第六話 白薔薇姫と薬の真実
王城には様々な沢山の噂がある。
それは大昔から連綿と続くものやら近い過去に始まったものや全く最近になって流れ始めたものやらある。
しかもそれは嘘臭いものが多く誰も本当かどうかなんて調べないし真相を知らない。
噂は城外では面白おかしく話され、城内では余り関心も持たれないしどうでもいい。
そも噂とはそういうものだ。
だが最近街では聞き捨てならない噂が蔓延しつつある。
[奇跡の姫君]
街ではその噂が横行し、しかも尾ひれをつけて大きくなっていく。
実際にいる姫君を崇め奉り、一目でもその姿を拝もうとする者達が城門に集まる。
城内の者達にはとても笑えない話だった。
皇子は席についたまま困ったように周囲の者達を見回す。
「困ったことをしてくれたものだ・・・」
「申し訳ございません、元々の責任は私にあります」
「起こってしまった事はもう仕方がない。その後の対策が大事だ、ハリス」
「はい」
三番隊長ハリスは畏まる。
他にいる二人、二番隊のルウドと五番隊のコールは深刻な顔で皇子を見る。
街警備に回されていたコールは報告のために皇子の執務部屋にいる。
病気の為休んでいたルウドも責任を感じてこの場にいた。
「それで?ティアはどうしてる?」
「大人しく部屋におられます、今の所は」
「今のところか・・・」
皇子は困ったようにコールを見る。
「・・・ともかく即座に原因の子供と母親を街から連れ出しました。母親の方は軍医に任せ、子供の方はとりあえず兵舎の牢に放り込んであります」
「子供を街へ返すわけにもいかないが城に入れるのも困るなあ」
「城内のどこかで下働きでもさせては?どちらにしろ行き先など無さそうですし」
「何をさせるにしろ見張りがいるな、元々侵入者だ」
「見張りですか。やはりゾフィー殿に頼むしかないですかねえ。人手不足で兵はさけませんし」
「子供の件は警備隊に任そう。で、街の案件だ。コール、報告してくれるか?」
「はい」
コールは元々別件調査で街警備に入っていた。姫の一件で城に来たがとりあえず一通り調査を済ませ、皇子の元へ現れた。
コールは報告を済ませ、ハリスやルウドと一緒に退出する。
「私はまだ街に居なければなりません。人手が足りなくて大変な様子ですがもう少しですので」
「いいんだ、仕事に専念してくれ。厄介な子供と姫を押さえる手だては考えてある。もうコールの邪魔はしないから」
「邪魔だなんてそんな。まあ姫様は邪魔ですが。全く相変わらずな様子で」
「ああ、ほんと元気だよ?みんなね」
「それは喜ばしいことで。私も早く戻りたいなあ」
ハリスは笑うしかない。ルウドは困った顔でついてくる。
コールは五番隊隊長。警備隊が好きで城にいたのだが皇子の命で街に飛ばされた。
能力を買われての任務なのだが当人は嬉しくないらしい。
何かと言えば左遷されたと嘆いている。
「では、ルウドさんも姫になど振り回されないで早くお元気になられてください」
「・・ああ、うん」
悪気なく朗らかに笑うコールは先輩ルウドは好きだが彼に付きまとう姫は嫌いだった。
コールが姫にきつく当たる由縁である。
「・・詰まんない」
ティアはずっと部屋に閉じ込められていた。何があっても出して貰えない。
警備隊が入り口の外三人と中二人、張り付いている。
「ねえ、ルウドはもうでてきてるの?」
「え、はい、勤務中です」
「どこにいるの?全然見ないじゃない」
「ええと、たぶん外だと思います」
入り口に張り付いている兵が困ったように言う。
「きっと姫様にも会いに来られると思いますよ?」
「いつ来るのよ?」
「本日中には」
「そんなの待っていられないわ。そこどいて」
ドアに立つ兵の前にティアは仁王立ちする。
「・・・きっともうすぐ来られますよ?ここからでてはすれ違ってしまいますよ?」
「そんなのどうとでもなるわよ。ルウドの行く所なんか分かってるんだから」
「そんなことを言わず。大体ここを出ては隊長に叱られますよ」
「どうせ叱られるわよ、街を出た件で」
ハリスは黙っていると言ったがあれだけ噂になったら隠し通せるわけない。
「姫、そんな気の短い事を言わずもう少しお待ちになっては」
「・・・悪かったわね、気が短くて」
その時、兵の後ろでノックがしてドアが開く。
「ルウド!・・・・・じゃないのね・・・」
「すいませんね、私で」
入ってきたのはコールだった。ティアは肩を落とす。
「・・・ねえルウドは?どこにいるのよ?」
「さっきまで一緒にいましたよ」
「・・・なんですって?」
コールは小馬鹿にしたようにフフンと笑う。
ティアはじろりとコールを睨む。
「何よ?用事が済んだらさっさと街へ帰ればいいでしょう?私に何の用よ?」
「いやあ、一つ余計なことはするなと釘を刺しに」
「しないわよ!お姫様は余計な事しちゃいけないんでしょ?」
「街で危ない目にも会いましたしねえ。私が居なかったらどんな事になっていたか」
「悪かったわよ、分かってるわ」
「あの子供の件も」
「・・・反省してるってば!」
「ではその反省を忘れずあの母親の件も一切忘れてください。母親はこちらで預かりますからご心配なく」
「・・・分かったわ」
「話はそれだけです、それでは」
部屋を出ようとするコールを見てティアはふと声をかける。
「・・・ねえ、一切ってあの毒の事も?」
