第七話 マルス城の噂の真相
魔法使いに預けられた子供、パティーはひたすら庭の草むしりをしていた。
ひたすらぶつぶつと文句を言いながら仕事をしていると塔に様々な人達が出入りしているのが目に入った。
塔の入り口では警備隊達が何か深刻な顔で話している。
ーーーなのに俺だけ茅の外、未だに塔の中にすら入れてもらえず。
この草むしりも何か理由があるのかと考えてみたが特に理由が思い付かない。
逃げようかと思ったが逃げたところでパティーに行く所など無かった。
「くっそう、疲れたなあ、中に入りたいなあ・・・」
ノロノロと立ち上がり、塔の側まで近づくと突如ドアが開いた。
「魔法使い!ねえそろそろ中へ入れてよ!」
ゾフィーが今気づいたと言う感じでパティーを見た。
「なんだ?まだいたのか?」
「どういう意味だよ!逃げ出すわけないだろ!」
「じゃあ牢に戻りたくなったのか?」
「そんなわけあるか!中へ入れてくれよ?塔の中へ」
「・・・・」
「・・・なんだよその沈黙?」
「草は全部刈ったのか?」
「そんなの無理に決まってるだろ!何の修行だよ!」
「牢になら戻してやってもいいぞ?」
「何にもしてないのに何で牢に入らなきゃならないんだ!冗談じゃない!」
「ならそこにいろ」
冷ややかに言われ、ドアがバタンと閉められた。
パティーはノロノロと森側に進み、木陰に座る。
こんな無理難題突き付ける辺り、魔法使いは塔に入れてくれる気はなさそうだ。
仕方がないのでパティーはとりあえず今夜の寝床を捜すことにした。
昼食の席でパラレウス皇子は困っていた。
「・・・・」
ティアが無言の圧力をかけている。
掛けられても困る。昼食ぐらい静かに味あわせて欲しいと切に願う。
ティアの雰囲気に何かを感じ取った一家は、今度は何だ?という視線を持って皇子を見ている。
知らぬ顔をしている皇子は注目されてる中、一人黙々と食事を摂っている。
「ーーーあー、ティア。ルウドの様子はどうだ?もういいのか?」
沈黙の耐えられなくなった王が口火を切った。
ルウド、の名前にティアがピクリと反応する。
「・・・元気よ。もうすっかりね・・・」
そのわりには声が暗い。また何かあったのだろうか?
王はしまったと言わんばかりに姫から目を逸らし、スープをスプーンで掬って飲み始める。
「また喧嘩したの?全く懲りないわねえ。大体ルウドはティアなんか相手にしないって分かってるんだからもういい加減諦めればいいのよ。その辺に皇子なら幾らでも居るんだから無難なのを選べば良いのに」
ミザリー姫がまた懲りもせずに地雷を踏んだ。
ティア姫の目がぎろりとミザリーを睨み、光る。
「まあ、そういうお姉さまこそまだお相手も決まっておりませんわね。決めかねているのか、決める事が出来ないのか、どちらかしら?」
「・・・いいのよ、私は。いずれ決めるわよ」
「いずれ?ああ今は無理ですよね。それはそうだわ、今はあの方に夢中ですものね?あの黒い肌をした・・・」
「なっ!何を言っているの!ち、違うわよ?違うんだから!いい加減なこと言わないでよティア!」
「まあ、ごめんなさい、まだ確証がないものね」
ティア姫がくすくすと悪魔の笑みを漏らす。
焦るミザリー姫に全員の目が集中した。
「ご、ご、誤解なんだからああああああ!」
ミザリーは逃げた。
パラレウスは息を落としてふと顔をあげるとまたティアが睨んでいる。
「ーーーーお兄様・・・」
「いや、その、君が気に掛けるような事は何も無いから」
「気になるのよ。気になって夜も寝られないわ」
「夜は寝た方がいいよ。夜更かしは肌に悪いよ」
「どうでも良いのよそんな事。お兄様、私に隠しだてしてそのままで済むと思っているの?」
「隠し立てなんてそんな。何も隠してはいないよ」
「ーーーヘエ、そういう方向なのね。いいわ、私にも考えがあるわ」
「・・・ティア、くれぐれも言っておくが先日の様な事はほんとにもう二度とやめてくれよ」
「分かっているわ、一人で外へ出たりしないわよ」
「・・・・・」
ティアは不機嫌そうにサンドイッチを頬張る。
皇子は何だか不安になったがこれ以上は突っ込まないことにした。
「ーーー腹へったなあ・・・」
パティーは木陰で休みながらグウグウ鳴る腹を押さえる。
最後に物を食べたのは昨日牢の中で。街で病気の母と強制移動させられて母は病棟へ、パティーは何故か牢へ閉じ込められた。
不当な扱いにしばらく怒り騒いでいたが牢の中で与えられた食事は粗末ながらも美味しかった。
何日ぶりかのまともな食事に満足したパティーは牢だがきちんと寝台も毛布もある寝床で何日ぶりかの睡眠を貪った。
牢が罪人を押し込めるところという一点を除けばパティーにとってそこは天国のような場所ではあった。何もしなくても食事が出るなんて夢のようだと思う。
ーーーもしかして俺は明日処刑されるのか?まさかあれが最後の晩餐?
