第10話 二人で一人
地平線から差し込む光が、動かない両者を照らし出す。
流れる沈黙。
再び交錯する視線。
その様子をただ呆然と眺める周りの者達。
だがさらに時間がたつにつれ、アルダの体に目に見えて大量の汗が浮かび、流れ落ち、表情はやがて蒼白となる。
そして程なく、アルダは一歩、また一歩と後退を始め、だが直ぐに踵を草の地面に引っ掛けるようにして尻餅をつく。
――あのアルダ様が、負けた!?
――まさか、アルダ様はセイン様と共に幾多の戦場を駆け巡り、敵に一騎当千と恐れられる兵だぞ!? それがさっきまで醜態をさらしていた、あんな奴に……!?
――だがしかし……一体、一体何が?
周囲から漏れる呟き。
それは次第に増え、やがてざわめきの渦へと変化する。
「勝てるはずがないのよ」
尻餅をついたアルダと、状況を驚愕の表情で見つめるセインに、後方からティアが告げる。
「アルダ、あなたとセインが、かつて失われた魔術を一切用いない戦闘術を会得していることは知っている。でもそれは所詮、魔術の補助か、使用が難しい時のための保険程度。最初の数か月師に学んだあとは、それ程練習もしていないでしょう? なにせそれほど使う機会がないのだから。
でも彼は違う。そもそも魔術も魔力も無い世界からやって来た彼にとって、戦闘術といえばそれしかない。そして彼は、あの監獄の白龍を一撃で昏倒させるほどの、正真正銘、本物の使い手よ」
そんなティアの言葉に、アルダはその表情をゆがめ、
「お前は……お前はいったい、何者なんだ!?」
地面に尻餅をついた彼の喉元になお、反撃を許さないよう棒を突き付け続ける僕に、震える声で問いかける。
それに対する答えを僕は持っていない。だが代わりに、
「彼の名は緑」
ティアが静かに答えを告げる。
「7年前のテルの戦役の際、緑紳……あなた達が緑光の魔女と呼ぶ存在と共に、この私を打ち破った者。彼こそ、緑紳の伝説を継ぐ者よ」
緑紳、それは緑光の魔女と対となる、アイのもう一つの異名。
緑光の魔女が世界を滅ぼした悪魔的意味合いで用いられるのに対し、緑紳は彼女の、世界を救う優しい女神としての側面を指して用いられる。
そして緑紳の伝説とは、彼女の所業を記した伝説の総称であった。
彼女のその言葉に、熱くなる心。だが――
「――違うよ、ティア」
僕はそれを間髪入れず否定し、
「あの時アイに救われたのは僕たち二人。なら緑紳の伝説を継ぐのも僕たち二人、緑紳の伝説は二人で一人だ。そうだろ?」
逆にそう問いかける。
「――」
アルダから視線を逸らせない僕に、後方の彼女の反応は伺い知れない。
返されない答えに、辺りを包む沈黙。
だが程なく、アルダの視線が僕から後方へ逸れ、その表情が驚愕のそれに変化すると、やがて後方から震える声で。
「――そうね。私は……私たちは、二人で一人、緑紳の伝説。闇の帝王でも、緑光の魔女でもなく、緑紳の伝説」
そんな強く、気高いティアの言葉が放たれる。
一方セインはそんな僕たち二人を見、再びその刀身から黄金の光を放つ。
「アルダ、下がれ!」
セインの言葉に、アルダは慌てて走りその場を離れる。
僕は引き返し不意を打ってくる可能性を考えしばらくは棒の先端を差し向け続けるが、ある程度間合いが開いたところで視線をセインに向ける。
恐らく魔法による攻撃をしかけるつもりだろう。
となれば僕が間合いを詰め、近距離戦をしかけるほかない。
次の一瞬、僕は全力でセインに向かい突進し間合いを詰めたうえ、遠間から棒を差し向け一気に突き出す。
だが直後、セインはおおよそ人間には不可能な挙動と加速を伴って突如後退し、すんでのところで僕の突きの間合いから逃れおおせる。
そうして後退したセインに視線を送れば、彼は足に光をまとい、空中に20センチほど浮遊しながら、その表情に驚愕をありありと浮かべ、大量の汗を流していた。
「この突き、師の言っていた武術の至るべき境地、絶対なる一、というやつか。なるほど、僕の天脚でも逃れるので精一杯だ。だが、それだけなら!」
