第一話 とある恋の物語
それは暖かな日差しに包まれた昼の時間。
王宮内の薔薇の園では美しい色とりどりの花が咲き、その傍らでは煌びやかなドレスを纏った高貴な淑女がどこかの紳士に愛の告白などされている。
周囲など全く気にしない、ただ二人の世界。
「ああお嬢様、貴女は今日も美しい、周囲の薔薇さえ霞んで見えてしまう。私の目にはもう貴女しか映らない。その真珠のごとき肌に触れるお許しを頂きたい」
「まあ、ジニアス卿、私の目にも貴方しか映っておりませんわ。貴方に触れられたいと思うのははしたない事でしょうか」
二人は抱き合う。
「・・・・・見てらんないわ、二人の世界。見苦しいったらないわ。何でああも周囲が気にならないのかしら?」
彼らの周りには同じような頭に春が来ている紳士淑女がゴロゴロいる。
薔薇園は別に彼らの為の場所ではない。
「姫様、嫌なら見なければいいでしょう?」
第三王女付きメイドのマリーが呟く。
「薔薇を取りに来たんでしょう。お茶に浮かべるのよ」
「そうでしたね・・・」
それはただのついでで大義名分である。ティア姫の注視するところは他にある。
姫の見る先には二人の男女がいる。
女は美しい薔薇園をうっとり眺め、男はそんな彼女を熱く見つめる。
女は最近舞踏会に現れる二十代の貴族令嬢。男は我が国マルスの王国騎士隊二番隊長ルウド=ランジール二十八歳。
ガーデンパーティー会場から薔薇の園に来た二人は楽しく話している。余裕があるのは令嬢でぎこちないのはルウドだ。
「・・・・いい年して恥ずかしい、何やっているのかしら」
「姫様、そろそろ戻りましょう?覗きはいけませんよ」
「気になるじゃない。マリーも気になるでしょう?」
「ええ、まあ・・・・・」
マリーはちらりと二人の方へ目を向ける。
王国騎士のルウドは騎士隊の白い制服を着て銀髪を後ろに束ねている。
城の女性の憧れの的だが性格が朴念仁と来た。本人悪気はないだろうが口が滑りすぎて泣かされた女性が数知れずいるのを知っている。
その彼が恋をした。それはものすごく気になる。
「ルウドがあんな派手好みとは知らなかったわ」
相手の女性は二十歳くらいの貴族令嬢。情熱を思わせる赤いドレスを着て髪や首や指などに宝石を沢山着けている。
赤い薔薇を思わせる女性だ。
白い薔薇と呼ばれるティア姫とは全く逆のタイプである。
「・・・どこがいいのかしらあんな人。やっぱり胸かしら?派手に大きな胸を出しているのが好みなのかしら?全くいやらしいわね男って」
勝手な憶測で姫は呟く。マリーは言葉もない。
「・・・姫様、そろそろ会場にお戻りにならないと」
「いやよ、ここで酔ってる連中の目を覚まさせてやらないと」
「・・・・・姫様」
マリーはもう神に祈るしかない。
令嬢は薔薇が好きなのだと言った。なのでこの美しい薔薇園に案内した。
「・・・素敵な庭ね」
とても気に入って貰えたようでルウドは安堵した。
嬉しそうに薔薇を見る女性は赤い薔薇をいとおしげに両手に包む。
褐色の髪を後ろで巻き上げ、髪と耳には真珠の宝石。首もとには光輝くダイヤを身に付けドレスは赤。肩には白いベールを羽織っている。
この不思議な香水の香りは何だろう?彼女の魅力を際立たせる何かがある。
「ジュリアさん、気に入って貰えて良かった。この庭は何代も前から専属の庭師が魂を込めて造り上げ守り続ける一品でして」
「まあそうですの」
「はい、以前は赤い薔薇を中心に庭を手入れしていたのですがこの国の三番目の王女が産まれた年に白い薔薇を植え替えたのです。それから十六年、庭師の仕事のお陰でそれはもう素晴らしい出来で。今年の白薔薇も素晴らしい・・・」
ルウドは白い薔薇をいとおしげに眺める。
「まあ、では白薔薇姫様もとてもお美しいのでしょうね」
「・・・・・・・・・・そうですね、お姿だけは」
ルウドは白薔薇姫様を思い出し、笑顔がひきつる。
どれだけ大事に手入れをしても何分付いた庭師が悪かった。後悔なら山程したが全て後の祭りである。
「お会いするのが楽しみだわ。噂高い白薔薇姫様」
出来る事なら遠くから眺めているだけで諦めてほしい。
「・・・・・あの、ジュリアさん・・・」
「ーーーえ?」
その時、周囲がざわめいた。紳士淑女が慌てて庭から逃げ出す。
「うわあああああっ、ヤバイこれ!逃げろ!急げ!」
「・・・・・・何事だ?」
ルウドは騒ぎの場所へ向かい、騒ぎの元を捜す。
足元に真珠のような小さな玉を見つける。
拾い上げてみると玉に何か書いてある。
[暴発注意 目覚ましの素]
「・・・・・・・なんだこれは?」
意味が分からない。しかしこれの製作者については心当たりがある。
ルウドは薔薇園の外の小川にこの石を投げてみた。
ドオンという音と共に水柱が上がった。
「・・・・・・・・・・・」
それを見た周囲の人達が驚いて嬌声を上げた。
すると白い石が次々と薔薇園に投入される。
園にいた人達は慌て驚き逃げ惑う。
「うわああああっ、冗談じゃないぞ!」
「何ですの?いったい何ですの!」
「何だっ?戦争かっ?侵略かっ?」
「何が起こったんだあっ!」
護衛をしていた騎士隊の一団は混乱する客人達を宥めて即座に避難させた。
薔薇園はあっという間に藻抜けの空になった。
「・・・・・」
もちろんジュリア嬢も避難させた。
さすが護衛騎士隊はこのような混乱に慣れているせいか仕事が早い。
全員を避難させて騎士の一人が報告にやって来た。
「隊長、お客様に被害はありません。隊長も避難しなければ。足元の爆弾がいつ暴発するか・・・」
