第114話「魔王の名を世界に刻むため」
「……恐ろしいですね、悪魔のシナリオというのは」
多くの血が流れた惨劇より一夜明けて、人口がグッと少なくなった公爵の城にて現在の主が小さく呟いた。
ウ=イザーク城下町において突如発生した大反乱。
多くの死者を出し、触れると死ぬ呪いがかけられているという謎の氷山が出現した大事件は公爵軍の全滅という形で幕を下ろした。
民衆達はわけもわからず、突如行われた虐殺を引き金に起こった反乱に勢いだけで参加した者が大半であり、わけがわからないまま誰かの指示を待つほかなかった。
誰か自分達を導いてくれ。誰がこの戦いのボスだったのだと。
が、とある悪魔の囁きにより意図的に引き起こされたこの反乱劇に、明確な首謀者などいない。
あえて言うならばその役に据えられた反乱軍リーダー、リーバ・レジスターがいたが、所詮その器は不良集団のリーダー。このような大規模な惨劇を収める器量などあるはずもない。
結果、リーバ・レジスターを更に裏で操っていたということになったシャルロット・イザークが新たな民衆の導き手として暫定的に認められた。
あまりの被害と絶望にまともな思考能力を失っていた民衆は「力強く声を出していた」というだけで、その言葉に従うことを選んでしまった。ただ自分よりも精神的に強そうだというだけで、傷ついた弱者は張りぼての強者に盲目的に従う道を選んだ……あるいは、選ばされた。
本来ならば怒りのままに「公爵の血を引く者は全員殺せ!」とでも叫んでいてもおかしくなかったのに、その娘を次代の主としてしまったのだ。
そうして、本来あり得なかった『公爵家の忌み子』シャルロット・イザークによる暫定領主が公に認められたのである……。
「……これで、よろしかったのですね?」
「あぁ。契約は果たされた。俺も対価を支払おう」
公爵城の主となった女性――シャルロットは、対面に座り優雅に紅茶の香りを楽しんでいる毛むくじゃらの悪魔に問いかけた。
悪魔――魔王ウル・オーマは、当面の問題は全て片付いたとリフレッシュタイムに入っているようだ。
「……本当に約束は守っていただけるんですか?」
「無論だ。俺は嘘は吐いても契約は破らん。……お前の望みは、既に用意してある」
「では……?」
「案内しようではないか、時間も丁度いい頃合いだ。この城は中々趣味がいい設備があってな……」
紅茶を飲み干したウルは立ち上がり、シャルロットをエスコートするように手を差し伸べた。
それは女性を守る頼もしい男性の手ではなく、人の道から完全に外れる外道への導き……悪魔の手だ。
毛と肉球が乗っている、魔物の手。それを前にシャルロットは――
「ええ。よろしくお願いいたしますわ」
笑顔で、悪魔の手を取ったのだった。
◆
「う……」
――その頃、公爵城の地下……秘密の地下牢で、一人の男が意識を取り戻した。
「ここは……わしは、いったい……?」
手足に枷を嵌められ、壁から伸びる鎖で繋がれている。気絶していた間は短い鎖に支えられる形で立たされていたようだ。
彼の名はエリスト・イザーク。その権力を持って様々な悪事に荷担、人を人とも思わぬ悪党である。
そんな彼が何故こんな場所で、鎖に繋がれているのか。修羅場にも慣れた悪党として、エリストは即座に自分の最後の記憶を辿った。
(確か、勇者が謎の魔物を追って出て行ってから、自室に戻って反乱鎮圧の指揮を執ろうとして――)
エリストは支配者として、反旗を翻した民衆を粛清すべく動き出したはずだった。
元々の発端が息子が突然暴走したことであることは聞いていたが、そんなことは些細なこと。王家の命令にすら反発する権威を持つ、自らを頂点とした王国を築きあげた領主としては民衆の反乱などどんな理由があっても許せることではない。
勝手な暴走をした息子にもそれなりの罰は与えるべきだろうが、まずは民衆に身の程を弁えさせねば――と海の騎士団に号令をかけようとしていたはずだった。
エリストの記憶はそこで途絶えている。
そこから何がどうなって薄暗い牢獄に閉じ込められることになったのかは、さっぱりであった。
「目が覚めたの!?」
「……お前か」
記憶を掘り返しても成果がなかったエリストだったが、そこで女の声が地下に響いた。
