第5話 闇の帝王
そこは見渡す限り天幕やかがり火、洋風の鎧に槍や弓で武装した兵や騎兵、ローブを身に着け杖を持ったいかにも魔道士という風貌の者達によって埋め尽くされた大草原。
その広大な陣営の中心の高所、先ほどの三人の他、指揮官か将校らしい飾りの目立つ武装を身に着けた者達の多数集まる本陣の中に止められた、馬4頭立て4輪の馬車の上、半透明かつ球体のガラスのような結界の中に、僕はいる。
今は深夜、詳しい時刻は分らないが、あれから7、8時間ほど経過し、日付をまたいでしばらくのように思われる。
おかれている状況は護送中の囚人ようだが、建前上は僕を守るため措置らしい。
待遇も悪くなく、傷の手当てを受け、結界内に用意された簡易式ベットで休息を取らせてもらい、食事も十分与えられている。
ではなぜこのようなことになったのか、時間を巻き戻す。
「闇の帝王を倒すには君の力が必要だ、協力してほしい。」
セインは年の差をまったく意識しない上から目線ながら、そう真剣に、そして真摯に言った。
それは全く裏表を感じさせないもので、僕はひとまず彼の話を聞くことにした。
セインの説明によれば、闇の帝王、つまりティアが南の島々に根を張る闇の勢力をまとめ、闇の帝王として力を振るい始めたのは3年程前からだという。
それまでにも中央大陸に根を張るセイン達人間と神の国、大光神国と、南の島々の闇の勢力との間では度々(たびたび)大きな争いが起こり、多くの死傷者が出ていた。
だが闇の生物や魔物は体格や力に優れるものは多くとも、知能で人間に匹敵するものは少なく、さらに闇の勢力同士でも確執があり勢力として一つにまとまっていなかった。
このため大光神国は闇の勢力を度々退け、大きな脅威とはなっていなかった。
ティアがどのようにして闇の勢力をまとめたのかはわからない。
だが彼女が闇の勢力をまとめ上げ、作り上げた闇の大帝国は、優れた戦略と戦術で度々(たびたび)大光神国を打ち負かし、大きな脅威となった。
そのため大光紳国はセイン達を大将とした大軍勢を南に派遣し、大きな犠牲を払った末にようやく彼女を捕えることに成功し、大監獄を築いて彼女を封印した。
この大監獄には、闇の帝王の力を封じ込めるために物理、魔術両面から最高クラスの防御が幾重も施されており、いかに彼女といえど簡単に破れるとは考えられなかった。
だが彼女は何らかの方法で召喚魔法を行使し、僕をこの世界に呼び出した。
召喚された者は術者の技量や召喚方式、最初の契約などにも左右されるが、基本的には術者に従順であり、その命令に従うか、命令がない場合でも術者の利益になるように行動しようとする。
「きっと君は闇の帝王を救うことに何の疑問も抱かなかったと思うけど、初めから君は闇の帝王に操られていたんだ。だから君自身に罪はないし、見たところもうの呪縛からは解き放たれているようだから、そちらも安心していい」
セインはそう、穏やかな表情で僕を安心させるように言う。
だがほかの二人はそうではなかった。
「多くの犠牲を出しながらようやく捕えたんだ。それを……!」
戦士は怒りを全く隠さず僕を睨み、セインは戦士に同情的な表情を浮かべながらも、僕には手を出させないように制止する。
「つまり僕は、あなた方が多くの犠牲をだしながらようやく封印した彼女……闇の帝王の封印を解いてしまった犯罪者……ということでしょうか?」
僕が恐る々る尋ねると、戦士とセインが口を開こうとし、しかしそれより早く、二人の後方にいた聖女が、その美しい容貌をゆがめ、
「犯罪者? そんななまぬるいものじゃない。世界を再び滅びの瀬戸際に追い込んだのよ。本来なら、知らなかった、利用されただけ、で済まされることではないわ」
そう、刺すような目つきと声で言い放つ。そんな聖女の様子に、セインは一瞬驚いた表情を浮かべた後、
「メィリャ」
咎めるように、聖女の名と思しき単語を口にする。
「……あなたは優しすぎる」
メィリャは最後の抵抗とばかりそう呟いて、しかしそれ以上は何も言わず口をつぐむ。
セインはそれを確認して、一瞬彼女に同情的な表情を向けた後、再び僕を見、
