第四話 庭師と白い薔薇の姫
「可憐で優しく、繊細で綺麗な白い薔薇の姫君。誰より愛しい貴女のために私はどんな事をしても貴女を守り、幸せになれる手伝いをするよ」
一株の薔薇の苗と大切な小さな姫を預かった庭師は薔薇と同じように姫様にも惜しみ無く愛情を注ぎ、優しく、時に厳しく彼女を育てた。
その惜しみ無い愛情が還ることはないと知っていても。いつか別れが来て二度と彼の元に彼女が戻ることはないと分かっていても。
彼は彼女を一身に愛し、甘い微笑みを向け続ける。
苦しくて辛くて、悲しくて仕方がない。
どうして彼は姫に背を向けるのだろう?
何時からそうなってしまったのか全くわからないし覚えてもいない。いつの間にか、気が付いたとき、庭師は姫から離れていった。
このままだとどんどん離れてもう会えなくなるかもしれないと不安に駆られ恐れる。
彼の言葉の端々に拒絶の意思を感じて絶望的になる。
近づけば嫌われて、話せば傷つけられて、ますます姫は恐くなる。
いつまでこんなことが続くのだろう?
ーーーーーもう、疲れた・・・・
彼の愛情はもう姫には戻らないのかもしれない。
彼を失う恐怖に毎日怯えなければならない生活などもう限界だ。
姫はテーブルの小瓶を手に取る。
魔法使いの媚薬。ほんの一滴で彼の心が戻ってくる。
「ーーーー・・っ・・」
情けなくて泣けてくる。こんなことをしなければ彼は戻らないのだろうか?
どうして彼は離れていってしまうのだろう。
一体何が悪かったのか、姫には全く分からない。
パーティが始まる。
城内は早朝から準備に忙しく使用人も警備隊も慌ただしい。
メイドのマリーはティア姫の身支度のために衣装をもって部屋を訪れる。
「おはようございます、ティア様。
本日に衣装をたくさん持ってきましたわ。どれでもお好みのドレスを選んでくださいませ。それに合わせた宝飾品もバッチリ準備できています。
姫様ならどれでもお似合いになりますもの。姫様?」
部屋は静まり返っていて寝台にも気配がない。
マリーは寝台に近づき姫がいないのを確認し、周囲を見回す。
「ーーーティア様?」
隣室もシャワー室も衣装部屋もすべて捜したがやはりいない。
マリーは焦って外に配備されている警備隊を呼ぶ。
「ティア様がいないんです!」
「そんなばかな!」
警備隊は昼夜問わず交代で姫の傍に張り付いている。姫が部屋に入れば外のドアに張り付く。
出口はドアしかないのだから消えるわけがない筈だった。
警備隊は慌ただしく動く。
「隊長に報告!ティア姫を捜せ!こんな日に限って!とんでもないことだ!」
「・・姫様・・」
マリーはドレスを抱えて不安そうに部屋に佇む。
報告を受けてルウドは真っ青になった。
「・・・部屋から居なくなったなんて?バカな?一体どうやって?」
「ルウド、落ち着け。まだ誘拐と決まっていない。どちらかというと自分から居なくなった可能性が高い」
ハリスが警備に指示を出しながらルウドを落ち着かせる。
「・・・なんでだ?消えるなんて?どうして・・・・」
「城のどこかにいるはずだ。姿がないならどこかに隠れている可能性が高い。
どこにいるにせよ所在ははっきり掴んでおかなければならない。
ティア姫が隠れそうな場所、ルウドなら分かるんじゃないか?」
「私が?姫の隠れ家など知るはずがない」
「ほんとかい?とにかくお客人には分からないよう捜索するんだ。私は庭の方を見てくるから君は城内へ」
「・・・分かった・・」
ルウドは全く心当たりがないがとにかく城内の捜索をする。
ーーー何故姫は消えた。本当に誘拐じゃないのか?
誘拐だったらどうしよう?城から連れ去られてしまったら、国から連れ去られてしまったら、もう手がかりがない。捜し出せない。
ルウドは血が凍る心地がした。姫が消えてしまうなんて考えられない。耐えられない。
「・・・ティア姫・・」
昨日自分は姫に何を言った?酷いことを言わなかったか?
だから雲隠れしてしまったのだろうか?
ならば謝れば済む。だからどうか、無事でいて欲しい。
祈るような気持ちでドアを開ける。
「ーーールウド!どうしたの?真っ青よ・・?」
「・・・アリシア様・・」
美しいドレスを着たアリシア姫が驚いてルウドに駆け寄る。
「姫が・・・ティア姫が・・、消えてしまったのです。どこに消えたのか・・・ここには?」
「いないわ。どこから消えてしまったの?」
「お部屋から・・・」
「それはあり得ないわね。誘拐も難しいでしょうし。またどこかに隠れてしまったのかしら?」
「冗談じゃありません。そんな人騒がせなこと。どうしてそんな事をするのです?」
「昔はよく隠れてたでしょ?辛くて我慢できないときはどこかで隠れて泣いているの」
「そんな時は私のところに来ればいいと、昔から言って・・・」
「原因があなたにある場合、そんなこと出来ないわね」
「・・・・」
「ねえルウド、ティアにダンスの相手、申し込んだの?」
「相手がいるなら別に私でなくても」
「私はあなたに頼んだのよ?あなたでなければダメだと思ったから」
「私など・・・きっと姫には嫌われていますよ?」
「ほんとにそう思うの?鈍い人ね。とにかくここには居ないから他を当たってちょうだい。悪いけど私も婚約者を迎える準備で忙しいのよ?」
「・・申し訳ございません」
ルウドは部屋を追い出されて途方に暮れてしまった。
ハリスは魔法使いの塔に入った。
「ゾフィー殿、あなたティア姫の味方ですね?」
「えっ、・・・そうですね、私は無実ですが」
黒い髪を垂れ流し、ボロボロの法衣を着る彼は一見不気味な感じだがハリスには通用しない。彼の目が明らかに泳いでいる。
「この忙しい時にティア様が行方不明になってしまい大変困っているのです。
姫の居場所、知っているでしょう?
