第103話「前のように行くとは思わないことね」
(白兵戦ならあるいは……と思ったが、王の言葉どおりだったか)
ウル軍戦闘隊長のケンキは、眼前に立つ聖女を睨み付けながらも彼我の戦力差を分析していた。
(あわよくば初撃で……と思っていたが、仕方が無い)
ケンキとしては、前回の敗戦の屈辱を晴らしてやりたいという思いがあった。
だから、聖女との再戦の際、まずは一人で挑むと主張したのだ。もちろんこれは全体の作戦を成立させるためのピースの一つであるが、理想として一対一で斬り倒すという未来を見ていなかったと言えば嘘になる。
結果は自慢の豪腕を杖一本で返され、更に触れるだけで火傷させられる理不尽な守りの力を逆に見せつけられたという形になったが……それならそれで仕方が無いと納得する。
元々、今のケンキが単独で勝てる相手ではないと魔王ウルからも断言されていたのだ。その言葉が真実であったことを確認でき、また自身の領分である白兵戦に持ち込めば単独でも勝てるという驕りを捨てることができたと考えれば決して無駄ではないだろう。
「では……本気で行かせてもらおう」
ケンキはそれだけ言って、剣を握る手に力を込める。
今までは本気ではなかったのか――などという無駄な言葉は無く、聖女は優雅に手にした神器をケンキに突きつけた。
「残念ながら、不意打ちに失敗した以上――もうアナタが私の前に来ることはありません。【神の杖!】」
聖女が杖を一振りすると、杖から光があふれ出す。
その光は次々と生物をかたどっていき、瞬く間に聖女の軍勢が形成されていった。
「森の中で飛行するタイプは些か不向きですし……この場では彼らこそが相応しい」
聖女が呼び出したのは、以前のように翼で空を舞う天使ではなかった。
黄金の体毛を持つ四足獣。エルメス経典では地に蔓延る悪徳を狩る猟犬とされる聖獣オーギナ。狼に似た外見を持つこの聖獣は、本物ならば100里先の邪悪をも瞬時に発見し、疾風の足で狩り取ると言われる自然に適応した聖なる存在である。
その聖獣オーギナが、ざっと20体。これだけでその辺の小国なら落とせる戦力と言えるだろう。
「この森の全ての邪悪を狩り尽くしましょう――」
「させないわよ」
自らの軍勢を召喚した聖女の背後から、無数の獣が飛び出してきた。
匂いも気配も感じさせること無く奇襲を仕掛けたのは、【司令の功罪・魔狼の軍勢】により召喚された風の獣。ケンキが放つ闘気と邪気に紛れて隠れ潜み、奇襲のチャンスを窺っていたカームが動いたのだ。
「――迎え撃ちなさい」
自分の邪悪なる者に対する感知力から逃れた魔物の存在には驚いたが、問題にはならないとアリアスは召喚した聖獣オーギナの半数を迎撃に当てる。
あの功罪の力で呼び出される獣の性能は既に判明しており、半数も当てれば問題なく殲滅できるという判断だ。
しかし――
「今回はこちらにとって最強のホームグラウンド。前のように行くとは思わないことね」
「え?」
飛び出した聖獣たちは、突如動きを止めた。否、動けなくなったのだ。
見えないほどに細いが、強靱な糸に絡め取られることによって。
「ボスとの戦いを教訓に作った、無臭糸。気に入ってもらえたかしら?」
そう言って上空から――木々の枝の上に姿を現したのは、下半身が蜘蛛になっている大蜘蛛の女王、アラクネのアラフ。
聖獣たちを止めた仕掛けはシンプルなものであり、魔力感知、匂い感知に引っかからない新加工を施した糸を聖女の背後に張っておいたのだ。
粘着力にも優れた糸に絡め取られれば、大の大人でもまず抜け出せない。罠を張り獲物を待つ大蜘蛛一族の真骨頂である。
「前回はいきなり全部ぶっ飛ばされちゃったからね。今回はそうはいかないわよ」
アラフは怒りを込めて聖女に宣言する。前回の戦いでは、用意していた全てを初手の魔力爆撃で吹き飛ばされてしまい、何もできずに敗走となってしまった。
その雪辱を果たすべく、徹底的に絡めとるつもりなのだ。
「面倒な――その程度で、聖獣が止まると本当に思って――」
「ないわよ。でも、一瞬止まればそれでいいの。【女王蜘蛛の功罪・傀儡の巣】」
アラフは魔力を高め、それを頭上の木々に打ち出した。
それは無数の糸であり、糸と糸が重なり巣を形成する。そして、その巣から更に何本かの糸が降り注ぎ、動きを止められた聖獣へと繋がるのだった。
「生憎、私はあなたやカームみたいに支配生物をゼロから生み出すようなことはできないけれど……一応、支配の功罪を持っているのよ」
その言葉と共に、頭上の巣から伸びる糸と繋がった聖獣たちが解放される。