「いや、大丈夫だ。下の石は全てただの石だ」
爆発したのは最初の二個。一個をお客の目の前で爆発させて二個目をルウドに爆発させた。
嫌がらせのやり口が巧妙である。
しかし嫌がらせの主でもこの薔薇園を破壊することなどあり得ない。
ルウドから離れた赤い薔薇の端で長い金髪がさらさら蠢いているのがみえる。
「・・・・お邪魔虫がお好みなのか、我が国の意地悪姫は」
わざと大きな声で言ってやった。
側にいた隊員が何故かびくりとみじろいだ。
「つっまんないわ!こんなのただの余興じゃない!」
城の東側にある塔の一角に王宮専属魔法使いの住処がある。
ティア姫は目付け役の目を逃れる為にここを隠れ家にしていた。
「ティア様、その石は余興の道具ですと言ったではないですか」
魔法使いゾフィーは魔法の液体を混入させながら言う。
怪しげな黒ローブを羽織りぼろぼろの黒髪を垂れ流している彼は城の皆から不気味がられ余り人が寄り付かない。
寄り付くと言えば怪しげな秘薬を所望する客人とか医者の手に負えない病にかかる患者とか、そんな者ばかりだ。
しかし彼の腕は一流、何を造らせても最良なので天才と誉れ高い。だからこその国専魔法使いなのだが。
「もっと凄いの造ってよ!そう、城が吹き飛ぶくらいの!」
「そんな無茶な、そんなに吹き飛ばしたいものがあるのですか?ティア様は」
「そうよ!吹き飛ばしてやりたいわ!」
見目だけは麗しい姫はざっくり言う。全く手に負えない。
「ええと、幾らなんでも爆弾はまずいです。これなどはいかがでしょう?夜に空に投げると様々な火花が飛ぶものです。綺麗ですよ」
「いらないわ」
「ならばこれなどは?振れば美しい音が聞けるという貝です。お好みで音楽などを入れて差し上げますよ?」
「結構よ」
「・・・・では精神の高揚を抑える効果のある香り枕などは?いい夢を見られますよ」
「あなた魔法使いでしょう?そんな物造って街で商売でもするつもり?」
「商売は出来ませんよ。ただ最近城内でその様な要望をしてこられるお客様が多くて」
「精神の安定?たるんでる証拠だわ。どこのどいつよ?」
「・・・・・・・・」
「ーーーーゾフィー殿、居られますか?」
外からドアを叩く音がした。ティア姫は素早く調剤部屋に隠れる。
「居ますよー、開いてますからどうぞー」
「お邪魔します」
入って来たのはとある下っぱ騎士だ。
「おやまた貴方ですか、どうなされました?なんて聞くのは野暮ですね」
「いいえ!いいえ聞いて下さいゾフィー殿!最近ホントにお腹の辺りがキリキリ痛くて・・・。
どうしてあの方はああなのでしょう?そしてあの人も鈍すぎて・・・・。
間にいる私はもう・・・・・・何故私が?分からない!何も分からない!いいやもう知りたくないです!」
「・・鎮静剤入りのお茶です、どうぞ気持ちを静めて下さい」
「有り難うございます・・・、ううっ、私は隊長も尊敬しているし、綺麗な姫様も好きなんです。この仕事にも誇りを持っているし、大変だけどお役に立っている事が嬉しいし、不満なんか無い筈なのに・・・。
最近怖い悪夢ばかり見てしまって。何なのでしょう?この絶望的な言い知れぬ不安は?訳が分からない!」
「安眠枕を差し上げましょう。この貝で雑事を忘れるのもいいです」
「有り難うございます、でも、現実の悪夢はいつまで続くのか・・・・」
その後、騎士は愚痴を言って帰って行った。だがすぐにまた同じ様な症状の客が数人続き、散々同じ様な愚痴を言って帰って行った。
最近何やら騎士の精神に異常をきたす程の緊迫した何かが蔓延しているらしい。
だからと言って魔法使いはお悩み相談係ではないのだが。
お客を見送ってから部屋に戻るとティア姫が隣室から出てきた。
「何なの?最近の騎士は軟弱ね。うちの騎士隊大丈夫なのかしら?」
「・・・・・・・・」
ふと、姫が持つ小瓶に目が行き嫌な予感を覚える。
「・・・・・・姫様、薬品部屋で調剤を?」
「他にやること無いじゃない。長い事部屋に押し込められていたし」
「それは何の薬で?」
「分からないわ、効果を試してみなきゃ」
ティア姫は新しい玩具を見つけた子供の様に無邪気に微笑み小瓶を持って去って行った。
また誰かが犠牲になるのか・・・・・。
ティア姫は何故かこの手の薬の調剤が得意だ。けして魔法使いが教えた訳ではないがどこで覚えて来たものか製法、効能などを知りつくしている。
ゾフィーはぶるりと身震いして何も見なかった事にした。
夕方になる頃にはガーデンパーティが晩餐会になり会場は城内大広間になる。中では沢山の人々が行き交い、食事、ダンス、会話など様々な事が行われている。
穏やかで楽しげな光景、だが騎士隊は警戒を怠らない。
ここには重要な皇人や貴人ばかりなのだ。問題が起こってはこまる。
王国騎士二番隊長ルウドは油断なく辺りを見回す。
「ま、恐いお顔」
「・・・・ジュリア嬢」
「そんな恐いお顔で周囲を見ていたら怯えられてしまいますよ?お仕事が大変そうですけど少し気を抜かれてはいかがですか?」
「・・いやしかし・・・」
「護衛のお仕事もあるでしょうがお客様のお相手もお仕事でしょう?私のお相手をしていただても宜しいかしら?」
ジュリア嬢が魅惑的な微笑みを向け、白い手を差し出す。
「はい、もちろんですとも」
ルウドは嬉しそうにジュリアの手をとりダンスホールに向かう。
「ーーーーー気に入らないわ」
「えっ・・・・?わわわわわ、わたくしのどこがお気に召さないので・・・・?」