姫様の邪魔しませんから居場所だけ教えてくれませんか?とても重要な事と分かっているでしょう?」
「・・・そっとしておいて差し上げては?」
「いけません。一番警備が必要なところですよ」
「大丈夫ですよ。たぶんルウド隊長でなければ見つけ出せないところです」
目を逸らすゾフィーにハリスは笑みを見せる。
「ほんとに姫様だけの味方なのですね?」
「最近のルウド隊長、酷くないですか?ティア姫が不憫で・・・。何とかして差し上げたくても私ではどうにもならないんです。魔法使いでも無力なんです。ルウドさんでなければどうしてもダメなのです」
「私たちには何も出来ないですからねえ・・」
「姫様の望みを叶えて差し上げるしか出来ない」
「そううまくいくといいですど・・・仕方ないな。そういわれたらルウドに任せるしかないか」
「申し訳ないです・・」
「いいのですよ、居るのさえ分かれば。姫が静かだと警備が楽ですし」
ハリスは笑って塔を出る。姫が大人しく籠っているならこのまま通常通りの警備で体制を整えておけばいい。
しかし事態はそれほど甘くなかったことをハリスは後から思い知る。
ミザリー姫はとある部屋でドレスを着て講師のダンスレッスンを受けていた。
「・・・あらルウド、どうしたの?」
「ティア姫を知りませんか?居なくなってしまって・・・」
「あら雲隠れ?じゃあ今ごろどこかで泣いているわね。まあいいんじゃないの。たまにはきつく叱ることも必要よ?全くあの子の悪さに毎回泣かされるのはこっちなんだから。
ルウドは悪くないわよ。大体あの子ルウドが言わなきゃなんの効き目もないんだもの。ビシッと言ってやって正解よ。ほっておけばそのうち出てくるわよ?」
「そうですか・・・」
普段から被害甚大なミザリー姫は容赦ない。
ルウドは部屋を出て思い悩む。
ーーー少しきつく言い過ぎただろうか?
しかし昨日はそれほどきついことを言った覚えはない。ダンスの相手は出来ないと言ったが相手がいるならそれでいいではないか?
「・・・・」
昨日の姫の傷ついたような顔を思いだし、少しばかり罪悪感に駆られる。
だが元はといえば姫が悪さばかりしているからいけないのだ。
「・・・・・」
何故姫はあんなに意地悪ばかりするのだろう?昔はそんなに酷くなかった気がするのに。最近は浮き沈みが激しくて何かに怯えているようにも見える。
ルウドはふと思い立ち姫の部屋へと向かう。
部屋には誰もいない。メイドは姫がいないので仕事に戻ったようだ。
ティア姫が部屋を出た形跡はないのに部屋にはいない。警備がドアに張り付いていて部屋から出られる筈もないのに消えてしまった。
「ーーーティア姫、どこです?」
誘拐でなければまだ部屋に隠れている可能性もある。
「出てきてください。お願いですから。怒ったりしませんから。ティア様?」
応答もなく、物音ひとつしない。
「・・・・姫様、昨日は酷いことを言ってすみませんでした。私のしたことならば幾らでも謝りますからどうかーーー」
やはり部屋にはいないのか・・・?
ルウドは部屋の隅にある白薔薇に目を向ける。
水をやらなければすぐに萎れて枯れてしまう。
「ティア姫様・・・・」
どこかで泣いているなんて聞かされてはほっておけない。
「ーーー姫様・・・」
「ーーーーー・・・っ・・」
「・・・?」
薔薇の下から何か聞こえる。
花瓶が乗っている大きな戸棚の下を開けてルウドは息を漏らす。
「ティア様・・・」
戸棚の中にすっぽり収まって姫は眠っている。やはり泣いていたのか目尻が赤い。
「姫様、起きてください。こんなところで眠っていたら風邪を引いてしまいますよ?」
ピタピタと頬を叩くと姫は目覚めてルウドを見てビクリと身じろぐ。
「ルウド・・・なんでここに?」
「ティア様こそどうしてこんな所に入っているのです?いきなり居なくなってとても心配しましたよ」
「ごめんなさい・・・」
ルウドが手を差し出すとティア姫がその手をとって棚から這い出る。
姫の手が冷えていてルウドは悲しくなる。
「・・・辛いことがあるなら話して貰えませんか?一人で泣かれていては私はどうしていいのか分からない。
あなたを傷つけていたなら幾らでも謝ります。だから一人で悩まないで下さい・・・」
姫の手がビクリと震え、ルウドの手から離れる。
「・・・姫様・・?」
「ーーーー・・・しいのよ・・」
「姫?」
「・・・どうだっていいでしょう?あなたには関係ないわ」
「心配しているのですよ。関係ないことありますか」
「関係ないわ、あなたには何も出来ないもの」
「そんなことないですよ。何か、出来る筈です」
「・・・嘘ばっかり。私の望みなんて何一つ叶えられないくせに」
「望みを教えて下されば努力は出来ます」
「ーーーー嫌い!」
「ティア様・・・」
「中途半端に優しくされると余計に惨めで辛いのよ?いっそはっきり言ってくれればいいでしょう?意地悪姫なんか嫌いだって。私なんかどうでもいいって!」
「何を言って・・・?そんなわけ・・」
ティア姫がキッとルウドを睨み付ける。
目に涙を滲ませて傷ついた目を向けられてルウドは怯んで押し黙る。
「見え透いた言い訳なんか聞きたくないわ。私の気持ちなんて何一つ分かろうとする気なんてないくせに。
ーーー苦しくて限界なのよ、もうほっておいて!」
「・・・・・」
姫は部屋を出ていったがルウドはあとを追えなかった。
ショックで足が動かない。
ハリスは城内の周辺の見回りをしていた。城には国内外からの沢山のお客が来ていて至るところに人がいる。
お客は城にはいる際身元確認をされている筈なので大事無い筈だがその中に不審人物が隠れている恐れがある。
けして油断できない。気を引き締めて警備に当たれと言っている以上ハリス自身もそうでなければならない。
城周辺を一回りして薔薇園を通りかかるとルウドがぼんやりたそがれているのが目に入った。
「何しているんだいルウド?姫はどうした?」
「ーーー・・あ、ハリスか・・」
「ルウド・・・」
「すまない、姫は・・逃げられた」
「見つけはしたのか」
「ほっておいてくれと言われた。・・・私が姫を傷つけていたのか・・・」
「・・・・・」
「余りにも悪戯が過ぎるからもともと繊細な姫だったのを忘れていた。そんなに追い詰めていたなんて、知らなかった」
「・・・ティア様はなんと言っていたのだ?」
「嫌いならはっきり言ってくれと。そんな馬鹿なことあるわけがないのに・・」
「でも最近敬遠していなかったか?やたら冷たい態度で突き放したり」
「姫には沢山の求婚者が来るんだ。私が傍にいては邪魔だろう。私がいるせいで姫にお相手が見つからなかったら私は陛下にも顔向け出来ないじゃないか」
「・・・そうだね。でも訳も分からず突き放された姫は不安になるだろう?きちんと言って差し上げないと可哀想だろう?」
「その件は話しても何故か喧嘩にしかならない。求婚者の為といえば怒って何をするか分からない。姫はまだ子供なんだ、結婚など早すぎる」
「ルウド、それは何か矛盾してる。君、本当はどう思っているんだ?本当に姫の相手が現れてほしいと思っているのか?」
「・・・勿論相手が出来ても気に入らないだろう。ティア姫は私が守ってきた大切な姫だ、娘のようなものだからな。
だがそれは私の感情で姫には関係ない。そもそも身分が違うのだ、私にどうこう言える筈がない」
もと庭師の騎士と王国の姫君。ずっと傍にいて身近に思っても確かに身分と言う壁がある。
「でもそれで姫は泣いているのだろう?