エリストが声の主に顔を向けて確かめてみれば、そこにいたのは書類上の家族――イザーク公爵夫人、エリストの妻であった。
彼女もまた、エリスト同様鎖で繋がれているようだ。服装は彼女が常日頃から好んで着ていた高級品のドレスであり、日常生活では明らかに不要な装飾品もそのまま。
この監禁の下手人が何を考えているのかは不明だが、少なくとも物取りが目的ではないのは確からしい。更に言えば、何が何だかわからないうちに捕えられたのは妻も変わらないようだと、彼女から情報を手にするのは早々に諦めるエリストだった。
「何が起きているのよ! これはなんなの!?」
エリストが意識を取り戻したと知って、わめき立てる夫人。そんな妻を、エリストは面倒くさいと無視するのだった。
(あの大鏡は……ここは城の地下牢か? 何者かに捕えられ――)
「ちょっと! 聞いてるの!?」
(……うるさい奴だ。役に立たんのならばせめて黙っていろというのだ)
口に出したら更に喧しくなるだけだと知っているエリストは、内心で冷たく悪態を吐きつつも無視を続ける。
妻に対して冷たいエリストであるが、事実として個人的な情など持ち合わせてはいないのだからこれが自然な対応なのだ。
夫人を妻に迎えたのは『貴族』としての世間体を保つ以上の意味はなく、その実家と縁続きになることで得られる利権を当てにしたもの。つまりは完全なる政略結婚であり、結婚後もお互いに何の情を持つこともないまま義務だけを果たした関係なのである。
エリストは妻を放置し、夫人は公爵夫人の権力を利用して宝石を買いあさり、若い男を連れ込む放蕩三昧の生活。
そういった、破綻した夫婦関係がこの二人の間にある全てだ。
「お目覚めかな? そろそろ目覚めるくらいの薬を使ったはずだが」
「……何者だ?」
夫人が叫く声が響く地下牢に、第三者の声が響いた。どうやら、唯一の入り口である公爵城一階の隠し階段から入ってきたようだ。
エリストは自分をこのような目に遭わせた張本人と思われる何者かの声の方向へ向かって力強く睨むが、声の主には一切の動揺が見られなかった。
「この牢獄は中々面白い趣向を凝らしているな? 光の強弱を利用し、牢の中からでは外の様子を窺えない鏡の仕掛けを施してあるとは。牢獄の内側からはただの鏡になっているから、惨めな自分の姿を見せつけられる一石二鳥の設計だ」
「……中には、ここにいることを公にしてはならん客もいるのでな」
「フフフ……攫ってきた人間や魔物をここに繋ぎ、いたぶるショー……だったか? 中々趣味が合いそうだ」
公爵家の闇の一つ『拷問ショー』。犯罪や借金で奴隷に落ちた貧民や、金で買った奴隷魔物を痛めつける様を見世物にする興業。
物理的、精神的、性的問わずあらゆる責め苦を用い、それを見て楽しむ悪趣味な金持ちの宴……ここは、そのための場所なのだ。
言うまでもなく違法なので、その存在は闇ルート以外には知られることはない。
そして、顧客のプライバシーを守るため、万が一にも漏れることがないよう様々な仕掛けを施してあるのである。
「それで、お前は何者――」
「……確かに、契約の二人はここにいるようですね」
「あぁ。お前との契約――『公爵家当主とその妻を生かしたまま引き渡す』。確かに果たしたぞ」
「ありがとうございます」
エリストの問いかけを無視し、もう一人の闖入者と謎の人物は会話を始めた。
この牢獄には内側にいる限り音声も歪んで聞こえる……つまり声で個人を特定できなくなる仕掛けもしてあるため、エリストにその正体はわからない。
ただ、その声に秘められた『悪意』にだけは敏感に反応するのだった。
「フフフ……このまま何も教えないのもそれはそれで面白いが、どうしたい?」
「……開けてくれますか? 彼らには、誰に何故討たれるのか……それを、知っていてほしいですから」
「了解した。俺もその方がいいと思うぞ」
いったい誰なのかと、恨みを買いすぎた悪党は様々な候補を思い浮かべるが、その答えが出る前に向こうから正解を示してくるようだと、エリストは無駄な思考を止めた。
今彼にできるのは、交渉のみ。話を聞く限りは『何者かが自分を捕えるように誰かに依頼した』ということのようであるから、その何者かの懐柔さえできればこの場を乗り切れる。