コールが振り返る。
「もちろんです」
「でもあれって考えたんだけど薬品でしょう?植物毒ではなかったわ。ということは・・・」
「忘れなさい。その件はもう別方面から調べているのです。あなたが干渉する必要は全くない」
「でも・・・」
「いい加減皆に心配かけるのはやめなさい。お姫様はお姫様らしく部屋で読書でもしていればいいんだ。全くこれではいつまでたっても嫁にはいけませんね?」
「ーーーなっ!ほっといてよ馬鹿!余計なお世話よ!」
「ああ、だからと言って売れ残ったらルウドさんが引き取ってくれるなんて馬鹿なこと、万が一でも思わないで下さいね?馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいますから」
コールはフフンと笑みを浮かべながら部屋を出ていった。
「ーーーーーっ!なによあいつうううううっ!くやしいいいいいっ!馬鹿にしてえええええっ!」
「ひひひひ、姫っ、落ち着いて下さい・・」
ティアは手近の警備隊の首を絞める。
「何よ馬鹿っ!みんな嫌いよっ!」
コールの爆弾投下で最も被害を被ったのは近くの警備隊だった。
ルウドは実は姫の部屋の前の廊下にいた。
「ルウド、姫が荒れているよ?」
「・・・ああそうみたいだな」
ジトリとハリスが横目で見る。コールに姫の様子を見てきてくれと頼んだのはルウドだった。
「ティア姫はルウドでなければ抑えられないから目付け役を頼もうと思っていたのに」
「今のところ部下五人で事足りているだろう?」
「人数的には五人より一人の方が効率がいいのだが」
「私はまだ完治していない。移ってはまずいだろう?」
「何か会えない理由でもあるのか?」
「・・・そんなものはない」
「・・・・」
ルウドは真顔でそう答える。だが何だかいつもの彼らしくないとハリスは感じる。
「何かあったのか?」
「何も・・・」
思えばあの舞踏会の日からルウドは何かおかしい。
彼の中で何が起こっているのだろうか?
「当分この子をここで預かってください」
警備隊が子供を連行してきてそう言った。
ゾフィーは大変困った。だが仕方がない。
「魔法使い!ねえ俺に魔法を教えてよ!」
子供はこれ幸いと嬉しげに言う。
ーーー冗談ではない。塔は子供の遊び場じゃない。
危険な薬品なども置いてある室内に気軽に好奇心旺盛な子供など入れられない。
そもそも頼まれたのは子供の監視だ。面倒を見る言われもない。
「まず何をしたらいい?何でもするよ!」
「そうか。では庭の掃除をしてもらおうか。草も刈って綺麗にしておくんだ」
「・・・ええと?」
子供は塔の周辺を見渡す。
「庭ってどこまでかな?」
「ここから見渡す限り、すべて」
「ーーーーー!」
塔周辺の庭と森との境界線はない。森全てが塔の庭だった。
「全て終わるまで中には入れないからな」
「そんな!魔法使い!」
「何でもするのだろう?出来ないならずっとそこにいるか牢に戻るといい」
ゾフィーは冷たく言い放ち、塔に入った。
外から人でなしとか叫ぶ声がしたが知ったことではない。
ティア付きの不幸な騎士達はすでに二人その場に力尽きた。
その辺に転がっている護衛騎士達を見ても何ら心が動かされるわけでもなくティアは納得いかない思いを抱えて憮然としていた。
納得いかないことは沢山ある。色々確かめなければ気が済まないことも幾つかある。
大体聞きたい事を聞けないのはストレスがたまる。
「・・・・・」
ティアは少しドアを開けて外で張り込む護衛三人を呼ぶ。
「・・・ねえ、あなた達・・」
「姫様、ダメです。聞きません。ドアを閉めてください」
外からドアを閉められた。
「・・・・」
いつまでこんな状態が続くのか?いつまでもこのままでは我慢ならない。
ーーー仕方ない。
手段はある。あまり選びたくない手段だが仕方ない。
二番隊隊長ルウドの配下の護衛騎士、現在ティア付きに配属されている騎士達は配下の中でも精鋭中の精鋭である。
ルウドがティア姫の為に最上の護衛を配置させ、気を抜くなと言い含めて厳重な警戒を敷かせている。彼らは有能であり優秀なのだ。
にもかかわらず彼らがよく姫を見失ってしまうのはけして彼らが無能だからではない。
騎士達の目を逃れようとするティア姫の手口が巧妙かつ卑劣なせいだ。
実直な彼らには姫の常識を超えた手段にはなれていても中々想像の範疇ではなく着いていけないでいた。
「ねえちょっとお願いがあるの。ジル、入ってきてくれる?」
ドアの外で警備をしていた三人の騎士の中の一人、ジルは五人の中で一番若かった。
現在二十歳、だが腕の立つ騎士である。
そのジルが姫に呼ばれてどきりとする。護衛の一人としていつも姫の身近にいるが名指しされるのは初めてだ。
「おい、くれぐれも油断するなよ?」
「はい」
ジルは先輩の忠告を受けて勇気を出して中に入る。
そもそもティア姫の護衛に着いてからろくな目に遭っていない。それは全て姫のせいだ。
ーーーまた何か企んでいる・・・。
姫は護衛が気に入らないのだろう。だからすぐに逃げ出そうとする。
ジルは大いに警戒した。だがーーー
「うああっ?ロディオさん、アイサさん!」
転がっている護衛二人を見つけて驚き駆け寄る。
「どうしたのですか?大丈夫ですかっ?」
息はしているが何か魘されている。一体何があったのか?
