1-6
「……落ち着いたか、シュウ?」
「……ああ」
あれから、どれくらい時間が経っただろう。俺はまだ、レイさんの落ちた穴の辺りに座り込んでいた。
「……そうか。で、どうする? これから」
ヒロの言う『これから』ってのは、さっき俺とレイさんが話してた抜け道についてのことだろう。だが、その前に話さなきゃいけないことがある。
「……この落とし穴」
「ん?」
「この落とし穴の場所は、既に俺が安全を確認した場所だったんだ。それなのにこの罠は俺が最初に通った時は作動せず、なぜかこのタイミングで作動した」
「……お前の勘違いじゃないのか? 実はまだ確認してなかった場所なんじゃ……」
「いや、それはない。あれを見てくれ」
俺は落とし穴から少し先に進んだところを指差した。
「俺の渡した毛糸……じゃあ、やっぱり」
「ああ。俺はあそこまでは安全を確認してた。その目印としてあの毛糸を置いといたんだ」
「じゃあ、どういうことだ? なんで罠は作動した?」
「……さっき」
俺は一度言葉を切った。声が震えているのが自分でもわかる。
「さっき、お前のところまで走って戻った時……かすかだけど、『カチッ』って音が聞こえた」
ヒロの表情が硬くなる。
「たぶん、俺がスイッチを押したんだ」
「なに? おいシュウ、それどういう意味だよ?」
「俺が床に仕掛けてあるスイッチを踏んじまったんだ。その結果、落とし穴が作動した」
「でもそこは、既に安全を確認してたんだろ? それなのに……」
「スイッチを押す強さが関係してるのかもしれない。最初は慎重に進んでいたから罠が作動しなかったんだ。そしてさっきは俺が走ってて、スイッチを強く踏み込んだから作動した」
「いや、でも……」
「俺がっ!!」
自然と大きな声が出た。叫ばずにはいられなかった。
「俺がレイさんを……殺したんだ……!」
「……まだそうと決まったわけじゃない。レイさんだって生きてるかもしれないだろ」
ヒロの慰めが心に刺さる。
「シュウ、しっかりしろ。今はここから出ることを考えるんだ」
「……ああ。そうだな」
口では言ってみたものの、心は全然切り替わってない。でも、それでも俺らは進むしかない。ヒロはそう言っているのだ。
「いいかシュウ。今の話が本当なら、かなりヤバいぞ。認識を改める必要がある」
「……危険なのは、先頭としんがりだけじゃないってことか」
「そうだ。今の話だと、スイッチとは離れたところで罠が作動したってことだろ」
「つまり、どこで罠が作動するかはわからない」
「お前がスイッチを踏んだとしても、後ろの俺らが罠の餌食になったり……その逆で、俺らがスイッチを踏んでお前が犠牲になる、ってことも考えられる」
「はは……なんつー場所だよ、全く」
「とにかく、全員が慎重に進むしかないよな。それとも例の抜け道ってのを探すか?」
「……いや、やめておこう。さっきは作動しなかったスイッチを、もう一度踏んじまうかもしれないんだ。それにこの感じだと、入口からキョウジのところまでに罠がなかったかも怪しい」
「だな。先に進もう」
「……おいヒロ。やっとエンジンかかってきたみたいだな。ようやく頭が働いてきたみたいじゃんか」
「あたぼーよ。俺を誰だと思ってやがる」
「……ふふ」
「へへっ」
ヒロと軽口を叩き合う。おかげで、少し気分が明るくなった。
でも、状況は何一つ変わっちゃいない。
生きて地上に戻れる保証はどこにもない。
抜け道なんて希望は、死の恐怖で塗り潰された。
それでも、歩くしかない。
この死の迷宮をクリアする以外に、生き延びる術はない。
「全員、慎重にな。誰かがスイッチを押したら、別の誰かが犠牲になる可能性もあるんだ」
ヒロが呼びかけるが、誰も答えない。
「……行こう」
沈黙に耐えられなくなった俺が、先陣を切る。進む順番はさっきまでと変わらない。ただ、レイさんがいなくなっただけだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
みんな何も言わない。当然だ、たった一歩で自分、もしくは他の誰かが死ぬかもしれないのだ。みんな肉体的にも、精神的にも疲れ果てていた。
「……分かれ道だ」