ただ寝台に横たわっていると訳もなく不安に駆られたが、罪など犯していないのにそんなわけがなかった。
母は街役人に預けられ、パティーは再び城に入れられた。
ぞんざいに魔法使いのところに預けられたが実際はパティーの監視役らしい。
だから放置され、食事も与えられずこのままだ。
「連れてきて放置されてもなあ・・。街へ逃げ帰っても仕方ないしなあ」
実際パティーにいく当てはない。ここにいるしかない。
「ーーーあら、坊や・・?」
魔法使いの塔に向けて歩いていたティア姫と目が合った。
姫はパティーを見ると寄ってきた。
「何をしているの?そういえば草刈りをしていたような?」
「パティーだよお姫様。こんな広いとこ一人で草刈り出来るもんか。
・・・それよりさあ、何か食べるもの持ってない?森の湖の魚、採って食べてもいいかなあ?」
ティア姫が目を丸くしてパティーを見る。
「パティー、昼食まだなの?食事はきちんととらないとダメよ?」
「いやだからさあ、食べ物どこにあるんだよ?誰もくれないし・・・」
「・・・パティー、食事は自分でとりに行かなきゃ誰も運んでくれないわよ?」
「姉ちゃん、俺分かんない。何にも聞いてないし・・・」
「・・・そうなの・・?」
魔法使いも警備隊も誰も教えてくれない。嫌がらせだ、とパティーは思った。
「食事はお客様用の食事室もあるし、使用人用や警備隊用の食事室もあるのよ?その部屋は何時も開いているし好きな時間に食事出来るようになっているの。
城内の人達は皆昼夜問わず働いているから必要なのよ」
「へえ、すごい、いいなあ。何時でも食べれるのか・・。そこってただなの?」
「・・・城の人は皆身内よ。お金なんて取るわけないわ」
「夢の世界だな。俺もここに生まれたかった・・」
「・・・ええと、あなたはお客様になるのかしら?」
「ーーーティア様、パティーは警備隊と同じ宿舎で。お客様ではありません」
「ルウド・・、そうなるのね」
姫様の後ろから銀髪青眼の警備隊の男が現れた。
何だか冷たそうな感じの怖そうな男だ。目付きも鋭い感じに見えた。
ルウドと呼ばれたその男は何故かパティーをじろじろ見る。嫌な感じだ。
「じゃあパティー、行きましょう?警備隊の食事室はすぐ近くよ」
「やったあ!」
パティーは姫に手を引かれ食事処に案内される。その後ろから何故かルウドが着いてくる。
「・・・姉ちゃん、後ろの人、付いてくるけど?」
「うん、私の護衛だもの。ずっとついてた警備隊がとうとう限界で休ませたいって当分彼一人が付くことになったの」
「・・・城内のあちこちに警備隊いるだろ?なのにまだ専属の警備が必要なんだ・・」
「うーん、まあ色々あるのよ」
パティーは疑わしそうにティアを見る。お姫様が動き回るから警備が必要なのではないのか?
ちらりと後ろを見ると困った顔でついてくる護衛と目があった。
警備隊の食事部屋はそこそこ混んでいた。昼を過ぎた時間なので警備隊は交代で食事をとっているのだろう。
そこへティア姫がやって来たので和んでいた部屋が緊迫した。
「ひ、ひひひひひひ、姫様、何故この様な所へ?」
「・・・付き添いよ、この子の。気にしなくていいから」
「ーーーーわあ、すげえ!うまそお!」
子供は目をキラキラさせて好きなおかずを選んで運ぶ。席に座って夢中で食べ始めた。
ルウドはじっとり子供の様子を眺める。
ティア姫が飲み物を持って子供の隣に座ったのでルウドは姫の向かいの席に座る。
「・・・行儀が悪い・・」
「よほど空腹だったんじゃない?誰も言ってあげないから」
「ゾフィー殿に任せた時点で子供の事など念頭にもなかった」
「皆冷たいわよね、パティーに」
「子供に構う余裕はないのですよ。皆問題ばかり起こす姫に散々掻き回されて手一杯で」
「・・・悪かったわね」
二人の冷ややかな空気に周囲の者達は耐えられなくなりこそこそ部屋を出ていく。
幸せそうに食事を頬張っている子供はまるで気付かない。
「うわあ、うめえ、何これ?おやつ?甘いよこれ、生まれて初めてだこんなの!」
ルウド目掛けて火花を飛ばしていたティア姫が困ったようにパティーを見る。
「あの、ずっとあるから。一度にそんなに食べたらお腹壊すわよ?」
「そんなになるまで腹一杯食べた事ないよ」
「夜もあるから」
「・・・それじゃ、もうこれだけでいいや。うまかったー、母ちゃんにも食わせてやりたいなあ」
「そうね、それじゃ塔に戻りましょうか」
「うん、まあどうせ中には入れてもらえないだろうけどね」
塔の入り口に着いたところでルウドに呼び止められた。
「ティア様、少しの間パティーを連れてここを離れます。ゾフィー殿にもそう伝えてください」
「ええ、いいけど。どこへ行くの?」
「この子供を何とかしなければなりません。まずその姿から」
「ーーーね、姉ちゃん・・・」
パティーが不安そうにティアを見る。
「大丈夫よ、ルウドは噛みついたりしないわ。たぶん」