脅されて連れて来られた哀れな騎士はティア姫の怒りに触れたとそれはもう怯えた。
「私、何か失礼な事を・・・・・?」
「あなたは黙ってついて来ればいいのよ、早くなさい」
「ひっ、はいいいいいっ」
この不幸な騎士は周囲にはティア姫のお眼鏡にかなった男として大変善望の的だった。
当人の騎士とて普通に誘われたならそれはもう大喜びで姫様の相手となっただろう。
だが実際は脅された、それも辛辣な方法で。
騎士にとって姫は最早恐怖の対象でしかない。
騎士はびくびくと姫の手をとりダンスホールに入る。
踊っている最中も何故か姫は苛々と殺気立ち、騎士は神経を張り巡らし緊張し続けた。
「どうしてやろうかしら・・・・・」
姫が何か恐い事を呟いている。
騎士は身と神経が締め付けられ絞められる思いがした。
何だか絞殺されるニワトリの気分だ。
「・・・ひっ、姫様っ・・・っ・・」
「何よ?ダンスはもう終わりよ、いいから黙って着いてきなさい」
「・・・・・へっ、はいいいいっ・・・?」
不幸な騎士は訳も分からず姫の後を追いホールを出る。姫は何やら赤毛の女性の後を付けているようだ。
あの女性は先程二番隊長と踊っていた・・・
「・・・・・・・」
騎士の心は大いに揺れた。困った様にティア姫の金髪を見る。
ーーーーどうしよう?幾らなんでもパーティーの貴人のお客様に悪さなどしないだろうと思えど自信はまるで無い。
駄目だ、幾らなんでも、止めなくては大変な事になる。
そうだ、今止める事が出来るのは自分だけなのだ・・・。
「あああああ、あの、ティア様・・・っ」
「黙ってなさいよ」
「あの方は王妃様がご招待した大切なお客様です。王妃様のご友人のご令嬢とか。遠方からはるばる来られた貴族のご令嬢です。ご迷惑をお掛けしては・・・・」
「ーーーーーーなんですって?」
きつく据わった緑の目が遠くの令嬢から不幸な騎士へと移動する。
「私が何かすると思って?ふざけんじゃないわよ?ほっときなさい」
「でもっ・・・・、ひひひひ姫っ・・・」
「あなた、自分の立場が分かっていないようね?黙って私に従えないならどうなるか分かっているわよね?」
「ひっ、ひひひひ姫っ、申し訳ございません・・・・」
「煩く口挟むんじゃないわ、邪魔するんじゃないわよ」
「・・・・すみません」
騎士は黙った。最早姫の暴挙に抗えもせず防ぐ事も出来ない。
ティア姫は令嬢の後を付けて進んでいく。
「・・・何なのかしらあの女?」
令嬢はいく先々で騎士や官僚達に話しかけ、その輪に自然に入り込み楽しく話し込んでいる。
話はただの世間話、特に不穏な事はないだろう。
姫が何を不審に思っているのか分からないが騎士は恐くて聞けなかった。
そして令嬢は客部屋の一室に入って行く。そこが彼女の滞在部屋らしい。
「ーーーー行くわよ・・・・」
「えっ・・・?」
ティア姫はすかさず令嬢の部屋の隣の部屋に入った。
客人の部屋のはずだが運が良いことに誰も居なかった。
姫は隣の部屋に隣接する壁に耳を当てる。
「で、どうだったんだ?」
「うん、チョロいものよ。ここの連中ほんっと田舎者ね。お陰で仕事が楽だわ」
「おい、仕事は仕事だ、油断するなよ」
「平気よ、そういう公私は分けているの。暇潰しに田舎騎士を手駒にして遊ぶくらい何でもないわ」
「ほどほどにしろよ」
そして二人は少し話をしてすぐ部屋を出ていった。
「ーーーなるほどね、どおりで・・・・」
隣室から人が出ていったのを見計らって姫は壁から離れて呟く。
動けもせずにここの客人が戻って来はしないかとはらはらとドアと姫を交互に見ていた騎士には何が何だか分からない。
「ひ、姫様・・客人が入ってこないうちに早く・・」
そこでガチャリとドアが開いた。
外から二十代金髪の男が入って来た。
男は二人を見て驚く。
「おや、失礼、部屋を間違えてしまったようだ」
部屋を出ていった。だかすぐまたドアが開く。
「君たち、ここは私のーーーー」
そこで哀れな騎士は見てはいけないものを見てしまった。
姫が入って来た男に不意打ちで何かの液体を振りかけた。男はパタリと気絶した。
「ーーーーーひひひひ、ひっめさ・・・・」
ドアを閉めてどこからか取り出した縄で男を椅子ごと縛り上げる。男を縛る手伝いをしながら騎士は泣きたくなった。
「何ですか・・・・?その液体・・・?」
「護身用よ、ただの眠り薬よ」
そうやって眠らされて騎士は脅された。
「・・・・あの、この人見覚えが・・・確かどこかの国のとても重要な人物だったような・・・?」
「どうでもいいわよ。顔を見られたら弱みを握っておけば黙るでしょ?」
「外交問題になるでしょう?そこまでしなくても話せば分かって下さいますよ?」
「何をどう話せって?」
ティア姫は何故か部屋を歩き回り客人の荷物を探り出す。
「・・・・・何をなさっているので?」
「お客は客人リストを渡されているはずよ。交易に必要だもの」
「そんな人様の物を勝手に・・・・。ご本人に聞けばよろしいでしょう?」
「他国人にこっちの事情は話せないわよ」
「・・・・・・姫・・・・」
「煩いわね、黙んなさい」
「・・・ハイ・・・」
それから姫は取る物を取ってから騎士を置いてさっさと帰ってしまった。
騎士は泣く泣く眠る男の戒めを解いてベッドに寝かせ、精一杯お詫びをしてこっそり部屋を出た。
可哀想な騎士はこの一晩で随分疲弊し、翌日は胃を痛め職務を休んだ。
「もう踊らされるのはいやだあああああああっ」