「ほっといても大丈夫よ。じきに起きるでしょ」
振り返るとティア姫がいた。冷めた視線でジルを見ている。
「ひひひひひひひ、姫様っ!何をしたのですかっ!」
「ちょっと八つ当たりしただけであっさり落ちたのよ。駄目ね、最近の騎士は弱くて・・・」
「八つ当たりって・・・」
どんな事をされたら気絶まで追い込まれるのだ?想像したくもない。
ジルが姫に目を向けると姫が意味ありげな視線を向けてキラキラ微笑む。
ーーーーやはり何か企んでる・・・
分かっていても美しい姫様に優美に微笑まれながら見つめられるとドキドキする。
中身はともかく白い薔薇と定評のある姫だ。若いジルには刺激が強すぎる。
ジルは緊張した。
「あの、姫様・・・?なななな何を?」
「あのねえ、あなたにお願いがあるの」
「・・・なんでしょうか?」
「私ね、用事があるのよ」
「駄目です、聞きません」
「部屋に閉じ込められてなにも出来ない私を不憫だと思わないの?」
「い、いけません、ダメです」
ティア姫がジルを見つめたままじりじりと近づいてきて、ジルはたじろいだ。
「ちょっと外に出るだけよ?城内ならいいでしょう?」
「当分大人しく部屋にいるとハリス隊長と約束したのではないですか」
「もう時効よ、そんなの」
「昨日の事でしょう?早いです」
ジルはじりじりと下がっていき、ついには壁にぶつかった。
「ひひひひひ姫様・・・」
姫が壁に手を付きジルを逃がさないようにしてさらに近づく。
「・・・ダメダメって何でも反対して。息が詰まるのよ。護衛なら黙って仕事だけしてればいいでしょう?あなた達の為に何で私が我慢しなければならないの?」
姫の据わった目がジルを覗き込んでいる。
「そそそそんな、人手不足なんですから少しはご協力願いますよ?」
「知らないわよ、あなた達の手抜きの為に何で私がこんな窮屈な生活を強いられないといけないのよ?」
「そんな、手抜きだなんて。全て姫様を思っての采配だと思いますよ?万が一など絶対あってはならないと」
「誰の采配よ?」
「我が隊長ですよ?」
「・・・ああ、なるほどね」
据わっている姫の目に釘付けになっていると、姫がおもむろにジルの顎を取った。
「ーーーーーーーひっ、姫・・?」
一瞬の隙に開いたジルの口に素早く怪しげな液体を流し入れ、閉じた。
「ーーーーーーっ!」
ジルは飲むまいと抵抗したが口を押さえられ、飲んでしまった。
飲んだ瞬間冷や汗が出る。
「・・・・姫様・・・」
「ちょっと実験台になって貰うわ」
「・・・何を・・飲ませ・・」
「すぐに分かるわよ?」
ジルは途端にくらくらと目眩を覚え、膝を着く。
姫は目の前でにこやかに微笑み、ジルを見ている。
「あのねえジル、私お願いがあるのよ」
次の瞬間にはジルはとても幸せな気分になって姫に微笑み返す。
「ーーーなんなりと。ティア姫様」
波打つ感情の揺れが何一つこの姫には逆らってはいけないのだと命じていた。
塔の中で薬品の精製などをしていた魔法使いは外の空気が変わるのを感じて顔をあげた。
それは魔法でも何でもなく、ただ黙って耳を澄ませていれば遠くから聞こえる誰かの声。
慌ただしく走り回る幾人かの足音、どこからかの怒鳴り声や叫び声。
その声は耳からでなく肌で感じることができる。
それは普通の人では出来ないゾフィー特有の能力だがけして魔法ではない。
たぶん方向は薔薇園、ティア姫が居なくなったと誰かが騒いでいる。
ーーーーまたか・・・。
ゾフィーは息を漏らす。
そもそも行動派のティア姫を部屋に押し込めておく事自体無理があるのだ。何か好きな事を夢中でしている時以外姫はどこにでも動き回る。
一人で大人しくなんて性質上無理があるのだ。それを押し込めようとするから被害者が出る。
そんな事を考えているとふとこちらに向かってくる足音が聞こえる。足音はどんどん近づいてきて塔のドアを開ける。
「ゾフィー、いる?話があるの」
ゾフィーは息を吐いた。