そう叫んで、セインは人間にはあり得ない、地面を浮遊し滑るような挙動で横方向に移動しながら、間合いを保ちつつ剣を振るい、光の斬撃を僕に向かって放つ。
空中を飛来するそれを、とっさに横方向に重心を移動させ身を捌きつつ、棒で斬撃を横方向から叩けば、弾かれる感触と鈍い衝撃が手の内に伝わり、叩かれた光の斬撃はわずかにその軌道を逸らす。
さらに次々放たれる斬撃を、僕はさらに重心を移動させかわし、かわしきれないものは棒でその側面を叩いて逸らし、捌く。
次々手元を襲う鈍い衝撃に手の内はしびれ、棒もまたどんどん黒く焦げ傷ついていく。
正面から受け止めたならひとたまりもなく折れているところ、力を受け流し、必要最小限で逸らすようにして持ちこたえるが、それにも限界がある。
やがて、逸らしきれなかった斬撃が脇をかすめ、そこから焼けるような痛みが走る。
――このままではジリ貧だ。前に出ねば。
脇を走る痛みに顔をしかめながら、斬撃をいなし、合間を縫うように身を捌き、一気に間合いを詰める。
その挙動があまりに変則的だったためか、セインは一瞬、間合いを取るのが遅れる。
――届く。
左足を前に踏み込み十分間合いを詰め、ためた息を一気に爆発させ、セインに向かって倒れ込むように、絶対なる一を放つ。
だが瞬間、視界の先のセインは横方向にありえない加速をし、その姿がぶれたかと思うと、胴の中心を狙った棒の先端は狙いをそれ、セインの胴の端にぶつかり、しかしまとった板金鎧と角度の問題もあって大きな衝撃を与えられないまま弾かれてしまう。
仕留めきれなかった。とっさに体勢を立て直し二撃目を放とうとするが、すでに間合いから逃れていたセインは、そこから先ほどの斬撃を次々放ってくる。
身を捌ききれず棒でいなそうと試みるが、とうとう棒が耐え切れず先端三分の一ほどの所で折れ、逸らしきれなかった斬撃が左肩と膝をかすめ、そこに焼けるような痛み走り、とうとう僕は足を止めてしまう。
セインはそんな僕を見、棒の当たった脇の辺りを手で抑え、息を切らしながら、
「――危なかった、まさか光脚を使うことになるなんて、だが……」
そう絞り出し、僕の反撃を警戒してかわざわざ数十メートル程も後退した上、聖剣を上段にかかげる。
「これで終わりだ!」
叫ぶと同時、刀身から黄金の光を放つと、その前方に光が集まり始める。
恐らくもう一度、あの時の光の天使を生み出すつもりだろう。
今のティアには先ほどの龍を形成するだけの力は勿論、魔法を1、2回行使する程度の力も残されているか疑わしい。
対して僕の棒は折れたといっても先端三分の一、まだ1メートル以上ある。
となれば、完全に天使が形成される前に僕が間合いを詰め、セインに攻撃をかけるほか勝ち目はない。
「前に出る!」
僕はそうとだけティアに告げ、全力でセインに向かい突進する。
だが僕が思うよりはるかに早く、セインの前方の光は形状を構成し、身長8メートルの天使が巨大な剣を上段にかかげる。
――間に合わない。
そう思ったその時。
「その棒で受け止めて! 必ず防げるようにするから!」
背後から放たれるティアの声。それに従い僕は一度足を止め、棒を上段に構えると、大きく息を吸い込み次の一瞬に備える。絶望的な戦況、だがその瞬間、見える希望。
――そう、僕は一人じゃない。後ろにはティアがいるのだ。ならば決して負けはしない。
思いを胸に、7年前アイがくれた笑顔を浮かべ、己の全てを、次の一瞬にかける。
刹那、狙いを寸分逸らさず僕の頭上へ振り下ろされる天使の巨大な聖剣。
それと同時、僕の握る棒から突如放たれる、ティアの力によるものらしい薄緑色の閃光。
振り下ろされる天使の聖剣に、僕は一瞬遅れて棒を打ち下ろす。
直後、僕の頭上で交錯する巨大な光の聖剣と、薄緑色の光を放つ僕の棒。
その瞬間、やや遅れて振り下ろされた僕の棒が聖剣を内から弾き、その軌跡をわずかに外に逸らす。
