第106話「蹂躙を始めるぜ」
「あ?」
突然現われた魔物を前に、勇者カインは何の緊張も見せなかった。
何があろうと絶対安全……そんな保証を神々からされているに等しい勇者となって早数年。今のカインには、すっかり危険に対する嗅覚というものが失われているのだ。
しかし、今この部屋にいる他の三人の人間は話が違う。荒事は専門外の公爵は突然のことに棒立ちとなってしまい、自分達の先制攻撃を謎の力でいなされたミミとリエネスは完全に警戒態勢であった。
「魔物……何故こんな街中……しかも公爵位所有の屋敷に?」
「理由はわからないけど、油断はできないね……強いよ」
国家のエージェントであるミミとリエネスは、対人、対魔物どちらも想定して訓練を受けている。
本命の仕事が勇者のご機嫌取りであるとはいえ、戦闘も一人前に熟せる。少なくとも、その辺の駆け出しハンター程度ならば片手間に倒せるくらいの腕はあるのだ。
その二人から見て、現われた獣人種の魔物は警戒に値する存在であった。油断なくそれぞれが隠し持ってきた――常識的な配慮として、公爵という権力者の敷地に入るのに堂々と武器を持ち込むことはできないため――小ぶりなナイフを構える。
人間サイドからすれば、勇者を除いて一触即発の空気であると言えるだろう。
対して、侵入者である魔物――魔王ウルは、そんな人間達のことなど眼中にないという態度を崩さずに勇者を侮蔑の目で見るばかりであった。
「……武人を名乗るには、随分と弛んだ身体だな」
「はぁ? 生憎だけど、俺は筋肉自慢だけが取り柄の馬鹿共とはレベルが違う存在なんでねぇ」
突然魔物が自分の生活空間に乗り込んできてもさほど反応を見せなかった勇者カインだが、自分への侮辱の言葉には敏感に反応した。
どうやら、基本的に酒と女に溺れるばかりでトレーニングなど産まれて一度も縁が無い――という人生の結晶である自分の肉体にコンプレックスがあるようだ。元々太りやすい体質ではないらしく、肥満とまでは言わないが、あまり見ていて気分が良いとも言えない貧弱で弛んだ身体としか評価しようがないのだから仕方が無いことだろう。
(遠目から観察したとおりの人物のようだな。肥大化した自己承認欲求ばかりが先行し、品性というものが感じられん。……予想どおり、奴らが選びそうなクズと判断して間違いは無いか)
ウルは簡単な挑発にあっさりと乗り、自分を持ち上げ他者を貶す言葉を当たり前のように口にした勇者カインの人格評価を終えた。
どうやら、予想どおりである……と。
「まあ、人間の生活態度など俺にはどうでもいいことだ。それよりも……死んでもらうぞ?」
「へぇ? それ、俺に言ってんの?」
「お前だけじゃないがな。当然皆殺しだ」
そこまで言って、ウルは軽く殺気を放つ。
気迫を発し敵を牽制する、一種の脅しだ。戦闘中に使えばフェイントなどにも使える『威圧』と称される技術であり、魔王流以外でも多数の流派が基本技術として取り入れている。
一般人でも大声や身振りを合わせれば他者を威圧することができるが、ある程度のレベルとなれば睨むだけでも並みの人間なら身動き一つ取れなくなるまで震え上がらせることも可能。
言ってしまえば『咆吼』系の技の前段階であり、戦いの前に敵の実力を探ることにも有効である。
「ひぃっ!?」
例えば、一般人かそれに少し毛の生えた程度の戦闘能力しか持たない人間――エリスト公爵のような者であれば、その場で腰を抜かすことになる。
「ッ!?」
「何て闘気……!」
例えば、それなりの戦闘技術と経験を持つ人間――ミミとリエネスのような者であれば、一瞬身体を震えさせるも自らの気迫を放って対抗しようとするだろう。
そして――
「皆殺しだぁ? また、随分格好良いこと言ってくれるねぇ……魔物風情が」
――勇者のように莫大な戦闘力を有している自負がある者ならば、そもそも威圧されたことにも気がつかない。
猛獣が唸れば人は震え上がるが、蟻が敵意を向けてきてもそれを察することのできる人間などまずいない……それと同じだ。
「フッ……俺としてはここでおっぱじめても良いが、場所を変えた方がいいかね?」
「あん? 俺と戦いになると思ってんのか?」
「さて、どうかな? いずれにしても……ここで始めれば、恐らくはそこに転がっている人間辺りは確実に死ぬと思うが」
外見からは読み取れない勇者の内に秘めた忌々しい力を確認したところで、ウルはカインに挑発混じりに問いかけた。
勇者カインは完全に魔王ウルを侮っているようで、その気になれば一瞬の抵抗も許さずに殺せて当然としか思っていない。
故に場所を変える必要もないと言わんばかりに力を解放しようとするも――