「外では姫が居なくなったと騒ぎになっているようですが?」
「平気よ、騎士の一人に行き先は言ってあるし、見つかっても当分連れ戻されないようになっているから」
「・・・騎士?今度は何を?」
「ちょっと気になることがあって、あの薬を使ってみたのだけど」
ゾフィーがたちまち不安そうな顔になる。
「・・・あの薬とはまさか、例の媚薬?」
「・・・・」
ティアは憮然とした顔で媚薬の瓶を取りだしゾフィーの前に置いた。
ゾフィーが瓶を手に取ると随分減っている。もう半分くらいしか残っていない。
「・・・ひ、姫様・・・?」
「・・・騎士には効いたわ。でも・・・、分量とか個人差があるのかしら。ちょっとだけじゃルウドにはさっぱり効き目がなかった」
「い、いつの間に・・・?」
「ルウドが油断していた夜に。ちょっとだけ試すつもりで使ってみたの」
夢の続きが見たかった。だから・・・
ティア姫が寂しげに笑う。
「・・・姫様、この媚薬はルウドさん用でしょう?他の者に使っては危険です。すいません、もっと早く言っておくべきでした」
「危険ってどういう事?まさかルウド以外だと体調がおかしくなるの?」
「体調は何ともないですが、媚薬ですから。異常に姫を好きになります」
「媚薬だもの。分かっているわよ」
「騎士とて男です。けして二人きりにならぬよう警戒してください」
「・・・毒消しないの?」
「媚薬ですから。言わば興奮剤のようなもので。効果が切れるまで待つしかないです」
「質が悪いわね。でもどうしてルウドには効かなかったのかしら?」
「やはり個人差でしょうか?」
「そう・・・」
ゾフィーはそそくさとその薬を取り、直ちに片付けた。
媚薬はルウド用。効いてないわけがない。たぶん姫が気づかないところで効いていたのだろう。
ティアは深くため息を落とす。
「・・・ルウド、どうしたのかしら。全然見ない。もう起きている筈なのに」
「起きたのなら仕事の段取りなどで忙しいのでは?」
「何で私に会いに来てくれないの?仕事が忙しいのなんかいつもじゃない」
「・・・すいません。それは当人に聞いてください」
「まあいいわ、ところで話があるの」
「はい」
「昨日私、初めて街に行ったの」
「・・知っています。もう二度と、そのような事はやめてください。城外に出られたら私も守りきれません。どんな不測の自体が起こるか分からない」
姫はうんざりとゾフィーを見る。
「その件は分かったわ。もう一人で外に行ったりしないから。それより気になることがあるのよ」
「・・気になる事、ですか・・?」
「あの子、パティーのお母様は毒を含んでいたわ。それも植物じゃない、薬品毒よ?そんなもの、どこで含んだと言うの?」
「・・それは不思議ですねえ・・・」
「誰かが意図して毒を含ませたの。どうして?気にならない?」
「それは街警備の仕事でしょう?姫が心配することではありませんよ?」
「歯切れが悪いわね、なんなのよ?」
「その件は忘れるようにと、誰かに言われませんでしたか?」
「・・・言われたわ。でも気になるじゃない、街で何が起きているのよ?それを知っちゃいけないの?」
「その件はもう街警備が動いているでしょう?皇子が早くに手を打って警備隊を街に派遣したと聞いています」
「五番隊を隊長ごと派遣したのよ。知っているわ」
「では彼らの邪魔をしてはいけません」
「・・分かっているけど・・」
姫は不服そうだ。関わってしまった以上知らなければ気が済まないのは姫の性分である。
「まあそれよりも・・・」
ゾフィーはえへんと咳をして話を逸らす。
「媚薬を飲んだ彼は今どこに?」
「私を脱出させる手伝いをさせたあと、さらに仕事を与えたわ」
「・・・仕事、ですか?」
「私の為に何でもするっていうから」
「・・・・そうですか」
ゾフィーは余り良い予感がしなかったがあえて聞かないことにした。
あとから思えば最初からおかしかった。
発端は彼が部屋に入ったこと、そしてーーーー。
