第117話「閑話・魔軍鍛錬」
「――ハッ!」
ウ=イザーク掌握作戦が終了してしばしの時が流れたころ。
今は本拠地であるシルツ森林に戻っていたウル軍戦闘隊長、オーガのケンキは一人、特訓に明け暮れていた。
「百鬼力!」
ドゴォォォッン!
と、身体の芯に響くような重低音を伴い、ケンキの繰り出した拳は大木を両断した。ただの木ではなく、魔王ウル・オーマの領域の影響を受けた異界資源をだ。
「……足りない、な」
十分な破壊力を示した鬼の拳であったが、当の本人は全く満足していなかった。
今、ケンキの頭にあるイメージはただ一つ。あらゆる手段を用い、全力で挑んでなお自力では傷の一つも与えることはできなかった“敵”の姿だ。
今は魔王の力によって掌握され、魔王軍の一員としてスパイ活動に従事している『聖女』アリアス。
彼女を相手に、ケンキは同門である嵐風狼のカームやアラクネのアラフと協力して戦い、結局魔王ウルの策略が決まるまで碌にダメージを与えることもできなかった。
ケンキの本領は、一対一の戦闘。複数の群れを率いて戦うカームやアラフとは異なり、個人の戦闘力こそが己の存在意義の全て。
その戦闘力で、足下にも及ばなかった。情けないことに主である魔王の知恵と力まで借りてようやくの勝利……到底、納得できるわけもなかった。
「あの領域に行くためには、どうすればいい……?」
今の自分の持つ全ての力を駆使しても、聖女アリアスに勝てるイメージは全く浮かんでこない。
いかなる工夫をしようとも、いかなる知恵を絞ろうとも、圧倒的にして純粋な『力の差』でねじ伏せられる。
そんなものをどうすればいいのかと、ケンキは迷いの中にいた。
(王は、聖女と同格であるとされる勇者なる人間を単騎で迎え撃ち、殺してみせたという。ただでさえ俺たち以上に不利な領域の外での戦いであったにもかかわらずだ。何故、俺には勝利のきっかけすら見えない……)
魔王ウルと、オーガのケンキ。この両者の力を比べるならば、やはり頂点に君臨するウルの方が上に決まっている。
しかし、その差はそこまで大きなものではないはずだった。もちろん技術、知識という点で言えば天と地では済まないほどの差があることはケンキも理解しているが、単純なパワー、魔力量で言えばそこまで大きな差はなかったはずだ。
今は聖女の力の源であった神器を吸収し、更に力を蓄えていると聞いているが、少なくとも勇者を滅ぼした時はさほど差はなかったはずである。
ならば、不可能ではない。ケンキは自分の力でも聖女、勇者という忌々しい人間の切り札を打ち倒せるようにならねば自分に存在価値は無いと、一人拳を鍛えるのだった。
「相変わらずね」
「……カームか」
一人黙々と鍛錬を続けていたケンキの前に、カームが現われた。
彼女もまた、前回の戦いで無力を思い知らされた一人だ。一年かけて開発した最強の一撃……それが、目隠し程度の役割しか果たせなかった屈辱は計り知れないものである。
「無闇矢鱈に身体を痛めつければ強くなるというものではないでしょうに」
「……ムウ」
カームのあきれたような言葉に、ケンキは返す言葉が無かった。
彼もわかっているのだ。ただ我武者羅に身体を痛めつけてみせたところで、得られるものは自己満足だけ。実力など簡単には上がらないからこそ強さの序列というものが存在しているのであり、大切なのは痛めつけることではなく育てることなのだというくらいは。
しかし、真っ当に育てるのはどうしても時間を必要とする。短期間で簡単に強くなる方法……そんな都合の良いものを求めて、焦燥する心を慰められるような『過酷な特訓』を求めているだけなのだった。
「だが、止まっていいという理屈は無い。……あの聖女と戦闘力だけならば互角と称される人間が、雑兵であるなどと聞かされてはな」
「……王の言葉を疑うわけじゃないけど、真実だと考えたくはない話よね」
