第02話
さて、こうして僕らの逆襲──もとい、『セツナプロジェクト』は始動した。
一昔前、大手動画サイト『Smile Tube』では、『バーチャルアイドル』と銘打って、二次元イラスト・3Dモデルをモーションキャプチャで動かして架空の存在として活動を展開するコンテンツが大きく流行した。二〇二五年現在では、最初期の勢いほどの新規参入はなくなったものの、多くのチャンネルが登録者数100万人の大台を超えて、今では老若男女問わず世間に知れ渡る一大市場となった。
中には、ユーザーの動画視聴による広告収入に加えて、スーパーチャットと呼ばれる投げ銭システムによって生計を立てるツワモノもいる。もちろんその域に到達するのは一苦労だが、夢のある職業として一時期『小学生のなりたい職業ランキング』にランクインしたこともある。
現在も拡大を続けるそんなバーチャルアイドル業界に、アマチュアながら僕らも参戦しようというわけだった。
ということで。
僕は部室の壁に掛けられたホワイトボードに箇条書きで記入をしていく。
野望成就までの道のりはこれだ!
・3Dモデルの完成
・モーションキャプチャソフトの導入、テスト
・PC上でモデルの動作確認
・動画収録
・動画の公開、および継続的な宣伝活動
以上である。さて、夏休み中にどこまで行けるか。僕はパソコンの画面に表示される完成間近のモデル──改め、『セツナ』をぐりぐりと動かす。
「これ、石田が一から作ったの?」
「3Dモデルは僕だ。元の2Dイラストは別の方に描いてもらってる」
「へえ」
暇なのか、僕のパソコンを覗き込む仮屋……って、ちょっと距離が近くないか? 髪の毛が長いせいで頬に当たるんだ、頬に。
「Pexivって知ってるか? そこにめちゃくちゃ僕好みなイラストを投稿する『はぷり』氏って方がいるんだ。僕にとっては神様みたいな存在なんだが、その人にメールでイラストの依頼をしたら、無償で構いませんよって言ってくれたんだな」
「早く3Dモデル完成させなさいよ、私の出番が来ないんだから」
「ムッ。さては……興味がないな?」
要介知ってるよ。こいつ今つまらなさそうな顔してるもん。
「そんなことないわよ。見ても分からんというだけ」
「なら黙って待っとれや」
まあ確かに、モーションキャプチャの段階まで行かないことには仮屋の出番はない。せいぜいボイストレーニングくらいか。部室は狭いのでやるなら外でやってほしいのだが……、
「嫌よ。暑いし」
「あっ、こら、扇風機を取るな! パソコン冷やさないと熱でもっと部屋が暑くなるんだよ!」
あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"と扇風機にうめき声をぶつける少女。せっかくの美声もダミ声に早変わりだ。
というかこいつ、僕と正反対でコミュニケーション強者だな。初対面の人間と一緒にいて、よくここまで普段通りでいられるもんだ。きっとクラスでは中心人物なのだろう。何組か知らないが。
「……」
対するコミュニケーション弱者の僕は、仮屋を意識しないようにパソコンに向き直って、失われし三時間を取り戻すための旅を始めた。
部室には、僕がマウスをクリックする音とキーボードを叩く音、そして外から聞こえてくる蝉の大合唱だけが響いていた。
以前は物置か何かに使われていたらしいPC部部室は、大きな本棚とボロくさいソファが部屋面積を圧迫し、足の踏み場もないような状態となっている。仮屋はそのソファに寝転がって、つまらなさそうにスマホをいじっていた。
「……」
仮屋を意識しないようにしたいのだが、どうしてもチラチラと目を向けてしまう。同い年の女がこの狭い空間に存在する、というのは男子高校生的に色々と問題がある。
ほら、そうやって足ぷらぷらしてたら太ももとか見えるから。スカート短いんだから。太ももは危ないから早くしまってほしい。
仮屋はイマドキ女子といったチャラついた感じではない。しっかり校則を守って身だしなみも整っており、派手な化粧もしているようには見えない。実にオタク受けのしそうな清楚さがある。油断すると告白してしまいそうだ。危ない危ない。中身がクソ野郎でよかったぜ。パンピーならこの状況を勘違いして告白してるところだ。
とまあ、こんなことを考えるくらいには動揺をしているということである。
「ふぅ────……」
目頭を押さえて天を仰ぐ。
キモいな、僕……。
「進んだの?」
「進捗ゼロパーセントです」
「ならその露骨な疲れたアピールやめたら?」
この! 誰のせいでこんなことになってると思ってんだ! 早くその太ももをしまえ! ばか!
