第11話「キサマが耐えられるか否か」
「う、ぐぐ……できないよ!」
魔素水式魔力操作訓練。魔力を潤沢に含む水が、魔力の移動に影響を受けやすいことを利用した魔道習得の初歩訓練である。
人間社会の常識において、魔力の操作とは先天的な才能の有無が全てとされる。だが、それは現代の理屈であり、これは魔道の訓練のため太古の時代に考案されていたものの一つ……と、魔王ウル・オーマが説明したものだ。
しかし、言うまでもないが、そんな簡単に習得できるのであれば人間社会でもとっくに発見され、広められていることだろう。
魔族を廃し、自らの楽土を作り上げた人間達が過去の技術を忘れ、魔道の習得を先天的才能に依存すると判断する……そこに至る理由は、当然存在するのだ。
「ピクリともしないんだけど……本当にこれでいいのかなぁ?」
今まさに訓練を行っている内の一人、コルトは自信がないと見ているだけでわかるようなため息を吐く。
コルトが寒い中手を突っ込んでいる魔素水は、全く動く気配はない。手が震えることで偶に波打つ程度だ。この様では、本当にいつか何か起きるのかと不安になるのは当然のことだろう。
同じことをしているゴブリン達にも何の成果もないまま、既に三日が経過しているのだから。
(朝起きて湖の魚食べて水に手を突っ込んで魚食べて寝る……こんなんでいいのかな?)
訓練の成果はさっぱりであるが、食糧事情はかなり改善していた。
ウル率いるコルトとゴブリンの群れが占拠した湖には既にピラーナが住み着いていたが、湖にいるのは何もピラーナだけではない。ピラーナも食料としている水草や普通の魚も多数生息しており、湖を確保するだけで水も食料も一先ず確保することに苦労はなくなったのだ。
生き残ったピラーナ達は皆ウルに服従する道を選んだため、狩りは彼らに任せておけば何も問題はない。
つまり、コルト達がやるべきことは訓練の成果を出すことのみであり、産まれて始めて満腹という状態に至れる今の状態で不平不満など言えるわけもない。
安全に腹を満たしてくれる……コボルトにとって、そしてゴブリンにとってもそれ以上に忠義を尽くすべき恩はないのだから。
「……頑張らないとね」
腹が膨れた。その恩恵をもたらしてくれた相手からの指示。
それは、野生に生きる魔物にとって絶対に遵守しなければならない天啓なのである。
◆
「……これが限界だな」
一方、コルト達に命令を出したウルは一人でせっせと罠の作成に勤しんでいた。
シンプルな落とし穴、踏めば宙づりとなるツタの罠、てこの原理で泥の塊をぶつける罠といった自然を利用したものから、魔道の技術を利用した地雷など多種多様なものを念入りに仕掛けているのだ。
現状まともに戦える戦力がない以上、いつ敵が攻め込んできてもいいようにと三日かけて用意したものである。
(……これだけの手間をかけても、この罠で何とかできる輩なんぞ、たかが知れているがな)
ウルは自分の拵えた罠の数々を前に、内心で感想を漏らした。
ウルは魔王であるが、罠の専門家ではない。過去に自分が治めていた国で行っていた軍事訓練の一環として教えていた『即席罠の作り方』というマニュアルを知ってはいるが、所詮知っているというレベルだ。
ウルはかつての国で王と軍部の最高責任者を兼任していたため、職務上最低限の知識はある。だが、当然のことながら、この手の雑務を引き受け実際に手を動かすのは配下であった。となれば、知識止まりのウルが用意できるレベルの相手が大したことはないことも、また熟知しているのだ。
「やはり本命は兵士の質の向上……現状そこも最低レベルだが、そろそろ馴染んだ頃か?」
ウルは、三日間ただひたすら魔素水に手を突っ込ませている配下のことを考える。
開始から三日……それは、相性がいいものならばそこそこものになるまでにかかると想定した時間だ。しかし未だに成果ゼロ……その事実を前に、ウルに悲壮感はなかった。
何故ならば――
「……ククク、今頃焦っているころか? 何の成果も出ないと。まぁ、今のままではいつまで経っても成果なんぞ出るわけもないがな」
ウルは知っていた。魔素水式訓練法……その効果のほどを。