そうして生まれたわずかなずれは、しかし振り下ろされるうちに大きくなり、僕の体に到達するころ、聖剣の刀身は僕の左肩をかすめ、その先の地面を叩き切り裂く。
合撃。
一刀流や柳生新陰流等に伝わるその技を、僕はインターネット動画でこそ見たことはあったが、まさか自分がこの土壇場で、しかもこれほど巨大な剣を相手に再現することになるなどとは思いもよらなかった。
衝撃が足元を襲い、舞い上がった粉塵が辺りを包む中、僕は崩れかけたバランスを立て直しつつ再び駆け出し、天使の股下を潜り抜け、その先で聖剣を中段に構えるセインに肉薄する。
「負けない、僕は世界を救うんだ!」
先ほどの魔術による疲労からか苦悶の表情を浮かべ、激しく息を切らしながら、それでもセインは叫び、逆に僕に向かって突進する。
リーチで勝る相手に逆に突進をしかけるのがどれほど危険な事か、本来の彼なら気づいていたことだろう。
だが、まだ年端もいかない彼がその小さな背中に背負った、大きく重すぎる何かが、彼にそんな行動をとらせる。
僕はそんな彼の姿に7年前の自分を重ね、わずかに笑みを浮かべる。
あの日の僕と違い、彼に失うものは何もない。そしてこの一瞬の経験が、彼をもっともっと、大きく成長させることだろう。
だからこの一瞬、僕は彼の未来を思い、右足を踏み込み、7年間磨き上げた絶対なる一と、決定的敗北の経験を、容赦なく彼に叩き込むのだった。
沈黙が辺りを包む。
地平線からその全容を現した太陽が、わずかに残っていた薄闇の全てを払い、平原にいるすべての者を照らし出す。
その一瞬、誰もが息をのんだ。
何が起こったのか、理解できているのはただ、僕とティアだけだった。
セインがその場にたたずんでいたのは、ほんの一呼吸程の事。
そして程なく、彼は地面に両膝を突き、崩れ落ちるように倒れ込む。
再び時間が止まったかのような一瞬が流れる。僕もまた、ただ地面に崩れ落ちた彼を見下ろし、激しく息をつく。
地面に倒れたセインに、動く気配はない。
――セイン様が……負けた?
――あのセイン様が、神の子が、世界を救う救世主が!?
――終わりだ。人類の……世界の終りだ。
どこからともなく湧き上がったその声は、程なく周りを取り囲む軍全体へと波及し、悲鳴と混乱の渦となる。
そうしてそれまで軍全体の士気を支えていたセインという大黒柱を失った将兵は、我先にと踵を返し、平原を埋め尽くした大軍勢は、見る影もなく瞬く間に崩壊し、雪崩を打って闇の帝王とその仲間のいる平原から離れていく。
そんな周りの様子を見、僕はほんの少しだけ息をつく。
地面に倒れたセインに動く気配はないが、突きだした棒が接触する直前、かなり手加減しており、近くにいる僕には、その胸が上下し、息があるのがよく分っていた。
そのため逆に、突然反撃してくる可能性を考慮し彼を睨み続けていたのだが――
「大丈夫。気絶してる。命に別状もないと思う」
背後から近寄ってきたティアが、地面に横たわるセインを見て告げる。
その言葉に、僕は今度こそ心の底からほっと息をつき、倒れたセインに突きつけ続けていた棒を退ける。
と、その時、
「――セイン? セイン!」
後方に逃れていたアルダが、僕とティアがすぐそばにいるのもかまわず、慌ててセインの元に駆け寄る。
彼の視線が僕たちに向けられることはない。
彼の視界にあるのはセインただ一人だった。そうして何度も何度も彼の名を呼ぶアルダに、ティアは優しげに、
「早く連れて行って治療してあげて。命に別状はないと思うけど、万が一ということもあるから」
そう告げる。
その言葉に、アルダは憎しみを込めてティアを睨みつける。
彼女の優しい声も表情も、今の彼には皮肉にしか見えていないのだろう。
そんな彼の様子に、ティアは慣れているとばかり、しかし隠しきれない哀しみを帯びた苦笑を浮かべ、
「それとも、私の気が変わらないうちに視界から消えろ、とでも言った方がいい?」