「・・・たぶん・・・?」
「ーーーーこら、お前」
ルウドがパティーの襟ぐりをつかんで引き寄せる。
「先程から姉ちゃん姉ちゃんと馴れ馴れしいぞ。ちゃんとティア姫様とお呼びしなさい。王国の姫様を何だと思っているのだ」
「あらルウド、それってやきもち?」
「違います、節度の問題です。パティー、ここに居たいならそれなりの常識、節度を守って貰うぞ?ここには姫だけでなく重要な賓客も沢山居るのだからな」
「ーーーーはい、ごめんなさい」
助けを求めるパティーを見捨ててティア姫は塔に入ってしまった。
「さあお前は一緒に来るんだ」
パティーは仕方なくルウドに着いていく。
庭園を抜けて薔薇園に入り、さらにその奥へと進み、先にある森へと入る。
木々の間を抜けて少し歩くと一件の小屋があった。
「あの、ここは?」
「庭師の家だ。歴代の庭師が使っていた。今は誰もいないが管理しているのは私だ」
「へえ・・・」
ドアを開けたルウドに部屋へ招き入れられた。
部屋にはテーブルと長椅子だけ。閑散としている。
「少し待っていなさい」
ルウドが部屋に二つあるドアの一つに消えた。
パティーが長椅子に座って大人しく待っているとルウドが木箱を持って部屋から出てきた。黙ってそれを見ているとテーブルに木箱を置いて開ける。
「あの、ルウドさん?」
「私の子供の頃の服だ。余りいいサイズがないがとりあえずこれで我慢してくれ」
パティーは驚いて立ち上がる。
「そんな!我慢なんてとんでもないです!」
「今のその格好で城内をうろつかれるのは困るからな」
「わあ、新しい服なんて何年ぶりだろう!」
「・・・大分傷んだ古着なのだが・・」
「古くたって新しいよ。それにこんないい服着たことないや」
「・・・まあいいから着替えなさい」
「ありがとうルウドさん!」
パティーは服を持って隣室へ行き着替えた。
「ブカブカだけど、すぐ大きくなるから大丈夫だよ。それよりルウドさん」
「うん?」
「ここ誰もいないんだろ?俺が使ったらダメかな?」
「ダメだ、ここは庭師の家だから。部屋ならゾフィー殿が用意していてくれるだろう」
「ええ?塔にも入れてくれないのに」
「まあ準備が出来たら入れてくれるだろう」
魔法使いゾフィーは困っていた。
「毒の成分を調べれば毒消しは造れるのよね?」
そう言った姫君は完全にヤル気満々だ。
「あの、姫様、・・ですからそれは陛下の許可がなければ無理ですと・・・」
「分かってるわよ、許可をとればいいのよね」
「・・・・」
「そのために情報とサンプルがいるのよね。ジルの効果はまだ切れないの?」
「丸一日はあのままです。危険ですから近づきませんよう」
「媚薬の効果を消す薬がないとは思わなかったわ。ルウドに全部飲ませていたらどうなっていたいたかしら?」
「・・・あの薬は危険ですからもう二度と造りません」
「残りがあったわよね?」
「あれは没収されてしまいました。危険だから内々に処分すると」
「誰が?」
「・・・・・」
「・・・分かったわ」
ティア姫はそれ以上は突っ込まずに調剤部屋へ入っていった。
姫は何が何でも毒の件に関わるつもりだ。
やると言ったら何が何でもやる姫である。確実にまた何か不穏なことを考えている。
どうしたものかと悩んでいたら、外からノックがして声が掛かった。
「ゾフィー殿、居られますか?」
「ルウド隊長?どうかしましたか。入り口は開いていますよ?」
ドアを開けるとルウド隊長とパティーがいた。
「おやパティー、いい服を貰ったな。ちゃんとお礼は言ったのか?」
「言ったよ、それで一体いつになったら中に入れてもらえるんだよ?」
「草刈りが終わっていないだろう」
「ーーーくそっ!やればいいんだろ!やれば!」
パティーは森側へ走っていった。
「ゾフィー殿・・・」
「準備が進んでいないのですよ。塔は子供が触るには危険な薬品が多いですからねえ。勝手に持ち出されては困りますし」
「急な話でしたから。しかし夜まで外と言うわけには。本日中に終わらなければ宿舎で預かりましょう。あの子供には色々教育せねばならないこともありますし」
「ルウドさんがそうおっしゃるなら。本当は牢に返してしまえばいいかなと思っていたんです。居心地は良さそうでしたし」
「・・・・・」
ゾフィーは辛辣だ。そもそも塔に子供を招き入れる事自体嫌だったし、煩い子供は嫌いだし、平穏な日々を掻き回されるのは嫌だ。
仕方がないとはいえとっとと出ていってもらえると有り難い。
「いっそのこと物忘れの薬などを飲ませて城から追い出そうと考えていたところです」
にこやかにゾフィーは言う。
ルウドは困ったように笑みを引きつらせていたがそれ以上は何も言わなかった。
王国騎士団二番隊隊員ジルは悩んでいた。
目が覚めたら小部屋に監禁されていたが自分に何が起こったかまるで分からない。
顔を触ると痛みが走り、近くにあった鏡を見ると顔が腫れ上がりアザが出来ていた。
ーーーー一体自分に何が?