……いや、言い訳をしても仕方ない。集中だ。太もものことは忘れろ。奴は単なる肉だ。何も危なくはない。全然えっちではない。
僕はイヤホンを取り出してジャカジャカ音楽を聴きながら集中力を高め、素早い手つきでセツナたんのスカート丈を数センチ縮めた。
☆★☆
PC部は、文化祭などでパソコンで作った成果物を発表することを活動目的として結成された部活だ。部員は、もともと居た三年生が受験で引退したので僕を含めて三人。新入部員もいないだろうし、来年にはきっと廃部になるだろう。
残り二人は、僕の妹と幼馴染だ。僕がPC部に入部した際に、先輩が「このままでは部員不足で廃部になってしまう!」と泣きついてきたため、無理やり引き込んだ二名である。
妹──石田琴葉は僕の影響で強いオタク成分を持っており、たまに部活へ顔を出す。
彼女は美術部との兼部で、よくタブレットで絵を描いているのだが、恥ずかしがって本気の絵は全く見せてくれない。文化祭などの発表の場ではデジタルの風景画を掲載している。
幼馴染──神楽坂燐は、琴葉とは正反対に正真正銘一般人だ。PC部の活動も全くしておらず、完全に数合わせ要員。
端的に言えば陽キャラ。クラスの中心人物で、チャラチャラとした連中とよくつるんでいる。まさにオタクの対極にある人物。普通なら僕の人生に絶対関わってこないタイプだが……奇妙な縁がズルズルと高校二年まで続いている。
そう、奇妙な縁で。
なぜか彼女は、夏休み真っ只中のこの日に部室へやってきたのだ。
「うぃー、やっぱいたかー」
突然ガチャリ、と開いた扉に僕も仮屋も肩を跳ねさせた。
「お前何しにきたんだよ」
「え? バスケ部の助っ人で練習試合に出てたんだよ。終わったから涼みにきた」
神楽坂燐。女子高生なら誰もが憧れる高い身長と長い足で、モデルのような外見の少女。スカート丈で日夜校則と一進一退の攻防を繰り広げている歴戦の強者。本人曰く、軽く茶色に染められてウェーブのかかったサイドテールが(女の)武器らしい。
運動後だからか、汗に濡れて顔に張り付く前髪を思いっきりかき上げ、第二ボタンまで開けたブラウスをパタパタと扇ぐ。
「扇風機借りるよん──って、ん?」
その段になって、燐は気がついたようだった。
「誰やこいつは?」
「こっちのセリフよ」
燐の定位置であるソファを占拠する女──女帝・仮屋瀬津奈が、キッと睨みつけた。
「え? 要介いつの間に彼女が」
「お決まりのやつをやめろ」
チッ、これだから陽キャラは嫌いなんだ。ワンパターンな回答。捻りが足りないよ捻りが。
「『まさか、ついに理想のヒロインを現実に召喚してしまったの……!?』くらい言ってもらわないと」
「誰が誰のヒロインですって?」
耳聡く口を挟んでくる黒髪ロングを、茶髪ウェーブが宥める。
「まあまあ。要介はいつもテキトーなことしか言わないから。っと、申し遅れたけど、あたし神楽坂燐ね。んで、あなた……このオタクの彼女?」
「あなたこそテキトーなこと言わないで。仮屋瀬津奈。こいつの陰謀に手を貸すことになった協力者よ」
「手というよりは喉だけどな」
「あー、瀬津奈さん。B組の」
どうやら燐は仮屋のことを知っているらしい。燐は交友関係がオーストラリアくらい広い。
僕と燐は二年A組だが、燐は他クラスの事情にも詳しい。これがJK情報網というヤツなのだろうか。
とりあえず僕は、先ほどの出来事を掻い摘んで燐に話した。くるくると髪の毛を弄りながら、珍しいものでも見るかのような視線を投げかけてきた。
「要介があたしと琴ちゃん以外の女の子と話してるの、久しぶりに見た」
失礼なヤツだな。毎日会話してるぞ。高校二十五年生の女の子、石田美咲さんと。今日だって「夏休みの課題は早めに終わらせなさいよ」「ん」って会話したんだから。
「あの、逆に聞きたいんだけど……あなた、このオタクの彼女なの?」
「そう見える?」
「いや全く」
「分かる」
僕も分かる。
「ただの腐れ縁だよー。幼小中高、全部一緒なの。キモいよね」
「キモいわね」
せめて数奇な運命くらいの言い回しで行こうや。
まあ、僕がキモいのは一理あるのでいいか。
とまあ、そんな感じで、期せずして幽霊部員の燐と仮屋の顔合わせが完了した。二人は意気投合、とまではいかないものの普通に喋っている。元々燐が誰とも仲良くなれるタイプなのに加えて、ちょうど都合のいい話題(キモ=オタク)がそこらへんに転がっていたのが大きかった。
僕のキモさで繋がる輪。そういうのがあってもいいのかもしれない。
「あついな……」
室温も暑いし。
僕のパソコンも熱い。
あとなんだか、目頭も熱い。