第131話「あっぱれ。大した姉ちゃんだ」
「風斬――解放!」
「功罪――いえ、魔化武器ですか」
シークーが持つ剣は、魔王ウルの趣味こと魔化道具の作成の一環で作られたウル工房製のものだ。
効果は魔力を燃料に風を生み出すこと。使い手の意識一つで突風にすることもカマイタチを生み出すこともできる代物である。
メインの武器である弓だけではなく、サブの剣にまで魔化をかけているのは魔王軍の魔化装備の充実を示していると言えるだろう。
「――ッ! ここまでの品質、一流の武器屋でもまずお目にかかれない品だとお見受けしますが、どこで手に入れたのです?」
刃状の風を、両腕を盾にして防いだバトラー。人間の腕とは思えない強度を誇るそれは、衣服を切り裂きはしても肌を貫くことはできなかった。が、それでも突風を前に不動というわけにはいかず、壁際まで後退させる。
(今のうちに、ミーファー様の退路を切り開く!)
バトラーと隠し通路の距離を作ったシークーは、バトラーを無視してノワール達の方へと駆けていく。
魔王ウル・オーマより伝授された高速移動術は、まだ完全には会得してない。それなりの広さがあるとはいえ地下室では自滅する恐れがあり、まして飛行魔道など試せるわけも無い。
故に、最速の移動は全力の足以外にはない。
「おっと、それは困りますね」
「なに!?」
そんなシークーの動きを妨害したのは、突き放したはずのバトラー。
彼は驚異的な脚力でシークーに追いつき、そして回り込んだのだ。
「個人的にはあまり喜ばしいことでもないんですが……彼女は私の雇い主のご希望でして。逃がせないんですよ……立場上」
「貴様……ミーファー様が狙いか!」
バトラーのどこか申し訳なさそうな言葉に、シークーの理性は完全に焼き切れる。
差し違えても殺す。人間への憎悪を抱く根幹となる数々の行いがミーファーへと向かうことを認識した彼の脳は、もはやそれ以外の全てを忘れた。
「――ここまでできる亜人に出会ったのは、これが初めてですよ!」
シークーは剣を巧みに操りバトラーを殺そうとする。しかし、そうはさせないとバトラーもまた自らの腕を盾に使い剣戟を弾いていく。
先ほどの風の一撃で衣服が裂け、下に何かを仕込んでいるわけではないことは判明している。だと言うのに、刃と腕がぶつかる音はまるで金属同士がぶつかったようなキンッという高い音。本当に人間の腕なのか怪しくなる硬度を誇っているようであった。
「貴様、本当に人間か!?」
「ええ。これでもうまれたときから人間をやらせていただいています」
「ならば――勇者とかいう奴か?」
人間の肉体強度ではあり得ない腕を持つバトラーの正体を、シークーは勇者ではないかと推測した。
かの魔王ですら苦戦するという勇者が相手となれば、この理不尽な能力も理解できると。
しかし、バトラーは少しだけ表情を強張らせながら、シークーの言葉を否定するのだった。
「……いえ、生憎ですが、私は勇者でもありません」
僅かな嫌悪の感情を宿すその言葉と共に、バトラーの動きが変わった。
シークーの怒濤の剣技を防ぐことだけに集中する守りの姿勢から、攻撃の意思を混ぜ込み始めたのだ。
「貴方こそ、随分腕が立つ。それでいて私の知る既存のどの剣術流派とも合致しない動き……体つきからして本職は射手だと思いますが、どこでそれほどの技を会得したので?」
「フン――人間に語ることなどない!」
「さようで。しかし、私の相手をしながらあちらのお嬢さんを守り続けるというのは些か無理があるのでは?」
「グッ――!」