心配して見舞いに来た隊長に彼は謎の言葉を放った。
王宮の内奥には王家の私室がある。一家は仕事以外は大体そこで過ごす。
本日も午後の穏やかな光射す室内庭園でのんびりと家族との一時を過ごしている。
この国の王と王妃は誰の目から見ても仲がいい。
そして二人の子供達、皇子パラレウス、皇女アリシア、ミザリー、ティアの四兄妹は傍から見るととても仲が良く四人揃えば天使の肖像画の様に美しい。
「パラレウス、パーティーはどうだった?気に入った女性など居たかい?」
「・・・・いいえ、そんな簡単にはいきませんよ。パーティーでは他国の皇子、皇女様も招待されていたようですがきっかけがなければなかなか難しいですよ?」
「そうか?姫達は各々相手を見つけて楽しんでいたようだが」
「・・・・そのようですね」
王と王妃は子供達には各自で相手を見つけて貰いたいと思い、年頃の彼らの為にパーティーを度々開いていた。
だが肝心の後継ぎの皇子が中々自力で相手を見つける事が出来ない。
皇子はもう二十歳。そろそろ周囲のしびれが切れる頃だがそれでも王家の方針として相手は当人に決めさせる事を変えはしない。
「お兄様は優柔不断なのよ、何でもいいから決めちゃえぱいいのに」
おやつをパクパク食べながらミザリーが言う。
「そんな、何でもいいわけがないだろう?この国を支える王妃となる人だよ、慎重に事を進めないと」
「慎重過ぎて老衰するまでに決まるかしら?」
全く話を聞いて居なさそうでしっかり聞いていたティアが毒を吐いた。
「ティア、私だって好みが・・・君だって・・・あの・・・」
「ーーーーーなんですって?」
恐ろしげな顔でぎろりと睨まれた。
最近ティアは機嫌がすこぶる悪い。
「まああ、ティア、恐いお顔。そんな顔をしていたら益々殿方が遠退きますよ?」
「ほっておいて下さるアリシアお姉様。いいわね婚約者が居られる方は気楽で」
「ホホホホ、でもティア、貴女は私の妹ですもの。相手なんて選り取り見取りでしょう?」
「・・・・それって何気にお姉様がもてるって言ってませんか?」
アリシアとティアは容姿だけは双子の様に瓜二つだ。初対面の人が見ればほぼ見分けがつかない。だが性格が違うので身内にはすぐ分かる。
アリシアはおっとりした性格の姫らしい気品も合わせ持つ。ティアははつらつとして誰にでも気さくな性質。
アリシアは遠くから憧れられる印象でティアは身近で声を掛けやすい印象である。
ちなみにミザリー姫も金髪緑眼だが癖のある金髪と丸い瞳で可愛いらしい姫と位置付けられている。
「仕方ないわね思春期娘はー。でもそんな顔してても想い人には何も伝わらないわよー。素直にならなきゃ、ティア」
ティアはぎろりとミザリーを睨み付ける。そして懐から何かを取り出した。
「ミザリーお姉様も素直になられたらどうですか?」
「・・・・・何よその小瓶」
「さあ何でしょう?試して見ませんか?とても楽しい事が起こるかも、ですわよ」
楽しげに笑うティアを見てミザリーはサッと顔色を変える。
「・・・・いっ、嫌よ!この間の薬だって半日強制的に踊らされて死ぬかと思ったんだから!」
「お陰ですっきり痩せてお気に入りのドレスが着れたでしょう、良かったじゃないですか」
「もう二度とごめんよ、冗談じゃないわ!」
ミザリーは席を立ち、逃げる様に出ていった。
「ティア、ミザリーを虐めないの」
「ミザリーお姉様は食べ過ぎよ。ちょうどいいじゃない」
「全く困った子」
アリシアはのんびり微笑む。さすがのティアもこの姉には危害を及ぼした事がない。
怒らすのが恐ろしいのか、迂闊に手を出せない雰囲気を持つせいなのか、兄にはよく分からないが。
「でもティア、ミザリーの言う事は間違っていないわ。素直にならなきゃ思いは通じないわよ?」
「分かっていますよ・・・・・・」
ティア姫は怒りを抑える様に紅茶を飲み、王と王妃に目を向ける。
「それよりもお母様、私聞きたい事がありますの」
「まあなあに?」
「招待客の中におかしな人達がいるのですけど?」
「おかしいって何だい?招待客の身元は一人残らず調べてあるはずだ。間違いない」
口を挟んだパラレウスにティアが冷たい目を向ける。
「いくら身元が割れていても動きのおかしい人はいる
ものよ。分からないように見張りを付けておくべきだと思うの」
「・・・・そんなに気になるなら君が直接会ってみれいいだろう?」
「お兄様は私が可愛くないのね?」
「・・・ななななんだって?」
「不審なものと対峙させて私に何かあったらどうしてくれるのよ?一生許さないわ」
兄は妹の不穏な口振りに寒気が走った。
この妹はやると言ったら必ずやる。報復の恐ろしさは騎士隊の中では評判だった。
「・・・・・どうしろと言うんだ?」
「簡単な事よ、騎士隊を貸して下さればいいのよ。そうね、一小隊でいいわ」
「分かった、では二番隊を」
「二番隊は使えないわ、隊長があれですもの。他の暇そうなのでいいわ」
「・・・・分かった」
パラレウス皇子は脱力した。
言うなれば赤い薔薇、情熱的なかおりのする女性。
ルウドはこの所浮かれていた。
不思議な魅力を持つ女性ジュリアが好意的に話しかけて来てくれる。先日は一緒に食事でも、という約束を取り付ける事が出来た。
苦節二十八年、長く騎士をしてきたが女性とこのような付き合いをするのは初めてだ。
女性は周囲にいる事には居るがジュリアの様な女性の扱いは分からない。
彼女はどうすれば喜んでくれるだろう?