慎重に進んでいるおかげか、罠にも遭遇しない。そのまましばらく歩いていると、道が右と左に分かれている丁字路にさしかかった。
「どっちに行く?」
とは言ったものの、判断材料なんて何もない。
「じゃあ……多数決な」
多数決で、俺は左、他三人が右だったので右に進んだ。
「この迷宮、どこまで続いてんだよ……」
罠が作動してないってことは、俺たちの取っている行動は間違いではないということだろう。今までの犠牲によって得られた教訓は正しかったのだ。
「……また丁字路か」
多数決をとる。今度はアカネが右、あと三人が左だった。
「……」
「……」
「……」
「……」
物音一つしない迷宮の中を、俺たちは神経を張り詰めながら歩き続けた。
「……丁字路だ。多数決とるぞ」
俺とアカネが右、ヒロとユミが左だった。
「同数だ。どうする?」
「ぁの……」
ユミがおずおずと喋りだした。
「左の方がいいと思います」
「なんで?」
「なんでって言われても……その……」
ユミはなぜか口ごもる。
「……まあいいや。どっちにしろ確率は同じだしね」
ユミの提案どおり、左に進む。
「はあ……いつまで続くんだろうな。俺はもう疲れたぜ、シュウ。腹も減ったしな」
「大丈夫かヒロ? 少し座って休むか? 非常食でも食べてさ」
「ダメよ!」
急に発せられた大声に、ユミの身体が跳ねる。俺もちょっとビクッとした。
「座った拍子にスイッチが押されたらどうすんのよ!」
「……わかりましたよアカネさん、このまま進みましょう。悪いなヒロ、非常食は歩きながら食ってくれ」
「おーけー……気にすんな」
そして俺たちは、再び歩き出す。
「はぁ……はぁ……」
ヤバい。みんなかなり消耗してる。神経すり減らしながら歩き続けて、もう何時間経っただろう。俺たちは幾度の丁字路を曲がり続けてきたが、行き止まりに当たったことは一度もなく、罠も一切作動しない。俺たちはよっぽど運が良いらしい。多数決ってすごいな……いや、多数決というよりはユミのおかげか。多数決で同数になった時、俺たちは常にユミの選んだ方向に進むことにしたのだ。正直どっちの道を選んでも構わなかったから、妙にはっきり主張してくるユミに従っていただけだったが……いつの間にかそれが、暗黙のルールになってしまった。
「……んなことはどうでもいい。それよりも、この迷宮だ」
一切休憩を入れず、かなりの長時間歩き通しでいる。みんな、とっくに限界は超えているのだ。
「そろそろ終わってもいいだろ……」
そんな風に、今日何度目かもわからない悪態をついた時だった。
「……お」
目の前に曲がり角が見えた。丁字路ではなく、ただの曲がり角だ。
「……」
無言でそれを曲がる。すると、奥に広場らしきものが見えた。
「なんだ……あれは」
逸る心を抑えつつ、俺はゆっくりと通路を進む。
「えっ……! 何よあれ! もしかして出口!?」
後ろからアカネの声が聞こえる。どうやらアカネも曲がり角を曲がり、広場が見えたようだ。出口……そうかもしれない。今まで広場なんてものは、迷宮内にはなかった……最初の広場を除いては。あの広場が入口だったのだから、今度の広場が出口でも何もおかしくはない。
「うわああああああああああ!?」
「なっ……ヒロ!?」
突然、後ろからヒロの声が聞こえてきた。慌てて振り返るが、見えるのはアカネの姿だけだ。曲がり角を曲がっていたのは、俺とアカネだけだったらしい。ユミとヒロは、まだ曲がっていないだけなのだろうか。……ちゃんと、曲がり角の向こうにいるのだろうか。
「な、なに!? どうしたの!?」
アカネもヒロの声に反応し、来た道を引き返そうと走り出そうとした。
「ダメだアカネさん! 走るな!」
「あっ……」
俺がとっさに叫び、アカネを制止した。走ったせいで罠が作動したらたまったもんじゃない。ヒロのことも心配だが、これだけは譲れない。
「ゆっくり、行くんだ」
「わ、わかったわよ……」
俺たちはゆっくりと、そして慎重に、ヒロのところまで戻った。
「ヒロ!」
曲がり角を曲がると、そこには……ヒロが立っていた。
「なによ……あんた、なんともないなら返事くらいしなさいよ」
……いや。正確には。
ヒロ『だけ』が、立っていた。
「……ヒロ」