ケンキが……そして、カームが焦る理由。それは、勇者という存在の詳細を魔王ウルから聞かされたことも大きかった。
実際に戦い屈辱を与えられたのは聖女だが、勇者は聖女に匹敵しながらも『少数の英雄ではなく量産型の雑兵である』という魔王の言葉……それを聞いてしまえば、主力であることを自負しているケンキ、カームとしては落ち着いていられるはずもない。
その気になればいくらでも量産できる雑兵一人に、束になっても敵わない。それが屈辱でなくて何だというのか。
そう――屈辱を感じ、怒りと焦りを覚えるくらいでいなければならないのだ。
一度冷静になってしまえば、それは絶望という感情にすり替わってしまうかもしれないのだから。
「悩み事か?」
「ッ!? 王!」
突然、今までこの場には存在していなかった気配が現われた。
その気配の持ち主が、彼らが王と崇める魔王ウル・オーマであることに気がついた二人は、即座に家臣としての礼を取る。
「よい、楽にせよ」
「はっ! ……ところで、何故ここに?」
ケンキは魔王の許しを得て、少しだけ楽な態勢になる。本当に気を抜くのは不敬だから完全には緩めないが、王の気遣いを蔑ろにもしないという家臣としては標準的な態度と言えるだろう。
「なに、雑務は影の分身にある程度は任せられる。それよりも、お前らの方が優先度が高いと思ってな」
現在、魔王ウルは手にした人間の国をいずれ魔物の王国に作り替えるべく内政に注力している。
そのためケンキ達に構っている暇は無いはずなのだが、伸び悩む配下のため時間を作ってやって来たのであった。
「お前らが悩むことは、勇者のことを聞かせたときにはわかっていた」
「……では、何か解決法があるのでしょうか? 実力を飛躍的に伸ばせるような――」
「いや、ない。知ると知らないで大きな差が出る技術はあるが、簡単に体得できるようなものはこの一年でほとんど教えてしまったからな」
魔王ウルならば、実力を短時間で一気に伸ばせるような何かを持っているのではないか。
そんな期待を込めたケンキであったが、一蹴されてしまったのだった。
「そもそも、アリアスとの戦いの敗因は単純な出力不足だ。こればかりはコツコツ鍛えていく以外にどうすることもできん」
「やはり、そうですか……」
「まぁ薬物や改造手術の類いで強引にパワーアップという手段が無いわけではないが……今の技術では失敗する危険性の方が高いし、成功しても身体への負担が大きく寿命が縮む。一回勝てばそれでよしという使い捨ての駒に甘んじるつもりならばそれでもいいが、お前達の望みはどうだ?」
「……俺は、長きにわたり王に仕えるつもりです」
「私もです。いざとなれば種族のため、王のため命を捨てる覚悟はしていますが、一回使ったら捨てられる駒になるつもりはありません」
「よろしい。そのくらいの覚悟は持ってもらわねばな」
流石に、言葉だけで不安な要素しか無い強引なパワーアップは困るとケンキとカームも断る。
ウルもその答えに何も文句はなく、話を続けた。
「どうしても、根本的なエネルギーを増やすにはいいメシを食らいしっかりと鍛える。この繰り返し以外にはない」
「では……我々が勇者と呼ばれる人間の雑兵に追いつくまでにどのくらいかかるでしょうか?」
「それはわからんが……一年二年では難しいだろうな。それでは間に合わん恐れは十分にあるだろう」
「ならば――」
「そこでだ。長時間分の地道にコツコツを短期間でやる方法を伝授しよう」
「え?」
地道にコツコツを短時間で。それは、誰が聞いても矛盾している言葉であった。
しかしウルは、そんな道理など知ったことかと、困惑するケンキとカームを無視して何かを手招きするのであった。
「来い、お前ら」
「はぁ……?」
ウルの手招きで、森の奥より更に数名分の人影が姿を現した。
コボルトのコルト、アラクネのアラフ、エルフの戦士シークー、人間の英雄クロウ……種族混合ながら、現魔王軍の中で個の戦闘力では上位に位置する者達だ。
