第4話 矢雨
次の瞬間、頭上から連続して、というよりほとんど合わさって同時に響きわたる、硬いもの同士が激しくぶつかり、連続して弾かれ地面に散らばる音。
大粒の霰が屋根に弾かれるのを大きくしたようなそれは、最初に激しく、その後も断続的に続く。
だがしばらくたっても僕の体に矢が突き刺さることはない。
――どうなっている?
そう恐る々る目を開け、顔を上げる。
と、その視界に映し出されるのは、無数の矢が飛び来る中、矢の雨が放たれる前と全く変わらない様子で龍の背に乗り、周りを取り囲む大軍勢を、むしろ威圧するように堂々睨みつけるティアの姿。
放たれた矢は龍と彼女の元に飛来すると、見えない何かに阻まれるように逸れ、あるいは弾かれ、傷つけることはおろか、一矢たりとも届かない。
その様子に、指揮官は続けて何事か指示を飛ばし、それに応じるように、今度は投擲用の槍を持った兵が、投槍による攻撃を始める。
だが矢より大きく威圧的なそれも、結局は矢と同じように逸れ、または弾かれ、彼女に傷一つつけることができない。
「放て! 放て! 闇の帝王を逃してはならん!」
指揮官が、焦りを全く隠せない様子で叫ぶ。
その指揮官の様子が伝染するように兵らもまた焦った様子で、それでも矢と投槍を放ち続ける。
だがどれだけ攻撃しても、目標とする彼女は健在なまま、その涼しげな表情を崩すことができない。
そうこうするうち、矢と投槍が尽きたのか、目に見えて攻撃が弱まり、やがて完全に止み、同時に明らかな動揺が兵達の間に広がる。
巻き起こるざわめき。ある者は矢か投槍を求めて辺りを見回し、ある者は蒼い表情で隣の兵と顔を見合わせ、ある者は指揮官に指示を求める。
指揮官は明らかに慌てた様子で兵に何事か喚き散らし、そんな指揮官への困惑が兵達の間にさらなるざわめきとなって広がっていく。
そんな敵の様子を見、ティアは呆れか失望に近い冷たい表情を浮かべると、一度大きく溜息を吐く。
そして大仰に腕を高く掲げると人差し指をたて、敵の指揮官の眉間にそれを突きつけるように、ゆっくりその腕を水平に下す。
するとその動作に合わせるように龍もまた、息吹を吐く前の動作で大きく息を吸うと、彼女の向ける視線の先にいる敵の指揮官に、狙い定めるように睨みつける。
直後、睨まれた指揮官はとたんに顔色を蒼くしてその場にしばらく硬直し、その後ゆっくり数歩後ずさるうち、何かにつまずくように尻餅をつく。
そして四つん這いになると、ティアに背を向け恥も外聞もなく必死になって走り逃げ出す。
周りの兵らはその様子をただ呆然と眺め、視界から指揮官が消えると、呆けた表情のまま視線をティアに戻す。
そんな彼らに、ティアは視線をゆっくり左右に振り向け、指揮官に向けたものと同じ冷たい視線と表情を浴びせると、それまで指揮官に向けられていたその指を、今度は彼らに向けるようにゆっくり動かす。
そしてそれに応じるように、龍もまたその視線と顎を、彼女の指の動きに合わせるように動かし始める。
その一瞬、時間が止まったかのような硬直があった。
それはティアと龍が生み出した、恐怖という名の魔法であった。
そして獲物に狙いを定めるように動いていた彼女の指が止まろうとした瞬間、どこからか声にならない悲鳴が巻き起こると、一人、また一人、矢や投槍を失った兵は勿論、長槍等、いまだ得物を失っていない兵に至るまで、次々と得物を捨て、踵を返し彼女に背を向け、指揮官と同じように我先にと、城壁を降りる階段に殺到する。
そうしてそれまでティアを取り囲んでいた城壁上の人の壁が、瞬く間に崩壊していく様を見、彼女は冷たい視線と表情を崩さないまま、しかしほんの一瞬だけ表情を緩める。
そしてもう一度ため息を吐くと、再び表情を引き締め、敵に向けていたその腕をゆっくりおろし、今度はその冷たい視線と表情を僕の方に向ける。
ぶつかる視線、彼女の向ける瞳を覗き込めば、そこに映し出される、一見静かなようでその実、どんなものでも溶かし、焼きつくしてしまうような、蒼く、熱い炎。
「緑、あなたとはまた直ぐに再会することになる。それまでに頭を冷やして、自分の犯した罪の大きさに気付いて。そうすれば、アイのためになんて言葉は出なくなるはずだから。そしてその時には7年前の決着をつけましょう」
ティアはそう、氷のように冷たく、刃のように鋭い声で言い放つ。
その瞬間脳裏をよぎる、7年前のあの日の光景。
――目を逸らさない。逸らしてはいけない。
そう彼女の瞳を見つめ続ける。
流れる沈黙、時が止まったかのような一瞬。
数度の呼吸、鼓動に合わせ、わずかに上下する視界。
やがて彼女は先に目を逸らす。
だがその瞬間、にわかに走る違和感。
暖簾を腕で押すような、糠に釘を打つような、そんな言いえぬ不快な感覚。
――おかしい。だがなにがおかしい?