ぼんやりする頭で記憶を何とか掘り起こす。
ティア姫に何かヤバイ薬を飲まされた。それから姫の言いなりに動かされ、そして自分の欲望に負けた自分はティア姫にーーー
「うっ、わあああああ!」
ヤバイ記憶が蘇り、ジルは泣きたくなった。しかもその後の記憶がない。
「おっ俺、まさか、姫様に・・・?まさか・・?」
不埒な行いなどすれば首どころでは済まない、死刑だ。確実に。一族朗党処断されるかもしれない。
ジルは息が詰まった。しかも何も覚えていない、姫の感触とか・・・。
「おおおおおおお、俺は・・?」
どうしてこんなことになったのかさっぱり分からない。
監禁されていると言うことはそれなりの事をしたのだろう。
誰も答えを言ってくれない場所で一人悩んでいると足音がした。
「ーーーーージル?起きたの?」
「ひっ!ひひひひっ、姫様っ・・・!」
ジルはドアの向こうにひれ伏した。
「ももももも、申し訳ございませんっ!私、姫様にとんでもないことを!けして許されることではないのは分かっておりますが、私の処断は如何様にもお受けいたしますが、せめて一族にはご寛容な処断を。これは私の罪です!家族には関わりないことですから、どうか!」
「・・・あなた、自分が何をしたか覚えているの?」
「その、うっすらと。何となく。しかし私のしたことは不埒以外の何物でもなく・・・」
「つまり覚えていないというのね?ーーー酷いわ、あんな事までしておいて。知らないふりで責任逃れする気ね?」
ジルは最早血の気がなくなり蒼白になった。背筋が凍り、嫌な汗が流れる。
ーーー俺は一体姫に何を?何を?何をっ!
全く覚えていない事が恐ろしい。
「ももも、申し訳ございません!責任は取らせていただきます!何でもします!何でも命じてください!腹を切れと言われるなら喜んで切りますとも!覚悟は出来ています!」
「そう?じゃあこれから色々動いて貰おうかしら。ルウドの命じゃなくて私の命令で単独で動くのよ?どんなことでも黙って言う通りにするのよ?使えなければいらないわ」
「動きます!姫様の為に何でもいたします!どうぞお使いください!私使えます!何でもいたします!」
「分かったわ、じゃあ早速動いてもらうけど誰にも内緒だからね?」
「はいいいいっ!勿論です!」
これ以降ジルはティア姫の奴隷と化すがこれは始まりであり、そして水面下で拡大化していくので公にされるまで誰にも気付かれることはなかった。
ルウドがジルの部屋に入ると彼は頭を地につけて泣いて謝った。
「申し訳ございません!私っ、とんでもない事を!隊長に八つ裂きにされても文句は言えません!どうぞ心置きなくやってください!」
「いや、落ち着け。ジルは悪くないから」
ルウドはジルの体を起こす。ジルは真っ青だ。
「大丈夫か?その顔のアザに効く薬を貰ってきたから使うといい」
「そんな、隊長!優しくなどしないで下さい。私のような罪深い者に!」
「ジル、落ち着け。君は媚薬を飲まされ操られていたんだ。君には罪はないし悪くもない。そんなに気に病まなくていいから」
「媚薬?」
「そんなものを飲まされて耐えられる男がいるか。全くあの姫にも困ったものだ。厳重に注意しておくから許してやってくれ」
「何故姫はそんなものを私に・・?」
「何でも試さないと気が済まないのだろう。ほんとに困ったものだ」
「・・・・・」
「君には申し訳ないがまだしばらくはここにいてくれ。薬の効果が消えるまでは姫には会わせられない」
「しかし任務は?」
「護衛隊には休みを取らせた。ティア姫の護衛というだけで心労も大きいからな。ジルも休むといい。しばらくは姫の護衛は私がつくから」
「・・・はい・・」
ジルは何故か落ち込んでいる。
ルウドにはジルの心情は分からないがやはりまだ薬の効果は切れていないのかもしれない。
「・・・ジル、その。殴ってすまなかった。君が悪くないのは分かっている。だがちょっと、頭に血が上ってしまってな・・・」
「いいえ!それは当然の事です。私がいけないのです。隊長の大切な人に害を及ぼしたのですから。私が許されるべきではないのです!」
「・・・ほんとに気に病まないでくれよ?」
ジルは若いながらに最精鋭に選ばれるほどの優秀な騎士である。この先まだまだ上へ行くだろう彼をこんなことで潰すわけにはいかない。
「君もしばらく休んでくれ、何も心配することはない。大丈夫だから」
ルウドはそう言って部屋を後にした。
パティーはお腹一杯食事をし、今までに着たこともない綺麗ないい服を貰って幸せ一杯で塔の前の木陰に座っていた。
今までにないいい待遇過ぎて何だか申し訳ない気がするがこれも一時的なものだろう。一時の休みと思い満喫することにした。
涼しい風を感じていると眠くなってきた。うつらうつらしているとどこからか声が聞こえてきた。
「ーーー全くあなたは悪さばかり。警備隊をいじめるのは止めてください。いつか逆襲されますよ?痛い目見ますよ?」
「じゃあ護衛なんかしなきゃいいじゃない。城内歩き回るのになんで護衛なんか必要なのよ。邪魔よ」
「まだ言うのですか?あなた自分で身を守れないでしょう?身に危険が及んだときどうやって防ぐのですか?あなたさっき痛い目見たばかりでしょう?」
「・・・薬で眠らす用意はあったわ」
「言っておきますが普通の男にそんなものなんの意味もありませんよ?防がれたら終わりです」
「呼んだらルウドが助けに来てくれるもの」
「私はどこからでも助けに現れるわけではありません」
「ルウドなのに・・・」
「あなた方は私を何だと思っているのですか、全く・・・」
近づく声を聞きながらゆらゆらしていると肩を揺らして名前を呼ばれて目を開ける。
「パティー、寝るならベットで寝ないと」
目の前にティア姫がいた。
怪訝な顔をしているがやはり美人だ。パティーが知る限りこんな綺麗な人はいない。
やはりお姫様なのだと納得できる。
「お姫様、どうかしたのですか?」
「・・・どうもしないけど、何その敬語?」
「姉ちゃんでは不敬すぎるって。ちゃんと敬語で話さないとここには置いてもらえないって」