とりあえずその手の専門家に聞く事にした。
三番隊隊長ハリス=ローアン二十五歳。城一番のもて男、その範囲は子供からお年寄りまで女性なら全て許容範囲。
柔らかな茶髪と優しい微笑みと暖かな口調で女性の全てを虜にする男。
男性の尊敬の的であり、この手の相談は彼が一番だと専らの噂だ。
彼のいる宿舎に行くと周囲がバタバタと慌ただしかった。
何か会ったのだろうかと不思議に思いつつ彼のいる部屋を訪ねる。
「やあハリス、何か会ったのか?」
「・・・ルウド・・・・」
ハリスは何故か微妙な顔をした。
「・・・・・まあ大したことではないが、ルウドこそ何かあったのか?私の所に来るなんて珍しい」
「うん、実はとある女性の事で」
「それはめでたい、君にも春が!」
「そんな話じゃないんだ。ただどうすれば喜んで貰えるのか知りたくて」
「ほおなるほど。それはどのような女性だい?」
「赤毛の美しい女性だよ。ジュリアさんって言ってね。赤い薔薇を思わせる女性だよ」
「・・・・君がそういう趣味とは知らなかった。道理で城の女性に興味を持たなかった訳だ」
「そんな事はないぞ?城の女性だって十分魅力的だと思っている。ただ彼女達は何故か私を見ると敬遠するのだ」
「・・・・まあ城の人達は内情を知っているからねえ」
銀髪青眼のルウドはただ立って居れば冷たいイメージを持たれる青年だが実はだだの朴念仁である。
本当は暖かみのある優しい人間なのだが口が大雑把な為に誤解される事が多い。
城の女性達には密かに遠くから憧れられている事が多くあるがそれすら当人は気付いてない。
「・・・・・しかし赤毛の女性か・・」
上からハリスの小隊へ通達が来たのはつい先程の事だ。
「何か問題があるのか?」
「うん?嫌ないよ。そうだねえ、相手は大人の女性だしそんなに気を使う事もないだろう。君なら自然体でいいと思う」
「それじゃさっぱり分からない。彼女はされどうすれば喜んでくれるのだ?」
「彼女の好みは知らないよ、本人に聞くといい。でも最初のプレゼントは無難に薔薇の花束とかどうかな?薔薇が好きな女性なのだろう?」
「なるほど、そうだな。分かったよ、有難う」
「お役に立てて良かったよ」
ルウドは悩みが晴れて嬉しげに部屋を出る。
手を振って見送るハリスの顔が微妙に曇っている事に気づかなかった。
「全くいい気なものね、警戒心がなさすぎよ。騎士隊長としてどうなのかしら?」
「・・・姫様、そんな事を言わず。彼に春が来たのです、黙って見守ってあげましょうよ?」
「ふん、何が春よ。そんなものすぐに砕け散るわ」
「・・・例えそのような運命でも、今ある春に意味があるのですよ。後の事など全てが終わってから考えればいいことです」
「言うわね優男、どうなっても知らないから。使えない男の代わりに貴方がしっかり働きなさい。私に何かあったら許さないわよ?」
「はい、勿論ですよ、ティア姫様・・・」
女性を蕩けさせると言う評判の微笑みさえもこの姫には形無しだ。無理もない、彼女の好みは如何せんハリスではない。
「姫様にも早く春が来るといいですねえ」
しまった。要らぬことを呟いてティア姫に鬼の様な顔で睨まれた。
「黙って仕事なさい」
「・・・はい」
のんびりとした空気の療養に最適な国、マルス公国。資源と言えば温泉に山の幸と湖の魚。
大した産業もなく大きな国でもなくただのど田舎でしかない刺激のない国だ。他国が欲しいと思うほどの要素は特になさそうなのに何故か一目置く人達がいる。
全く理解できなかったがそこはそれ、仕事は仕事なので退屈なりに一月、この国で調べることは一通り調べた。
仕事が大方すんで暇なので田舎騎士を相手に遊ぶことにした。
最初の見た目から目星を付けて怜悧そうな男を選んだつもりだったがこの騎士、蓋を開ければただの純朴な田舎者だ。
いい年をして女の扱いを全く知らないようで一生懸命ご機嫌とりをしている。全く面白味にかける男だ。
ジュリアが薔薇園を散歩していると白薔薇の傍にいる男を見つけた。
「ランジール様、何をされていらっしゃるの?」
「ジュリアさん、薔薇の手入れを少々。しっかり見ていないとすぐに虫に食われて枯れてしまうので」
騎士のはずである彼のその姿は田舎者の庭師丸出しである。
せっかく見目だけはいい男なのだから騎士らしくキリリとしていればいいものを。と思ったが口には出さない。
「ランジール様はよほどに白薔薇がお好きなのですね」
「はい、ずっと世話して見守って来ましたから」