「お、お待ちを!? ここで暴れられるのは、その……」
当然、屋敷の本来の持ち主であり、この場で最も巻き添えになって死ぬ可能性の高いエリスト公爵が止めに入る。
「……ま、ここの居心地はなかなかだからな。ついうっかり壊しちまうのも面白くないか」
別に、自室として与えられた部屋を壊したいわけではないカインとしても、そこを拒絶することはなかった。
故に場所を変えることには賛成し、視線でウルへと問いかけた。
「ついてきなよ。勇者様が戦い始めたって、民衆へ見せつけながらな」
それだけ言うと、ウルは闇に溶けるように姿を消した。
高速移動――ではなく、一種の隠蔽魔道を発動して自分の姿を夜の闇に隠したのだ。
「何がしたいのかねぇ」
当然、魔道による隠蔽など勇者ほどの魔力があれば特別な技術を必要とすることなく見破れる。
他の三人は咄嗟のことでウルの姿を見失ったが、カインだけはその姿をはっきりと捉えていた。
闇に紛れ、町の方へと移動するウルの姿を。
「皆はここに残ってなよ。ちょっと運動してくるから」
勇者は『戦闘』という分野で仲間を必要とすることはない。
当然のように未知の魔物と殺し合いに行くときも仲間の女性達に助力を頼むことなど無く、そのままズボンだけの無装備状態で窓から飛び出していくのであった。
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「……ここらでいいだろ」
隠蔽魔道を発動したまま、ウルはウ=イザークの街中にあるとある家屋の屋根の上で立ち止まった。
それに合わせて、一人追ってきたカインも立ち止まる。それなりの速度で、屋根の上を飛び続けるという中々にアクロバティックな移動手段を使ったのだが、何の問題も無くついてきた。
どうやら、どう見ても一般人以下としか思えない肉体ながら、身体能力は十分超人の領域にあるようだとまた一つウルは勇者の脳内項目にメモした。
「おいおい、街中じゃないか? 移動する意味あったか?」
「あそこにはお前の金蔓とお仲間がいたようだからな。巻き込むとやりづらいんじゃないかと親切心で言ってやっただけのこと……俺が人間を巻き込まないように、なんてことを考えるように見えるか?」
「いいや、全然。むしろ積極的に襲いにいきそうな野蛮な奴にしか見えないね」
「それで正しいとも。それで? 大勢の人間を巻き込むかもしれない場所では戦いづらいかな?」
「……あー、もしかしてそれが狙い? だったら、残念だったなぁ。生憎だけど、俺はその辺の甘ちゃんと違って、そういうのはもう乗り越えた後だから」
より大勢の人間を巻き込むかもしれない場所で戦えば、派手な技が使えず制限がかかる。
以前ウルが配下達に講義したことであるが、勇者カインには通用しないようであった。
「同族を殺せることがそんなに自慢なのか? 人間というのは……クククッ」
「何がおかしいのか知らないけど……ま、どのみちさぁ……どうせ一瞬で終わるんだから、そもそも心配する必要はないね」
勇者カインは拳を握った。半裸の無装備なので当然なのだが、剣も槍もその手には存在していない。
(……素人だな。本当に、あらゆる意味で戦闘訓練を積んだことはない、か)
構え……なのだろうと思われるカインの立ち姿を見て、ウルは瞬時に『格闘技の経験は無い』と判断した。
素人が漠然と格闘の構えを取ってみた、という以上のものはない、隙だらけのそれ。どこを守りたいのか、どこを攻めたいのかという理念をまるで感じられない猿まねそのものであったのだ。
「……見極めてやろう」
曲がりなりにも構えを見せたカインに、ウルもまた魔王流の構えを取る。
攻めよりも防御を重視し、どこから攻め込まれても対応できる受けの型だ。
「じゃ、まぁ――死ね」
次の瞬間、足下の屋根が吹き飛ぶ轟音と共にカインの姿は消えた。
「発ッ!」
何の工夫もなく、真っ向から殴る。カインがやったことはそれだけだ。
それだけであるにも関わらず――守りの構えを取っていたウルの腹に、その拳は突き刺さった。
その理由は単純明快。ただただ純粋に……その動きが、速すぎたのだ。
「はい、終わり。寝起きの運動にもならねぇな」
拳の命中と共に高速で吹き飛んだウルを尻目に、勝負がついたとカインは早々に気を抜いた。
残心もなにもないその姿であるが……彼は、確信しているのだ。勇者である自分の攻撃を受けて、生きていられる生物などこの世に存在するわけがないと。
しかし――
「隙の大きい勇者もいたものだ」
「あ?」
勢いよく吹っ飛んだウルは、途中で回転しながら受け身を取って別の屋根に着地。そのまま衝撃で剥がれた屋根の建材を掴み、カインへと投げつけたのだった。