そもそも、魔素水を魔力で動かすというのはかなり難易度が高いことだ。と言うよりも、そうした現象を起こせるのならば既に魔道四系統の一つ、念力による物理現象を起こす無の道の初歩に至っていると言える。
はっきり言って、始めて三日の素人ができることではない。人間の国ではそれを行えるのは極一部の才に恵まれたエリートだけと言われるほどなのだから。
魔素水式訓練法とは、魔道を習得したものがその能力の向上を行うために行う訓練法。断じて初心者が始めにやることではないのである。
「今は時間がないので裏技に頼るほかない。それでも三日もかけて調整した俺の慈悲に感謝するといい」
ウルは非常に楽しそうに嗤った。実現不可能な課題を言い渡したのは何もただの嫌がらせではない。全員の魔道習得を7日以内に完了させると宣言したのは真実だ。
本当の狙いは、かつて魔王が治めた国で考案された訓練法の実施。その下準備なのだから。
「さて、行動を開始するとしよう。そろそろタフな奴なら取りかかっても問題ない状態となっているはずだ」
湖を中心としてグルリと設置した罠があれば、足止めくらいはできる。その程度の確信は持てるところまでは仕上げたと、ウルはゆっくりと戻っていく。
これより、本当の訓練が始まる。
…………………………
「……小僧は大丈夫そうだな。ゴブリン共は……まだ早いか」
ウルは湖まで戻ると、声をかけることなく観察を始める。
長時間魔素水に触れ続けたため、コルト達の魔力も影響を受けている。その馴染み具合を観ているのだ。
「頑丈さであればゴブリン共の方が上かとも思っていたが……いや、何か馴染みやすい要素があるんだろうな。僅かながら統合無意識との接続に成功しているのか?」
ブツブツと何かを呟くウルであったが、今はそれよりも行動かと気持ちを切り替える。
現状で合格点が出せるのは、コルト一人。しかし、落胆することはない。最短の時間でそこまで行けたものが一人でもいるだけで僥倖であった。
「さて、小僧の経絡をさっさと開くとするか」
魔力と呼ばれるエネルギーは万物に宿っている。しかしそれを操るのには、魔力を循環させる経絡と呼ばれる非実体の体内器官が必要となる。
経絡の役割とは、血を全身へと循環させる血管のように、全身へ魔力を運ぶ通路である。その活動を意図的に操ることが魔力を操るということなのだ。
(小僧の経絡は……無活性状態とはいえ、そこそこ力強く脈動しているようだな。産まれて初めてまともなメシを食ったのが原因か?)
この経絡自体はやはり誰にでもあるものだが、大多数は機能していない。
食事や呼吸などから取り入れた魔力は肉体という器に――特に魔物の場合は魔石に――蓄えられているが、心臓のようにポンプの役割を果たす器官は存在しない。よって、経絡自体を活性化させ、蓄えた力を引き出さなければならないのだ。
人間社会で言うところの魔道士適正とは、この経絡が先天的に活動状態……つまり持ち主の意思で操れる状態にある、ということなのである。
「小僧」
「ん? なに? ウル?」
「こっちに来い。修行のアドバイスをしてやろう」
ウルは少し離れた場所からコルトを呼ぶ。
何故自分一人だけ呼び出すのかと不思議に思いつつも、特に逆らうことなくコルトは立ち上がり、ウルのもとへとやって来た。ゴブリン達は気にしている余裕がないのか、必死に魔素水とにらめっこを続けている。
「来たな。飲め」
「え? 何これ?」
「湖の水だ」
自分のもとへとやって来たコルトに、ウルは小さな木製の容器に入れた魔素水を鼻先に押しつけた。
突然何なのかとコルトは訝しむが、逆らっても仕方がないと恐る恐る口を付ける。何か変なものが入れられているんじゃないかとヒヤヒヤしながら。
「飲んだな?」
「飲んだけど……何だったの?」
「今飲んだ魔素水は特別製でな。俺自身の魔力をたっぷりと溶かしてあるのだ」
「それって――ッ!?」
コルトは首を傾げるが、突然その表情が苦痛を訴えるように歪む。
立っていることもできなくなったコルトはその場に膝をつき、湖の畔で悶え苦しむように転がった。
「が、あ……」
「自然界に存在する魔素は無色だ。故に取り込んでもすぐさま自分の魔力として変換される。ああ、ちなみに、魔素というのは誰のものでもない魔力、無色の魔力という意味だ」