ちゃんと説明してあげなよ。誤解を解いて機嫌を直して貰ってよ」
「・・・しかしこのまま私が悪者になっていれば姫は私に近づかなくなると思わないか?」
「・・・何故そんなことをするんだ?冗談じゃないぞ」
「姫に悪い噂がたったらどうするんだ?」
「それよりも一番に姫の気持ちを尊重しようよ?泣いてばかりいて病気になってしまったら結婚どころじゃなくなるぞ?」
「・・・それはそうだが、ちょっと大袈裟ではないか?私のせいで病気になるなんて」
「ずいぶん思い詰めていただろう?分からないぞ?だから早く姫を見つけてくれ。目を離したら何をするか分からないと言ったのは君だろう?」
「そうだな・・・」
やっとルウドが思い腰を上げたのでハリスはほっとした。
と、その時庭園の方で叫び声が上がった。一人ではない、複数だ。
ハリスは嫌な予感を抱えて現場へ走る。
手遅れだった、とハリスは落胆した。
平和な交流場所である筈の庭園が阿鼻叫喚の地と化していた。
被害者達は何故か腹を抱えて笑い転げていたり、隣人に怒り狂っていたり、酔ったように泣いていたり感情を発露していた。
「どうしたのですか?」
感情を爆発されて困っていた紳士に聞くと分からないと首を振る。
「普通に話していたのだが突然訳の分からないことを言って怒り出したのだ。困って周囲を見ると突然奇行に走る人達が次々現れて、異常事態ではないのかね?」
辺りを見ると突然怯え出したり転げ回ったりし出す人達が次々と増えている。
ハリスは真っ青になった。
「他に何か気付きませんでしたか?何かを召し上がった後におかしくなったとか?」
「そういえば綺麗なメイドさんが通り過ぎた後から異変が現れたような?
いやっ!メイドさんは関係ない!彼女は仕事をこなしていただけだ。綺麗なメイドさんがそんな悪いことをするわけがない!彼女は無実だ、済まない」
「・・・そうですか・・」
ハリスは着いてきたルウドの元へ行きこっそり話す。
「この場は何とか処理するからルウドは姫を捕まえてくれ。早くしないと大変な騒ぎになる」
「分かった」
「姫は変装しているかもしれないから気を付けてくれ」
ルウドが走っていくのを見届けてからハリスは部下に指示を出す。
「ゾフィー殿を呼んできてくれ。状況を説明してな」
騒ぎの起こる先にティア姫がいるはずだ。
ルウドは急ぎ、騒ぎの側をすり抜け先へ進む。
「いやああああっ、蛇が!蛇が!」
「わあああああっ!なんだこの樽はああっ?」
「きゃああああっ、魚男っ!」
「何故ザルを被っているんだあああっ!」
通る先々で騒ぎが起こり警備隊が処置に追われている。彼らはどうも幻覚剤を嗅がされたようだ。
「・・・悪質な・・、何故こうも周りを巻き込むんだ?」
ルウドは小さく呟きながら庭園を出て薔薇園に入る。
薔薇園は静かだった。人は疎らにいるようだが特に変わった様子はない。
意地悪姫と言われる姫様でも薔薇に害をもたらすことはない。それは姫も薔薇が好きと言うだけでなくここにある薔薇を植えた人達の思いを知っているからだ。
赤い薔薇はアリシア様の為に。黄色い薔薇はミザリー姫の為に。白い薔薇はティア姫の為に。
姫達が生まれた年に姫の幸福を願い植えられた。薔薇には育てた庭師の思いもある。
それなのにーーーーー
「・・・・ティア姫・・・」
白い薔薇の枝が抜かれて消えている。
怒りよりまず先に鳥肌が立った。
ーーーティア姫は一体何を考えている?
早く捕まえなければやけになって何をするか分からない。手遅れになる前に早く見つけなければ。
このパーティが終わったら帰国する予定のスティアはティア姫の姿を見かけて追いかけ、声を掛けようとして息を詰まらせ目を疑った。
ーーー白薔薇姫が白薔薇の苗を抱えて歩いている。
なんだろうか、この光景?
