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「……少しずつ……少しずつ……」
俺は、常に足先を前に出しながら、一歩一歩慎重に歩を進める。少しでも、安全なルートを確保しておくために、できるだけ急いで、でもゆっくりと慎重に、迷宮に踏み込んでいく。もちろん、ヒロから預かった毛糸を垂らすことも忘れない。
「へへ……足が震えてやがる」
一歩踏み出すたびに、ものすごい恐怖を覚える。この次の一歩で、俺は死ぬかもしれない。
「でも……それでも」
俺は進まなきゃならない。一刻も早く、このふざけた迷宮から抜け出すために。
あれから相当歩いたが、まだ罠には遭遇していない。いや、相当歩いたというのは俺の気のせいで、実際は大して歩いちゃいないのかもしれないが、俺にはとても長く感じた。まだ罠には遭遇していないというのも、俺たちが運良く罠を作動させなかっただけなのかもしれない。本当はいくつか罠があったのかもしれない。でもとにかく、俺たちはまだ誰一人欠けることなく歩き続けている。
「ねえ、シュウくん」
後ろにいるレイさんが、急に話しかけてきた。
「シュウくんはここのこと、どう思う?」
「どう思う、って……死の罠が仕掛けられてる地下迷宮、とか?」
「そうじゃなくて……どうしてこんなものがここにあるのか、とかさ」
「え? それは……」
そう言われてみると、考えたこともなかった。今まではこの迷宮からの脱出方法ばかり気にしていて、迷宮自体に考えを向けたことはなかった。
「確かに……なんでですかね。なんで学園の地下にこんな迷宮があるんでしょう」
「あたしはね……これはカタコンベだと思うんだ。知ってる? カタコンベ」
聞いたことはある。確か……地下墳墓のことだったはずだ。
「そうよ、合ってるわシュウくん。カタコンベとは、地下に作られたお墓のこと。じゃあ、こんなことは知ってるかしら?」
「昔のヨーロッパではカタコンベに財宝を隠して、それを盗まれないように迷路みたいに道を複雑にしたり、罠を仕掛けていたことがあるらしいわ」
「それは……完全にここのことですね」
地下にあり、道が迷路のようで、罠が仕掛けられている。そして、宝も眠っている。驚くほど今の状況に合致している。
「ってことは、ここは誰かのお墓ってことですかね?」
「うーん、そこまではわからないわね。財宝を隠すだけなら、誰かのお墓である必要はないわけだし」
「確かに」
「元々あったカタコンベに財宝を隠したのか……それとも、わざわざ財宝を隠すためにこんな地下迷宮を作り上げたのか。そこまではわからないわね」
まあ日本にカタコンベがあるなんて話は聞いたことないけどね、とレイさんは話を締めくくった。
でも、俺にはまだ聞きたいことがあった。
「財宝を取る時はどうするんですか?」
「え?」
「カタコンベに財宝を隠すっていうのは、いつかその財宝を取り出すためですよね? なら、その財宝を取る時はどうやって罠を回避するんだろうって思って。今の俺たちみたいにこんな慎重に進んでたら、日が暮れちゃいますよ」
「それは……罠の場所をちゃんと把握してて、そこだけ慎重に通るとかはどうかしら?」
「うーん……お墓に隠すくらいだから、きっと何代も受け継ぐ宝ですよね。そんなに長い間、細かくて正確な情報が残りますかね? 情報に抜けがあったりしたら、財宝を取りに来ても死んじゃいますよ」
「それもそうかもしれないけど……じゃあシュウくんはどう思うの?」
「うーん……そうだ、どこかに罠のない抜け道があるとかはどうでしょう」
「なるほど……それなら抜け道の入口だけ伝えればいいから、情報に抜けも起きないわね。有り得るかも。やるじゃない、シュウくん」
「え……えへへ」
褒められてしまった。なんだかすごく嬉しい。
「なら、ここにもあるかもしれないわね。抜け道」
「……え?」
待てよ。今の仮説が正しいなら……!