「ぐあ、ぁ……」
「しかし他者の属性を持ってしまった魔力という奴は、本人以外にとっては毒にも似た拒絶反応を引き起こす。耐性のない者ならば魔力だけで殺せるくらいにな」
苦しむコルトを見下ろしながら、ウルは暢気に言葉を綴る。
当然コルトにそれを聞いている余裕などないのだが、ウルの魔力が完全に行き渡るまでは苦しみ続けさせるほかないのだ。
「今体内に入った俺の魔力を排除するために、キサマの肉体は全力で活動している。経絡という経絡を超活性化させ、体内の魔力を絞り出してな。後は魔力の排除が完了する前に、俺がほんの少し導いてやろう」
通常、魔力の制御――経絡の活性化を行うためには、長い時間をかけて少しずつ自分の体内の魔力を認識し、それを操るイメージを繰り返す必要がある。
その方法での活性化に必要な期間は、素質のある者で半年と言ったところだ。その時間も魔力と経絡の特性を知り尽くした専門家の指導の下で行った場合での話であり、素人が独学でやろうと思えばよほどの才能と幸運に恵まれない限りは一生実を結ばないだろう。というより、先天的に活性状態で産まれてこなかった程度の才能と幸運では、確実に徒労で終わるはずだ。
それでも、本来ならばその方法で目覚めさせるのがよいと古代の王国では推奨されていた。専門家の指導の下でならば時間はかかっても確実に目覚めさせることができ、何よりも安全だからだ。
もう一つの手段――肉体の防衛活動を利用しての強制活性化は、一歩間違えれば肉体に致命的なダメージを残すリスクがあり、そこまでやっても無意味に終わる恐れもあるのだから。
「俺がやるのだから何の心配も必要はない。重要なのはその苦しみにキサマ自身が耐えられるか否か――それだけだ」
強制活性法は、まず他者の魔力を体内に取り入れ、異物を排除すべく経絡が活動する生体反応を利用する。とにかく自分以外の属性を持った魔力は全て排除すべしと身体は反応するため、才能の有無など無関係に嫌でも経絡が活動するのだ。
とはいえ、それだけで経絡が活性化するかと言えばそうではない。これだけでは異物の排除が終わればまた休眠状態に戻ってしまうからだ。
そこから先に進むには、魔力を取り込ませた側の協力が必要不可欠。体内に送り込んだ魔力を遠隔操作し、全身の経絡が隅々まで目覚めるように強制的に循環させる。そうすることで、本人に経絡を魔力が巡る感覚を理解させるのだ。
この施術者側の技術が未熟である場合、効果がないどころか体内からの攻撃に負け深刻なダメージを残すことになる。コルトが無事に事を終えられるかはウルの魔力操作技術にかかっているということだ。
「ここまでやれば確実に魔力が体内を巡る感覚を覚える――そうなるようにやっている。その苦しみを魂に刻み、永遠に忘れるな。そうすれば、キサマの経絡は完全に目覚める」
「グアァァァァァッ!!」
「安心するといい……恐怖と苦痛で刻まれた記憶は、決して忘れることはないからなぁ……クカカッ!」
「ウギィィィッ!?」
施術者が役割を果たしさえすれば、この方法で目覚めない者はいない。どれほど物覚えが悪くとも、苦痛と共に刻まれることは決して忘れないのだ。
故に、コルトは全力で悲鳴を上げさせられている。その魂に魔力の感覚が根付くように、念入りに苦しめられているのだ。
それは確かに修練の一環であるが、苦痛の悲鳴を聞きながらも笑顔を絶やさない――否、抑えられないウルを観る辺り、悲鳴を聞いて喜ぶ性癖があるのは否定できないだろうが。
とはいえ、拒絶反応に身体の方が耐えきれずに死亡する事がないよう、ほんの少しだけ自分の魔力を溶かした魔素水を使って三日も身体を慣れさせていたのだから、これ以上を望むなと本人は言うだろうが。
こうして、コルトは悲鳴の中でその力を開花させる。
ウルの魔力水を飲んでからおよそ30分――体内に無数の蟲が入り込みわしゃわしゃ暴れているかのような不快感と痛みだったと後に語る拷問の末、ここに経絡を活性化させたコボルトが誕生するのだった。
指導者が極めて優秀な魔力操作術を持っていなければ、死体が量産されるだけの覚醒方法。
それはまあ、時の流れと共に封印されても仕方があるまい……。