第128話「行くだけ行ってみるか」
「なに? エルフの女?」
「ええ。うちの傘下の組織にエルフの女を含めた謎の勢力が襲ってきましてね。何か心当たりは無いかと」
黒組統括、ノワールは素早く行動を起こしていた。カッソファミリー襲撃事件の翌日、早朝から王族であり次期国王とされる男、ドラム王太子に連絡を入れたのである。
本来後ろ暗いところしかないマフィアのノワールなど門前払いされるべきなのだが、国家とは綺麗事だけではない。真っ当な治世を敷いている国であっても裏社会との繋がりは当然のようにあり、まして綺麗なところがほとんどない腐敗が進むル=コア王国など犯罪者と王族が顔を合わせることに何の躊躇いもないほどだ。
事実、連絡を入れて一時間もしない内にノワールは王太子の別邸に招かれ、執事の男を背後に控えさせたドラム王太子本人と面会しているのだから。
「エルフか……中々レアだな」
ドラム王太子からすると、マフィアのもめ事などどうでもいいことだ。
彼が興味を引かれるのは、王太子という身分と金があっても中々入手するのは難しい希少な亜人――エルフの女だけ。
全くもって予想どおりの反応だと、ノワールは内心でため息を吐く。
「他に確認できたのは獣人系の魔物……恐らくコボルト。それと、黒い頭巾で顔を隠した小柄な戦士。エルフの男。何とも珍妙な組み合わせですが、何かありますかね?」
「フン……バトラー、何か聞いているか?」
「いえ、残念ながらあらゆる情報網にそのような報告は上がっていません」
自分で考えるつもりはない、と言わんばかりの主の言葉に、執事バトラーは即答した。
あまりの回答の速さに適当なことを言っているのではないかとノワールは一瞬疑うも、その自信に満ちた立ち姿からその可能性を否定する。長年多くの人間を見てきたノワールの目は、このバトラーと名乗る若い執事が王太子という最高ランクの諜報機関を持つだろう男の下に集まる全ての情報を把握している……という評価を下したのだ。
ただし、知っていて黙っている……という可能性がないわけではないが。
「そういえば、そちらは初めてですね?」
「ああ。この男は私自らがスカウトした男だ。私に相応しい有能な男だぞ?」
アクセサリーを自慢するように、ドラム王太子はバトラーを紹介した。
脅し、交渉担当の長というだけあり顔の広さには自信があるノワールを以てして、初めて見る顔。有象無象ならばそれもあるだろうが、ここまで隙の無い立ち居振る舞いを可能とするような男がこの国にいるのだろうかと警戒を強める。
普段の王太子様ならば簡単に丸め込めるが、まだまだ若造でありながら油断ならないと本能が告げる男が背後に控えているとなればそれなりに真面目にやらねばならないだろうと。
「それにしても……王太子様でも知らない……となると、本当に何者なのやら」
「ム……?」
王太子でも知らない、という言葉にドラム王太子が反応する。
幼い頃より甘やかされ歪んだ選民意識を育ててきたこの男にとって、他者を見下すのは呼吸のようなものだが見下されるのは絶対に耐えられないことなのだ。
それが、ただ『知らない』という侮蔑の意味などほとんど籠もっていない言葉であっても。
無論、ノワールは王太子のその歪みきった狭く小さい心を理解している。その上で、マフィアの幹部である自分に刃を向けるには足りない程度に煽ってみせたのだ。
何か握っているならば、主が暴走する前に手札を切らねばならないぞと、真の交渉相手と見なした執事へ向けたメッセージとして。
「……ああ、自信を持ってお答えすることはできませんが、一つだけ心当たりと言える不確定情報ならばありますよ?」
「ほう? ならば説明してやれバトラーよ」
主の態度に呆れたと、ドラム王太子にはわからない程度に小さく間を空け態度に出したバトラー。これはついうっかり漏れた……というものではなく、人間観察に長けたノワールにだけ伝わる返事をしてきた、ということだろう。
情報が欲しければくれてやるから、あまりこの面倒くさい主を挑発してくれるなと。
「カッソファミリーが縄張りとしている一帯で、とある宿が謎の団体に貸し切られたと」
「宿?」
「ええ……まあ、宿と言っても放置された廃墟をならず者が勝手に占拠して宿と言い張り商売していただけのようですが。そのならず者は謎の団体から金貨をもらったと見せびらかしながら豪遊しており、それを偶然居合わせたマフィアの一団が聞きつけた……という話です」
「えらい細かいが、いったいどっからそんな情報を?」
「一般人というのは意外と鋭いものですよ? 特に、自分達の生活を脅かすならず者の匂いにはね」
つまりは、ただの民間人の噂話をまとめて推測した……ということだろう。確かに不確定な情報だが、何故か信憑性もある気がするネタ元であった。