「まあ私、白薔薇に妬けてしまいますわ」
「ジュリアさん・・・そんな、薔薇は薔薇です。貴女には貴女の美しさがあると思います」
「まあお上手ね、嬉しいわ。私薔薇は赤が好きですけど白も好きになれそう」
「それは良かった」
満面の笑みを浮かべるランジールと別れ、ジュリアは一人庭園の方へ進む。
庭園では様々な人達が様々な目的をもって交流を図っている。田舎騎士の面白くもない弁舌を聞くよりずっと有効である。
辺りを見回していると金髪の若い娘が騎士をつれてにこにこしながらやって来た。
「こんにちはジュリアさん。はじめまして。私ティアと申します」
「まあ第三王女様!白薔薇姫様、初めてお目にかかりますわ。私の名はもう知っていらっしゃいますのね」
「ええ、うちの田舎者がお世話になっているようで」
「田舎者なんてそんな。ランジール様は素晴らしい騎士でいらっしゃいますわ」
「そうかしら?まあいいわ。そんなことに興味はないし」
ジュリアは曖昧に笑う。
美しい金髪の白薔薇姫はとても清楚で綺麗な笑みを浮かべる。とても友好的で優しそうに思えるのに何故だろう?
ジュリアの六感が危険を感知している。
「ジュリア様、私この国から出たことがないのでよそのとちのことは知りませんの。ジュリア様は大きな国の都会からいらしたのでしょう?私是非お話を聞かせていただきたいと思っておりましたの。
ジュリア様、お願いできるかしら?私の部屋でお茶を飲みながら珍しい話をお聞きしたいですわ。わがままかしら?」
姫がすんだ瞳でジュリアを見つめ、若い娘らしくおねだりをする。かわいらしい娘にせがまれてはさすがのジュリアもそう無下にはできない。
「わがままなんてそんな。よろしいのですよお話くらい。私もあと数日でここをたつ予定ですからそれまでの間でしたらいつでもお話いたしますわ」
「わあよかった!有難うジュリア様」
純粋に喜ぶティア姫を見て悪い気がする者などいるわけがない。
ジュリアがティアと仲良く話ながら部屋へ向かう道すがら、付き添いの騎士が目をそらして一言も口を利かないことや、周囲の通りすがりの護衛達からあわれな視線を向けられている事に、ジュリア当人は全く気付いていなかった。
ティア姫の私室は広い。姫の私室なのだから広いに決まっているが特にこの姫の部屋は装飾がシンプルで余計なものが一切置いていないので余計に広く見える。
この姫の部屋で唯一飾りとなるのは部屋の端々に飾られている色とりどりの薔薇くらいだ。
華美な装飾が嫌いな姫が姫が黙って様々な色の薔薇を飾らせているのはやはり姫も薔薇は好きなのだとハリス隊長は思っている。実際姫も薔薇には危害を及ぼさない。
ハリスは部屋の隅のドア近くに立ち、黙って二人を見守っている。
「お茶をもう一杯どうぞ、ジュリアさん」
「有難う、でもなんだか申し訳ないわ、ティア姫様自ら入れてくださるなんて。召し使いは居られませんの?」
「メイドは忙しいんです。用がなければわざわざ呼ばないの。お茶くらい私だって入れられるもの。自分で出来ることは自分でしなくちゃ」
「ま、素晴らしいお心がけですこと」
「お姫様だって出来ることはたくさんあるのよ?どこかの皇子と
結婚するだけが義務じゃないの。たくさん勉強して国を守ることも出来るわ」
「姫様の夢ですね。素晴らしいです」
「お菓子もあるの。貰い物だけどどうぞ?」
「有難う」
「私かごの鳥で世間知らずだから今は本や聞いた話でしか世界のことは知らないけどいつか城の外に出てじかに世界を見知りたいわ」
「姫様ならできますとも」
「その前にジュリア様に色々教えていただきたいことがあるわ」
「まあ、何でも聞いてくださいな」
「じゃあねえ・・・・」
なぜだか姫の目がキラリと光る。
「ジュリア様はどうしてこの城にいらしたの?」
「それは旅行ですわ。世俗の疲れを洗い流してこいと言われまして」
「目的はあるでしょう?お仕事は何?」
「まあお仕事なんて。ちょっとしたスパイ活動ですのよ?この国の情報を欲しがる方がいましてね」
ペロリと仕事内容をはいてしまったジュリアは驚いて口を押さえた。
なぜ?口が勝手に?そんな馬鹿な・・・?
「組んでる方がいらっしゃるでしょう?何者ですか?」
「そんな、組んでるなんて。グルエリ卿は外交の仕事で来られているのです。仕事がしやすいよう幾つか情報を流しましたが」
口を開いたとたんにペラペラと言葉が漏れ出てジュリアは焦った。
どうなっている私の口?なぜこんなに滑るのだ?