バトラーが攻勢に出始めると、徐々に攻守が交代していく。素手対武器でこの様というのはシークーからしても屈辱であるが、ミーファーの方へ攻撃を飛ばさないようノワール達を牽制しながらとなるとどうしても手が回らないのだ。
「シークー! 私のことは構わないで!」
「そんなわけには――」
「私だって――守られるばかりじゃない! [命の道/三の段/幻花生誕]!」
ミーファーは懐から植物の種を取り出し、魔力を込めて投げた。
その種は魔王ウル・オーマの領域で採取できる異界資源であり、魔王の領域となったかつては聖なる森と呼ばれていたホルボットエルフ達の故郷で生産されているものだ。
植物の魔物の一種とも言える存在であり、自立行動こそしないものの強烈な幻覚作用がある毒粉をまき散らし獲物を誘惑、捕獲し自らの肥料に変えてしまう恐ろしい性質を持つ『幻花』と名付けられた植物である。
ミーファーはその幻花の種を持ち歩き、非常事態となったとき命の道で爆発的に成長させることで武器とすることを考えた。元々エルフとして植物との相性がいいミーファーの術ならば、種子の状態から一気に満開の花まで生長させることも難しくは無い。流石に栄養不足の異常成長なので短時間で枯れてしまうものの、この場を攪乱するくらいならば可能のはずであった。
(コルトさんのアレほどじゃないけど、私だって――)
「おっと、こいつは強烈な毒だね。見かけによらずエグい手を使う」
しかし、標的とした人間――犯罪組織の大幹部、ノワールは些か相性が悪かった。
薬物毒物の類いを専門とする『緑組』ほどではないにせよ、裏社会の人間として毒の類いには精通しているノワールは幻花の毒粉にも耐性があったのか、瞬間的に意識を朦朧とさせるはずの毒粉を浴びてもさほど影響が見られなかったのだ。
それどころか、脅しのプロに相応しい眼光で幻花を睨みつけ――その活動を停止させてしまったのだった。
「見ただけで――功罪!?」
「ご名答。詳細は企業秘密だがね」
大国の裏側を牛耳る大組織のトップ七人の一人。その肩書きだけで、功罪を得るには十分な名声と悪名を持っている。
当然、ノワールにもその資格がある。ミーファーでは詳しい情報を得ることはできなかったが、貴重な時間と魔力を費やした切り札はほとんど効果を上げられなかったことだけは確かであった。
「眠ってもらうぜ――」
「クッ――ミーファー様!」
切り札を防がれたことで無防備な隙を晒すこととなってしまったミーファーに、ノワールは懐から短刀を取り出しながら接近する。鞘からは引き抜くこと無く、当て身で気絶させるつもりのようだ。
それはさせないと、シークーも相対しているバトラーを無視して助けに入ろうとする。しかし、それはバトラーが許すはずも無い。
「失礼、隙ありですね」
「グ――アァッ!!」
無防備に背中を晒してミーファーのもとへ駆けつけようとしたシークーへ、ならば遠慮無くとその背中に強烈な掌打が放たれる。
当然避けることも防ぐこともできないシークーは、その威力で内蔵まで傷つけたのか吐血と共にバランスを崩す。
しかし――
「――なんの!」
「え?」
ダメージは確かに受けた。しかし、それを根性と気合いだけで無視し、強引に速度を落とさず――それどころか、掌打の威力も推進力に変えてただ走る。
それは男としての矜持か、あるいは護衛としての忠誠心か。いずれにせよ尋常ではない心の強さが無ければ不可能な動きであり、その気迫にバトラーの追撃が止まった。
(ウル殿の鍛錬を思えば、これしき!)