普通なら見なかったふりをして遠ざかるところだが姫の状態がとても普通ではなかったのでスティアはほっておけなかった。
「ティア様、何をしているのですか?」
「何でもないわ、ほっておいて」
「その白薔薇どうするつもりですか?」
「どうだっていいじゃない!ほっておいて!」
「そんなわけにはいきません。その薔薇、重いでしょう?お持ちしますよ?」
「ーーーなっ、ちょっと!」
スティアは強引に姫から白薔薇を取り上げる。
「これは大切な薔薇なのでしょう?どうする気です?」
「返して!捨てるのよ!もうこんなものいらないんだから!」
「皆が悲しみますよ?」
「いらないのよ!だって庭師が言ったもの!どうせ枯れる運命なのだから枯れる前に捨てるのよ!」
「まさか?そんなわけ無いでしょう?これは彼の宝ではないですか」
「もういらないのよ!そんなもの、簡単に人に譲り渡せる程度のものなんだから!」
「ティア様、落ち着いてください、何があったのです?」
「何もないわよ!だから終わらせるのよ!すべて」
「ティア様・・・」
これが異常事態なのは分かる。泣き腫らした目をした姫は何かやけを起こしているようにしか見えない。
「とにかく落ち着いてください。とりあえず私の部屋へ行きましょう。何か温かい飲み物を飲んで気を落ち着かせてください。私でよければ話を聞きますから」
スティアは姫と薔薇を部屋へ連行する。姫は疲れきったように大人しくスティアについていく。
部屋で温かいお茶を飲んでからティア姫はぽつぽつ話し出す。
姫は積り積もった思いを誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。だがそれは身近な人には言えなかったのだろう。
「ほんの一、二年前まではルウド、優しかったのよ?いつも傍にいてくれて、私が何をしても笑ってくれて、許してくれて、いつも愛してるって言ってくれた」
「・・・・」
「周りがちょっと甘すぎるって言うくらい甘やかされていたのに、舞踏会に出る年くらいから離れていって話せば説教か喧嘩だし、仕事以外では近づきもしないし、私が近づけば突き放すようなこと言うし、冷たいし・・」
姫は目に涙を浮かべて寂しげに薔薇の苗を見る。
「・・・私、楽しみにしていたのに。舞踏会に出るようになったらルウドが相手してくれるって。バカみたいよ、相手なんかしてもくれない。
あの人、私みたいな子供の相手なんかしたくないのよ。もう薔薇からも私からも解放されたいんだわ・・・」
「そんな・・・」
「迷惑なら迷惑って言ってくれれば良かったのにルウド、何も言わないから。私が泣けば優しくなって適当な弁解するから。もうどうしていいか分からなくて苦しいの。辛くてもう耐えられないから終わらせたい・・・」
「何を?」
「・・・すべて。この思いも、いっそ忘れてしまいたい・・」
きっとそれが出来なくて姫は苦しんでいるのだろう。
姫の庭師がこの気持ちに気づかない限り、姫はずっと苦しみ続ける。
「姫様、ルウド隊長ときちんと話し合われた方がいいですよ?」
「ルウドは私の事、ただの我が儘な子供だと思っているの。何をしても、何を言っても、きっと理解しないし気付かないわ。私の気持ちなんて分かろうともしないのよ」
「何故・・・?」
「困るから。私の気持ちはルウドにはとても困るものなのよ、だから私を子供扱いするのよ」
「それでは姫が辛いままでしょう?きちんと伝えた方がいいです」
「伝えればきっと私から離れていくわ」
「そんな・・・」
何を言っても姫を慰めることは出来ない。ルウド隊長でなければダメなのだ。
悲しそうな姫を見ているとスティアまで悲しくなる。すぐそばに居るのに何も出来ない。
この恋を終わらせなければ姫は先へ進めない。
「・・・私帰るわ、聞いてくれて有り難う」
「いいえ、何も出来ずすみません。あの白薔薇は私が戻しておきます。
ティア様、逃げても何の解決にもなりませんから勇気を出して話し合われてください」
「・・・・」
「あなたの好きな庭師は、あなたを傷つけるような方ですか?きっと心配していますよ」
「・・・・」
ティア姫は黙って部屋を出ていった。
完全な部外者でしかないスティアは少しだけ姫の内情を知って安堵する。
姫の心にいる庭師はけして姫を愛することはない。現実的に考えても姫の恋が実ることは無いのだ。
次にこの城に来たときには姫の恋は終わっているだろう。
卑怯でもそう思わずにはいられない。
「ゾフィー、ティア姫の居場所を知らないか?」
「ルウド隊長、ですから知らないと何度も・・・。何故あなたが分からないのです?」
「・・・分からないのだから仕方ないだろう?」
ルウドが客室でどっしり座って憮然としている。
「あの、捜しにいかないので?」
「ここにいれば現れると思ったのだが・・・」
「被害者がまだまだ出るのでは?早く捜さなければ姫自身にも危険があるかもしれません」
「・・・・」
「あの、ルウドさん?」
「私はどうしたらいいのだ?」
「え・・?」
「白薔薇の苗が抜かれていた」
「私がいると苦しいと・・。ほっておいてくれと。私は嫌われているのか・・」
「たたたた隊長、そんな馬鹿な。あり得ないでしょう?姫はあなたが居ないと寂しがりますよ?」
「話せば喧嘩ばかり。思えば私は随分酷いことを言って姫を傷つけた。嫌われても仕方がない。姫はもう私などから解放されたいのかもしれない」
「憶測ばかり言っていないで姫と向き合って話し合ってくださいよ?」
「私は姫の気持ちは分からないし、分かろうともしないのだ」
「わかりますよ、大丈夫ですから」
「どうして姫はあんなに人に意地悪ばかり・・・昔はもっと優しい姫だったのに」
ルウドが難しい顔をして愚痴る。愚痴られても魔法使いは困ってしまう。
「・・・・ティア姫は、いつからあのようになったのでしょう?」
「・・・え・・?」
いつもイライラして、不安定で。
時間が経つにつれ不安が増大していき、このままではいけないのだと悟り動き出す。
ただの大人しいばかりの姫では彼を繋ぎ止めることは出来ないと思ったのだ。
彼の目を自分に向けさせるため、姫は意地悪を繰り返す。
事情を知る彼の周囲の者達は迷惑を掛けられながらも姫が不憫で何も言えない。
姫が愛した庭師は、自ら白薔薇姫を愛しみ育てておきながら全く姫の気持ちに気付かない。
ティア姫はそろそろ限界かもしれない。
ゾフィーは姫の為にただ特効薬を造る位しか出来ない。