「それで、その謎の一団が?」
「何でも、少々妙な態度のコボルトが二匹に、頭をフードで隠した人間らしき者が二人、そして中年の戦士風の人間が一人だったとか。組み合わせは辻褄があうと思いません?」
「そのフードがエルフの男女ということか。となると、探るべきはその中年の男だな」
ドラム王太子は、全て自分の手柄だと言わんばかりに大仰に頷いた。
そんな彼のちっぽけな自尊心は好きに満たしてもらうとして、ノワールはバトラーの有能さに内心で舌を巻く。
普通、そんな金貨一枚で大騒ぎするようなチンピラや、ちょっと変わったコボルトのことなど一々気にはとめないだろう。
確かにわざわざ金を払ってまでスラムの荒ら屋を貸し切るような真似をする一団というのは気になるかもしれないが、それを言ったらスラムの客人など怪しい奴しかいない。そのスラムが自分の直轄の縄張りというのならば当然把握するだろうが、バトラーからすれば自分には何の関係も無い場所で起こった出来事。一々細かくチェックしようとするのがおかしい。
まして、コボルトという奴隷魔物として珍しくない魔物が妙な態度を取っていたというだけでは、ノワールですら黙殺してしまうだろう些細すぎるヒントだ。
そんな小さな情報の一つ一つをまとめ上げ、求める情報を創造したというのだから驚くほかない。
(元々王太子の差し金って可能性は低いと思っていたが……別の収穫があったな)
可能ならば、この男を自分の傘下に加えたい。
下手に引き抜けば、個人の能力はともかく最高ランクの肩書きを持つドラム王太子を直接敵に回す恐れがあるため慎重に事を進めねばならないが、金と労力を注ぎ込むに値する人材だ。
ノワールはそんな感想を抱いたが、しかし今動くのは無意味だと直近の問題から当たることにする。
「情報提供感謝しますよ。それじゃ、まずはその貸し切られた宿から当たるとしますか」
「フン……ならばバトラー、お前も手伝ってやれ」
「私がですか?」
「マフィアのメンツなんてものは知ったことではないが、メスエルフは欲しいのでな。お前ならば確実だろう?」
不遜な態度で告げるドラム王太子。どうやら、自分を軽んじるような態度を見せたノワールへの意趣返しとして有能な部下を派遣するつもりのようだ。
あくまでも襲撃者の一人、女エルフの確保のみを任務として言い渡された存在であり、傘下組織を攻撃された報復の協力者ではない。そのことを念押しした上で、限定的に共闘しようということだろう。
その裏には『お前らだけでは信用できない』と侮蔑する意味も込めているつもりなのだろうが、その程度のことで揺らぐほどノワールの心は脆くない。
「承知しました。構いませんか、ノワール様?」
「……ああ。よろしく頼むよ」
ドラム王太子の提案を承諾し、握手を交わすノワールとバトラー。
部外者を期間限定とは言え仲間に加えることに不安が無いわけではないが、それ以上にこの執事が今まで見せた能力とはまたことなる面の力――暴力という側面も見せてくれるというのだ。ついでにそれを知ることも悪いことではないという判断である。
共に偽名の関係だが、こうして一時的に仲間となった二人は引き連れていた数名のノワールの部下と共にまずカラーファミリー黒組アジトへ帰還。部外者をマフィアのアジトへ連れ込んでいいのかという一般常識など、裏社会とズブズブの関係であるドラムが間にいる以上意味の無い話だ。
すぐさま手勢を集めるように命じたノワールは、念のため力自慢の配下を300名ほどかき集める。弱小団体とはいえ構成員100名を数えるカッソファミリーを少数精鋭で落としたというのだから、それなりの数を揃えようという判断だ。
もちろん、寄せ集めのチンピラ集団であるカッソファミリーとは個々の質も違う。完全なる武力集団である『無色』には流石に劣るとはいえ、暴力による脅し担当の黒組は組織内でも戦闘力は上位だ。
もっと時間があれば更に数を揃えることも可能なのだが、他に仕事もある。時間をかけすぎて獲物を見失っては本末転倒であり、この件だけを優先して他の稼ぎを捨てるほどの大問題でも無い。
その判断の下、今動かせる戦闘員のみでバトラーの案内に従い件の宿へと向かったのだった。
「情報ではここですね」
「宿……ね。確かに、こりゃただの荒ら屋なんだが……」
サイズだけは立派なボロボロの廃墟の前に、いかにもマフィアですと主張するようなスーツ姿の強面が300人。その全員が武器を持っているとなれば、その辺の腕自慢レベルでは顔を伏せて関わらないようにする他ない圧巻の光景だ。
