第122話「これ以上無い弱みとなる」
「フム……これは見事な」
ル=コア王国国王、アレストは諜報に対する守りを徹底した狭い執務室で手の中にある金貨をしげしげと眺めていた。
どこから見ても、本物の金貨そのもの。仮にアレストがこれを税収だと言われて差し出されれば、何の疑いも無く国庫に仕舞ってしまうことだろう。
だからこそ、アレストは目の前の魔女――マジー・ハリケーの技に驚嘆するばかりなのだった。
「私の自慢の術の一つだ。命の道の中でも特に高位に位置する使い魔召喚の魔道。その使い魔に更に特殊能力を持たせるとなると、実現できるのは私くらいのものだろうさ」
「流石は魔神会の象徴よ……こんなものを見せられては、誰一人として疑うことすらできんだろうな」
「だろうね。この偽装粘体は変身能力に特化した使い魔。外見だけではなく質量、質感すらも自在に変化させ他者を欺く可愛い奴さ」
アレストの手の中にある金貨は本物ではない。その正体は、魔神会会長マジーが召喚したスライムなのだ。
彼女が自分にしか使えないと自負する高位魔道によって召喚される偽装粘体は変身能力を有している。ただの小さな虫を創造、召喚するだけでもかなり高度の魔道なのに、完璧な擬態能力を持つ魔物の召喚となれば使い手も限られて当然だろう。
彼女オリジナルの術式によって召喚される偽装粘体の偽装を見破ることなど、同じ魔神会のメンバーであっても難しい。人類最高の魔道士である魔神会の会員ですら偽装粘体の存在を知っている上で疑ってかかればあるいは……といえば、その偽装能力の高さがわかるだろう。
「して、これを公国へ放ったのだな?」
「そうさ。流石にそこまで数は用意できないけど、金貨銀貨に化けさせてイザーク公国との貿易に使う金銭に紛れ込ませてある。擬態状態でも視覚と聴覚くらいは機能しているし、やろうと思えば術者の私はいつでも情報を共有できる。この場にいながら誰にもばれない完全な諜報が可能……ってわけさね」
「見事な術だ……金に化けさせれば誰がどこへ持ち込んでもおかしくはないということか」
「お前さんの子飼いの諜報員にも渡してあるが、誰が財布の中に入れていても咎められるわけがないしね。それに、金となれば標的がどれだけ警戒心が強かろうが適当な理由で簡単に渡せるし、何の疑いも無く持ち運んでくれるし、最も守るべきところに自分で運んでくれるだろうよ」
「まさか金貨に目や耳がついているとは思わんだろうな」
自らの術を誇るマジーに、アレストはもっともだと頷いた。
人間、誰しも金には弱い。どんな清廉潔白で清貧を謳う者であっても社会に暮らす以上金を全く使わないということはありえず、至極真っ当で合法的なやりとりの元相手の懐に入り込むことが可能だ。
それが諜報能力を持ったスパイだというのだから、これほど恐ろしい話も無いだろう。肌身離さず常に持っているものに情報を抜かれる……効率としては最高だ。
「ところで、そのスライムとやら、戦闘能力で言えばどうなのだ?」
擬態能力を利用した情報収集の駒としては恐ろしいほどの性能を持っていると理解したアレストは、次に兵力としての価値に興味を持った。
簡単に敵の懐に入り込めるとなれば、奇襲兵としての価値も十分期待できるものだろうと。
だが、その問いにマジーはやや肩を落として答えるのだった。
「残念だけど、こいつは擬態特化。力のほとんどを擬態能力を得ることに費やしているから、武力としてはそこまで期待できないよ」
「そうなのか?」
「まあ、この私の魔力で作った使い魔だからね。その辺の一般人くらいなら簡単に殺せるくらいの力はあるけど、ちょっと訓練を積んだ兵士やハンター辺りが相手なら楽に処理できちまうって程度さ」
「ふむ……それでは、いざ奇襲に使おうと思ってもちょっとした混乱を招くのが精一杯か」
「その結果偽装粘体の存在が露見するデメリットの方が大きいだろうね。無理に戦闘力まで追求して魔力量を増やしすぎると、今度は偽装の方に無理が出てくるからそれは仕方が無いんだよ」
マジーの説明に、アレストの興味が少し薄れた。
だが、何とかならないのかという思いも捨てきれない。国力の低下が著しいル=コア王国にとって、もし簡単に敵の拠点に潜伏できる量産兵士などという切り札は捨てきれない魅力があるのだ。
「魔道の専門的なことはわからんが……絶対に無理なのか?」
「……まあ、魔力を感じることもできないアレスト坊やにはわからないだろけど、どれだけ隠してもこれ以上増やすと魔力が漏れ出てしまうのさ。今は擬態能力に使い切るくらいに与える魔力を調整してるけど、戦闘用の魔力までとなると魔道士からすれば一目で異常なもの……正体が露見することはなくとも、魔道具の類いと思われて警戒されることになるだろうね。一般人でも、ちょっと勘のいい奴なら何か妙な圧力を感じるくらいのことはできるかもね」