「当然です」
姫の後ろのルウドが言う。
「パティー、当分寝床は警備隊宿舎になる。その間色々勉強してもらうぞ。ここにいるなら必要な知識が沢山ある」
「・・・はい・・」
「何か困ったことがあったら言うのよ?」
「うん、ありがとう。ティア姫様もルウドさんもいい人だな。城に入る資格もないのは知ってるから罪人と同じ扱いで仕方ないと思っていたんだけど」
「そんな、城で暮らすならあなたも身内と同じよ。遠慮なんてしなくていいのよ?何でも言ってちょうだい」
「そう?じゃあ遠慮なく。お城の探検とかしていいかな?案内頼んでもいいかな?」
「お安いご用よ」
「せっかくの機会だから噂の真相を調べてみたい。沢山あるけど気になるのから」
「・・・う、噂?」
「うん、お城の中に魔女が出るとか森の中に幽霊が出るとか、怖い噂もあるよ」
「・・・へえ・・?」
パティーは立ち上がり伸びをする。眠気はもう取れた。
「さあ行こう、まずは薔薇の園へ」
パティーと共に薔薇園に向かう。ティアは困惑してルウドを見るが彼も困った顔でパティーを見ている。
「・・あの、パティー。薔薇園の噂って何?」
「うん?お城の薔薇園の薔薇は日中でも突然動き出して笑いながら追いかけてくるって噂」
「そんな馬鹿な」
あり得ない。何故そんな噂があるのだ。
パティーが姫を見上げてにが笑う。
「いや別にほんとにそんなことがあるなんて信じてないよ。でもほら、発端とか原因とかあるはずでしょう?それを見てみたいんだよ」
「・・なるほど・・」
ティアとルウドはますます困惑した。
原因、発端、場所が薔薇園ならまず二人とも関わっているはずだ。
「・・・ルウド・・」
「街の噂というものは・・・知らなかった」
噂は噂だ。だが発端や原因がなければ噂は出ないだろう。
三人は薔薇園に入った。
入ってすぐにどこからか不気味な笑い声が聞こえてきて、日中だというのにティア姫はびくりと緊張した。
「う、嘘?どうして?まさか・・?」
ティアはルウドにしがみつく。パティーは目を輝かせた。
「嘘、薔薇が笑ってるの?まさか?」
「・・・そんなわけないでしょう」
ルウドがぼそりと呟いた。
パティーは嬉しそうに声の方へさっさと向かう。
「薔薇が笑うってどんな風にかなあ。うわあ見たい」
「パティー、危険よ?追いかけられて噛みつかれるわよ?」
「・・・・・」
パティーはとうとう笑い声の元にたどり着き、そして黙った。
「・・パティー、どうしたの?」
ルウドにしがみついたままパティーの側に行き、彼の視線の先を見ると人がいた。
「・・・・」
「うっ、ふふふ、ふふふふはははは、あはははは、ひひひひ」
笑ってる。白い薔薇の下で何故か蹲って顔を真っ赤にして涙目で彼は笑っている。
この異様な光景を誰もが避けて通り、近づかない。
「ーーーーこら、何をしている。任務はどうした」
ルウドが平然と近づき警備隊の彼を咎める。
「うはは、隊長、ふふ、任務中です、ははは、ここの管轄なので、へへへへ、ふふ、立って笑っていると、はは、変質者と間違われるので、ははは、目立たないところで、ひひひふふふ、あはははは」
「何故笑うんだ?」
「栄養剤を、貰ったら、ははは、止まらなくなって、ひひひへへへ」
ルウドはじろりとティア姫を睨む。
「・・・そういえばあげたわね、栄養剤。それで笑いが止まらなくなったということは失敗したんだわ・・・。イタズラじゃないわよ!」
「・・・・」
「なっ、なによ、お父様だっていつも喜んで飲んでいるんだからね!」
「・・・・」
「ははは、でも、体調は、良いですよ。ひひひ、ふふ、あはは」
「・・・いいから君はすぐゾフィー殿の所へ行ってきなさい」
「はい、ふふふ、あははは」
彼は腹を抱えて笑いながら去っていった。
「・・・おかしいわね、何か間違ったかしら?」
ティア姫は薬の処方を真剣に考える。
いつの間にかあんなものまで出回っているのかとルウドは事の深刻さに思い悩む。
「さ、さあ気を取り直して次に行こう」
ぎこちない二人を見てパティーが元気にいい放った。
「城内のどこからか魔女が出没して実験するって噂。ほんとかなあ、見てみたいけど出るかなあ?」
「・・・・」
パティーが行きたいというから城内を案内することになった。
城内の方へ進みながら先を行くパティーがふと呟く。
「さっきの人、たまたまだよね?ならあの噂って一体・・・?」
「さあ・・、なにかしら?」
歯切れ悪くティアが答える。ルウドが未だに疑いの眼差しを向けている。
「まあ、噂は所詮噂だし、誰かが見間違って騒いだのかもしれないわ」
「そうかあ、まあ確かに花が笑うのはあり得ないか。ああでも、お城に躍り狂い人形が出るっていうのは現実的かなあ」
「・・・・さあ?」
姫とルウドはふっと目を逸らし遠くの空を見た。
本日も空が青い。日差しが照りつけ少々暑い。
三人は黙々と歩いて庭園側から城内の廊下へ入る。廊下はひんやりとしていて涼しい。
「奥の方がもっと涼しいわ。しかも日中は明かりをつけないから程よく暗いのよね」
「へえ、それはいい感じで出そうだね?」
「でも昼間は特に人通りが激しいから可能性は低いかも」
「可能性が高いのはどこ?わかる?」
「隠し通路の近くかしら。でも結構数が多いから難しいのよね」
「隠し通路?そんなのあるんだ」
「隠し部屋もあるわよ。王族しか知らないから公には出来ないけど」
「面白いなあ、お城って」
「まあお城だから。脱出経路が多々あるのは当然なのよ」
「見てみたいなあ」
「それはダメだけど出没している魔女がその通路を使っている可能性はあるわね。真実を突き止めれば噂の真相も分かりそう」
「・・・・」
魔女は誰だ?とルウドは思い悩む。
王族しか知らない隠し通路を使う魔女などもう問うまでもない。
それよりも問題なのは隠し通路、隠し部屋。
前々からうすうす分かっていたがやはりあった。恐らくやはり王族だけが知っていて警備隊にもそれは知らされていない。
何故だ?それでは問題がありすぎる。それでは何の為の警備隊だ。
王族は一体何を考えているんだ?