「す、すみません!申し訳ございませんっ!ティア様にっ、逃げられましたっ!不意を突かれて!すみませんっ!」
「そんな馬鹿な?部屋に姫が逃げ出せるような出口はないだろう?どうやって逃げ出すと言うんだ?」
「隣室に抜け穴がありましたっ!」
「なんだと?」
外に残っていた騎士二人はただちに隣室の抜け穴を確認する。
「おい、追うぞ!また外になど出られては困る、お前はそこの二人を起こしてハリス隊長に報告だ」
「はい」
抜け穴に入った二人を見送り彼は倒れている二人を起こすことなく報告に走る。
「なに?ティア様に逃げられた?」
「はい、隣室のドレッサー奥に抜け穴がありまして恐らくそこから」
「抜け穴!あの部屋にもあったか!あの部屋を姫の部屋にする際重々調べたはずなのに」
もとの姫の部屋はある事件で壊れたので仮の部屋を提供していた。
その際もう二度と逃げ出されないようバルコニーのない窓の小さな部屋を選んだのは他でもない、皇子とその他側近数名である。
そんな思惑を知ってか知らずか姫はその部屋を受け入れた。
抜け穴を知っていたなら黙っていても頷ける。
ハリスは困ったように唸り、報告に来た彼を見る。彼はなぜかハリスの後ろ、ルウドをじろりと見ている。
「姫の行き先に心当たりはないか?姫は何か言っていなかったか?」
「・・・ルウド隊長が来ないと怒っておりました」
「ああ怒っていたな・・・」
後ろを見るとルウドがそ知らぬ顔で空を眺めていた。
「・・・ルウド、だから先程・・・」
「言っても仕方ない。とにかく捜そう」
「・・ああ、君も頼む」
「はい」
彼は颯爽と走っていった。
彼を見送りふとルウドに目を移すとルウドは困惑したように首を捻る。
「どうかしたか?」
「うん、ジル何かおかしくなかったか?」
ティア付きの騎士五人は元々全員二番隊ルウドの配下である。
まだ若く経験浅くとも、姫の為に精鋭五人の中の一人に選ばれたのが彼で当人もとても張り切っていた。のだが・・・。
「ティア姫にろくな目に遭わされていないからな。疲れているのかもしれない」
「それはそうだね。ルウドでなければ大変だろう。話を聞いて場合によっては休ませてあげるのもいいな」
「そうだな・・・」
「ところで私もそろそろ休みがほしいのだが」
「私はまだ完全に治ってはいない」
「・・・そう」
最近働きすぎで嫌だと思っていたハリスはそっと溜め息を漏らした。
それから二手に分かれて姫の探索をする。ルウドは魔術師の塔へ向かおうとした。がーーー。
「ルウド隊長」
途中でジルに足止めされた。
「何だジル、早く姫を捜さないとまた街にでも出られたら」
「魔法使いの塔で見つけましたがすぐ逃げられてしまいました。城内に入っていかれましたから街には出られないでしょう」
「ーーー・・・そうか・・」
ルウドは肩を落とす。そんなルウドをジルはなぜか熱く見つめる。
「・・・どうかしたか?」
「隊長は姫様にお会いしたくないのでは?それなのに捜すのですか?」
「・・ああ、任務だからな」
「任務。そうですね、仕事ですからね」
ルウドはふとジルを見る。
何だか妙に引っ掛かる言い方だ。しかも彼はやはりどこかいつもと違う。
「ジル、どうかしたのか?なんか妙に目がギラついているが?」
「え、そんなことはありませんよ。何でもありません」
「そうか、しかしもし疲れているならそう言って構わないぞ?休みが欲しいなら言ってくれれば考えるから」
「そんな!とんでもありません!姫様の護衛と言う誇りある幸せな仕事を休むなんて!毎日姫様をお見かけできるこの幸せな仕事に疲れているなんて罰当たりなこと思う筈がありません!私は幸せなんです!ご心配無用です!」
「・・・・そ、そうか、悪かった」
毎日酷い目に遭わされているのを知っているルウドはちょっと引いた。
今のが本心だったらどうしよう?しかもまさか護衛全員がそのように思っているのだろうか?私の部下は大丈夫なのか?