「まあ確かに、君はこの世界の人々にとっては、世界を再び滅びの瀬戸際に追い込んだ大犯罪者。この場で殺されてもおかしくない。けれど君は知らず知らずのうちに闇の帝王に利用されただけだ。君自身に罪はない。ならそれで君を断罪するのはおかしいだろう? だから僕は君を殺さないし、君を殺そうとする者がいたら、僕が君を守る。約束する」
僕を安心させるように笑顔で告げ、しかしそこで表情を真剣なものに戻す。
「その代わりといってはなんだけど、君には闇の帝王を倒すために、ぜひ力を貸してもらいたいんだ。とわいえ、わずかの魔力も持たない君に、闇の帝王と直接戦えなんて無茶を言うつもりはない。そんなの死ねといっているようなものだしね」
セインはそう、最後の部分だけ冗談めかして言う。と、後方から、
「本当にそうしてもいいぜ、奴に背を向けた瞬間叩き殺してやるからな」
戦士がそうすかさず横やりを入れ、セインが再び彼を睨む。
今度こそ、戦士は完全に黙り、視線を逸らす。
セインは一度溜息を吐くと、再び真剣な様子で話し始める。
「君にしてもらいたいのは、これから僕たちと行動を共にしてもらうこと。ただそれだけだ。闇の帝王は魔力を隠すのがとてもうまくてね、普通の索敵ではどれだけ人数をさいても容易に補足できない。だが召喚した術者とされた者は深く結びつき、近いうちに必ず再びめぐり合う特性がある。例え術者の呪縛から解き放たれたとしても。君さえ僕たちのそばにいれば、奴は向こうから必ず現れる。
君には、施しうる最高の結界を施した馬車に乗ってもらう。戦いの最中もずっと結界の中にいるだけでいいし、いざとなったらそのまま馬車に乗って逃げてもらう。君を失って一番困るのは僕達だ。だから君の身は必ず僕たちが守る。父上、いや、大いなる光の神より賜ったこの聖剣にかけて」
そう言って、セインは腰に下げた長剣を視線で示す。
白銀の鞘に納められた聖剣は、刀身と柄、棒状の鍔が十字に交わるところに赤いひし形の水晶体がはめ込まれ、柄の先端には獅子の頭の意匠が施された、いかにも豪奢なものだった。
さらにセインは続ける。
「それにこれは君にとっても利のある話だ。なぜなら君が闇の帝王に殺されなかったのは、君があの時点では闇の帝王にとって有益な存在で、かつ召喚時の契約上手を出せなかったからだ。だが闇の帝王の呪縛から解き放たれた今の君には、同時に召喚時の契約もあてはまらない。つまり闇の帝王にとって今の君は、自身の行動の自由のためにも、最優先で抹殺しなければならない存在ということだ。
それと今回の君の場合、元の世界に帰る手順の一つに、召喚した術者の死、というのがある。つまりもし君が元の世界に帰りたいと思っているのなら、どのみち闇の帝王の命を絶たなければならないということなんだ。もしこのままこの世界にとどまりたいというのなら、そのための術式を施してあげてもいい。その場合でも結局、闇の帝王を倒さなければ、君が安心して暮らせる日は来ない」
セインの話に、僕は前回この世界に来た時のことを思い出す。
あの時も確かに、僕が元の世界に戻ったのは、僕を召喚した人が死んだまさにその瞬間だった。
とすれば彼の話は真実である可能性は高い。
その瞬間脳裏をよぎるのティア姿、次いで元の世界に残してきた大切な人達、そして7年前守りきれなかった大切な人、アイ。
セインの話は要するに、僕にティアを誘う囮になれということだろう。
そして彼らがティアを倒してくれれば、僕は元の世界に帰ることができる。
大切な人の敵なのだ、ためらう理由などない。
そのはずだ。
そう心の中で呟くが、その一方、言いえぬ不快かつ複雑な感情が脳裏を渦巻く。
だが、彼らの話が全て真実かどうかは分らないにしても、彼らは僕の事、そして今ここで起こったばかりの出来事についてかなりの部分を把握しているようだ。
それほどの相手に逆らうのは明らかに危険だし、これまでの話の流れからするなら、従う方が自然だ、ここは流れに身を任せてみよう。
だがその前にひとつ解決しておきたい疑問がある。
「話は分かりました。協力させていただきます。ですがその前に一つ聞きたいことが。ティア……闇の帝王は僕の知る限り、7年前のテル国で起こった戦争の際、テル国の総将軍をしていたと思うのですが、それからいったい何が……?」
そう記憶を頼りに尋ねる。と、三人は明らかな驚愕の表情を浮かべ、代表してセインが口を開く。