「ルウド隊長、姫様にこれを飲ませて差しあげてください」
「これは・・?」
「精神を安定させる薬です。お茶などにいれて差し上げてください」
「わかった・・・」
ゾフィーは薬を渡し、ふと思い出す。
ーーーティア姫はまだあの薬を使っていない。
ルウドが薬を見つめて悲しげに呟く。
「こんなものを使わなければならないほど不安定だったなんて・・・。
私のせいなのか。私が何も見ていなかったから。どうすればいいんだ私は」
「救って差し上げてください。それはあなたにしか出来ない」
「一時でいいのです。ただこの時、終わりがあると分かっていてもそれでも良いのです。今この夢の時間があればこの先何があろうと私はこの思い出を胸に生きていけますわ」
「セシリーお嬢様、こんな私があなたに幸せを差し上げることが出来るなら喜んでご協力いたしましょう。ただ一時の愛でもいいとおっしゃるのなら私は一心にあなたに尽くしましょう」
「ああジニアス卿!私嬉しい!定められた相手の元へ旅立たされるその時まで私はあなたのものです」
「お嬢様、それは光栄です」
美しい赤薔薇の園で二人は抱き合う。
「ほら、薔薇も私たちの幸せを祝福しているように美しく咲き誇っているよ」
「まあ・・・」
「ーーー馬鹿じゃないの?」
幸せそうな二人の前にうんざりした顔の姫が現れる。
「いい加減下らない夢は聞き飽きたわ。もううんざりよ。何が一時よ、そんなものが何になるのよ?」
「・・・姫様・・?」
「一時の嘘がどれだけ人を傷つけるかなんて所詮殿方には分からないんだわ。終わりのある夢なんて見ない方がましよ」
セシリー嬢は悲しげに姫を見つめる。
「・・・それでも、すがりたい時もあるのです。姫様はまだそれが夢か真実かなど確かめてもいないのでしょう?」
「ーーー夢よ!本当じゃないから苦しいのよ!あなたもいい加減現実を見なさい、嘘なんて何の意味もないわ!」
「あっ、姫様・・!」
ティア姫はセシリー嬢の腕をつかんで男と引き剥がしさっさと連れていく。
「ああっ!お嬢様!」
追いかけようとするジニアス卿に薬品を吹き掛けると彼は即座に昏倒した。
「ああああっ、ジニアスさまあああっ」
「害はないわよ、心配ないわ。黙って着いてきなさい」
「・・・はい・・」
セシリー嬢に抵抗する術はなかった。
薔薇園へ行くと何故かスティア殿下が白薔薇をもとに戻していた。
「殿下・・?」
「あ、ルウドさん、白薔薇ここでいいですよね?」
「はい、どこで薔薇を見つけたのです?」
「あ、ええと、ティア姫からお預かりして・・・」
「そうですか。とんだご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「いいえ、それより姫様を怒らないで下さいね。随分思い詰めていらしたので」
「ティア姫はどこにいるのですか?」
「部屋に戻られたのでは?夜の舞踏会には参加されるのでしょう?」
「・・・そうですね」
夕刻から始まる晩餐会は王家は全員参加するらしい。その後の舞踏会も皇子皇女達は参加する。
ティア姫を捜し回ってもう昼過ぎてしまった。確かにそろそろ準備しないとまずい。
しかし逃げ回っているティア姫は参加する気があるのだろうか?
ルウドは何だか不安になってくる。
「あのう、ルウド隊長。私は明日ここを出る予定です」
「それは、急ですね・・」
「姫様にはお会いできましたし、国へ帰って報告するのです。その準備もありますし今回の舞踏会へは出ません」
「・・・・」
ルウドはスティアを見る。話の意図が見えない。
「ティア姫様のお相手はルウドさんがして上げてください」
「・・・殿下、私では駄目です。私はただの護衛なのですから姫のお相手を決める大切なパーティにお邪魔するわけにはいきません」
「それでは姫は相手も見つけられず寂しい思いをすることになります。姫が待っているのはあなただけなのですから」
「・・スティア殿下・・」
スティアは微笑む。
「ですが私は姫様を諦めるつもりはありません。今回はあなたにお譲りしますが次からは譲りません。姫の視界に入れて貰えるように努力しなければ」
「・・・・」
「では明日の準備がありますからここで。ああ、早く姫様と仲直りしてくださいね?あのような姫を見るのは私も辛いですから」
「はい、お気をつけて・・・」
ルウドは困惑しつつ姫の部屋へ向かう。
スティア殿下に何かあらぬ誤解をされた気がする。
「ティア様?入りますよ?」
「・・は、はい・・」
部屋にはティア姫がいた。何故だかルウドに背を向けて動かない。
「・・・姫様?どうかしたので?」
「あっ、近づかないで!その、障りがあるので」
「・・・なんですかそれ?意味が分かりません。姫様、話があるのです。こちらを向いてください」
「あ、やめて。私にも都合と言うものが・・」
「何を言って・・・?」
ルウドは姫の肩をつかんで自分の方へ向かせ、言葉に詰まる。
「・・・あなたは・・・誰ですか?」
声も似ている。背格好も似ている。だか彼女のうるんだ瞳の色は青だった。
「・・・影武者です。ティア様に連れ去られてここに」
「・・・何故また?」
「私のお慕いする方があらぬ目に遭わされることになりたくないなら少しだけここにいろと脅されたのです。
ルウド隊長、早く何とかしてください。姫様の嘆きようと言ったら・・・周囲の者を巻き込んでしまうほど酷くて困ります」
「申し訳ない・・・」
「姫様がまた消えたと騒ぎになってはいけないので私はここにいます。ですが私にも都合と言うものがあるので早く姫様を連れ戻してくださいませ」
「分かりました、申し訳ない・・」
ルウドは粛々と部屋を出た。部屋に居ないと言うことはやはり魔術師の塔しか考えられない。
何だか周囲の人々の話を聞いているとこの騒ぎの原因がすべて自分にあるような気がしてきた。何故か罪悪感にまで駆られてしまう。
ーーーそもそも姫が逃げ回ってばかりいるから。
何故逃げ回るはめになったのだ?それはルウドが追い詰めたからだ。
「・・・・」
何だかすべてルウド自身が悪い気がして気が沈んだ。
「どうして使わないのですか?これを使えば姫の望みは叶いますよ?」
「使えないわよ。使ってどうなるのよ?ますます惨めになるだけだわ」
そう言っても未だ姫の手元にその薬品はある。
永遠に叶わない願いをほんの一時でも叶えたいという気持ちもあるのだろう。