「それだ、レイさん!」
「えっ!?」
「そうですよ、きっとそうだ! ここがカタコンベなら、ここにも抜け道がきっとある! そしてこの推理が正しければ、その抜け道を通れば俺たちも出口まで安全に行けるかもしれない。ついでに、財宝の目の前まで行けるかもしれませんよ!」
俺は歓声をあげた。こんなギリギリの状況だが、一筋の希望が見えてきた。
「抜け道さえ見つかれば、安全にこの迷宮を抜けられる! 脱出できますよ、ここから!」
「確かに……探してみる価値はあるかもしれないわね」
「そうですよね!」
「でも、本当にそんな抜け道があるとしたら、ここからはもうその抜け道に入れないんじゃないかしら」
「えっ? なんでですか?」
「だって、既に罠があったじゃない。ほら、あの槍の罠」
あ。そうか、そういうことか。
「もし抜け道があるとしたら、それは絶対に罠に遭遇しないようなルートにするはずだと思わない?」
レイさんの言う通りだ。宝まで安全にたどり着くための抜け道なら、罠を越えなければいけないような位置に作るわけがない。
「つまり、もし抜け道があるとしたら……最初の広場か、迷宮に入ってから槍の罠のところまでのどこか。そこになければおかしいのよ」
さすがだ、レイさん。今までもずっと思ってきたことだけど、この人は本当に頼りになる。
「戻りましょう、シュウくん。もしかしたら抜け道が見つかるかもしれないわ」
「わかりました。ちょっと待ってください」
俺はヒロから預かった毛糸を地面に置いた。
「これで『ここまでは罠はなかった』って印になります。戻って抜け道がなかったとしても、ここまで来るには気を張らなくてもいいってことです」
「目印ってことね。頼りになるわ、シュウくん」
「ぅえ!? や、やだなぁレイさんほどじゃないですよ」
「いいえ、そんなことないわ。こうして真っ先に先頭に立ってくれたし、頭の回転だって速いし。本当に頼りにしてるんだから」
「……ぁ」
て、照れる。迷宮が薄暗くて助かった。もしここが明るい屋外だったら、俺の顔がゆでダコのように真っ赤になってるのがバレてただろうから。
「お、俺! 先に戻ってますっ!」
俺は急いで後ろへ駆け出した。俺とレイさん以外の三人はかなり後方にいる。あいつらにも、早くこのことを知らせてやろう。
「うふふ」
振り返る直前、レイさんが笑っているのが見えた気がした。それが余計に恥ずかしかった。
「おーいヒロ! あのさ!」
俺はヒロたち三人を見つけ、声をかけた。レイさんは俺を追って、ゆっくりと歩いてきている。
「ヒロ、実はさっきレイさんと話してたんだけどさ。もしかしたら抜け道が……」
俺が後続集団の目の前にたどり着いた、その時だった。
カチッ。
何か音がした。
「え?」
「きゃあっ……!!」
俺の後ろから轟く悲鳴。
この声を、俺は知っている。
なぜなら、この声は。
さっきまで、俺と話していた人の声だから。
「れ……レイさん!」
俺はレイさんの方を振り返った。しかし、そこには誰もいない。その代わりに、さっきまでレイさんがいた場所に、大きな穴があいていた。
「落とし穴……!?」
ヒロの呟きで、俺は何が起きたのかを一瞬で悟った。
「そんな……!? レイさん! レイさんっ!!」
急いで落とし穴の前まで駆け寄ったが、俺が穴を覗き込むより早く、穴は閉じてしまった。間違いない。迷宮の罠だ。ここに、罠が仕掛けられていた……!
「くっそお! レイさん! レイさん!」
叫びながら、何度も床を叩く。だが、床は頑として開かない。俺はキョウジを刺した槍のことを思い出した。一度作動した罠は……二度と作動しない。
『頼りになるわ、シュウくん』
「そ……そんな……」
『本当に頼りにしてるんだから』
「そんな……そんなの、ダメだ……」
誰かに頼りにされたのなんて、初めてだった。頼りにしてると言われるのが、あんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。
それなのに。それなのに、俺は。
そんな人さえ、守れなかった。
「レイさあああああああああああん!!」