口から痺れガス流すだけで制圧できたよ」
「私は……普通に武力制圧で問題なかったですな」
「……背後から奇襲、それだけで全て完了しました」
ウルを除く襲撃組、コルト、クロウ、グリンの三人は問題なく指示どおり仕事を熟してきていた。
そのことがまた唯一敗北したシークーの心を追い込むのだが、ウルはそんな細事は気にしない。
敗者は勝者に奪われる。それを否定することは決して有り得ないのだから。
「なるほど。……これでもし、俺に無関係の者同士のいざこざであれば、負けたのだから素直に結果を受け入れろと言いたいところだが……エルフ族は俺の庇護下にある。別にミーファー個人を守る契約ではないにせよ、助けに動くのもやぶさかではない」
「っ!? では!」
この魔王はミーファーのことなど救わないかもしれない。シークーは、内心でそう思っていた。
魔王ウルは約束を破ったことは無いが、かの魔王とホルボットエルフが交わした契約は『種族単位』のもの。別にミーファー個人が死んだところで契約違反にはならないのだから。
だからこそ、魔王が救助に動くと口にしたことは、シークーにとって奇跡をもたらされたに等しい幸運だったのだ。
「敗者は勝者に全てを奪われるのが世界の法。それに抗いたいならば、敗北を認めなければいい。次の勝利で敗北を塗りつぶせばいい。奪われたのならば取り返せばいい。それもまた、世界の法だよ。ま、これは生きているならば、の但し書きがいるがね」
敗者であることを受け入れられないのならば、取るべき道はただ一つ。次は勝て、だ。真の敗北である『死』がまた訪れてはいないのならば、過程などどうでもいいだろうと自身の失策など棚に上げて言い放つ。
それをシークーに言い聞かせた魔王ウルは、その目に敗北の屈辱と絶望以外の炎が灯ったことを確認し……具体的な行動を決めなければならない。
「しかし救出に動くとは行っても、まずどこにいるのか探らねばならないか……」
「魔道での感知は?」
「やってやれないことはないが、その手の術はどうしても無作為に魔力を広げることになり、余計な敵まで引き寄せかねない。どうしようもなければ切らねばならない手札ではあるが、できれば他の手段を使いたいな」
一応、彼らは敵国の首都に潜入している身分であり、あまり派手に動くことはできない。
いざとなれば全てを蹴散らす覚悟でそれも辞さないが、流石に初手からこの寡兵で国に喧嘩を売るのは賢い行いとは言えないだろう。
「……仕方が無い。ここは地道に聞き込みからやるか」
「聞き込み……?」
「シークーの話では、敵は100人規模の団体だ。それも強面のマフィアの団体ともなれば嫌でも目立つ。それなりの情報は出るだろう」
「……ところで、その……そもそもミーファーは連れ去られたってことでいいの? シークーの話だと、四の段を使ったんでしょ?」
地道な作業しか無いと結論を出したところで、コルトが疑問を口にした。
四の段の魔道はまだミーファーの扱えるレベルではない。それを使ったとなれば、まずは安否の確認からではないかという話だ。
より高段位の魔道ほど使用する魔力量が上がり、それに伴いより高い魔力制御技術が求められることになる。
今のミーファーならば四の段に使う魔力を絞り出すところまでならば可能だが、無理矢理絞り出したエネルギーに精密なコントロールなど求められるはずもない。別の場所に予め魔力をプールしておく、というような工夫も無しとなれば、意識のほとんどを強引な魔力ブーストに持って行かれることになるためである。
その状況で無理矢理術を構築するとなると、まず間違いなく体内の魔力を流す血管のようなものである経絡に無茶苦茶な負担をかけることとなり、術の成否に関わらず過剰な圧力を内側からかけられた身体はボロボロになることだろう。最悪、それだけで死んでいてもおかしくはない話なのだ。
誰もが思いつつ、しかし口に出すのははばかれる最悪の想像。それでも言わないわけにはいかないと口に出したコルトの疑問に答えたのは、何も気負いことなど無いという様子のウルであった。
「それはとりあえず間違いないな。まず、生きているか否かで言えば、生きている。あいつを含めたホルボットエルフとは契約を結んでいるから、生死くらいは判断できる」
「そ、そうですか……!」
生きている。その確約を悪の王からとはいえ得られたシークーは、最悪には至っていないと初めて僅かにプラスの感情を表に出した。
「そして連れ去られたのも間違いない。こいつから報告を受けた時点で、使い魔を飛ばして現場を確認した。そこにミーファーが転がっていないのだから連れ去られたと考えるのだが妥当だろう。あるのは人間の死体だけだったよ」
「人間の死体?」
