第7話 優しい人
「……熱線を撃つのを遅らせたのはなぜだ?」
セインが問いかける。対するティアは表情を少しも変えず、
「あなたなら、必ず割って入ってくれると思ったから。それとも、わざと間に合うようにしてあなたの魔力を消費させるため、と答えた方がいい?」
そう静かに答える。セインは納得したとばかり頷き、
「メィリャの命を奪はなかったことについては礼を言う。だがそれでも、闇の帝王、君を許すことはできない。降伏するなら命と尊厳は守ると誓う……と、いつもなら言う所だけど、そうも言えない。最後に言いたいことがあるなら、いまのうちだ」
そう厳しく告げるセインに、ティアは足を止め、ほんのわずかだけ表情を緩めて口を開く。
「あなたが私のことをどう思っているのかは知らないけれど、私はあなたの事、少しは認めているつもりよ。いまさらどちらが正しいかなんて説いてもしょうがないけれど、きっとあなたなら少しは分ってくれてると思う。彼らは人ではないけれど、人でない者達にもその者達なりの暮らしがある。どちらが先に争いを始めたかなんてわからないし、今となっては重要じゃない。争いが起きるのは当然だけれど、今そこにあなたの重んじる正義はない。ただ力による侵略と支配があるだけ。私の命を奪うというのならそれでもいい。けれど私が死んだなら、せめてそこにあるもの、そこで起こっていることを自分の目で確かめて。神の子としてではなく、一人の人間として」
そう穏やかに告げるティアに、セインは厳しい表情を崩さないままながら小さくうなずき、
「いいだろう。君のことは許せないが、その願いだけは聞き届けると約束する。だから、もう消えてくれ」
そう答え、得物を構える。対するティアも、それに合わせて表情を戻し、杖を構える。それを合図に、戦いは始まる。
セインはいきなり聖剣を上段に構えると、その刀身から再び、まばゆい黄金の光が放たれる。
そしてセインの前方にも黄金の光が集まったかと思うと、やがてそこに、身長8メートル程の、洋風の鎧を身にまとい、背中に翼を持った、黄金の光を放つ男性の巨大な天使が現れる。
「闇の帝王! 君がわざわざ我が軍の正面を突破してきた理由は分っている。監獄生活で疲弊した君に、正面からのぶつかり合いをする余裕はないと考える僕たちの裏をかくためだ。だが君は隠しているだけで、実際かなり疲弊している。アルダとメィリャとの戦いでほとんど攻撃しなかったのは、本当はできなかったからだ。だから攻撃をいなして消耗を誘うしかなかった。ならば最初からいなす余地がないほどの全力をぶつければいい」
そう、魔術に詳しくない僕の目にも明らかに本気に見える構えをとる。
その言葉に、ティアは相手を認めるかのようにほんの一瞬だけ表情を緩め、だが次の瞬間には再び引き締めると、杖を両手で地面に突き刺す。
それと同時、足元に広がる巨大な、しかしやはり単純な魔法陣。
そしてその上に浮かび上がるのは、全長約20メートル、翼長30メートル弱、全体的には東洋の龍を彷彿とさせ、しかしやや太い胴体と、それを支える強靭な四肢、巨大な二枚の翼は西洋の龍を思わせる。
美しい薄緑色の鱗に覆われた全身は緑のオーロラのような光に包まれ、顔立ちは精悍でありながら、その瞳はこの世の全てを受け入れるような慈愛に満ちた、圧倒されるほどの龍。
「――まずい……ティアさん」
思わず口を突く彼女の名前。
先ほどアルダの投槍を受け止めた際浮かび上がった龍の腕は、まさしくこの龍のもの。
僕がこの龍の姿を見るのは、7年前のあの日以来、二度目。
そしてこの龍が術の行使者にどれほどの負担を強いるものか、僕はこの身をもって知っている。
だからこそわかる、早く止めなければ、ティアの命が危うい。
――だがどうしてティアの命を心配する必要がある? 彼女は大切な人の命を奪った敵ではないのか? 元の世界に帰りたくはないのか? なぜそんなリスクを背負う必要がある?