「なるほどねえ、情報って高く売れるの?」
「それはもう。重要な情報ほど高く売れるものですよ?そこはもう取引の腕につきますね」
「この国の情報は高く売れそう?」
「それを欲しがる方々によっては価値が高くなるのですよ?」
「どんな情報が手に入ったのかしら?」
「それは・・・・」
だらだらと嫌な汗を出してジュリアは自分の口をきつく押さえた。
だめだ、これ以上話してはいけない。
身の危険を感じたジュリアは席を立ち、ベランダ側に下がる。
「ジュリアさんダメよ?ここ二階なんだから逃げられないわよ?」
口を押さえたままジュリアは首を横に振る。ジュリアの目には最早純粋な姫は悪魔の手先と化していた。
一つしかないドアの傍には哀れな視線をジュリアに送る騎士が立っている。
ーーーーー何?何なの?どういうことよ?
ともあれあっさり口を割ってしまったジュリアはもうこの城にはいられない。スパイとばれてしまった以上捕まれば処分は免れない。
「どうせ捕まれば口を割らされるわ。そうそう、最後に一つ個人的な質問だけど、お馬鹿な田舎騎士の味はどうでした?」
「刺激一つもないつまんない味だったわ」
ジュリアはベランダのガラスを突き破って外へ飛び降りた。
ハリスはベランダから逃げたジュリアの所在を捜す。
もちろんベランダ下の木々の間にも兵を配置していた。見つければすぐに捕まえるだろう。
ガラスの音を聞いてドアの外にいた兵が飛び込んできたので直ちにスパイを追えと指示を出した。
ハリスは割れたガラスを片付けながら動かない姫の様子を窺う。
「姫様、怪我などしておりませんよね?」
「・・・してないわ」
「姫様が調合された新薬、大した効き目でしたね。すごいペラペラ喋ってましたよ」
「・・・そうね。余計なことまで聞くんじゃなかったわ」
「・・・ええと、人には好みというものがありましてね。一概に個人的感想というものは案外頼りないものでしてね」
「煩いわよ、黙んなさい」
「・・・・はい」
その後、他の警備隊とも協力体制をとりスパイの捜索を行ったが結局ジュリアは見つからなかった。
あの状況下でどうやって逃げたものか、さすがはスパイというところだ。
「荷物は全て置いていきましたから重要な書類などは無事だと思いますがスパイがどの程度情報をつかんでいたのかが問題ですね」
「パーティの席でそんなに難しい話はしないと思うけど。他国がスパイ使ってまで知りたがる情報って何なのかしら?」
「・・・うーん、そうですねえ」
ちょっとやばすぎる薬を調合するお姫様の情報なら結構重要かもしれない。ならば目下姫の師匠とされる魔法使いの情報が重要か?
「何にしろ他国のスパイなどはまた現れるかもしれない。警備強化は必要ですね」
特に白薔薇姫とか。
「グルエリ卿はどうするのよ?」
「彼は外交官ですよ、滅多なことは言えませんし今回外交手段に情報収集したかもしれませんが証拠がありません。スパイが消えたので何かを感じているかもしれませんが」
「スパイの噂を流したら仕事だけしてとっとと帰るのではないかしら?」
「そうですね、下手に勘ぐられる前にトンズラするでしょう」
「ーーーそれで、ルウドは・・・」
「・・・時間が解決するのを待つしかありません。なにも言わず暖かく見守っていてあげましょう」
「・・・・・」
ジュリアがいない。昨日までいたのに今日になって姿を消した。
昨日の食事の約束にも来なかったし、何かあったのかと心配になってなって部屋を訪ねたがもぬけの殻になっていた。
周囲のお客たちに聞いて回ったらが何故か皆口を揃えてそんな女性は知らないと言われた。警備隊にも聞いて回ったが皆一様に何も知りませんと言われた。
なぜだ?どうして?ありえない。昨日は確かにいたのだ、どうして皆彼女が最初からいなかったように振る舞う?
ルウドの知らない何かがあったのだ。彼女に何があった?