「――これは……驚いたな。父上はすべてお見通しか。そう、その通り、闇の帝王はかつてのテルの総将軍その人だ。だが戦いの後、捕虜となった奴がどのようにして南に渡り、闇の帝王の座に上り詰めたのか、それは僕達にもわからない。父上なら存じているかもしれないが……」
そうセインが言ったその時、塔の階段から、先ほど城壁の上で戦闘の指揮を執っていた者と思しき指揮官が瓦礫を押しのけて現れ、3人の足元に駆け込みひざを折る。
「殿下! 申し訳ありません!」
開口一番叫ぶその者に、戦士は厳しい表情を、聖女は一見慈愛に満ちた、しかしどこかつくられたような笑みを、セインはただ真剣な眼差(まなざ」)しを向ける。
「損害と周辺の軍の動きは?」
セインは必要最低限の返答を求めるように短く、鋭く問いかける。
対する指揮官は息を切らし、疲労にあえぎながら、それでも必死に答える。
「守備兵に死者はおりませんが、転倒などによる負傷者多数。また守備兵の約半数が逃亡を図り、残っているのは三千ほど。また中央塔は大破。監獄機能を喪失。復旧のめどは全く立っておりません。
周辺の軍にはすでに通達を。神都の市民の一部はすでに異変を察知、防衛隊は情報封鎖と混乱を抑えるのに躍起になっている様子。予備軍と練成軍、前線から一時休暇で戻っている竜第8、第15連隊が緊急招集され出撃準備を整えていますが、やはり逃亡兵が多く出ている模様。城塞都市ティルスは情報封鎖が成功し、市民にはまだ感づかれていないようですが、時間の問題かと。しかしタウル城塞とミナ平原航空基地は逃亡兵も少なく、間もなく出撃準備が整うとのことです」
指揮官の返答に、セインは頷くと他の二人に視線を向ける。と、まず戦士が口を開く。
「練成軍は勿論、兵站担当の象連隊は足手まといだ。このまま待機させた方がいい。神都防衛隊と航空隊は、まあ神都防衛を理由に出撃を拒否するだろうな。予備軍も内地のぬるま湯に長くつかって期待できない。となれば竜第8、第15連隊にタウル城塞とティルス守備兵の一部、それにミナ平原の航空隊が頼りだ。全部合わせて兵三万、航空隊が120ってところか」
戦士がそう言うと、付け加えるように聖女が口を開く。
「教会と魔術学校には私から声をかける。魔道士四、五十人は集められると思う」
聖女のその言葉に、セインは頼むと頷き、口を開く。
「三万、といってもすぐに動けるのはごく一部。夜までに集められるのは一万前後といったところか。だが、やるしかない。
指揮官! 監獄には守備兵500のみを残し、残る全軍に急ぎ出撃命令を。また各軍はエミーレ草原に進軍、合流するよう通達を。いいか、これは世界の滅びの危機に非ず、闇の帝王を完全に葬り去るために神の与えてくださった千載一遇の好機。今夜中に決着をつける!」
セインはそう、獅子のように雄々(おお)しく宣言する。
指揮官はただ必死に頭を下げてそれに従い、通達を出すためその場を去ろうとし、だがそれを再びエスカが呼び止める。
「指揮官、彼に五芒星級防護馬車を用意してくれ」
セインはそう告げ、指揮官に僕を指し示す。
と、それまで僕の存在に気付いていなかったのか、指揮官は僕を見るなり化け物を見るかのように、瞬時に表情を蒼くする。
「でっ、殿下。そっ、その男は危険です! 白星鉄の棒で一叩きしただけであの白龍を昏倒させる化け物ですぞ!」
指揮官が慌てた様子でセイン達に訴える。
と、3人はキョトンとした表情を浮かべ、だが数秒の後、戦士は腹を抱えて、聖女はクスリと、セインは笑いをこらえきれないように、それぞれ笑う。
「魔力を一切持たないやつが龍を倒す? どこの世界の話だそりゃ!?」
先ず戦士がそう言い放って再び高笑いし、セインも笑いをこらえきれないまま続けて、
「しっ、指揮官。僕は現場の報告は基本信じるよう努めてはいるが……さすがにそれはないな。そもそもあのクラスの龍は、最高クラスの魔法でないと撃破は困難だ。それを魔法なしでなんて、それこそ僕やアルダのような、かつて失われた魔術を一切用いない戦闘術を習得し、それ用の優れた武器を扱う者でもできないことだよ。まして武器らしい武器でもないものの一撃でなんて、夢物語さ。仮にその話が本当だったとするなら――そうだな、闇の帝王の魔法による補助、というより、帝王の攻撃が命中するのとたまたまタイミングが合っただけじゃないかな」