「それでは意味が無い、か」
「そういうことさ。中途半端に強さを求めるんなら初めから戦闘用の使い魔として作るか、単純に逃げ隠れが得意な奴を作る方が賢い。……一般人の暗殺兵として有用だがね。アレスト坊やなんかは格好の獲物さ」
ニヤリと笑う魔女の邪悪な笑みを見て、アレストは手の中で弄んでいた金貨をそっとテーブルに置いた。
「あー、ごほんっ! とにかく、この目を公国にばらまいたのは理解した。それで……何か掴めたのか?」
「そう慌てるんじゃないよ。いくら私でも、頭は一つしか無いんだ。一体一体の視界を順繰りに確認して何か重要な情報が入っていないか逐一確認しなきゃならないんだ」
優秀な偵察として送り出した偽装粘体であるが、その情報を処理するのは術者であるマジー一人だ。
使い魔との視界共有自体はそこまで負担になる者ではないが、どれだけ魔道を極めても彼女は目玉を二つしか持たない人間であり、同時に複数の視界を完全に把握、処理できる脳みそは持っていない。
複数の視界を同時に把握し、それぞれに異なった思考を行う生物の限界を超えたマルチタスクを可能にする怪物でも無ければ、そこまで都合よく情報を整理することなどできはしない。
「まあ……今言えることは、話に聴いている以上に公国は活気に満ちているってことだけだね」
「ぬぅ……」
一日ごとに活気が無くなる国の王としては、隣に景気のいい国があると言うのは面白い話ではなく、大人げなく不機嫌な声を漏らしてしまうアレスト。
もっとも、ここにいるのは外見は小娘であっても既に白髪が交じる王よりも遙かに齢を重ねた魔女だけなのだが。
「ま、とにかく情報収集は進めておくよ。何か面白いネタがあれば教えてやるからさ」
「頼む。もし何かあれば、それを足がかりに公国を再び我が国の足下に跪かせてやろう」
「そうしとくれ。私としても、国が貧しくなると研究の為の環境が貧しくなってしまうからね……」
その言葉を残し、魔女は笑いながらかき消えた。何かしらの魔道で王の知覚から逃れたのだろう。
偉大なる魔女の演出なのだろうが、普通に扉から歩いて出て行けばいいのにとアレストは思いながらも、魔道士という恐ろしい兵器の存在を改めて胸に刻んだ。
勇者、聖女が人の手に負えない戦略兵器ならば、魔道士は人の領域にある戦術兵器だ。小回りや技術という面で言えば勇者にすら勝る彼女達を上手くコントロールすることが自らの責務であり、そして魔道士を効率的に運用できるシステムを有する自国はまだまだ強大な大国なのだと自信を取り戻すのであった――
◆
――イザーク公国、隠された真の王の執務室。
「バカかナルシスト? どういうこと?」
金貨に化けた使い魔の存在をあっさりと暴いたウルが漏らした言葉に、コルトは首を傾げた。
コルトから見て、この金貨に化けた使い魔の術はそれなりに高度な術だ。この三年でコルトも魔道士として腕を磨き、適性の高い無の道以外の魔道もそこそこ使えるようになっている。元々、三年前のウ=イザーク攻略の時点で命の道、四の段に属する術を使えるくらいには基礎を積み上げていたコルトだ。ならば同じ命の道に属する使い魔召喚も使えるようになって当然である。
そのコルトの評価としては、似たようなことができる使い魔を作り出そうとすればまあまあ苦労するだろうというところだ。唯一無二の至高の力とは言わないが、そこまで貶められるほど酷い術でもない……と言い換えてもいい。
だが、魔王ウルの評価は術そのものの精度とは無関係なところにあった。
「確かに、金貨……金に化けさせた使い魔を放つというのは合理的なようにも思える。何せ、天下の回りもの……なんて言うくらいにはあちこちに流動するものだ。おおよそ、金という文化が存在する社会でいけない場所は無いだろう」
「まあ、そりゃ一般的には一番厳重に守られる金庫に直通するものだしね」
「あぁ……だからこそ、金って奴は監視の目が厳しいんだよ」
「厳しい?」
「そうだ。一口に金貨と言っても、その金の含有量……つまり混ぜ物はどのくらいしてあるのか、そもそも金なのかって疑いの目は常に向けられる」
「贋金ってこと? 確かに何か変な感じがするなーとは思ったけど」
「俺やお前じゃなくても疑うことだろうよ。特に、金に命を預けている商人達は日々金を集め金を疑い続ける商売だからな」
金銭とはある程度成熟した社会において最も共通の価値が認められる存在であり、同時に疑いを向けられる存在だ。
純金と偽って適当な他の金属を大量に混ぜたまがい物を作るくらいは日常茶飯事。欲深い罪人達は、あらゆる手段を駆使して不正に利益を出そうとする。そんな犯罪のことを知っている者ならば、支払われた金貨が本物であるかどうか……という疑いは常に持っているのだ。