わずかに震える声で、しかし表向きは涼やかに告げる。
きっと今までずっと、ティアはそうして闇の帝王を演じてきたのだろう。
それが自分の役回りなのだと達観して。
「やめようよ、ティア」
僕の口から、自然と零れ落ちる言葉。
そしてそんな僕に、ティアは少し驚いた表情を視線を向ける。
僕はそのまま、胸にわだかまる切ない思いを言葉にする。
「そんなひどい事、毛ほども思ってないのにわざわざ言うことないよ。だってティアは――ティアは僕が知っている世界中のどんな人より、あのアイにだって負けないくらい、優しい人なんだから。そんなティアが、そうやって自分で自分を傷つけるところなんて、僕は――」
言葉にするうち、自然と震え出す声。
そうしてさらに続けようとする僕に、だがその一瞬、ティアはどこかいたずらっぽい、でもその傷だらけの白い頬に、透き通った滴を一筋伝わせ、どこまでも澄みきった笑顔を向け、言葉を遮って見せる。
「ありがと、緑。おかげで気づけた。気づくのが遅れてごめんね。でももう大丈夫。もう私、さっきみたいに自分を演じて、自分を傷つけたりしない。約束する。だから……もう泣かないで」
向けられた言葉に、言われて初めて自分の目がうるんでいることに気づき、慌てて目をこする。
そんな僕の様子をティアは笑顔と共に優しげに見つめ、そんな僕たちの様子を、アルダが様々な感情の入り混じった、なんとも表現しがたいゆがんだ表情で見つめる。
やがてティアは、視線をアルダの方に戻すと、
「やっぱりさっきの無し。前から言おうと思っていたけれど、というか言ったこともあると思うけど、私、あなたたちの事、嫌いじゃない。というよりどちらかというと好きよ。少し生意気な態度は直した方がいいけど、一生懸命頑張ってるだけなのは分ってた。だから殺す気なんて最初からなかった。むしろ殺さないようにだいぶ気を配ってた。
でもあなたたちのやっていることは間違いよ。人間社会の言う正義なんてものほどあてにならないものはない。侵略、略奪、虐殺、その他もろもろ。あなた達が見えないふりをしてきたもの。目を背けてきたもの。私たち人間が怪物とか悪魔とか呼ぶ者達より、私たち人間のほうがよほどそう呼ばれるにふさわしい。その事実から目を背けていては、いつまでたっても大人になれない。目が覚めたらセインにもそう言いなさい」
出来の悪い教え子に粘り強く指導する教師のように告げる。
そんなティアに、アルダはその表情を、驚愕と困惑の強いものへと変化させる。
だが彼女はそれ以上拘泥せず、さっぱりとした笑顔を彼に向け、
「さあ説教は終わり。行った行った!」
そう追い払うようなしぐさをする。
そんなティアに、アルダはさらに怪訝そうな表情を向けるが、それ以上にセインの事が気になるようで、結局一言も発することなく戦車を呼び寄せ、それにセインを乗せ、戦場を後にする。
そうして遠ざかっていく彼らの背中を見送れば、その頃には周りを囲んでいた大軍勢も残らず平原を離れており、広々としたその空間に唯一僕達だけが残されていた。
「――勝っちまったな」
全くない実感の中、思わず呟けば、
「――そうね、勝っちゃったね」
となりでティアがつられて漏らす。
「――世界……終わるのかな?」
全く実感のない中でさらに言葉を重ねれば、
「――本気でそう思っている人もいるでしょうね……絶対終わらないけど。仮にもし人類が滅びても、世界は終わらないし」
そうきっぱり答える。分っていることとはいえ、ここまではっきり言われると逆にすがすがしくさえある。
「――7年前はティアを止めて、滅びた世界とアイを救う夢と希望を奪って――今回はティアを救って世界を滅ぼした。僕って悪魔か魔王の素質があるのかな」
罪悪感など毛ほども感じてない中呟けば、
「――少しも悪いと思ってないんでしょ? 私も彼らに言わせれば、世界を滅ぼす闇の帝王だけれど、世界は滅びないし悪いことなんてしてない。言わせておけばいい。それより、自分のことを悪魔とか、闇の帝王とか、そういうのはお互いもう無し、これっきり」