ならば、その話術にこそ脳みそを使うべきだと判断したのだった。
だが、地下牢の仕掛けを作動させ、牢獄側からのみ鏡となる壁が除去されたとき、そこにいたのはエリストにとっても驚きの人物なのだった。
「しゃ、シャルロット……だと? それに、あの化け物は……」
「なんで、アンタがそんなところにいるのよ! いえ、そんなことはどうでもいい……早く私をここから助けなさい! 誰のおかげで今まで生きてこれたかわかっているの!?」
開かれた壁の向こうから現われたのは、シャルロット・イザーク。エリストの娘であった。
そして、その隣にいるのは勇者に討伐されたはずの魔物。もう意味がわからない状況である。
(いや、今はあの化け物のことはどうでもいい。それよりもシャルロットの方が危険か……)
どこから用意したのか魔道契約書を用意したりと不審な行動を取ってはいたが、ここまでの強攻策にでることは想定外。
だが、同時に希望も見いだした。多少様子がおかしいとはいえ、所詮は長い時間をかけて屈服させてきた自分の娘。言葉巧みに操ることなど造作もないことだとエリストは内心で笑う。
夫人も今まで従順に自分の言うことに従ってきた義理の娘が相手ならばと安心したのか、闖入者が現われてからは静かだった口が急に滑らかになったようであった。
「なあシャルロット。お前が何を考えてこのような行動に出たのかはわからんが、まずは冷静に――」
「黙りなさい」
まずは会話で探りを入れようとしたエリストだったが、シャルロットの返答は完全なる拒絶。
今までならば、あり得ない態度であった。
「黙れ、だと……」
「だ、誰に口をきいているのよ!」
「もちろん、あなた達ですよ……お母さんの、仇にね!」
キッっと、シャルロットの目に力が宿る。
文字通り、親の仇を見る目……であった。
「……なるほど。母か」
「な、い、今更そんな……」
「あなた達からすれば今更って話かもしれないけど、私からすれば永劫忘れることはない恨み……それを今から思い知らせてあげる」
シャルロットは懐からナイフを取り出し、目に狂気を宿してエリスト達が繋がれる壁に向かって歩みを進め始めた。
明らかに正気ではない態度であったが……その程度では、エリストの余裕は崩れない。
「待ちなさい」
「なに? 命乞い?」
「そういうわけではないが……このようなこと、お前の母が望んでいると思うか?」
「お母さんが……?」
「そうだ。アレは心優しい女であった。お前にも記憶はあるだろう? アレが娘に人を殺めるような……それも実の父を殺すような罪を望む女だと思うか?」
エリストは、正攻法の説得にかかった。
悪の限りを尽くす公爵家当主としては下らない言葉であると自覚しているが、同時にシャルロットのような愚か者には効果があることもよく知っている。
復讐は何も産まない、死者はそんなことを望んでいない……そんな言葉で揺らいでしまうから、シャルロットは食われる側の人間だったのだから。
しかし――
「ガッ!?」
「馬鹿じゃないの?」
シャルロットは容赦なく、エリストの腹にナイフを突き立てるのだった。
「フフフ……哀れなものだな、人間」
「お……ま、え」
「一つ教えておいてやろう。人間という奴は、どれだけ慈悲深く愛に満ちた人間の子であっても、長年虐げられていれば恨みも憎しみも生まれるし、正気だって失うものだ。正義と良心を持った子だったから口八丁で騙せる? いやいや、正義の子だろうが何だろうが、狂人で悪党な連中に囲まれて育てば影響されるに決まっているだろう?」
シャルロットは真っ当な感性を持つ母から産まれ、短い間であったがその教育を受けた。
その結果、公爵家には相応しくない真っ当な感性と倫理観を持つ子供になったが、それも昔の話だ。
――狂人に囲まれて育った人間が都合よく正義の心を持った優しい人間のまま成長するなど、あり得ない。
人とは、変わるものなのだから。
「ただじゃ殺さない。お母さんの仇であり……私の仇だもの」
「ぐぅ……!!」
優しく、慈悲に溢れていた少女、シャルロットは既に死んだ。公爵家に殺されたのだ。
ここにいるのは、憎しみと復讐の念だけで苦汁を舐め続けたもう一人の狂人……『公爵家の忌み子』シャルロットなのだ。