「そこがこれの術者が傲慢なナルシストであるという理由だ。使い魔が金貨に化けていた――なんてインパクトがあるから最初にそこに発想が行かないが、普通に考えてこれは贋金作成という立派な犯罪だ。俺の法に従わなくとも重罪だろう?」
「あー、そうだろうね。人間の国の法律書はウルに無理矢理読まされたけど、正式な手続きなしで金銭を不正に作るってのはどんな国でも処刑ものの罪だったし」
「つまり絶対にバレてはいけないわけだ。そんなものを、見る者からすれば怪しすぎる使い魔の変化対象に選んでしまうのだから恐れ入る。つまり、こいつの術者は何があろうが自分の術を見破る奴は世界に一人たりともいないと心の底から信じているってことだからな」
全く大した物だと、呆れを隠さずに笑うウル。
そこまで言われるほどのことなのかとコルトは首を傾げるも、その疑問を口に出す前に彼自身の中で答えが出るのだった。
「金は天下の回りもの……つまり、どこに行くかわからない、か」
「そのとおり。この偽金貨の術者がこの国を狙ったのかすら定かではないが、金なんて国境も無視して移動するものだ。当然、偽金貨は世界中に流通することになる。そして、どこで見破られても大問題になる。この上ない自惚れ屋だろう?」
「なるほどねー……どこに行くか制御不可能なのに、どこで疑われてもおかしくない物に化けさせる。自分の偽装を見破れる奴は世界に一人もいないって心の底から信じてないとできないことだね。……ところで、先のことを考える頭の無いバカっていうのは?」
「今言ったリスクもろもろを全く理解していない場合はそういう評価になる」
「……なるほど」
コルトは納得したと頷き、どうするのかと視線で問いかけた。
その意を受け取った魔王は、少しだけ考える素振りを見せて自らの決定を告げる。
「この国で活動するにあたり、俺やお前を含めた一部の魔物の姿は人間に見えるように命の道の結界術で偽装を施してある。この金貨で見られてもすぐに魔物が支配しているとはバレないだろう」
「うん。その効果は問題なく発動しているはずだよ」
魔王ウルは、約半年の年月をかけて領土全体に幻術結界を展開している。昔ピラーナ湖の水を持ち上げた魔道の多重発動の仕組みと同じ原理を利用した術であり、国内に入れば存在がバレると問題になる幹部級の魔物の存在を正しく認識できなくなる効果がある。
そのため、人間社会ではあり得ない支配階級として君臨する魔物の存在が露見することはとりあえずない。それ以外にもまだ表舞台に出すつもりはない魔王の匂いを隠蔽する策は複数用意しているが、そのいずれも絶対ではないのだ。
「どこの誰であれ、こんな強引な手を使ってくるバカを放置しておくわけにもいかん。少し探る」
「ん。逆探知の防止は?」
「お前に任せる。できるな?」
「了解」
ウルは足下でジタバタと暴れるスライムを鷲づかみにし、使い魔と術者の繋がりから術者を逆探知する術を仕掛ける。逆探知の逆探知でウルの存在がバレる恐れもあるが、それはコルトが妨害してカバーする備えだ。
「――フム。流石にそれなりに備えはあるか。方角と距離は大体わかったが、特定には至らんな」
数分が経過した頃、ウルは術を解いた。ある程度の目星は付いたようだ。
「下手人の居所は、ル=コア王国。個人の特定は流石に難しいな」
「ま、遠距離に偵察用の使い魔出すなら逆探対策くらいはしてるだろうね」
「だが十分だ。こいつが露見すればこれ以上無い弱みとなる。何せ、見方によっては全世界に諜報を仕掛けているも同じことだからな」
もしこの偽金貨の大本がル=コア王国であると証明されれば、流通ルートに乗って偽金貨が入り込んだ国全てへの攻撃にも等しい。
そんなことが暴露されれば、場合によっては国の崩壊だ。周辺諸国が連合を組んでル=コア王国を攻め立ててもおかしくないとなれば、弱みとしては最上位に位置するものだろう。
「このスライムは戦闘力はさほど無いようだが、普通の人間を殺すくらいなら可能のようだ。暗殺を目論んでいるって見なすには十分であることだし、こいつを突き止めればル=コア王国を落とす計画が一気に早められそうだな……」
まだまだ地盤を固める時期かと思っていたウルだが、こんなに美味しい餌をぶら下げられて黙って見過ごせるほど優しい生き物ではない。
しかも、間抜けな部分が多々あるとは言え、今まさにウルは攻撃を受けているのだ。それを許しては魔王の名折れ。不敬には制裁を与えてこその王である。
「その気になれば、国内でどれだけの使い魔を暴れさせることができるのかもわからん。早急に突き止めるとしよう……コルト、今から言う面子を急いで集めろ」
「あ、僕もなのね……了解。しばらく出張かな」
諦めたようにため息を吐くコルトだったが、まあ新薬の実地実験には丁度いいかと開き直った。中々いい性格になってきたようだ。
こうして、魔王ウル率いる一団は、ル=コア王国へと足を踏み入れることになったのだった……。