「使えば楽になるですって?あり得ない夢を見てますます辛くなるだけよ」
一時の夢を見るには彼はあまりにも近くに居すぎる。
そんな薬を造ってしまったゾフィーは失敗したと内心思った。
惚れ薬など姫に渡すべきではなかった。なにしろ使うにも相手が相手だ。
「いっその事全てを忘れる薬が欲しいわ」
「・・・姫様それは・・・忘れられた人が傷つきます」
「・・・もうどうしていいか分からないわ」
「ルウド隊長が心配して捜し回っていますよ。もうすぐ晩餐の時間でしょう?早く出ていって上げてください」
「パーティには出たくないわ。どこかで雲隠れするつもり」
「それは駄目でしょう?陛下もお許しになりませんよ」
「病気になったとでも言っておいて」
「そんな訳にはいきません!」
いきなり客室のドアが開いてルウドが入ってきた。
「ーーーールウド!なんで?」
「入り口開いていましたよゾフィー殿、不用心です」
「わざとです、ルウド隊長が来られると思いまして」
「ゾフィー!なんてことを!」
「姫様、きちんとルウド隊長話し合ってください」
「ちょっと!ゾフィー!」
ゾフィーはそそくさと部屋を出てドアを閉めて鍵をかけた。
「何してるのよゾフィー!開けなさい!」
ゾフィーは耳を塞いだ。
「ーーーティア様・・・」
「な、何よ?」
ドアをさんざん叩いた後、びくりとティアは振り向く。
ルウドが困った顔で立っている。
「・・・私が姫を苦しめていたなんて。気付かなくて済みませんでした」
「・・・何を言って・・?」
「目が真っ赤です、どれだけ泣いたのですか。そんなに傷つけていたなんて知らなかった。この償いは幾らでも私がします。ですからどうか、周囲を巻き込むのはやめてください」
「・・・・・」
「姫様、どうすればあなたの気が晴れるのですか?」
ティア姫の気分はますます沈痛になった。
やはりルウドは姫の所業をただの我が儘でしかないと思っている。
所詮意地悪は意地悪。周囲を困らせてルウドに迷惑をかけても気持ちが通じることはない。
ルウドには率直に話すべきなのを本当は知っている。
「・・・気なんか一生晴れないわ。あなたに出来ることはないと言ったでしょう?」
「本当に私に出来ることはないのですか?私はあなたの為に何かしたい。姫様」
ルウドの真っ直ぐな視線を受けても姫は素直に受け取れない。
「本当はどうでもいいんでしょう?私が大人しくなれば何でもいいんだわ。私を嫌っているくせに。半端な優しさも見え透いた嘘も嫌いなのよ」
「・・・ティア様・・・」
ルウドは悲しそうな視線を姫に向けるとおもむろに姫を腕の中に引き寄せ抱き締める。
「ーーーーちょっと!何するのよ!離してよ!」
「離しません。また逃げられても困りますから。私があなたを嫌うなんてどうしてそんな事思うのです?そんな事あるはず無いでしょう?」
姫は暴れたがルウドの腕からは逃げられない。ルウドの胸に顔を埋めていると次第に気分が落ち着いてきた。
「どうでもいいわけないでしょう。何より大切な愛しい姫君、あなたの幸せの為なら何でもすると、その気持ちは変わりません。なのにどうしてそんな事言うのです?」
「嘘よ、ずっと私を避けてたくせに」
「あなたへの求婚者が続々他国からいらしているのに私があなたの傍にいては邪魔でしょう?私のせいで婚期が遅れたとあとで恨まれるのはごめんです」
「・・・私は結婚なんかしないわ」
「そんなわけに行きますか。だいたいそんな恥さらしなこと私は許しません」
「ずっとここにいたいの」
「時が経てば変わらないものはないのです。あなたも変わらずにはいられない」
「それでも変わらないものもあるのよ」
「・・・・そうですか、ですが今はパーティへ行きませんか?」
「ダンスの相手を見つける気は更々ないわ。詰まらないパーティなんか行きたくない」
「私がエスコートいたしますから。ダンスの相手もしますから行きましょう」
ティアが驚いてルウドの顔をまじまじと見る。
「・・・なななな、何企んでるの?」
「なにも企んでいませんよ?私は反省しているのです。姫様が悪戯ばかりするから最近怒ってばかりでしたし」
「・・・・」
「勝手に一人でどこでも行って悪さされるくらいならいっそ傍に付いていた方が安心できますしね」
朗らかに彼は言う。やはりルウドはルウドだった。
部屋に戻るとメイドのマリーとセシリー嬢が待っていた。
「姫様ああっ!心配しましたのよおおお!」
「ティア様っ!よかった!私、私もうどうしようかと。姫さまあああっ!」
「・・・ごめんなさい、悪かったわ」
姫の後ろにはがっちりルウドが控えていて二人は目を丸くして彼を見た。
「私は廊下に控えていますからもうティア様を逃さないでください」
二人は頷きドアの外に出るルウドを見送る。
「姫様っ、ルウドさんとどうなったのです?」
「きちんと話し合いされたのですね?仲直りできたのですよね?それで更に進展が?」
「・・・何もないわよ。あの朴念仁に限って何があるって言うのよ」
「でも仲直りされたのでしょう?でなければ二人で戻ってくる筈がないもの」
「パーティに着いて来てくれるって言うから・・・」
「まあ!それでは急いで身支度を整えなければ!ルウドさんも見惚れるような美しいお姿に!」
「わあ、マリーさん、私もお手伝いいたしますわ!あの人を驚かせるのですね。楽しみだわ!」
「姫様はどんなお姿でもお似合いになりますけどルウドさんの好みですと結構的を絞れますね。ドレスを一通り持ってきて良かった」
「・・・・お手柔らかに頼むわ」
パーティが始まる。夕刻には一家で晩餐が通常だが今回は他国の客人達も交えての大きな晩餐となった。
幾つものテーブルの上には料理が用意され、王族と客人達が好きな席で会話を交えて食事を楽しむ。
王家との交流を図りたい客人達はこぞってパーティに参加し、大広間は人で一杯になった。
王と王妃は周囲の人々に挨拶をしながら最奥の席に座り、皇子はお客たちに捕まり席にもつけずひたすら相槌を打っている。アリシア皇女は堂々と婚約者を盾にして早々席につき、黙々と食事をとっている。ミザリー皇女もお客よりもまず食事と周囲を寄せ付けず食事にありついている。
問題は未だ現れないティア皇女だった。パーティにはティア姫目当ての皇子達が相当いる。
この機会を逃さず早くから待っている皇子達に今更来ないとは言えない。
大体当人にも絶対参加だと言ってあるのに未だ来ない。
ーーーまさか間に合わなかったのか?