ヒロは、呆然と床の辺りを見つめている。俺はもう一度、ヒロに呼びかけた。
「ヒロ。……ユミは、どこだ?」
そうだ。ここには、ユミがいない。あの大人しげな少女が、どこにもいない。やがてヒロが、その口を開いた。
「……き」
「き?」
「……消えたんだ」
「消えた……?」
「なんか……急に。『もう十分』とかなんとか言って、すうって……風景に、床とか壁に溶け込む感じで……」
「罠とかじゃ……ないのか?」
「わかんねえよ……ホントに急に、消えた。『落ちた』とかじゃない、『消えた』んだ」
「それ……なんだよ。意味わかんねえよ、それ」
「だから、わかんねえって言ってるだろ! まるで……まるで、そう! 幽霊みたいに……消えたんだ」
「幽霊……だと?」
「とにかく……消えたんだよ」
「そんなバカな……」
到底信じられない話ではあるが、ユミが『消えた』のを見たのはヒロだけだ。俺には何も言えることはない。
結局ユミが消えた理由はわからないまま、俺たちは再び歩き始めた。しばらくすると、さっき俺とアカネが見た広場にたどり着いた。
「ここが……出口か?」
「そう、なのかな……」
「……ひいっ!」
突然、アカネが悲鳴をあげた。
「な、なんだ? どうした?」
アカネは、無言である方向を指差した。その方向を見ると、俺にもアカネの悲鳴の理由がわかった。悲鳴をあげるのも無理はない。そこにあったのは……。
女の子の服を着た、骸骨だった。
「こ……これ……なんだ?」
明らかに異様だった。なぜ、こんなところにこんなものがあるのか。
「なんだって、見ればわかるでしょ。骸骨よ、ガイコツ」
俺たちが戸惑っていると、横から冷静な声が聞こえてきた。この声は……
「ジェニー! どうしてここに!?」
「……もう隠す必要もないか。あたしはね、あのテレビからお宝の話を聞いた時に、誰よりも早くこの迷宮に入ったのよ」
「誰よりも早く……?」
それはつまり、キョウジとアカネより早くという意味か。なんてこった、キョウジたちの騒ぎの時には、既にジェニーは迷宮内に入ってたのか。
「まったく、お宝目指して大急ぎでここまで来たっていうのに……迷いに迷ってたどり着いたここには、あんな古びた骸骨しかない。着てる服は新しそうだけど、大した値打ちはないでしょうし。本当に無駄骨だったわ。せっかくお宝が手に入ると思ったのに」
「……あんたも宝を独り占めしようとしたクチか」
「そうよ、悪い? ところで、人数がずいぶん減ってるみたいだけど……何かあったの?」
この女、可愛い顔してとんだ腹黒じゃないか。なんか、だんだん腹が立ってきた。
「知りたいか、ジェニー。ああ教えてやるよ、今まで何があったか! それはな……!」
「待てよシュウ、今はそんなことどうでもいいだろ。まずは……あれだ」
ヒロが指差したのは、広場の一番奥。そこには、扉のようなものがあった。
「扉……? まさか!」
「ああ、きっとそうだ。……出口だよ」
ついに。ついに俺たちは、ここまでたどり着いたんだ。
「さあ、早いとこ脱出しようぜ。こんなとこ、もううんざりだ」
「開かないわよ、そこ」
ジェニーが口を挟んでくる。
「あたしがとっくに試したもの。でも扉は頑として開かなかったわ。やめときなさい、試すだけ無駄だから」
「そんな……」
しかしヒロは、ジェニーの言葉を一切聞かず、扉に手をかけた。すると……
「……開いた」
「嘘!? そんな、さっきは確かに開かなかったのに……!」
「階段だ……地上への階段だ! やったぞ、外に出られる!」
「や……やった。やったぞぉ! ついに、やったんだ……!」
俺たちは、ついに出口を見つけた。地上に戻った俺たちは、すぐに警察と救急車を呼んだ。そしてすぐに地下迷宮を調べてもらった。もちろん、罠のことは厳重に注意した上で。まだわからないことは多いけれど、とにかく俺たちは生きて帰ってきた。
……でも。それだけじゃ、終われない。
どうしてこんなことが起きたのか。誰がこんなことを仕組んだのか。それを暴いてやらないと、俺の気がすまない。
手がかりは既に出ているはずだ。今までの出来事に、ヒントがある。あとは、足りない情報を集めるだけ。
真相を……暴いてやる。
(次回、解答編)