この問題は早急に訴え出なければならないがそれは無論姫にではなく、警備隊を統括する総責任者パラレウス皇子にである。
ルウドは渋い顔をして二人の後を追う。
ルウドの顔を見たティアが朗らかに笑う。
「あらルウド、もしかして魔女が怖いの?大丈夫よ、私が守ってあげるから」
「平気ですよ。この城にあなたより凶悪な魔女などいませんから」
「ーーーうわあっ!出たっ!」
静かな人気のない廊下を歩いていると突然パティーが叫んだ。
「えっ?ほんと?どこに?」
ルウドの腕にしぅかりしがみついたティアは辺りを見回した。
「あそこだよ!あの隙間から白いものが見えた」
「隙間?そんなのないわよ?見渡す限り壁だけど?」
「あれっ、でも今そこに隙間が・・・」
ルウドに掴まったままのティアは壁を触って叩いてみる。
「壁じゃないわここ、空洞ね。中から押さなきゃ開かないようになってる」
「ええ?じゃあ正体突き止めるの無理だねえ」
「うーん、でも何かいたのでしょう?気になるわね」
「・・・・」
ルウドにしがみついたままの姫は難しい顔で考える。
ルウドは無言でじっとしている。
「ねえルウド、この壁何とかならない?」
「なりません。ティア様、恐いなら別に無理して追うことないでしょう?」
「ーーーなっ!恐くなんかないわよ!なにいってるのよルウド」
「・・・・」
ならばこの腕にしがみついているのは何だ?とは言わなかったが冷めた視線を姫に向ける。
姫はばつが悪そうにそっとルウドの腕を離した。
「と、とにかく正体は突き止めなきゃ。仕方ないから近くの抜け穴を使いましょう。裏通路は大抵繋がっているのよね」
「わあ、やったあ、裏道探検だ!」
「パティー、調査よ。犯人を見つけるのよ」
犯人。いつの間にか目的が変わっている。
しかしルウドは特に突っ込まない。護衛なので黙って姫に着いていく。
「この部屋よ」
姫は適当に近場の部屋に入った。その部屋にも隠し扉がついていた。
姫にも用のない、普通は入らない空き部屋にも関わらず、姫は当然のごとく易々と扉を見つけた。
このからくりを知らなければ永遠に見つけることはない仕掛け扉である。
ルウドは頭痛がしてきた。こんな扉がこの城にはどれだけあるのだろう?
きっと調べるのは容易なことではない。王族の協力がなければ。
ティア姫は部屋に備え付けられたランプを持って火を点す。
「パティー、危ないから勝手に行かないで。しっかり私についてきて」
「ティア様は迷わないんだ?」
「王族は迷わないのよ。実は分かる目印があるし、日常的に使っているから」
「・・・・」
知らなかった。ルウドでさえも聞いていない事実である。
ランプを持った姫は開いた手でルウドの腕をしっかりつかんで扉の奥へと入る。
階段を降りると壁ばかりの通路を進む。
少し進むと通路は三つに分かれた。
姫はランプを壁にかざし、文字らしきものを見る。
「さっきの扉は右にあるのよ。左はまた出口と地下の部屋ね。まっすぐは通路続きね」
「魔女はどこかの部屋に隠れているはずだよ。表には出られないから」
「じゃあ左の部屋ね、でも開いている部屋と開いていない部屋があるのよね。開かない部屋は誰かが占有している部屋だから入れないの」
「姫様もそんな部屋持っているの?」
「・・・まあ一応ね」
姫がちらりとルウドを見るがルウドは黙って口を引き結んでいた。
城の誰もがこの姫に振り回される理由がよく分かった。
しかも王族はこれを知っていて黙っていたのか。それより腹立たしいのはずっと傍にいて姫に隠されていたことだ。
「・・・私は姫に信用されていなかったということですね」
ティア姫は困った顔でルウドを見つめる。
理由があるのは分かっているが姫に隠し事をされるのは悔しい。
「・・・ルウド、もしかして拗ねてる?」
「そんなわけないでしょう、何を言っているのですか」
「そう?何か怒っているように見えるけど・・・」
「怒ってなんかいません」
「・・・あのね、ここは王族しか知っちゃいけないのよ?緊急用通路だから」
「いいのですか、そんな大切な秘密を私や子供などに漏らして」
「いいのよ。緊急時には皆避難させるのだから。大切な人には教えておくの。お姉さま達だってそうしているし」
「・・・・・」
「でも他言無用よ?公にされたら困るんだから」
「はい」
三人が黙々と歩いているとどこからか突然誰かの笑い声が聞こえて皆一様に足を止めた。
「・・・今度こそ、笑う花?」
「地下通路に花はないわよ。それより何か知った声だわ」
「ええ?聞いたことあるの?幽霊の声を?」
「パティー、地下通路だからといって幽霊だけいる訳ではないだろう。人間に決まっている」
王族しかしらない通路で聞いた声ならもう限られている。
三人は声のする方を歩いてドアを見つけ、そっとドアを開けてみる。
ドアは開いた。そしてその隙間から三人は見てしまった。
「くふふふふふ。ああもう可愛いっ。その真っ黒な瞳に見つめられると堪んない。あっ、駄目よこんな所で。いや、だめ、そんなとこ舐めないで」
何をしているのだあの姉は?