とっさに脳裏をよぎる考えに答えを返すことができないでいるうち、視界の先の龍の翼が薄緑色の光を放つと、開かれた顎に、蒼い火球が形成される。
対するセインの前方の天使もまた、同様の聖剣を光で生み出し、セインの動きに合わせるように上段に構える。
「――かつて人間の古代文明を滅ぼしたという緑光の魔女の力か。忌まわしき……」
ティアの龍を睨み、セインがそう続けようとしたその時、
「彼女の事を!」
突如セインの言葉を遮り、戦場を劈くティアの叫び。
「――彼女を魔女と呼ぶことは、私が許さない!」
それまでその涼しげな表情をほとんど変えなかったティアが、その形相を怒りと悲しみにゆがませ、感情をむき出しにして叫ぶ。
そんな彼女の声が、事情を知る僕には、世界の全てを、自分自身をすら噛み殺してしまいそうなほど悲痛に聞こえる。
だが事情を知らないであろうセインは、闇の帝王の突然の豹変に驚きながら、しかしすぐに表情を戻すと、
「闇の帝王、お前もその力も、ここで滅ぼす!」
言葉と同時、放たれる蒼い熱線、セインの動きに合わせ、振り下ろされる彼と天使の聖剣。
直後ぶつかり合う蒼と黄金の輝き。
巻き起こる結界の中にも伝わる程の衝撃と風圧に、周りを取り囲む将兵は立っていることもままならず、ただひたすら必死にその場に身を伏せる。
それと同時放たれる目がくらむほどの猛烈な閃光の中、それでも必死に目を開けば、その視界に映し出される、熱線と聖剣が激しくしのぎを削る光景。
蒼の熱線が黄金の聖剣にぶつかりその刀身を溶かすようにオレンジに染め上げ、圧力で湾曲させる。
聖剣に弾かれ分れた熱線があらぬ方向へ乱れ飛び、大地を溶岩のように溶かし抉り、はるか遠く山肌を赤く切り裂き、地に落ちた流星がまた宙へ帰るかのようにはるか上空へ駆け昇り、厚い暗雲を貫き、群青に染まりつつある夜の空を蒼白く照らしだす。
対する天使は必死に熱線を受け止め、刀身で弾き、裂き割りつつ前進しようとするが、逆に押され、必死に踏ん張る足先が大地を削り、なお滑って後退していく。
だが僕は知っている。
熱線がセインの聖剣を押し切らない限り、この攻勢は10秒と続かない。
そう視線をティアに送れば、そこにはそれまでにない苦悶の表情を浮かべ、声にならない叫びを上げる彼女の姿。
――こんなところにいる場合じゃない。早く、早くティアの元へ。
先ほど自問に答えを出せないでいることも忘れ、理性が呼び止めるより早く立ち上がり、棒を両手に大きく息を吸い、結界を睨む。
と、その一瞬、聖剣に弾かれ逸れた熱線が結界をかすめ、その余波で結界が大きく揺らぐ。
――今しかない!
吸い込んだ息を、声にならない叫びと共に体の内で爆発させ、渾身の突きを放つ。
瞬間、手元に伝わる、分厚いガラスの割れるような音と手応え。
砕け散る光景もまた、ガラスの砕け散るそれそのまま。
直後襲い掛かる、それまで結界が防いでいた、熱線と聖剣のぶつかり合いで生じる衝撃と風圧に体が押される中、僕は再びティアを睨み、全身に力を込め、再び渾身の力で地面を蹴る。
猛烈な逆風に逆らい、ただひたすら、彼女めがけて地面を蹴る。
一分一秒を争う状況が、僕に焦れと叫ぶ。
瞬く間に切れる息、脈打つ鼓動、間に合わない息継ぎに困難となる呼吸、それでもじれったいほど進まない体。
だがこんな時こそ、ひたすら冷静に。
そう余計な小細工をせず、ただひたすら全力で体を動かせば、目指す彼女の前に立ちはだかる、天使と龍のぶつかる戦場。
安全を選ぶなら迂回だが、そんな余裕はないと本能が告げる。
――死ぬかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎるのと裏腹に、僕は迷わず賭けに出る。
そうして彼女に向かってただ真っすぐに、同時に戦場のど真ん中に向かう僕のたった数メートル脇を、聖剣に弾かれた熱線が駆け抜け、猛烈な熱風が肌を焼く。
火傷の激痛、息継ぎを求める体に歯を食いしばることしかできない中、それでも足を止めず彼女に向かい、天使と共に聖剣を振るうセインの隣を駆け抜ける。
「君!? どうして?」
駆け抜けた直後、後方からかけられるセインの声、その直後、
「――緑!?」
前方から聞こえるティアの、それまでと全く異なる、動揺し、揺らいだ声。
視線を向ければ、そこには驚愕と恐怖の入り混じった蒼白な表情を浮かべた彼女の姿。