「・・・・」
ルウドは何だかとても不安になった。
苦悩しつつも足は城内へ進む。
「で、ジル、どこへ行ったと?」
「そこまでは見ておりませんでしたので。とりあえず報告を先にと」
「そうか、では次に姫を見つけたらただちに捕まえてくれ」
「捕まえるなんて・・・」
「捕獲優先してくれ。人手不足なのに精鋭護衛を振り回すとは。全く困った姫だ」
「五番隊はまだ街ですか?」
「うん、調査が終わらない。街の犠牲者も増える一方なのに中々毒の出所が掴めないようだ。これをほってはおけないし、まだしばらく戻らないな」
「公にして街役人を動かせば良いのに」
「街が騒ぎになるからな。毒ではなく疫病などと言うものも出るかもしれん。だから犠牲者は内々に処理しているのだ」
「大変ですね」
「皇子としてはもっと街に兵をやりたいところだろう。姫は部屋に押し込めておけるが毒物やあらぬ噂と言うのは押し込めてはおけないからな」
「不気味な話ですね」
「毒がその辺で手に入るような代物ではないからみんな焦っている。早く片付けば良いが」
それからジルと分かれて姫の部屋にいく。姫は居なかったのでアリシア姫の部屋を訪ねてみる。
「ティア?今日は見ていないわね。塔じゃないの?」
アリシア姫にあっさり言われた。
「・・なるほどねえ、それはゆゆしき問題だわね」
もちろんジルはルウドと分かれたその足でティア姫の元へ報告に走った。
目をキラキラさせて、とても嬉しそうな彼をみるとゾフィーはとても心が痛んだ。
別にゾフィーのせいではないが心の中でご免なさいを繰り返した。
「・・・姫様・・・」
「ねえゾフィー、何とかならないの?」
「えええ?ですからそれは街警備の管轄で・・・」
「調査はね。でも毒を何とかしないと犠牲者が後を絶たないでしょう?毒を含んでしまった人達はどうなったの?」
「・・・それは・・」
聞くまでもない。街人が毒消しなんて高価なものを買えるわけない。
毒が何の毒かさえも分からないのに医者とて処置のしようがない。
役人の言う処置とはせいぜい隔離するのみだ。
「例の薬、使えるでしょ?ゾフィー」
ティア姫に睨まれて怯む。
「あれは駄目ですよ。王の許可なくけして流入など出来ません」
「あれがあれば助かるわ。人の命に関わるのよ、増産すべきよ」
「ダダダダダ駄目です!あれは毒消しではありません。強力な毒です!分かっているでしょう姫!」
「分かっているけど、他に何かあるの?」
「お願いですから警備隊に任せましょうよ」
「出る犠牲の数は変わるわけ?」
「・・・とにかくあれは超危険薬品です。そんなものを街に流せばとんでもないことになりますよ。そもそも私の造る薬は全て王の許可なく街に流すわけにはいきません」
「・・父様の許可が出れば良いの?」
「許可が出るはずもありませんしそれくらいなら毒の成分を調べてきちんとした毒消しを造りますよ?それが妥当と言うものです」
「・・・それはそうよね、なるほど・・」
据わるティア姫の視線がゾフィーに向けられている。
「・・・ええと・・・?」
「おかしいわよね?何故ゾフィーにその仕事が来ないのかしら?騎士隊は街で調査しているのにゾフィーに協力を依頼しないなんて」
「そ、それはきっと軍医で事足りるからでは」
「そうかしら?」
姫は入り口に立っているジルに目を向ける。
「とにかくまだ情報が必要だわ。ジル、頼んだわよ?」
「はいっ、勿論ですっ!」
ジルは嬉しそうに返事をして張り切って出ていった。
「・・・・」
ゾフィーは恨みがましく姫を見る。
「あとでルウド隊長に怒られても知りませんよ?」
「ばれなきゃいいのよ?」
実験台にされたジルが何より哀れだ。姫に罪悪感は見られなかった。
城内を捜し回ったがティア姫が見つからないので結局外へ出た。
薔薇園、庭園を回って魔法使いの塔へ行き着く。見ると森の辺りで子供が草をむしっていた。
なんだろう?新手の修行だろうか?
それはともかくルウドは塔の入り口で足が止まってしまった。
「・・・・」
ティア姫を捜しているとはいえ当人に会う平常心がなかった。
とても真っ直ぐ顔を見る勇気もない。
それというのもあの舞踏会の日からおかしな妄想が頭の中を駆け巡り、夢にまで出てくるからだった。
こんな事、誰にも相談できるわけない。
だが最近は思いきって魔法使いに相談しようかと思っている。彼ならきっと良い特効薬や処置を施してくれるに違いない。
このままほっておいたら本当にまずい事になりかねないとルウドは思っていた。
姫がいるかもしれないと緊張しながらドアを叩く。
「ーーーゾフィー殿、居られるか?」
「はい、居ますよー?おやルウドさん」
ドアから顔を出したゾフィーがルウドを見る。
「・・・ティア姫は居られるか?」
「今はいませんよ?部屋に戻られたのでは?」
「そうですか・・・」
ルウドは肩を下ろして息を吐く。
「ルウドさん、病み上がりでしょう?無理なさらないで少し休んでは?中でお茶でも?」
「・・・頂きます、実はちょっと相談がありまして。私事なのですが」