朝からティア姫が居ないと警備隊が騒いでいたがまさかまだ見つからないのかもしれない。頑固者の姫は来ないと言ったら絶対来ない。
一家はずっとひやひやしていた。
だがパーティが始まって少し経ってから、突然歓声が上がる。
ティア姫が現れたのだと一家は安心した。そして驚く。
「ーーーー美しい、まさしく噂通りの白薔薇の姫!」
若草のドレス、真珠の首飾り、金髪は赤い宝石で束ねて、耳飾りも真珠。
すべてルウドの好きな白薔薇の衣装だ。
姫を見て目を丸くするルウドを見て、マリーとセシリーは満足そうに笑っていた。
ティア姫は大人しくルウドに手を引かれていた。
ルウドに連れられてのこのこやって来たティアにアリシアが微笑む。
「よく来たわねティア。ルウド、ティアを連れてきてくれて有難う」
「・・いいえそんな、当然の事です」
「我儘な妹でごめんなさいね。全く甘えんぼさんで困るわね」
「お姉さま、誰が甘えんぼさんですか、やめてください」
ティアは不満そうに席に座る。
アリシアの隣の席には婚約者が座っている。何だか影の薄い人だ。
「ええと・・・?」
「婚約者のエルフィードです。いや本当にお聞きした通りの姫様ですね。アリシアそっくりなのに全然違う。同じ席で座っている私は何か周りの視線が痛いですが」
「いいのよ、あなた盾だから。ルウドも座りなさい。あなた盾になりに来たのでしょう?」
「え?私は護衛ですが」
「今日はティアの盾でしょう?しっかり妹を守りなさい」
「はい・・・」
ルウドは大人しくティアの隣に座る。ただの護衛がティア姫の隣に座ってしまったので周囲がざわざわとざわめいている。
「何故護衛が姫と同席するのだ?」
「邪魔だあの男、何なんだ?」
「まさか護衛ごとき身分で姫とあらぬ仲ではなかろうな?」
「まさか、高貴な姫が護衛など相手にするはずがない」
何だか嫌悪だの侮蔑だのの視線が突き刺さり、ルウドは居心地が悪そうだ。
ティアは黙々と食事をとり、とっとと済ませる。
「・・・パーティなんて面白くもない。だから出たくないって言ったのよ。好奇の視線にさらされて不愉快以外の何ものでもないでしょう?」
「ティア様・・」
「お父様とお母様にご挨拶を済ませて一曲踊ってからさっさと部屋へ帰りましょう?あなただって不愉快な視線は嫌でしょう?」
ティア姫が席を立ったのでルウドも仕方なく席を立つ。
「ルウド、ちょっと」
「はい?」
アリシア姫に耳打ちされてルウドは困った顔でティア姫を見る。
「早く行きなさい、ティアの護衛でしょう?」
「・・・ハイ・・」
ティア姫に近づこうとする男達を目に留めてルウドはすかさず姫の傍に着いた。
王は苦悩していた。三番目の皇女ティアは誰も文句のつけようのない美しく優しい娘だが色々問題を抱えていた。
だが意地悪姫の噂など大したことではない。他国の皇子に害をもたらすことも別段問題ではない。胡散臭い薬品を造って魔法使いの塔に入り浸っているのも特に気にすべき問題ではない。
三番目の姫の一番由々しき問題は隣にいる男なのだと王は日頃から思っている。
「・・・ルウド・・」
「申し訳ございません・・」
「何を謝る?まさか姫に何か!」
「何もありません、誤解ですよ。姫様のお相手捜しの邪魔をしてしまい申し訳ないと」
「そうだ、お前がいては姫の相手が見つからない。邪魔だぞ!」
「すいません」
「何謝っているのよルウド。私はどうせ一人では出席する気もなかったのよ?あなたが引っ張ってきたのでしょう?