事実、荒くれ者だらけのスラム街であっても、この集団に喧嘩を売ろうとする者など一人もいない。まさに脅しのプロ集団というべき軍勢であったが……その大将、ノワールは廃屋を前に何故か言葉にできない不安を覚えていた。
「……いかがいたしました?」
今作戦における外部協力者。ファミリーにとっては一応大切な顧客になるドラム王太子の名代ということで、ノワールと対等という扱いとなる、今も最前列でノワールの隣に控えているバトラーがノワールに問いかけた。
ほんの僅かながら、裏社会における熟練のプロが見せるには不自然な不安の感情が零れていたらしい。もっとも、ノワールの失態というよりは、内心を隠す術を熟知しているノワールのほんの僅かな感情の揺らぎを捉えてみせるバトラーが異常というべきなのだが。
自分の隣にいる男の評価を更に一段階上げつつ、ノワールは隠すことではないと内心を言葉にする。
「なーに、俺様の第六感ってやつが何か警報を鳴らしていてね」
「第六感?」
「論理的な説明なんざできねぇが、この廃墟からは何かをビンビン感じる。おっさんの勘はバカにできねぇぜ?」
勘、それを理由にノワールは何か危険を感知していた。
根拠の無い勘だからといって馬鹿にしたものでもない。勘、とはいわば蓄積された経験値の結晶であり、脳が無意識レベルで過去の経験を検索し、出力した回答なのだ。
特に危険な橋を渡り続け、生き残り続けてきたノワールの勘となれば、その危機察知能力はもはや異能の領域にあると言っても過言ではない。
「うーん……正直、私も似たような感覚を覚えています」
「お前さんもかい? 俺様一人なら歳食って弱気になっちまったで済むが……二人目がいるとなるといよいよ怪しいな」
「どうします?」
「……ま、だからといってここで阿呆みたいに突っ立ってても仕方がねぇ。虎穴に飛び込んでみるとするかねぇ」
危険はある。それを確信しながらも、しかし逃げることは無い。
彼らはル=コア王国の闇を支配するカラーファミリーなのだから。
「おい、扉を開けてみな。ただし、何があっても対応できる気構えをしてな」
「へい!」
もちろん、実際に動くのはノワールではない。配下の黒組に命じ、自称宿の扉を開けさせる。
配下達は命令に忠実に従い、仮に爆弾が仕掛けられていても即座に撤退できるように態勢を整えて扉を開いた。
「……鍵もかかってねぇ、か。とりあえず何もなし。だが――」
「ありますね、初めの一歩に」
バトラーはその辺の家から剥がれ落ちたのだろう木片を手に取り、扉から入ってすぐの受付と思われる広間に軽く下手投げで放った。
すると、次の瞬間――
「……落とし穴、ねぇ。古典的だが有効な手かもな」
「ですね。無警戒で入ろうとすればいきなり床が抜けるとは、中々の歓迎ですよ」
木片が落ちると同時に広間の床が抜け、落とし穴が姿を現した。
底の方には何かの粘体が仕込まれており、殺意すら感じさせる仕掛けとなっているのだ。
「急ごしらえで作るにしてはかなり派手……こりゃ、入っても得は無いね」
ノワールは、この時点で自称宿こと廃墟への真っ当な侵入を放棄した。
下手をすると負わなくてもいい損害を被ることになるというのもそうだが、何よりも――
「無人の城を占拠するのも悪くねぇが、トラップだらけの廃墟なんざ攻略しても怪我するだけだ。ここに価値はねぇな」
――建物の中が無人であると確信したからである。
「一応確認したいのですが、無人と思われるのも勘ですか?」
「勘と言えば、勘だな。今回はもうちょっと具体的だが」
「というと?」
「罠ってやつは、誰かを引っかけるためにあるもんだ。もしこの罠の仕掛け人が近くにいるんなら、絶対期待を持って観察し、失敗に終われば落胆の感情が零れる。しかしここからはそれを何も感じない……ってだけさ」
その感知の根拠は勘だが、要するに人の気配が無いとノワールは締めくくる。
その言葉にバトラーは反論すること無く一歩下がった。同意見、という意思表示だろう。
「しかし空振りに終わっちまったな。住民が帰ってくるのを待つ……のもありだが、こんな大所帯で待ち伏せはねぇ。ならば……」
「次の心当たりはカッソファミリーのアジト、ですか?」
「そぉだな。本当は真っ先に行くべき場所だったかもしれねぇ場所だし、行くだけ行ってみるか」
早々に廃墟攻略を放棄したノワール一行は、続けてカッソファミリーのアジトへと舵を切る。
もし彼らが宿の攻略を――魔王監修のトラップハウスの突破を試みていれば、下手をすればここで全滅していた。
それを無傷で回避してみせた危機察知能力は、確かに評価に値するものである。
そして、運を掴むだけの何かを持っているのもまた確かであった。彼らが次の目的地に選んだカッソファミリーのアジトには、彼らの目的の一つである二人のエルフが待ち受けているのだから……。