「はい、何でも聞きますよ。城の方々の相談役も私の仕事です」
「ありがとう」
ルウドは塔の中の客間に通されお茶を入れてもらった。
「・・・あの、本当に姫はいませんよね?」
「いませんよ、たぶん部屋に戻る前に皇子の部屋でしょうから」
「皇子の?」
「・・苦情とかあるのではないですか?まあどうでもいいことですよ。それよりあなたの方が余程深刻に見えます」
ルウドは苦悩しゾフィーを見る。
「・・・実は、あの舞踏会の日から変な夢ばかり見るのです」
「・・・夢、ですか」
「夢ばかりではなく、頻繁におかしな妄想まで」
「・・・妄想・・」
「・・・夢は願望の現れと言いますが今までそんな事はなかったのにいきなりこんな事・・。私の頭はどうかしてしまったのでしょうか?」
「・・・夢とはどのような?」
「・・・・・」
「・・・ルウドさん?」
「・・・ティア姫の、夢です。あんな邪な夢、何で私が見るんだ?もう自分が信じられない。私はもしかして欲求不満なのか?いっそハリス達と共に大人の遊び場に行った方がいいのか・・・」
「そんな、思い詰めないでください!大丈夫ですから!」
「ゾフィー殿・・・そんな風にはとても・・・、それとも私は姫に害を及ぼす前に腹を切った方がいいのか・・」
「大丈夫です。夢も妄想もあなたのせいではありませんから!薬です!惚れ薬なんです!私が造ってしまったのです!あなたはそれを飲んだのです!」
「・・・惚れ、薬・・・?」
「いわゆる興奮剤です。速効性で長時間効き続けます。個人差がありますが蝶が花に誘われるように相手の匂いに誘われて虜になります」
「・・・そんな薬を何時の間に私は・・・」
「ルウドさんの場合少量だったのでしょう。だから夢や妄想で済んでいるのです」
「・・・私の場合・・・?」
しまった、と言わんばかりにゾフィーは口を閉じた。ルウドは彼を凝視する。
「ゾフィー殿、惚れ薬は明らかに姫用ですね?」
「・・・・・」
「姫が持っているでしょう?そして誰に飲ませたのです?」
「・・・媚薬はもう回収しました」
「媚薬を飲まされた男はどうなるのです?私でさえあんな妄想を・・・、大量に飲まされたらもう・・・ゾフィー殿!」
「・・・・」
ゾフィーは観念したようにこっくり頷く。
「・・・その、あなたの部下の・・・一番若い、大量に飲まされたようでもう姫の虜です」
「ーーーージルか!道理で目が危ないと・・!全くあの姫はろくなことをしない!」
ルウドは立ち上がり、慌てて外へ飛び出した。
もはや自分の悩みなど眼中外に消え去った。
ティアは兄に散々苦情を言ったあと自分の部屋へ戻った。
まだ捜し回っているのか、警備隊が誰もいない。
「全くお兄様はほんとに分かっているのかしら・・・」
兄と姉とは喧嘩にならない。兄は必死の苦情も笑って流すし、姉は返しに困る言葉を吐いて終わらせる。実は喧嘩の相手になるのは下の姉ミザリーだけだった。
ティアは全く面白くない。
ソファーに座るとジルがお茶を持ってきた。
「さあどうぞ」
「ありがとう、でもあなた何故ここにいるの?情報収集は?」
「街に出なければあれ以上は出ませんよ?現状をみなければ。それよりも姫様・・・」
「なによ?」
ジルはそっとティアの横に座り、姫の白い手をそっと取り、姫の目を熱く見つめる。
「私はあなたに虜です。あなたの為なら何でも致します。どんな苦労も厭わない。ティア様、世界で一番あなたを愛しているのはこの私です。この愛は永遠に変わらない。こんな私にご褒美をください」
「ーーーーーー・・・な、なにを?」
ジルは熱のこもった眼差しでそっと手を伸ばし、ティアの白い頬に触れ、赤い唇に触れる。
「あなたに触れるお許しを。その赤い唇に触れることが許されるなら、私は命を賭しても構わない」
ティアは目を見張り、固まる。ジルの手を押し退けようとするが彼は動かない。
ジルの端正な顔が近付き、熱い吐息が顔に掛かる。
「ーーーティア様・・・・」
「は、離して!許さないわ」
「構いません、私はもう我慢できない」
「ーーーや、やめて!ルウド!ルウド!」
「姫様、隊長はあなたを愛してはいませんよ。私の方が余程愛している」
「ーーーーーー!」
ジルの言葉にティアはざっくり傷ついた。分かっていてもその言葉は聞きたくなかった。
「・・嫌よ、ルウド、ルウド・・!」
「あなたに会おうともしない男のどこが好きなのですか?明らかに嫌われているじゃないですか?もういい加減忘れた方がいいですよ?」
呆れた声のジルの言葉にティアは涙が溢れる。
「呼んでも来てくれはしませんよ?あなたに無関心でしょう?隊長は」
「・・・ルウド・・・」
ジルはにっこり微笑み姫の唇に近づく。
寸前で触れようとしたとき彼の頭が突然横に吹っ飛んだ。そして体ごと壁に叩きつけられ動かなくなった。
驚いて体を起こすとソファーの後ろにルウドがいた。眉間にシワを寄せてジルを見ている。
「・・ルウド・・・」
「全くほんとにろくな事をしませんねあなたは。ああ罪のない部下を殴ってしまった。あなたのせいですよ、姫」
怒っている。