いやしていることは分かっている。あの真っ黒い生き物と戯れているのだ。
パティーが姫を見て困惑顔で聞く。
「ねえ、あの生き物は何?見たことないけど、もしかして毛深い人間?」
「あんな毛深い人間いてたまるものですか。というかあり得ないわ」
ティアは入り口をバンと派手に開ける。
「ミザリーお姉さま、とうとう尻尾を掴んだわよ。即座に報告して撤退させるからね」
「ティア!わ、わわわわわ私の個室に勝手に入るなんてルール違反よ!訴えてやるわ!」
「勝手にしたらいいわ、その前にそれを排除するのよ」
「排除なんてひどい!こんなに可愛いのに!外に放り出されたら行き場をなくして死んじゃうじゃない!」
「馬鹿言わないで。そんな生き物野放しになんて出来るわけないでしょう?捕まえて即刻動物園か殺処分よ」
「酷い!ティア!あなたには人情はないわけ?人の血が流れているわけ?こんなに可愛い彼を殺処分なんて!あなたルウドが同じ目に遭っても同じことが言える?外に放り出されて死んじゃっても笑えるわけ?」
「ルウドとその生き物を同じにしない!そんなものをここで飼っていたらうるさくて眠れないのよ!そいつがいる近隣の上の部屋から毎晩不気味な遠吠えが聞こえるって最近苦情とか噂がひどいのよ!さらに上の部屋で寝ているお姉さまには分からないでしょうけどね!」
「な、なによ!それでなんであなたが怒るのよ?なにも迷惑かけていないでしょう?」
「かけてるわよ!地下通路中にそいつの不気味な唸り声が一晩中聞こえるのよ!私の研究所にも聞こえるんだからね!迷惑なのよ!」
「何よ唸り声くらいいいじゃない!ルウドだってしゃべるじゃない!」
「だからそこでなんでルウドが出てくるのよ!大体こんなところに閉じ込めてそいつが暴れだしたらどうするのよ?危険じゃない!」
「ちゃんと鎖で繋いでいるから大丈夫だもの!」
「それって監禁でしょう?どこで拾ったんだか知らないけど酷いのはお姉さまじゃないの!」
「なによ!そうでもしないと彼と一緒にいられないじゃない!彼との仲を引き裂かれるなんて嫌よおおおおっ!」
ミザリー姫はその真っ黒でデカイ生き物にすがり付いて泣く。
「何よティアの馬鹿ああああっ!ルウドも動物園に売り飛ばされたらいいんだわああああっ!」
「・・・・・」
八つ当たりだ。
とにかくその場でミザリー姫を捕獲し、兄の元へ連行しすぐに詳細を報告。そして黒い生き物の撤去を手早く行った。
かの生き物はとりあえず牢場に押し込んですぐに近くの街のサーカス団に引き取りを要請した。
「いやもともとサーカス団のゴリラが脱走したと報告が来ていたんだがまさか城にいるとは思わなかったな」
兄が呑気に言い、笑っていた。
「ミザリーお姉さまは時々生き物を拾ってくるのよ。何でも拾ってくるなって言われているのにほんと懲りない人で困るのよ」
この時、パティーの脳裏に城の噂がひとつ増えた。
<王国の第二皇女は変わった生き物を拾い可愛がる癖がある>
嘘ではない。真実の話だ。
「じゃあ幽霊は?」
「やっぱり噂は噂よね。何かの弾みで尾ひれが付いて街に流れたのかしらね」
「そう・・・」
パティーはガッカリしたがティアは安堵した。
これでようやく安心して地下に降りれる。
「さっ、次に行きましょう」
外に出るともう空に夕闇が掛かっていた。
「いつの間にかもうこんな時間。一度晩餐に戻らなきゃ」
「そうですね、探検はもう明日に回してはどうですか?」
「お姫様、ルウドさん、でも次の噂は夜にあるんだよ。湖に何かいるって噂」
「確かめるのは一人でも出来るだろう?ティア様はもう部屋に戻りましょう」
「・・・そうね、残念だけど」
「ティア姫様、半日付き合ってくれて有難う。夜の結果は明日報告するよ」
「そう?じゃあ楽しみに待っているわ」
「パティーも食事を済ませて塔で待っていなさい。私は姫を送ってくる」
「うん、分かった」
パティーは元気に食堂の方へ走っていった。
ティアは城内へ入り、着替えてから晩餐へと向かい、護衛のルウドは付き従う。
「パティーは元気ね。明るくていい子ね」
「そうですね」
貧民層の子供の現状がパティーを見てよく分かった。
分かったからといってティアに出来ることはないのだが。
「それに引き換えうちのお姉さまは仕方がないわね」
「まあ仕方がないのはあなたもですけどね?」
「・・・なんでよ?」
ティアは横のルウドを睨む。ルウドは微笑む。
「笑い花も城の幽霊ももとはといえば姫のせいでしょう?部下に余りおかしな事をしないでもらいたい」
「ただの栄養剤って言ったでしょう?」
「そもそも何故そんなものをあげたのです?」
「丁度ゾフィーの薬が切れていたのよ」
「・・・陛下に飲ませているとか?」
「別になんともないわよ、元気でしょ?元気すぎてちょっと・・とかお母様が言っていたけど」
「・・・そうですか・・」