そう笑顔を添えて優しげに言われれば、僕は自然とわき上がる笑みと共に頷くことしかできない。
一陣の暖かな風が平原を撫でる。
どこかから聞こえてくる小鳥の声と、雲一つない晴天の空、それを照らし出す日差しが、平和と僕たちの門出を歌ってくれる。
「ところで緑、お願いがあるんだけど」
突然先ほどまでと打って変わり真剣な声音で呟く彼女に、僕は身構える。
そんな僕に、彼女はやはり真剣な眼差しと表情を向け、告げる。
「私……おなかぺこぺこ。何か食べさせて」
絶妙なタイミングで飛来したカラスの気の抜ける鳴き声、さらに僕の耳元まで確かに届くほどのティアのお腹の音が、一瞬前までの空気をあっさり切り裂く。
「――それ、今言わないとダメだった?」
やや呆れ気味に返すが、ティアは真剣な表情のまま、
「言いたいことは分るけど、冗談抜きでもう限界なの。監獄での食事は必要最低限のものだけだったし、最後に食べたのが監獄の白龍がとってくれた魚一匹。それで白龍は恩は返したとばかりどっかに行っちゃうし、魚で得られた分の養分も今回の戦闘で全部魔力にして消費しちゃったし、もう立っているのも……それになんだか眠くなってきて――」
言い終わらないうち、ふらつく体。
その瞬間脳裏をよぎる、低体温症になった人間がそのまま眠ると死んでしまうという話。
この場合は当てはまらないのかもしれないが、今のティアが体力的に限界なのは火を見るより明らかだ。
僕はふらつくティアの体を慌てて支え、
「分った! 分ったから寝ないで、寝ちゃダメ! 食べ物、食べ物なんて――そういえば逃げた敵の陣に残ってたりするのか、分った探してくる」
そう一瞬、彼女の体をひとまず地面に横たえようとする。
だがその時ふと、彼女を残して行っても大丈夫だろうかという不安が脳裏をよぎり、その動作を止める。
すると同時、
「ちょっと、私を置いていく気?」
かけられるティアの、今にもそのまま眠ってしまいそうな弱々しい言葉。
確かに彼女を置いていくわけにはいかないが、かと言って今の彼女に歩くだけの力が残されているとは思えない。
「いや、おいてはいけないけど――えっと――どうやって移動する?」
言って思い浮かぶのは、抱きかかえるか、背負うか。
いずれも肌の密着は避けられないわけで、女性相手のそういった経験がほとんどない僕のためらいと戸惑いが、その言葉を口に出させる。
すると、ティアは目を細めてじっとり僕を睨めつけ、
「――それを私に言わせる?」
そう返す。
どうやら僕の回答はティア的には不正解だったようだ。
となるとためらっている場合ではない。
僕は一度息を吸い、腹をくくって、
「――じゃあ……負ぶさって」
そう言ってティアの前にしゃがむ。
「――こういう時はお姫様抱っこじゃないの?」
そう言いながら、しかし素直に首に手を回すティア。
そのあまりに軽く華奢な、しかし肌を通して伝わる確かな温もりと鼓動が、自分が守ることができた大切なものを伝えてくれる。
「お姫様抱っこよりおんぶの方が、多分ティアも体が楽なんじゃないかな、と思って」
そう返しながらティアを背負い立ち上がる。
と、首に回された彼女の腕が、わずかに締まる。
「――そうね、それもそうね。緑はそういう人だしね……じゃあ、行こっか――一緒に」
すぐ近くにあるティアの瞳。
その視線が、すでに地平線の上に浮かび、さらに頂を目指し上り続ける太陽に向けられるのを感じ、僕もまた目がくらむほどのそれをしっかり見つめ大きくうなずく。
「うん――一緒に」
そうして二人はその手をしっかり結び、あの日アイがくれた笑顔を浮かべ、共に歩み始める。
7年前、命を懸けてでも守ろうと誓い、しかし守りきれず、その手から零れ落ちてしまった大切なもの。
今度こそ、その手で掴み、包み込むことができたそれを、もう二度と手放さない。
そう誓って。