違和感の正体が何か、感覚では理解しながら言葉で表現できないでいるうち、彼女は龍に何事か囁きかけ、龍がそれに応じるように巨大な翼を大きく羽ばたかせる。
巻き起こる猛烈な風、とっさに腕で目を覆えば、風に飛ばされた石片が再び全身を打つ。
そして直後、足元から伝わる衝撃に目を覆っていた腕を下せば、その視界に映し出される、宙を舞う龍の巨体と彼女の背中。
龍はさらに空中で何度か翼をはばたかせ高度を上げると、あとは風を捕えて滑空体勢に入り、優雅に遠ざかっていく。
そうして瞬く間に小さくなっていく影を見送るうち、先ほどの違和感の正体に気づき、はっとする。
それは先ほど目線を合わせた時の彼女と、7年前に対峙した時の彼女、重なるようでだが決定的に違ったもの。
「目を逸らした……先に? 彼女が?」
ありえない。
少なくとも7年前なら考えられない。
あの時の彼女なら、例え相手が自軍の十倍近い大軍だろうと、世界を救う神や、滅ぼす悪魔だろうと、自分にとって最も大切な人を目の前にしてさえ、決して目を逸らすことはなかっただろう。
だが一方で、彼女の瞳に映った蒼い炎は、間違いなく7年前に負けないほど熱いものだった。
――どういうことだ?
違和感の正体には気づけても、その意味するところまでは理解できない。
そうしているうち、龍と彼女の影は厚い雲の内へと消え、代わりに別の方向、先ほどティアが何か思案するように視線を向けていた方向から何かが急速に迫るのを感じ、視線をそちらへと向ける。
すると程なく、視界の先に現れる3つの影。
一つは三頭立て二輪の空飛ぶ戦車(戦闘用の馬車)を駆る戦士、一つは箒に乗った聖女、一つは翼の生えた獅子に乗った勇者。
彼らは僕のいる塔にまっすぐ飛んでくると、高度を下げつつ着地体勢に入る。
猛烈な風に舞い上がる粉塵、再び腕で目を覆えば、直後地面から伝わる、巨獣と馬車の着地する衝撃。
続けて響く人が着地する音に、目を覆っていた腕を下せば、そこにはそれぞれ乗り物から飛び降りたと思われる3つの人影。
馬車から降りた戦士は黒い鱗をいくつもつなぎ合わせた頑強な鎧を身にまとい、柄から刃に至るまで禍々(まがまが)しい赤色に染まった槍を肩に担ぐ。
箒から降り立ったのは金髪の美しい聖女で、白と青を基調とした教会のシスターか司祭を思わせる衣装を身に着け、片手には先ほどまで握っていた箒に代わり、先端に白い水晶体の取り付けられた杖を持ち、もう片法の手に聖書を思わせる本を持つ。
そして獅子から降り、他の二人を従えるように中央に立つのは、白銀で洋風の豪奢な板金鎧を身に着け、背中に純白のマントをはためかせ、腰にゲームや漫画に登場する聖剣を思わせる意匠を施された長剣をぶら下げた勇者。
3人とも年はせいぜい高校生くらいのようだ。
「……間に合わなかった」
聖女が辺りを見回しつつ、暗く深刻な表情と声で呟く。
と、戦士はその言葉を聞き、
「……くそっ!」
吐き捨てつつ瓦礫の石片を蹴り飛ばす。
そして僕に目を向けると、今にも殴りかかってきそうな怒りの形相で歩み寄り、胸ぐらに手を伸ばしてくる。
速度的には反応できないことはないと理解しながら、様子を見るため軽く両手を上げると、彼はそのまま僕の胸ぐらをつかみ、その形相で睨んでくる。
「お前……自分が何をしたのか分っているのか!?」
絞り出すように放たれた怒声に、しかしその意味を理解できずそのままの態勢で静止し、様子を見る。
と、すかさず後方から、
「よせっ、彼は知らなかっただけだ」
勇者が、穏やかな声で言う。
「しかしっ……」
そう納得できない様子で戦士が言いかえすと、さらに勇者は続けて、
「いや……これはむしろ神の与えたチャンスだ。完全に滅ぼすことができなかった闇の帝王を、今度こそ完全に滅ぼすことができる。そして彼はそれに必要な鍵だ。召喚された者は術者と深く結びつき、必ず再びめぐり合う。このまま追っても闇の帝王を補足するのは多分難しい。だが彼さえいれば、闇の帝王は必ず再び姿を現す、それも自分から。彼の協力が必要だ」
そう穏やかに、だがどこか有無を言わせないように告げる。
その言葉に、戦士はもう一度僕を睨んだのち、しぶしぶといった様子で胸ぐらから手を離し、引き下がる。
と、今度は勇者が入れ替わるように僕の前へ出て、にこやかに話し始める。
「すまない、僕の仲間が無礼を働いた。初めまして、僕の名はセイン・エスカ。この世界ではわりと有名人なんだけど……まあ、それは今は置いておいて、きっと君は今、状況を理解できずに混乱してると思う。けど時間がない、まず聞いてほしい。今君の前から去っていった女性、君をこの世界へと呼びだした主にして、この大監獄に封印しておかなければならなかった恐るべき囚人。彼女は、彼女の正体は……」
そう一度間をおいて、青年はにこやかだった表情を引き締めると、今度こそ真剣な、そして深刻な表情で告げのだ。真実を。
「それまで分裂していた数々の闇の生物や魔物の勢力をまとめ、その大軍勢を率い、この国に、人類に、ついには神にまでその刃を向けた、闇の大帝国の女王。人は彼女のことを、闇の帝王と呼んでいる」
瞬間、空を覆う暗雲より放たれた青白い稲妻が大地を叩き、雷鳴と衝撃がわずかに視界を揺らす。
本来なら、驚愕や反省、後悔があるべきなのだろう。
だがその一瞬僕の脳裏をよぎったのは、7年前、世界を向こうに回して戦い、僕の前に立ち塞がった、誇り高いティアの姿だった。