ルウドは肩を落とす。
ティアは突然そのルウドの襟元をつかんで引き寄せる。
「姫様?何するんですか?」
「そうよ思い出したわ。これだけは絶対吐いてもらうわよ?あなた、ゾフィーから媚薬を回収したでしょう?何に使うの?」
「使うわけないでしょう。処分するのです!」
「嘘よ!あっ、まさかどこかの意中の女の人に飲ませていけないことを!嫌っ、ルウド不潔よっ!」
「そんなこと出来るわけないでしょう?大体あれは姫の専用媚薬。姫が誰かに飲ませる薬でしょう?使えるわけがない、処分するのです!」
慌てるルウドをティアは半眼で睨み据える。
「へえ、ルウドにも使える媚薬なら使うんだ?」
「媚薬など使いません、意味がないですから」
「ふうん、薬がなくても自信があるわけね」
「・・・ありません。いいからもう離してください。何故そんなに絡むんですか?」
「・・・・・」
ルウドがティアの身体を無理に剥がした。
ティアはちょっと悲しそうにルウドを見る。
「姫様、さあ晩餐にお行きなさい。家族が待っておりますよ?」
「ルウド」
「何です・・・?」
ルウドの隙をついてティアはルウドに抱きつく。
「大好きよ。たとえあなたが私を愛してくれなくても私はずっとルウドが好きだし、絶対捨てたりしないわ。最後までずっと傍にいて面倒見てあげる」
「私はあなたのペットではありません。最後までなんて不可能なこと誰も望まないし信じはしませんよ」
ティアは弱々しく微笑み、晩餐の部屋に入る。
ルウドに身内はいない。今は騎士業と庭師をしているが実はやめようと思えばいつでもやめれる。何をしても止めるものがいない彼は自由で、行こうと思えばどこへでも行ける。
ティアと離れたければ簡単に縁を切って出ていける。
考えたくもないがそんな日が近づきつつある気がしてティアは怖くてならなかった。
ーーー拷問だ・・・。
ルウドは姫と別れたその足で森の湖まで早足で歩く。
周囲の状況など考えられない。ルウドはひたすら歩き続け、湖のほとりまで来てへたり込む。
この暗い森ならルウドの顔は見えない。誰もいないのだから気にする必要もないのだが今は自分の顔を確認すらしたくなかった。
ルウドは湖の水面に頭ごと顔を浸ける。頭も顔も冷やしたかった。
ーーーーーーティア・・・
この腹の底から沸き上がる感情を誰か何とかしてほしい。
けして媚薬の効果ではない。そもそも媚薬など関係ない。
「・・・気が変になりそうだ・・」
媚薬よりも厄介なのは長年与えられ続けた姫の温もり。優しい言葉。柔らかな感触。
ティア姫が必要だと言ってくれるからルウドはまだこの城にいる。
この暖かな場所を与えてくれたティア姫に、誰より幸せになって欲しいから傍で護っているのに、その姫にあらぬ欲望を抱くなどあり得ない。
ルウドは何度も湖に頭を突っ込む。
いっそのこと滝にでも打たれたい。湖に飛び込むことも考えたがまた熱を出したらハリスに怒り狂われるからやめておく。
「頭を冷やせ・・」
まだしばらくは姫の傍にいたい。いなければならない。
姫の幸せを見届ける、その時まではーーー。
夜の森は真っ暗で何かがいそうだ。
一人で探検すると言ったもののやはり一人では恐いので食事処であったハリス隊長に着いてきてもらった。
「森で水音?うーん、まあいいよ」
ハリスはあっさり承諾してくれた。最初の印象は悪かったが話してみると結構気安くていい人だった。
二人はランプを持って森へ入る。
するとしばらくしてどこからかピチャピチャと水音がした。
「・・・ほんとに水音・・?」
「・・あいつまさかまた・・?」
ハリスが足早に水音の方に進むのでパティーも慌てて着いていく。
「ハリスさん、なんか心当たりが・・・?」
ハリスの足がピタリと止まる。
「・・・ああ、やっぱり・・」
木陰から湖のほとりを覗くと黒い影が水辺で何かしていた。
「・・・何してるのあれ?人?幽霊かな?」
「幽霊は水浴びなんかしないから。うーん、頭だけならまあ・・・」
頭を水に突っ込んでいる。そして何かぶつぶつ言っているようだ。
「・・・あれはあれで薄気味悪いなあ。今の時間は結構涼しいのになんであんな事してるのかなあ?聞いてこようか?」
「よしなさい。ほっておいてあげなさい。彼なりに何か頭が沸騰することがあったのだろう。ああやって気を沈めようとしているのだよ」
「・・・お城の人って大変なんだね」
半日歩いて回っただけでパティーのお城の役人達のイメージは大変変わった。
厳格で冷徹から、なんだか愉快で可哀想な感じに。
そしてこの湖の幽霊。
何度か遭遇し、正体を突き止め、事情を知ったとき、パティーの中で真実の噂がまた一つ増えた。
<お城の庭師は白薔薇姫を愛する余りに時折正体をなくして幽霊になる>
けして今他言できる噂ではないがいつか流してもいいかとパティーは思っている。
<第七話終了 第八話へ続く>