そう告げる。3人の様子からするに、少なくとも僕が一撃で龍を倒したとは少しも考えていないようだ。
僕自身、あの龍を一撃で昏倒させたことについてはいまだに信じられないし、ティアの力、と考えた方が確かに自然なような気がする。
彼女が魔法を使った気配はわずかもなかったが。
指揮官も僕と思いは同じだったのか、3人が笑う様子を見ても半信半疑といった様子で、しかしそれ以上言葉を発することなく、僕を恐怖の表情で一瞥したのち、逃げるように去っていく。
セインはようやく笑いをこらえると、再び僕を見、
「すまない、話がそれたね。協力感謝する。それと何か願いや質問、欲しい物があるなら遠慮なく言ってくれ。丸腰が不安なら、武器や防具でもいい。それなりのものを用意してあげられるよ」
そう柔和な表情で告げる。
その言葉にまず脳裏をよぎる、弓道で用いていた和弓。
だがあからさまに武器を要求しては不信感を持たれかねないし、セイン達の装備が洋式なことを考えると、そもそも和弓を用意できる可能性は低い。
何も要求しないというのもありだが、丸腰のままはやはり不安だ。
となればあからさまな武器とまではいかないもので、得意の得物。
「それでは……僕の背丈より少し長いくらいの、頑丈な棒などありますでしょうか? 」
そう言ってから、理由を聞かれた場合の答えを慌てて考える。
だが杞憂だったようで、セインは涼しい表情のまま、
「確か警吏が使う防護杖に、長くて頑丈なのがあったな。多分ここにも少し用意されてると思う。分った、すぐに手配しよう。もし気に入らなかったら言ってくれ。他には何かないか?」
そう言い、僕もそれ以上は要求しない。
それを確認したセイン達は、あとからやってきた兵士に僕の案内を任せ、あわただしく去っていく。
そのあとはただ、やってきた兵士の指示に従うまま、用意された棒を受け取り、馬車に乗り、セイン達や無数の武装した兵と共に草原に赴き、今に至る。
ちなみに馬車がわざわざ本陣の中におかれているのは、僕が敵として警戒するに値しない存在と判断されているのと、闇の帝王の奇襲に備え、常にセインの目の届く範囲に置くためらしい。
時間を戻す。
「報告! 森林奥地にて、闇の帝王らしき人影を補足、現在二個索敵中隊が追跡中とのこと」
本陣に飛び込んできた、伝令と思しき兵が興奮した様子で叫ぶ。
だがそれと対照的に、本営のセイン達や将校は落ち着き払った様子を崩さない。
そのうち中年の将軍の一人が口を開く、
「殿下の予想通り、これは闇の帝王の囮でしょうな。我々が周辺で動かせる兵約3万のうち、現時点で集まっている兵は八千程。しかもこのうち半数以上が前線に布陣し、この平原に布陣しているのはわずかに三千強。時間がたてばたつほど兵が集まり不利になることを知っている奴ならば、囮を前線の部隊の前にちらつかせ、食いついたタイミングで本物が必ず本陣を突いてくる」
将軍の言葉に戦士が腕を組んで頷き、
「闇の帝王は強大かつ狡猾だが、だからこそ自分の能力を過信している。本陣に隙があるならば、例え一人でもそこを力で破りに来る。だがそれはセインの手の内、前線に配備された部隊は予備軍等、内地のぬるま湯に長くつかった数だけの集団。対してこの本陣は、前線からの帰還兵や魔道士で編成された精鋭部隊。数だけの烏合の衆とは訳が違うって寸法だ」
戦士の言葉に、他の者達も大いに頷き、口々にこの作戦を立案したセインをほめたたえ、中には、この戦もらった、とまで言い出すものすらいる。
だがそんな中で、作戦を立案した当のセインだけが真剣な表情を崩さない。
僕もまたひしと伝わる冷たい予感に、用意してもらった棒をぐっと握りしめる。
すると程なく、別の伝令が血相を変えて飛び込んでくる。
「もっ、申し上げます! ぜっ、前線部隊、現在闇の帝王の奇襲を受け目下防戦中! すでに獅子第17連隊が敗走。さらに後方の第18連隊の陣も敗残兵の収容中、敗残兵の集団にまぎれた闇の帝王の付け入りをゆるし混乱中!」
伝令の報告に、打って変わって言葉を失い、凍りつく面々。
決戦の火ぶたは、こうして切って落とされた。