ルウドは真相を究明すべくハリスの元へ向かう。彼ならジュリアについて何か知っているはずだ。
ハリスの駐留部屋へ入ると彼は珍しく部下に指示をだし、真面目に仕事をしていた。
いつも余裕の彼にしては余裕がない。
「いいか、不審者がいたら迷わず声をかけろ、見逃すなよ?大事なことだからな!」
三番隊の仕事は主に城内警備。王族や主要人物のいる部屋の入り口辺りに配置されるのが仕事だがそれほど気を張る仕事でもない。そもそもドアの前で始終緊張し続けるなど不可能である。
「・・・失礼、ハリス。ちょっといいだろうか?」
「・・・ルウド・・・」
ハリスは気まずそうにルウドを見た。
彼の部下達は即座に持ち場へ走っていって部屋はあっという間にルウドとハリスの二人きりになる。
「・・・私の所には何の通達もないがこの隊だけやけに忙しそうだな」
「まあちょっとね、内密で処理しなければならない仕事があってね。それはそうとどうかしたかい?」
「先日相談したジュリアさんのことなんだ。とても信じられない話なんだが突然消えてしまったんだ。なぜ、どうなっているのかさっぱり分からない。ハリス、何か知らないか?」
「・・・・・」
すがる様な目をルウドに向けられてハリスは居心地悪そうに身じろぎする。
「・・・ルウド、もういないと言うことは国元へ帰られたのではないかな?突然用事で帰郷する人もたまにおられるし」
「そんな、昨晩は彼女と食事の約束をしていたんだ。私に黙って、いきなりそんな・・・」
「まあそんなこともあるよ」
「そんな馬鹿な。では何故お客も護衛も皆彼女を知らないと言うんだ?昨晩何かあったとしか思えない。一体何が起きたんだ?」
「たまにいるね、そういうお客も・・・」
ハリスは苦しい言い訳をした。ますます怪しい。
「ハリス、私には言えないことなのか?」
「・・・聞かなくてもいい事ってあると思うよ?」
「本当に私の耳に入れなくていいことか?」
ルウドがじりじりと詰め寄るとハリスが視線をそらして笑ってごまかす。
「・・・困ったな、一応隊の機密なんだけど・・・」
「何?」
女性の秘密が隊の機密などとはただ事ではない。
「私だって隊長だ、機密は守る。教えてくれ」
「ええと、その・・・」
「じれったいわねえ。はっきり言ってやりなさいよ!」
「・・・姫・・・」
入り口からティア姫が現れた。
「あの女はスパイ、この城には情報収集に来たのよ。あなたの事はただの暇潰し」
「スパイ?そんな馬鹿な?」
ルウドがまじまじとハリスを見ると彼は気まずそうに頷いた。
「早くに気付いた姫様から調査と監視を依頼されていてね。彼女が白状して逃げ出したあとは考慮すべき問題の対策を取っていたんだ」
「問題?」
「まあとにかく今考えうる対策をね」
「この国に他国が欲しがる情報など・・・。ほんとに彼女が?」
「どこかの国に依頼されてきたのよ。だから問題なのでしょう?他国がうちの何を知りたかったのか、それが分からないから。一番傍にいた人は何も気付かないでご機嫌とりして喜んでいたし」
「ひ、姫様、そのようなことを言っては・・・」
「・・・・・分かった、私の隊も協力するからいつでも要請してくれ。無理に聞き出してすまなかった」
ルウドは何も考えられず、よろよろと部屋を出ていった。
ハリスは哀れなルウドを見送ることしかできなかった。
「・・・姫様、傷心の彼を責めちゃいけません、そっとしておいてあげましょうよ?」
「知るもんですか、勝手に裏切られて落ち込んだだけでしょう?」
「可哀想と思うなら少しは優しくしてあげて下さいよ?」
「自業自得でしょう?憐れむ気も起きないわ」
「・・・ティア様、ルウドがそんなにお嫌いですか?」
「違うわよ、ルウドが私を嫌いなのよ」
赤い薔薇が消えてしまった。
ルウドはボンヤリと川縁に座り、落ち込んでいた。
気落ちする彼を心配してチラチラ様子を見る人達もいるが声をかける人はいない。
ーーーあのジュリアがスパイ・・・
けして職業差別するわけではないがスパイではもう二度と会うことはないだろう。
「ルウド、何時までそうしているつもり?」
「・・・ほっておいてください・・・」
ルウドの後ろで身じろぎする気配がする、わざわざ振り向かなくてもわかる。
ティア姫だ。白薔薇姫と呼ばれる清楚可憐な意地悪姫。
「さっさと仕事に戻りなさい。そんなところにいたら邪魔よ」
「あいにく仕事は休みです。誰にも迷惑かけていないのですから何処にいようが私の勝手です」
「だからってそんなところで沈んでても何も事実は変わらないわよ?」
「分かっていますよ、私など暇潰しでしかなかったと言うことくらい」
「そんなにあの人が好きだったの?」
ティア姫がルウドの横に座ってキラキラとルウドの顔を覗き込む。
一見罪のない綺麗な笑みと見てとれるがこの姫に限ってそれはあり得ない。
「恋も知らない子供には分からないことです。無意味にからかわないで下さい」
姫の顔が凍りつき、険悪な目付きになる。
「大人の事情にただの冷やかしで関わらないでいただきたい。貴女には関係ないことでしょう?ほっておいてください」
「・・・分かったわ、なら勝手に自爆していなさい」
姫は何かをパラパラと落としてから走り去っていった。
何を落としたのかと後ろを向くと遠くの薔薇園で泣きそうな顔をしてこちらを見ている騎士と目があった。
指に触れる何かを見つけて取ってみるとそれは小さな白い玉。姫が首飾りにつけていたものだ。
「・・・・・」
嫌な予感がして立ち上がると転がる玉を踏みつけた。
「ーーーーー・・っ!」
ルウドの足元で玉が発光し、大きな爆発音を奏でる。さらにその衝撃で転がる数個の玉も次々爆発した。
「悔しいいいいいいっ!バカにしてえええええええっ!」
ティア姫が飛び込んできて客部屋で暴れだした。魔法使いゾフィーは困る以外に対策の打ちようもない。
「・・・またですか・・・」
原因は分かっている。どうせまた白薔薇姫の庭師が何か暴言を吐いたのだろう。
報復されると分かっていていつもいつも懲りない御仁である。
「こうなったら徹底抗戦よっ!反乱を起こしてやる!」
「・・・何故そんな過激な方向に突っ走るのですか?穏やかに話し合いましょうよ?」
「何を話し合うのよ!話し合うことなんてないわ!グレてやる!」
被害を被るのは周囲の人たちである。ここで姫を止めておかないと騎士達の非難の的になってしまうがゾフィーに止めようがない。
白薔薇を愛しんで大切に育てた庭師は薔薇姫の気持ちが全く分かっていない。
姫の暴挙の原因のほとんどがルウドに起因しているが当人全く気付いてない。
「さあ協力なさいゾフィー、存分に踊らせてやるわ!」
悪魔のような笑みを見せる姫にゾフィーは身を震わせた。
<一話終了 二話へ続く>