「ルウド、私、襲われてたのよ?」
「自業自得でしょうあなたは。事情は全て聞きました。全く何を企んでいたのか知りませんが馬鹿な薬を人に飲ませて。好きでもない男に媚薬なんか飲ませて馬鹿ですかあなたは?襲われるに決まってるでしょう」
「き、決まってるの・・・?でも・・」
「でもなんです?媚薬なんか飲まされて大人しい男なんかいますか?全く馬鹿な薬で人を従わせようとするからこんな目に遭うのです。少しは自重しなさい」
「・・・・・」
ルウドはジルを肩に担ぎ上げる。そして姫の腕をガッチリ掴む。
「ゾフィー殿の所へ連行します。ジルも治して貰わなければならないし、姫には色々聞きたいこともありますしね?」
「・・・・」
ティアは大人しく連行される。途中警備隊やハリスにもバッチリ見つかり小言を言われた。
ティア姫は塔の一室に入れられて警備隊と隊長二人にガッチリ見張られるはめになった。
可哀想なジルは怪我を手当てされてとある個室に収監された。効果を消す薬がない為、効果が消えるまで待つしかない。
「ーーーさて、何を企んでいたか吐いてもらいましょうか?」
テーブルの向かいでルウドが睨んでいる。
ティアは不思議そうにルウドを見つめる。
「・・・なにも企んでないわ」
少しでも媚薬は媚薬。ジルであれだけの効果を出したのにルウドでは効果なし。
そんな訳がないはずだ。絶対おかしい。
「・・・ねえルウド、私を見て何か感じない?」
「大変な怒りと苛立ちを感じています」
「・・・私、そんなに魅力ない?」
「・・・今そんな話していないでしょう?」
「媚薬を飲ませたらルウドもあんな甘い台詞を言ってくれるのかしら」
「薬で言わせて満足ですか?何か意味がありますか?」
「気休めよ、叶わない夢を見るくらいいいじゃない」
「人に迷惑が掛からなければ私も文句は言いませんがね」
「ルウドにしか掛けないわよ」
「・・・・」
二人は何故か火花を散らす。
二人の会話と雰囲気に耐えられなくなってきた騎士達とハリスは静かに部屋を出た。
しばらくの沈黙の後、ルウドが口を開く。
「あんなもの私には効きませんよ」
「そんなはずないわ」
「絶対に効きません」
「・・・・それだけ私が嫌いってこと?」
不安で崩れそうな顔になる姫に慌ててルウドが叱りつける。
「馬鹿なことを言わないでください。いつもいつも、何故そんなあり得ない事を思うのです?全く理解できない!」
「何よすぐに会いにも来てくれないくせに!私の事なんか愛してもくれないくせに!」
「・・・・・」
泣き出すティアにルウドは掛ける言葉を無くして凍りつく。
姫から目を逸らしてしばらくしてルウドは呟く。
「ーーーーあなたにその言葉を掛けるのは私ではありません」
「私は、あなたでなければ駄目なのよ・・・?」
「・・無理を言わないでください」
ルウドはそっと席を立ち、部屋を出ていった。
ーーーーいつも一方通行。何時になったら・・・
誰の言葉よりルウドの言葉が一番痛かった。長年拒絶され続けて傷つけられて、それでも変わらない気持ちが苦しくてならない。
気休めでもいい、どうせ叶わないのだから。
つかの間の幸せを求めて何が悪いと言うのだ。
外へ出るとハリスと警備隊達がいた。何とも言えない顔をしてルウドを見る。
「ルウド、姫があんなことをしたのは元はといえば・・・」
「何も言うな、分かっている」
何があろうと認めるわけにはいかない。知らぬ振りをするしかない。
長年そうやって凌いできたがもういい加減限界が来ていた。
ーーー認めなければ、先へは進めない
ルウドもティアもとうの昔から既に手遅れだったことは知っていた。
知っていて知らぬ振りをして来たのはルウドだった。
直向きな気持ちをひたすらぶつけて、心が壊れるほどに傷ついて泣き続けるのはティアだった。
冷酷な言葉をぶつけて心が痛まないわけがない。その痛みすらルウドは知らぬふりをした。
ジルに罪はない。元々悪いのはティア姫なのは分かっている。
だがあのとき、あの光景を目の当たりにして。
泣いてルウドを呼びながら今しもジルに唇を奪われそうになっているティア姫を見た時。
異常なほど大きな憎悪と殺気が一瞬にして膨れ上がったのをルウドは覚えている。
あのまま姫が奪われていたらきっと、ルウドは狂ってジルを殺していたかもしれない。
「・・・どうしろというんだ・・・」
持っているものは気持ちだけ。それではどうする事も出来ない。
ルウドには束の間の夢すら見せる勇気も余裕もなかった。
ルウドは全く自分に自信はないし、信用も出来ない。
深い思いは理性で包み隠して心の奥底まで封じ込めた。
何時でも決意と覚悟を持って姫と接していた。
長年鍛え続けた鉄壁の理性がたかが媚薬ごときで崩れるわけがない。
「可憐で優しく繊細で、誰より愛しい白薔薇の姫。貴女を守り、誰よりも幸せになれるよう、何時でも最善の努力をするよ」
たとえ思いが還らなくとも。別れればそれが永遠になることを知っていても。
それが何も持たないルウドが姫に出来る精一杯の事なのだ。
<第六話終了 第七話に続く>