直後、彼女の操る龍もまた、彼女の感情が伝染するかのように大きく揺らぎ、放つ熱線は乱れ、蒼く収束していた熱線は収束を弱め太く広がり、色は赤く染まる。
「今だ!」
後方から聞こえるセインの叫び、直後戦場を切り裂く斬撃音。
それはきっと、弱まった龍の熱線を天使が切り裂いたもの。
だが振り向きそれを見る余裕はない。程なく、色を薄くし、消えていく龍。それを横目に、僕はひたすら彼女に向かう。
「来ないで!」
ティアまで残り数十メートル、彼女は蒼白な表情のまま僕に杖を向ける。
すでに息は切れ、速力は落ち、体力は切れる寸前だが、僕は足を止めない。
だが直後、彼女はその表情をセインと対峙した時の真剣なものに戻すと、その杖先を僕の足元に向け魔法陣を浮かび上がらせる。
次の一瞬、本能的に足をとめた僕の数メートル先の地面を薙ぎ払う蒼い熱線。
だがそれは先ほどメィリャに向けて放たれたものと比べれば、あまりに弱いものだった。
気がつけばティアまでの距離はわずかに五メートル程。
たたずむ彼女に視線を送れば、そこには僕以上に大量の汗を流し、肩を上下させ激しく息を切らす彼女の姿。
そして数秒の後、彼女は崩れ落ちるように地面に膝を突く。
その体は監獄で再会した時よりもいっそうやつれ、やせ細っていた。
あと5秒も遅ければ、彼女はミイラのようになって倒れていたことだろう。
それでも彼女は杖先を僕に差し向け続けているが、それも気力で持ちこたえているだけのようだ。
昨日から空を覆っていた暗雲が晴れ、夜の闇に包まれていた空も今や群青に染まり、薄闇に包まれた地上の世界を、地平線の向こうからこぼれ出す光が徐々に明るく照らしていく。
「――私を殺す気は……ないようね」
息も絶え々(だ)え、絞り出すように必死にティアは言葉を続ける。
「言ったでしょ、自分の犯した過ちの大きさに気付いて、って……それともまだ、気づけない?」
再び告げられる言葉に、僕は沈黙を守る。
もちろん考えていた。
僕の行動が世界を滅びの瀬戸際へと追いやり、人々を恐怖のどん底に叩き落してしまったこと。
せっかく帰ることができた元の世界を再び去り、家族や友人、大切な人たちをおいてきてしまったこと。 そう、それは間違いなく、僕の大きな罪だ。
「――少しは気づいているようね。でも足りない。せっかく帰ることができた元の世界、大切な人を捨てて来てしまった罪、それだけで十分、許され難い事。でも今ならまだ間に合う。さあ」
そう言って、彼女は握っていた杖を離し、両手を広げる。
全く無防備、そこに闘志は一切なく、ただ本当に疲弊し尽くし、全身傷だらけの、か弱い女性の姿がそこにあった。
「……僕を呼んだの、ティアさんだよね?」
絞り出した言葉に、ティアはほんのわずか表情を揺らし、しかし表面上は平静を保ったまま、
「――それは……あなたを利用するため……」
そうさらに続けようとした言葉を、
「嘘だ!」
僕はあえて遮る。
今度こそ、ティアはその表情を曇らせる。
僕は構わず続ける。
「僕を殺す機会なんていくらでもあった。勿論、理由も。なのにそれをしないどころか、僕が死なないように守ってくれた。僕を利用するためだとティアさんは言うかもしれないけれど、絶対に違う。龍の熱線が僕をかすめるのを見て、熱線を撃つのそのものをやめてしまったし、さっきもわざわざ足元を狙わず、僕に直撃させればすんでいた。ティアさんに僕を殺す気はない。むしろ僕を殺さないようにしていた。それだけじゃない。あれだけ激しい戦いだったのに、僕の見る限りティアさんは誰も殺していない。あれだけの戦闘で、間違いなくティアさんを殺そうとしていた奴らを相手に。普通やろうと思っても出来な――」
そうまくしたてる僕の言葉を、しかしティアは静かに遮る。
「それも含めて全部、セイン達とあなたを引っ掻き回すための策だった、ただそれだけ。敵兵を殺さなかったのは、わざと逃がして陣形を崩し、そこに付け入るため。あなたを生かしておいたのも、あくまでアイのため、彼女が命を懸けて守ったあなたの命と、元の世界での幸せに免じての事。でもあなたがその自覚を持たず、あまつさえそれを捨てるというのなら、生かしておく意味はない」
そう彼女は強く言い放ち、静かに僕を睨みつける。
僕にもティアにも、お互いを恨み、殺しあう理由はいくらでもある。
ティアが僕を殺さない理由には合点がいった。
だが僕はどうか? なぜそうしないのか?