本来、精神論だけで耐えられるほどバトラーの一撃は軽くはない。
その絡繰りはといえば、なんと言うことはない。魔王ウルに直々に武芸を習った者ならば、突然背中に強打を浴びせられることくらい――慣れているだけだ。
しかしそんなことを知るよしも無いバトラーの意表を突き、何とかノワールとミーファーの間に割り込むことにシークーは成功した。
だが、奇跡はそこまで。そこから何か有効な一手は、ない。
「こいつは驚いた、兄さん、アンタ男だねぇ……」
シークーを相手に手加減する理由は無いと、ノワールは短刀を鞘から引き抜いて斬りかかる。
シークーもまた剣を手に応戦するも、先ほどの掌打の影響かその動きは明らかに鈍っていた。
加えて――
「これは謝罪すべきですね、ここまでの強さをお持ちとは思っていませんでした」
バトラーも追撃に加わる。所詮は一瞬の硬直。すぐさま動き出し、ノワールとコンビでシークーを追い詰めていく。
(何とか、ミーファー様だけでも――)
この状況からの逆転の手は、シークーには無かった。
魔道士としての腕を上げているとはいえ、本職は戦士というわけではないミーファーと協力してもそれは変わらないだろう。
ならば、この場における勝利とは敵の打倒でも自らの生存でもない。ミーファーだけでも無事に魔王ウル・オーマのもとへと逃がし、対策を練ってもらうことだと覚悟を決めた。
自らの背後で、同じ決意を思い人が固めているなどとは想像もせずに。
「シークー……」
「グ、アッ!」
ミーファーが自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、自身と同格以上の実力者であるバトラーと、それよりは劣るものの十分強者のノワール。この二人を同時に相手にしているシークーには、その声に応じる余裕すらなかった。
だから、その後の行動を止めることもできるわけがないのだ。
「命令です――かの方に、この場の全てを伝えてください。[地の道/四の段/精霊の籠]ッ!」
「なっ――!?」
「四の段、だと?」
「……ほう」
ミーファーが使える魔道は三の段までだ。それは明確な事実であり、実は切り札を隠していた……という類いの話では無い。
そのミーファーが唱える四の段。それすなわち、本来の力量を越える強引な力の行使。無茶な魔力運用にミーファーの経絡がズタズタに裂け、目から口から血が零れ出てくる。
多くの代償を支払うことで――場合によってはそのまま死亡するリスクすら受け入れ、たった一度だけ行使を可能とした魔道。
その効果は、風の制御。地下に突然吹き荒れる暴風はシークーを閉じ込める球体となり、そのまま隠し通路を塞いでいた黒組の男達をなぎ払い飛んでいく。
術者であるミーファーを、その場に置き去りにして。
「ごめん、なさい……シークー……。それ、まだ、一人しか、入れられない、の……」
必死の形相で自分を見るシークーの脱出を見届けた後、そのままミーファーはバタリと倒れた。自らが流す、血の海の中へと。
「……あっぱれ。大した姉ちゃんだ」
「どうしましょうか? これ……」
まんまと一人逃げられてしまったノワールとバトラーであったが、ここまでやられたら敵を褒めるしか無いとため息を吐く。
そして、今にも死んでしまいそうな唯一の戦利品……ミーファーを、どうすべきかと顔を見合わせるのであった。
「この状態でお前さんのご主人様の下につれていくわけにはいかねぇだろ?」
「そうですね……流石に半死人はいろいろな意味で不味いでしょう」
「なら、まずは俺様が面倒を見ている病院へ連れて行こうか。亜人だろうが俺様が言えば問題はねぇ」
ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返すミーファーを抱え、ノワール達もまたその場を去っていった。
(それに、エルフとはいえ三の段を……無茶すれば四の段まで届くなんて魔神会級の魔道士を簡単にくれてやるわけにはいかねぇよなぁ……?)
各々の思惑が交錯する中、残されたのは最初にノワールの功罪により行動不能にされ立ち竦むカッソファミリーの面々だけなのであった。
そして――
「グ……! ミーファー様……!」
地下から地上まで吹き飛ばされたシークーは、血の涙を流してすぐにでも引き返したいと叫ぶ心を律し、急ぎ魔王ウルが向かった敵の拠点へと傷ついた身体に鞭打って走り出すのだった……。