だから魔王の手を取った。その手で母の仇である公爵と公爵夫人を徹底的に苦しめる権利……ただそれだけのために、街の住民全員が死んでいてもおかしくない魔王の計画に加担し、人類を裏切ったのだ。
人の倫理から言えば、もしかしたら父をも超える大罪人として未来永劫唾を吐かれるかもしれない……そんな事すら受け入れ、ただこの瞬間のために悪魔に魂を売ったのである。
「あ、あぁぁ……」
夫が容赦なく刺されたのを見て、公爵夫人も顔色を失う。
そんな母の仇を見て、シャルロットはもう何年浮かべていなかったのかもわからない心からの笑みを浮かべるのだった。
「……血まみれのナイフを持ち、返り血に塗れた女の笑顔か。俺に芸術はわからんが、これは中々美しいのではないかな?」
シャルロットとの契約を果たし、子が親を刺すショーをこの牢獄本来の目的どおりに楽しむ魔王ウル。
教えたとおり、刺したナイフは急所を外している。まだまだこのショーは続くようだと、ウルは芸術品でも愛でるような目でその拷問ショーを見物するのだった。
「ま、待て……私を殺せば、私の功罪がお前を……」
「あぁ。死を前に発動する、呪い系統の功罪だな? それならば安心したまえ」
イザーク家当主に宿る死に際の功罪。殺される場合に発動し、相手を道連れに飲み込む呪いの功罪だ。
それをシャルロットも持っていたからこそ今まで殺されることはなかったのだが、魔王ウルからすれば大した物ではない。
「契約の一環として、その娘には俺自ら手ほどきをしてやった。死ねば発動する功罪など関係ない……永劫、殺さず苦しめる術をな。あぁ、もちろんぶっつけ本番ではなく、ちゃんと実習済みだ」
「じ、実習……?」
「ええ。お兄様には、最後に役に立ってもらいました」
この場にいない、公爵家の血筋――民衆殺しの兄弟。
内一人は魔王ウルの手によって殺され、その皮を利用されたが、生存者はもう一人いた。
今となっては名を呼ぶ意味すらないその存在は――シャルロットに技術を与えるための生け贄として、生け捕りにした何人かの海の騎士団と共に練習材料として生を尽くしたのだ。
今のシャルロットは、刺そうが斬ろうが死なせないギリギリを見極める目と技術を持っている。魔王ウルのお墨付きだ。
「ま、待つのだ!」
腹の激痛に顔を歪めながら、相手の狙いを理解したエリストは、何とか助かろうと必死に知恵を巡らせた。
「それだけじゃない! 私がいなくなれば、この公爵家は終わりだ! お互いの利益のためにも――」
「それも問題はない。この先、この公爵領はシャルロットが統治する。まぁ、実際には俺の指示に従う契約だが」
「無理だ! シャルロットにそんな権利は――」
「安心しろ。既に最上級の後ろ盾を用意してある。何も問題はないとも」
何とかして助かろうと、復讐鬼の興味が夫人に向かった隙を突いて自分の価値を示そうとするエリストを、ウルは全て切って捨てる。
既に、ウルの計画に悪知恵が働くエリストは必要ない。ただそれだけなのだから。
(……聖女アリアスは俺の手駒に堕ち、勇者は仕留めた。聖女の後ろ盾でシャルロットを傀儡の王に据え、公国として独立させれば大規模な動きも可能。街一つ力で落としただけの状態とは比べものにならん拠点ができることになる。ようやく世界に影響を与えられそうだな)
家族の凄惨なショーを楽しみながら、今後のプランを練るウル。
まだ、魔王が表舞台に姿を見せるには早い。今神々と――その眷属である勇者、聖人が徒党を組んで襲ってくれば手も足も出ないだろう。
そこで、人間の傀儡を用意し、裏から操る方針をとることにしたのだ。
まどろっこしい方法は趣味ではないが、未だ力の半分も取り戻していない状況で全面戦争は自信過剰を通り越してただの自殺。流石にそれは許容できない。
そうして、力を更に蓄えたとき、改めて魔王として世界にその存在を宣言するのだと、ウルは誓うのであった。
「魔王の名を世界に刻むため、しっかり働いてもらうぞシャルロット……それに、アリアスよ」
自ら魔道に堕ちる道を選んだ公爵令嬢と、魔王の影に取り込まれ闇に沈んだ元聖女。
魔王の嗤いは響く悲鳴と共に冷たく暗い新たな魔王の穴蔵の闇に溶けていき、先ほど聖女の成れの果てと言葉を交わしたことを思いだす。
――魔王の闇に飲み込まれた、堕ちた聖女のことを。