「別々に説明するのも面倒だからな。現状でできそうな奴らを集めておいた」
「いや、何の話か全くわからないんだけど」
さも当然という顔をしているウルに、突然説明無しで連れてこられたコルトが不満を漏らした。
魔王が前触れなく無茶振りをするのはいつものことなのだが、それでも文句を言う権利くらいはあると信じて。
当然、そんな小さな不満の声など魔王の耳には入らないのだが。
「短期間で飛躍的に力を付けるには、まず食うことだ」
「食う?」
「あぁ。どれだけ鍛えても、まず元となるエネルギーが無ければ血肉にはなり得ん」
「まあ、それはそうでしょう」
「その後にトレーニングの類いで身体を育て、食物より魔力を取り込み少しずつ自分の器を大きくする。これが所謂地道にコツコツ……と呼ばれる作業だ。筋力という意味でも魔力という意味でも、まずは食う。それも、少しでも良質なエネルギーを取り込める旨いメシをな」
つまりは食って鍛えて寝る。至極当然の身体作りの話だ。
「で、これを短期間で……となれば、まず食事は異界資源、特に俺の領域で取れる栄養価満点の食料を使うのが一番だろう」
「確かに、魔王殿の領域の食事は聖なる森のそれよりも美味ですね」
「人間の世界で食されるような、魔力的に薄味な食事なんかよりも何倍も効率がいいだろう」
「まあ、人間代表として言わせてもらえば、異界資源というだけで値段が十倍になるくらいには違いますな」
各々が、魔王の言葉に同意する。
特に、この手の話は初めから異界で育つ魔物勢よりも、外から参入した者の方がより理解できるだろう。
「しかし……王よ。そういうことなら、言われずとも我々は領域の食事を取っていますが?」
「慌てるな。肝心な話はここから……口から取り入れたエネルギーを効率的に血肉にする方法だ」
ウルはそこで話を止め、集まった面子を強い目で見る。まるで、覚悟を試すかのように。
「戦え」
「え?」
「命をかけて戦う。これが最大の効率だ。肉体とは命の危機に瀕したときにこそ最大の力を発揮するもの……新たな進化は、常に死の恐怖に抗うことで促されるのだ」
死を感じる戦いに身を置く。これこそが、魔力を高める最大効率であるとウルは説いた。
とてつもなく野蛮な理論だが、これは紛れもない事実。現に、かつてウルは人間の魔道士アズ・テンプレストとの戦いで瀕死の重傷を負うことで進化の扉を開いた実績がある。
「では……この面子で殺し合いを?」
「それも面白いが、今は止めておこう。流石に身内の中でやると死者多発で後が困る。それよりも……お前らには、これから新たに我々の領土となった土地の中にある領域を巡り、我が傘下に収める仕事をしてもらうつもりだ」
新たにウルが陰の支配者となった旧ル=コア王国イザーク公爵領、現イザーク公国の領土の中には、シルツ森林以外にもいくつか魔物の領域が存在している。
そのどれも人間達の資源として利用されているわけだが、それらをウルは正式に傘下に収め、勢力の拡大を狙うつもりなのだ。
そのついでに、配下の修行に利用してやろうという目論見であった。
「領域を? 他の魔物の巣に殴り込みをかけろということですか?」
「そうだ。と言っても、並みの魔物が相手ならば、お前らならばさほど危険を感じずに勝利できてしまうかな?」
「いえ……私は流石にその域にはいないのですが……」
「僕もどちらかというと勘弁してほしいかな……」
実力的にこの場では劣るシークー、そして根本的に弱気なコルトが消極的否定の声を上げた。
だが、それはウルからしても予想どおりの反応なので、気にすることなく話を続けた。
「お前らの懸念はわかる。その恐怖が目的だからな。……が、同時に普通に攻めたら普通に勝利してしまえる実力の連中もまた、それなりに死を実感してもらわねば意味が無い。そこで、追加で条件を付ける」
「条件?」
「そうだ……攻め込む際、配下を使うことは許さん。相手の土俵である領域に、単騎で乗り込み全ての敵を己一人でねじ伏せる。それが条件だ」