しかし力で引きちぎったわけではない。拘束していた糸の方が消えたのだ。何故と訝しむ聖女アリアスに――解放された聖獣が襲いかかったのだった。
「なっ!?」
「私の取っておき。この傀儡の糸に囚われたものは、皆私の意のままに操られるの」
【女王蜘蛛の功罪・傀儡の巣】。
事前準備として上空に功罪用の蜘蛛の巣を作り、そこから垂れる糸を対象に付着させることを発動条件とする。
傀儡の糸に繋がった者は意識はそのままに、肉体の支配権をアラフに奪われる。さながら、糸で操られる人形のように女王への強制服従を義務づけられるのだ。
決まれば勝ちといっていい凶悪な功罪であるが、弱点もある。まず功罪の根幹を成す巣を破壊されれば効果がなくなり、更に巣から垂れる傀儡の糸のスピードは非常に遅い。別に何らかの方法で相手の動きを止めておかなければまず命中しないだろう。
加えて、糸を付けられたとしても対象の力量がアラフよりも格上の場合は抵抗される。結局のところ魔力を流し込んで敵の肉体を操るという原理なので、アラフ以上の魔力の持ち主には効果が薄いのだ。
それでも統合無意識から認められた支配者としての功罪なだけはあり、よほどの規格外でなければ付けさえすれば抵抗されることはほとんどないといえる、切り札なのだ。
(ま、まずあの聖女って人間を直接操るのは無理でしょうね。それに、仕掛けを看破されればボスと戦ったときのように糸そのものに当たってもらえない。でも――)
聖女一人ならばなんとでもなるだろうが、召喚モンスターまで完璧に対応することはできないはずだ。
それがアラフの考えであり、事実として正しい。聖女ならば仮に傀儡の糸を付けられても魔力だけで無効化可能だが、流石に召喚した天使や聖獣まで守り切るのは不可能――とは言わないが無駄が多く、そこまでの力を使役するために呼び出した召喚モンスターに裂いては召喚術者としてのメリットを失ってしまうのだ。
「糸――いえ、巣の破壊が鍵……?」
聖女アリアスも流石は歴戦の勇士といったところか、襲いかかってきた聖獣を無事な聖獣で迎撃しつつ、アラフの功罪の核である頭上の巣に目を付けた。
咄嗟に、頭上を吹き飛ばそうと魔力を杖に集めるが――苦々しい表情で、それを中断した。
(ダメ……あの規模の巣を吹き飛ばそうと思ったら、余波で森まで大きく削ってしまう。下手をすれば帝国側に異変を知られかねないほどの規模で……!)
聖女アリアスが原因で王国と帝国の戦争が起きる。それは、人の平和を謳うエルメス教徒としてあってはならないことであった。
アリアス自身はエルメス教国の人間なので、極論を言えば王国がどうなろうとも関係ないとそっぽを向ける立場ではある。しかし、国益云々よりもエルメス教徒として恥ずかしい行いをするわけにはいかない。
それがエルメス七聖人にまで上り詰めた少女の矜持だ。
「――召喚解除」
支配権を奪われた聖獣への対処法として、聖女は悔しい思いを抱きながらも一旦召喚モンスターを消すことにした。
術者の魔力で構成される創造系召喚モンスターは、召喚者が命じればたとえ第三者に支配されていてもすぐに消滅する。与えた魔力は還ってこないが、このような逆利用された際などに備えて自壊させる仕組みを組み込むのは基本だ。
そうして、召喚された全ての聖獣が消滅したのだった。
「ほう?」
「へぇ」
「なるほどね」
その様子を見た三体のウル軍幹部は、それぞれが興味深いものを見たと笑う。
「支配した獣はともかく、他のものまで全部消したわね」
「つまり……彼女の召喚術は、一匹一匹に細やかな指示が出せないと思っていいかしら?」
「同時に召喚したものは同時に全て消える。ということは……」
「召喚させても案外簡単に崩せるかもな」
無敵と言ってもよいほどに破格の性能を誇る神器、神の杖であるが、弱点はある。
その一つである『使役する対象が多すぎて細やかな制御ができない』という弱点を見抜かれたことに、聖女は苛立ちを隠せなくなっていた。
「神のお力である神器にケチを付けるとは――不敬!」
一度召喚したモンスターを強制解除すれば、魔力的には大損だ。
そのはずなのに、知ったことではないと聖女アリアスは再び杖を振りかざした。
「その程度で、この私を攻略できたつもりですか!」
アリアスは、今度は先ほどよりも少数――10体ほどの聖獣を呼び出した。と、同時に更に連続で次の召喚を行う。
10体ずつ、区切りを付けるようにタイミングをずらして複数回連続で召喚を行っているのだ。