お父様、出席はしたのだからもういいでしょう?一曲踊ってから部屋に戻ります」
「お前、皇子達の相手も少しはしないか?」
「うんざりよ。私は結婚なんかしないわ」
「そ、そんなわけにはいかないぞ!」
「お兄様がまだだし、私にはまだ先の話よ。その件で今うるさく言われたくないわ」
「・・・姫・・」
ティア姫とルウドは一礼して隣のダンスホールに向かう。
王はますます苦悶する。
「陛下、もうお諦めになられてはどうですの?」
「王妃、しかし・・・」
「今更あの二人をどうこうしようなんて遅すぎますわ。大体姫を庭師にお預けになったのはあなたではありませんか。それを今更取り戻そうなどと」
「預けただけだぞ?くれてやったわけではない。姫の目がよその皇子の方にも向くように常々ルウドには忠言していたのに・・・」
「そんなものはとうに手遅れになっていますわ。ティアは庭師の愛情を受けて育ったのですから」
「・・・しかし庭師ごときにやるのは・・・」
「国の流儀を覆すことも出来ませんでしょう?」
「・・・くうう、誰か、姫の心を庭師から奪い取れる骨のある皇子はいないものか?」
「居たらそれは素晴らしい方ですわね」
王と王妃はダンスホールの方に目を向ける。
曲が始まるとルウドがティアに手を差し出す。優しい視線を受けてティアは嬉しさと恥ずかしに駆られながらその手を受けとる。
曲は軽やかなワルツ。だが・・・
「ルウド、下手ね・・・」
「苦手なんですよ、だから断っていたのに・・・」
「護衛なのに・・・」
「ただの護衛に必要ではないでしょう?」
「以前踊っていたわよね、スパイさんと
」
「彼女はリードが上手かった。私のようなものでもそこそこ踊れるくらいに」
「悪かったわね、リードが下手で」
「ちゃんと練習しておかなかった私が悪いのです。姫にまで恥をかかせて、申し訳ない」
どこからか下手だ下手だと声が聞こえる。二人はあえて知らぬふりをする。
「そういえばさっきお姉さまに何を吹き込まれていたの?」
「吹き込まれ・・・って、口が悪いですね。別に何もありませんよ」
「へえ、何にしろお姉さまには逆らえないものね、ルウド。もう何か弱味でも握られているのではないかと時々思うほど」
「・・・・」
「えっ?まさかほんとに握られているの?どんな?」
「握られていませんよ」
「ほんとに?」
「ホントです、曲が終わりますね」
ルウドの手が離れる。何だか手を離すのがとても惜しい気がした。
「ティア様」
「・・・え」
再びルウドの手が差し出される。
「調子も上がって来たようですし、もう一曲お付き合い願えますか?」
「ルウド・・・いいわ」
ティアはとても幸せな気分になってルウドの手を取った。
ダンスホールをこっそり見ていたスティアは深くため息をついた。
「どうされました?スティア殿?」
「ああ、ハリスさん。何だか自信がなくなってしまいまして・・・」
「自信?」
ダンスホールを見ると幸せそうな顔をしたティア姫がルウドと踊っている。
「・・・ティア姫にあんな幸せそうな顔をさせられる。そんな人から姫を奪えるのでしょうか?とても勝ち目がないような気がする」
「スティア殿。あれは年季が掛かっていますから。そういうことにあまり時間は関係ないでしょう?」
「そうですね・・・でも少しだけなんて
思って見なきゃ良かった・・・」
「スティア殿・・・」
「ハリスさん、ご心配なく。諦めたりしませんから。必ずまたここに来ます」
アリシア姫にティア姫を引き留めるよう言われて結局四曲も躍り、さすがに疲れた二人は部屋へ戻るべくホールを出た。
ルウド一人で姫を独占し続けて散々恨みの視線を浴び続けていたが、最後の最後までルウドは皇子達の恨みを買った。
あとが怖いが今はどうでもいいと思うことにする。
ティア姫が部屋に入ってお茶を入れると招いてくれた。
ルウドは席に座って大人しく待つ。
「どうぞ?」
「有難うございます」
ルウドは一気にお茶を飲み干した。
「何か疲れましたね。あれだけ注目を浴びるとさすがに」
「そうでしょう?目立つのって疲れるのよ?」
「でもティア様は仕方がないですね。噂通りの姫ならば嫌でも注目を浴びますから。皇子様がたの注目の的です。本日のお姿も本当に綺麗ですから」
「ルウド、本当にそう思う?」
「勿論です、王家はさぞ誇らしかったことでしょう」
嬉しそうなルウドにティア姫は不安そうな視線を向ける。
「私、別に皇子様の注目なんてどうでもいいわ。ルウドさえ傍にいてくれればそれでいいのよ?」
「姫様がお相手を見つけてお嫁に行くまでずっと見守っていますよ」
「私はルウドが好きなのよ」
「私もティア様が好きですよ。とても大切に思っています」
「・・・ルウド・・・」
「そろそろ戻ります。姫様はもうお休みください。くれぐれも一人でフラフラ出歩かないように」
悲しげな視線を向けるティア姫はそっとルウドの首に両腕を回し、彼の頬に口付ける。
「・・・姫?」
「今日、嬉しかったからお礼。有難う。たくさん迷惑かけてごめんなさい」
「・・いいのです、分かってくだされば。余り人に心配を掛けないで下さいね。ではお休みなさい」
ルウドは微笑み部屋を出た。
夜の庭園は真っ暗になっていた。パーティは城内で行われているので中から洩れ出る光や音が園からも少なからず聞こえる。
城内の人混みに加わる気はないが気分転換に涼しい風に当たるのもいいとゾフィーは園に出てきた。
今の時間に人はいないので誰の目を気にすることもない。
空には月はなかったが星が出ていた。
静かな夜にぼんやりと空を眺めていると突如ザクザクと足音がした。何だか物凄く早足だ。
音の方を見ると人影が見えた。ゾフィーは何だか知っているような影だと思い後をおってみる。
影は真っ直ぐに庭園を通り抜け、湖の方へ突き進み、そしてーーー
「えっ、ちょっ・・!あぶなっ!」
止まることなく湖に飛び込んだ。水柱が派手に上がる。
「ちょっと!そこの方!大丈夫ですか?泳ぐのは早すぎますよ!」
「ーーーっ、大丈夫です、お気遣いなく・・・」
「その声・・?ルウドさん?ななな何してるんです?」
「平気ですから・・」
ルウドはゆっくり泳いで岸に上がる。
「一体何があったのです?」
「平気です、何でもないです。大丈夫です。ちょっと・・・少しばかり、動揺してしまい・・・。何でもないです、大丈夫です」
暗くて彼の顔はよく見えなかったが彼は意味の分からない言葉を連発していた。
いきなり泳ぎ出すことから鑑みてもすごい動揺して錯乱しているようにも思える。
「隊長、早く着替えなければ風邪を引きますよ。まだ夜は寒いのですから無茶をしては駄目ですよ」
「・・・すまない。その、私はもうどうしていいのか・・・」
「部屋に戻って着替えるのです」
「ああそうか・・・着替え・・・」
ルウドはもたもたと立ち上がり、ぼんやりと星を見る。
「た、隊長?大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫・・」
彼はゆっくり歩き出す。
ーーー一体彼に何が・・・?
この夜の彼の彼らしからぬ奇怪な行動はゾフィーの中で永遠の謎となった。
<四話終了 五話へ続く>