HR
気分で書く。プロットは無え。
⑴
「経験が人を成す。記憶が人格を成す。善人であろうと、悪人であろうとそれは変わらん。人生をやり直したとて、人はそう簡単に変われんよ。」
光も闇も音も無い、色も形も何も無い空間に僕は立っていた。いや、それも正確じゃ無い。自分の存在を形として認識できない。そこに無いのにそこに在るような不可思議を感じつつ、声を聞く。目の前の長命としか分からない人の形を模したソレが語る声を聞く。
「勇者になろうとする者もおる。しかし、勇気ある者で無いならそれは叶わん。不遇を嘆き幸福を望む者もおる。しかし、その不遇が自身の行動に起因するならば、やはり世界が変わろうとそれは変わらん。悪質な者に与えられる機会は悪質にしか働かん。」
分かっている。知っている。
それは僕の経験だ。環境の変化に期待して、状況の変化を期待して、何か変われると思うも、自分からは何も変えようとしない。それはそうだ。変わる筈がない。変われる筈がない。
「だからこれは変化のための機会では無い。これは本来成すはずだった形を成すためだけの行為だ。途中で閉ざされた貴殿の道程を、再度歩み直すための機会だ。人は変われぬものだ。変わらぬままに進めばよい。だが、人は決断できる生き物だ。その決断の機会は、誰にでも平等に存在する。故に、貴殿には選択の自由がある。」
声は響く。それはこの表現できない、認識できない理解できない空間にでは無い。それは僕の中だ。声が届き、響き、広がるのは僕の意識の中だ。いや、そもそもが。この世界が僕の意識の中なのかも知れない。それはつまりは、僕の夢か妄想か。
「聞こう。その魂のままに、貴殿は新たな人生で続ける気はあるか?それはこの世界のことでは無い。異なる論理のもと成る世界。異世界でだ。そこで貴殿は貴殿を続ける気はあるか?」
その問い掛けに疑問を抱くことがなかったことに、何ら違和感を感じなかった。それは、自身の夢とも呼べる意識世界の中でのことだと受け入れ出していたからなのかも知れない。だから自身の答えは簡単で冷静で、とても素直なものだった。
「僕は…、受け入れるよ。結果はどうであれ、僕はまだ、生き足りない。」
その返答を聞いた時、人の形をしたその思念体が笑った気がした。それは、予想通りの答えを喜ぶものだったのだろう。それ以上の思惑は読み取ることが出来なかった。もしかしたら、それ以上の何かも含まれたものだったのかも知れない。
だが、それを言及する気も起きないし必要性も感じなかった。自身の答えは、自身の本心からであり、結果は変わらない。
「それでは、貴殿の選択を祝福しよう。今回の不慮の事故、誠に災難であった。すまんがこれはこちらの不手際であったのだ。それにより、十数名の魂は貴殿と同じ道を辿ることとなる。旅は道連れ、世は情けと言う言葉があるらしいな。同郷の者たち同士、情を持って接すればよい。」
言葉には謝罪が含まれ、雰囲気には申し訳なさを纏っているが、その全てには本当の意味での謝罪の気持ちは感じられなかった。だが、それも所詮自身の思考世界の限界か何かなのだと結論付けてしまう。