「――ッ!!」
ウルの出した条件に、全員の表情が固まった。
相手の領域に攻め込むということは、純粋な実力では格下の相手であっても決して油断できないということだ。何せ、膨大な土地の魔力を使える相手と、自分一人の力だけで競わねばならないのだから。
敵領域支配者と戦いながら領域の支配権を奪い取る――なんて芸当ができるのは、規格外の支配力を持つ魔王ウル・オーマくらいのものであり、普通の魔物ならば数を率いて少しずつ領域を削るという戦いになるのである。
そのセオリーを投げ捨て、単独で相手の領域に殴り込みをかけて大将首を取る。そんなことをやろうと思えば、三大魔と恐れられるケンキ、カームであっても決して油断できない難易度となるだろう。
「それは……流石に厳しいな。領域に攻め込むのはハンターとしては当然のことだが、必ずチームを組んでお互いをカバーするものだし、領域支配者クラスを相手にするのならば事前の情報収集と準備は必須だ」
「そうやって、必ず勝てる勝負をするという思考自体は素晴らしいものだと思うが、今回は勝ち負けの見えない戦いに挑んでもらうのが目的なのでな。まぁ頑張れ」
プロとして、クロウが苦言を呈するが、魔王はあっさりと無視した。
何を言おうともやらせる。その確固たる意思を感じらせる断言具合であった。
「……フッ。まぁ安心しろ。死を隣り合わせにするとは言っても、本当に死なれては大損だ。ちゃんと、死なない程度のことができる技術は事前に教えてやる」
困惑、恐怖、決意……様々な感情を露わにする配下達を一通り眺めた後、ウルは笑いながら救いの糸を垂らすのだった。
「聖女との戦いでも思ったが、今のお前らは飛行能力を持つ相手との戦いとなると一気に不利になるな?」
「まぁ、それは……そうですが」
この場に、空を飛べる種族の者はいない。空中へ攻撃することができる者ならばいるが、空中で戦うことができる者はいないのだ。
それでは翼を持つ相手には圧倒的不利である……ということを、天馬を従えた聖女アリアスを相手に学んだのだった。
「そこで、まずは魔道による飛行術を教える。それなりに難しいが、これをマスターできればまぁ大抵のことは何とかなるだろう」
「え゛!?」
軽く言われた言葉に反応したのは、人間社会に最も詳しいクロウだった。
人間の世界では、飛行魔道とは一種の夢……誰もが空想するも、実現することはほぼ不可能と呼ばれる超高位の術なのだ。
それを現実に行使することができる者は、魔道士の最高位である魔神会でも数名いるかいないか……というレベルなのである。
「そしてもう一つ。やはり簡単ではないが、これができるかどうかで戦術の幅が一気に広がる地の型の技を伝授しよう」
「地の型? それはいったい――」
「こんな技だ」
その言葉を最後に、ウルの姿がかき消えた。
実力者を集めたはずのこの場の誰もが、今まで注目していたウルの姿を見失った。あり得ない事実を前に、一同は慌ててその姿を探す。
「とまぁ、このように予備動作なしで高速移動する技だ。これができると回避、攻撃ともに一つ上のレベルに上がると言えるだろう」
「なっ!? い、いつの間に……」
突然後ろから聞こえた声に、ケンキは慌てて振り向いた。
すると、そこには当たり前のような顔をして鬼の巨体の陰に隠れていたウルがいたのだった。
「飛行術と高速移動術。この二つをマスターした者より……殴り込みを開始する。獲物の数は限られているからな。次の戦いで死にたくない者は、少しでも早く技を会得することをおすすめしよう」
ウルは死をちらつかせ、邪悪に嗤った。
死にたくなければ進化せよ。そこに魔物も人もエルフも関係は無い。
そんな魔王の言葉に何を感じたのかはそれぞれであったが、確実に共通していることがある。
――魔王の言葉は絶対。一度口にした以上、どれだけ抵抗しても無意味であるということだ……。