思いが心の底から浮かび上がれば、同時に自然と口が開き、そのまま言の葉となって紡ぎだされる。
「嫌だよ……ティアさんを殺したくなんてないし、このまま殺されるところなんて見たくないよ。誰かを殺す度胸も気持ちも、僕にはない。それを黙ってみているのも嫌だ。ティアさんじゃなくてもそうかもしれないけど、ティアさんならなおさら、もっと見たくない。僕はティアさんを恨んでなんてない。僕はアイの他に、ティアさんほど優しい人を、見たことなんてないよ。僕は……僕はアイやティアさんの様な優しい人がこんな風に辛い目にあって、殺されてしまう所なんて、もう見たくないよ……」
声は自然と震えて、心の底から湧き上がる何かに、体全体が熱くなるのを感じる。
その一瞬、彼女は何かに気付いたようにはっとした表情を浮かべ、数秒の内それを、過去を懐かしむように柔らかく緩ませる。
「――そっか……あの時アイは、私や緑をこんな風に……だから……」
地平線からこぼれ出たかすかな光が薄闇を払い、顔を上げたティアの容貌をほのかに照らし出す。
彼女は最初、やはり疲れ切った白い表情を浮かべ、だが一瞬の後、かすかな笑みを浮かべる。
疲れが色濃く出ていても、それは僕が初めて見る彼女の正真正銘の笑顔。
そして同時にそれは、7年前のアイが最後に僕にくれたそれと重なる。
「――ありがとう」
ティアの唇からもれ出たかすかな、でも暖かな息が耳を撫でる。
それ程の距離だというのに、紡がれた言の葉は、僕の元まで届くのもやっとというほどかすれて、散る花弁のように美しく、儚げに空を舞う。
全身傷だらけのやせ細った肢体。
薄い赤を帯びた美しい白銀の髪の毛先から泥の黒と血の赤の入り混じった赤黒い滴が大地に滴り落ち、あるいは磁器のように透き通った、生気のない白い肌を伝う。
その表情は疲労と激痛にゆがみ、黒い瞳は光を失い、底なしの闇の深淵を映す。
そんな彼女の傷だらけの白く華奢な腕が、今にも折れてしまいそうな細く弱々しい指が、かすかに震えながら僕の方へ伸びてくる。
ティアの紡いだ言の葉は僕の心をつかんではなさず、体は自分のものでないかのように、呼吸をするのも忘れて、まるで時間そのものを止められてしまったかのように動かない。
いや、違う。僕自身が無意識のうちに、ここから動くことを拒んでしまっているのだ。
――なぜ?
自身の投げかける問いに答えを返すより先、視界の先の彼女の半ば死んだような瞳に、ろうそくに灯されるそれのように弱い、だがその身の内に潜む闇を映したような黒い炎が灯り、ゆらめく。
次の瞬間何が起こるのか、僕は直ぐに理解した。
刹那、ティアの瞳に灯った炎に、感情という油が注がれ、ろうそくに灯されるそれのように弱かったものは、瞬く間もなくその瞳に収まりきらぬほど大きく熱い、蒼い火柱となる。
そして僕に伸ばされつつあった白く華奢な腕は、突如向きを変え彼女自身の懐の内に伸び、細く弱々しい指が、その中に隠していた何かを強く握りこむ。
勝負は一瞬、あれから7年、鍛え上げた技と力、己の全てを今この時、この刹那にかける。
そう、吸い込んだ息と共に覚悟を飲み込み、左足をつま先が外を向くようさりげなく踏み出し、体勢が崩れる寸前のところまで重心を前に出し、得物を握るその手と指、さらに全身に余すことなく気を巡らせ、神経を集中させる。
次の瞬間、ティアは懐の内に隠していた刃を抜き放つと、その柄を華奢な両の腕で、残りの力の全てを振り絞るように握り締め、血を吐くような、あらんかぎりの叫びをあげる。
そうして向けられる彼女の瞳に映る、この世の全てを焼きつくさんばかりに強く、熱い決意の炎が、僕には肉食動物に追い込まれた草食動物の、おびえながらも勇気を振り絞り、非力な力でそれでも必死に、健気に立ち向かうそれに、重なって見えた。
次の一瞬、地平の彼方より差し込む光が照らす世界に重なる二つの影。
わずかに残った薄闇に舞う赤い滴が、物語の終わりと始まりを告げるのだった。