「わざわざ区分けして召喚……」
「恐らく、一度の召喚で呼び出した群れを一つの単位として管理しているんだろう」
「そのとおりです。これでもう、先ほどのような手は使えませんよ?」
一度に召喚した群れを一つの塊として認識し、管理する。それが聖女アリアスの召喚管理システムであり、先ほど被害を受けていない召喚モンスターまで消してしまった原因だ。
単純に倒されるだけならばともかく、支配や洗脳と言った残すことで不利になるような術を使われた場合無駄な力を使うことになる原因となってしまう。その対策として、同時に召喚するのでは無く何回かに分けて召喚することで管理グループの枠を増やしたというわけだ。
「いや、むしろやりやすくなったんじゃないか?」
再び軍勢を揃えた聖女に向かって、ケンキが再び突撃する。
当然無策ではない。聖女アリアスが複数回の召喚術を使用していた間、ケンキはぼーっと見ていただけではないのだ。
「腕力強化、脚力強化、自然治癒能力強化、外皮強化……命の道の連続重ねがけ……今の俺は先ほどの倍強いぞ!」
元々高水準の身体能力を誇るケンキの動きが更に強化されていた。
ケンキは聖女が長々と召喚している時間を利用し、魔道による自己強化を行っていたのだ。魔道士としての適正はさほど高くないケンキであるが、元々優れているだけに肉体を強化する術に関しては相性が良い。あまり長時間持たない上に術をかけるのに隙が大きいため、まだまだ実戦使用は難しいレベルであるが、挑発され、自分の術の発動に意識を集中した敵の前ならば問題なくケンキ自身も整えることができたのだ。
「迎え撃ちなさい!」
しかし、いくら強化されたと言ってもやはり聖女は別格だ。
聖女が召喚した聖獣の能力は強化されたケンキであっても鎧袖一触というわけにはいかず、数の暴力を活かされれば聖女の下まで辿り着くのは極めて困難と言えるだろう。
……群れとして、聖獣たちが連携を取る事ができるのならば、の話であるが。
「やはりな!」
「なっ!? そんな……!」
ケンキは手にした大剣を振るい、次々と召喚聖獣を魔力に還していく。
短時間限定の強化を施した今のケンキならば、聖獣相手でも三体までなら問題なく相手にできる。四方八方から囲まれて同時に襲われれば蹴散らすどころか一瞬で絶命させられかねない危険な相手であることに変わりは無いが、ケンキとて元三大魔と恐れられた魔物なのだ。
「やっぱり、思ったとおりね」
「複数のシモベを従えて戦う時一番難しいのは、全体の統率をすること。管理対象を分割してリスクの分散を図ったのは良いけど、その分細部の制御が疎かになっているわね」
ケンキの突撃を後ろから見ていたカームとアラフは、それぞれ軍を率いる者として客観的に聖女の失策を評価する。
確かに召喚を複数に分ければ一つのグループが支配されても全ての手駒を失うことはないかもしれないが、その分全体への命令が出しにくくなるのは自明の理というものだ。
どれだけ強くとも、魔力の繋がりを使って指示を出す――一度に複数の物事を処理する能力というのは、魔力とはまた別のものが要求されることなのだから。
「時間もらったおかげで、私もとっておきのを作れたわ。――【狼王の風撃咆吼】!!」
手勢の管理にまごつく聖女をニヤリと見つめ、カームはとっておきの奥の手を開帳する。
召喚の功罪を解除し、それによって浮いた莫大な魔力の塊を自身の口元に配置。魔王ウルも使った――所謂、長と呼ばれるクラスの魔物ならば誰もが有する咆吼と共に聖女へむけて放ったのだ。
その声量だけで弱い魔物ならば森の外まで逃げ出しかけない大魔の一喝と共に、暴風の砲撃は聖女へ向けて飛ぶのであった。
(私が持つ手札の中では最強の一枚……これであの鎧を抜けなければ、本当に勝ち目が無いわね)
カームが聖女の召喚の時間を使って作ったのは、風の魔力を凝縮した球体だった。
これは嵐風狼としての風を操る能力の応用であり、凝縮した風のエネルギーを自身の咆吼に乗せて放つブレス系の一撃である。
カームが個として放つ技としては最強の威力を誇っており、溜が長い分破壊力は絶大。今までのカームの魔物生を振り返っても、これの直撃を受けて息をしていた者はいない。
群れとしての最強カードが【司令の功罪・魔狼の軍勢】ならば、個としての最強カードが【狼王の風撃咆吼】なのである。
そんな切り札を使ったからこそ……カームは、冷静に見極める。今の自分の力が、目の前の人の形をした怪物に通用し得るのか否かを。
盾となる聖獣をなぎ払い、聖女のもとに風の砲撃が直撃する――