「例の戦いでか事後かはわからんが、カッソファミリーの連中は全滅していた。俺の術で死んだわけではなく、誰かに刃物で首を斬られてな。見せしめのつもりかはわからんが、まぁどうでもいい話だ」
「ふーん……でも、それなら使い魔で探したら見つかったりしないの?」
制圧した人間達が死んでいた。そのことに警戒心は持ちつつも、心情的な興味は示さずに、コルトは更に問いかけた。
「いや、残念ながら既に敵の姿は確認できなかった。団体とは言え裏社会の住民。姿をくらますのはお手の物というところだろう」
「それで聞き込みしか無いと」
「生きて取り返すなら早いほうがいい。それに、運良く軽傷だったとしてもそれはそれでこちらの情報が抜かれるリスクを考えればグズグズはしていられんな」
「……ミーファー様は決して仲間を売るような方では……」
早く救出することに異議は無いが、主君を簡単に口を割るようなエルフだとは思って欲しくないと口にするシークー。
それどころではないとはわかっていても、譲れない一線なのだ。
「薬物、洗脳術、読心術、拷問、脳改造……クククッ! 相手の人格など無視して情報を抜く術など、いくらでもあるんだぞ?」
だからこそ、そんな忠義者の言葉を魔王は残酷な笑みを浮かべて否定するのであった。
◆
「ミーファー様……!」
魔王の忠告という名の脅しに更に平常心を失ったシークーは、しかし焦燥するばかりで単独行動は許されなかった。
単純に、敵の中に個としての強者が存在することが判明したからだ。
今の魔王軍、その中でも幹部クラスならば勇者や聖人が出てこない限りは並みの人間などいくら出てきても問題は無い。
――という魔王の評価は残念ながらただの過信、慢心の類いであったことが判明した以上、これ以上単独行動を許して各個撃破されるのではただのアホである。
そのため、効率は落ちても全員がお互いをフォローできるくらいの距離を保って聞き込み活動を行うしかないのだった。
「……大勢の黒服を見たって証言は結構あるけど、どこに消えたのかはさっぱりだね」
「口止めされている……というわけではなさそうだが、全てを話している感じでも無いな。何か、ここの住民が守らねばならないような方法で姿を消したか?」
怪しまれること無く人間相手に聞き込みを行えるのは、今のメンバーの中には人間のクロウと耳を隠せば人間の振りができるシークーしかいない。
そのためこの二人が矢面に立って通行人から聞き込みを行っているのだが、これだという情報は出なかった。
(自分の痕跡を消すのはプロならば当然としても、流石に100人規模の武装勢力が誰にも気がつかれること無く消えることは不可能だろう。それ用の功罪の持ち主でもいるならば話は変わるが、それよりは絶対に人目に付かない隠し通路か何かを使ったと考えるべきか――ん?)
例えば空間移動や瞬間移動と呼ばれる転移系の功罪。それを使ったのならば目撃証言が出ることはないだろう。
だが、そんなものがあるなら行きで姿を晒す必要などないし、そのレベルの便利な力の持ち主が日の当たらない裏社会に身を置く理由も無い。どこへ行ってもその辺の小国の王などよりもずっと裕福な暮らしができるのだから。
となれば、この街の闇を牛耳る人間だけが知っている人目に付かない隠し通路の類いがあるのか――とウルが考えていたとき、じっと自分を見つめる何者かの視線に気がついたのだった。
「……そこの小童。何か用か?」
「え? ……あ、人間の、子供?」
ウルと共に物陰でクロウ達を見ていたコルトが、ウルの視線を追って一人の子供に気がついた。
痩せ細った不健康な身体、ボロボロで染みだらけの服、乱雑に素人が切ったと一目でわかるボサボサの髪――と、外見だけで浮浪児か何かとしか思えない少年だ。
年の頃は、栄養不足による発育の遅れを考慮しても十歳にも届かないというところだろうか。
「なあ、魔物の兄ちゃん達」
「え、なに?」
「……随分度胸があるガキだな。何用だ?」
自分の存在にウル達が気がついたと理解したのか、人間の子供は細い身体に似つかわしくない不貞不貞しい素振りで近寄り、魔物であるウル達に話しかけてきた。
今の時代の人間は魔物を奴隷としか思っていないとはいえ、それでも爪も牙もある危険生物。人間の街中にいたとしても不審には思わないが積極的に関わりたいとは思わない……という存在のはずだ。特に、奴隷ではあり得ない覇気を纏うウルなどに関わりたい人間などいないだろう。
そんな二人に堂々と話しかけるとは、何のつもりかはともかく度胸だけはあるなとウルは素直に評価した。
「オイラはテムってんだけどさ……兄ちゃん達、金持ってるんだよな? ちょっとでいいから、オイラに恵んでくれよ」
テムと名乗ったこの少年は――驚くべき事に、よりにもよって魔王ウルに慈悲のお恵みを求めてきたのであった……。