「何で死んでないんだ?」
ウルを、そしてウルが投げた物も全く見ていなかったにもかかわらず、カインは的確な動きで飛来する物体を回避する。
構え、足運び、重心の配置……その他あらゆる要素を考慮してもド素人としか表現のしようがないカインであるが、何故か要所要所の動きは達人のそれを思わせる無駄のなさを見せる。
その秘密を既に知っているウルは、殴られた部分の損傷を確認しながら侮蔑の感情を露わにするのだった。
「達人回路……か。多数の達人名人の記憶情報から作成された戦闘補助プログラムだな」
「あん? なんだ、知っているのか? この俺、勇者の力の一つを」
「まあ、な。全く……あいつらの手口は千年前から成長なしか」
――達人回路。それは、かつて神と魔王の戦争の際、神の軍勢が作り出した戦争兵器の一つだ。
死亡した名人達人の魂よりその技の情報を抽出し、他者が再現できるようにしたもの。言ってしまえば、これさえあれば戦闘経験どころか喧嘩の経験すら無い一般人であっても達人と同等の動きができるようになる……というより、本人が何もしなくとも身体が勝手に動くようになる自動戦闘機構である。
かつて神々はこの達人回路を完成させ、本来兵士ではない戦力外の人間を強制的に神々のシモベたる兵――神兵に仕立て上げ、魔王軍との戦いに送り込んだ歴史が存在するのだ。
「薄々予測はしていたが、現代の勇者とはやはりあの人形共と同じか。となると、脆弱な能力をカバーするアレも持っているな?」
「何言ってんのかわかんないけど……ま、知っているってんなら見せてやるよ。勇者様を侮辱するってのが、どういうことなのかを……な!」
ウルの言葉の一つ一つからにじみ出る嫌悪の感情に苛立ったカインは、隠すことなくその身に宿る力を解放した。
勇者が神に与えられし、その絶対的な魔力を――
「神の聖痕……俺のような選ばれし者に与えられた、究極の力をな」
勇者カインの背中が輝き、莫大な金色の魔力が吹き上がった。
その総量、出力は共に測定不能。現代最新の技術を駆使したマナセンサーを用いたとしても、測定範囲外としか評価のしようがない絶対的な力の塊。
そんなものを個人で所有するのが勇者であり……ただただ、圧倒的な力を前面に出すだけでこの世のどんな生物も太刀打ちすることは不可能。
単独で一国の軍勢を相手にできると称される、勇者の力を露わにしたのであった。
「ふん……覚えがあるな、その魔力には。神共の気色悪い雑兵が匂わせていた悪臭がプンプンするわ」
ウルは過去を思い返し、今までの比ではない嫌悪をむき出しにした。
達人回路があったとしても、それに相応しい身体能力が無ければ意味は無い。いくら技術だけ無理矢理達人にしても、それを扱う肉体が脆弱では本物の百分の一の力も出せないだろう。
それを解決するのが神の聖痕。身体のどこかにある日突然神々の紋章を模した痣が刻まれることで得られる、神が与える外付け魔力タンクだ。
普通に魔力を相手の体内に流し込めば、その力を異物と判断した身体は抵抗し、死亡してしまう。しかし、神と呼ばれる存在は自身の力を抵抗なく他者に送る事ができる能力を持っているのだ。
原理としては領域支配者が自身の配下に力を分け与えるのと同じであり、更に神は領域支配者にもできないことができる。
単純に相手の器の中に魔力を流し込む領域支配者とは異なる、“痣”という能力を注ぐ器そのものを作成する……という技術を持っているのだ。
(普通にあの人間に魔力なんて流し込めば、あの千分の一の量であってもはじけ飛ぶのがオチ……だが、神ならば魔力を貯蔵する器をもう一つ作成できる。……やはり、勇者を作っているのが神共なのは間違いないか)
相手の能力、限界を無視して力を注ぎ込む。そして、その力を十全に活かすことができる達人回路を埋め込んでしまえば、昨日まで子犬にも勝てなかった弱小貧弱人間であっても一瞬で最強戦士の仲間入りだ。
人間の進化、成長を一切期待しない。相手の個性を無視して自分好みの能力値に書き換える神の所業。
現代の勇者とは、神の傲慢な性格から生み出された、操り人形のことであるとウルは結論する。
かつて同様の存在を嫌悪し、幾度も戦ったウルには、彼らの後ろにかつて魔王と争った憎たらしい神々の姿が透けて見えるようであった。
「さあ、蹂躙を始めるぜ。さっきの一発をどうやって凌いだのかは知らないが……本気を出した俺を前に、立っている事なんざ誰にもできねぇんだよ!」
神から与えられた膨大な魔力と、神から与えられた自動戦闘に身を任せ、勇者カインは魔王ウルへと飛びかかったのだった。




