第四章 青い瞳をした少女のヒーロー
「うぅっ。もうダメだ」
サトルくんは結局真夜中に空飛ぶバイクに乗せられて、無理矢理ラウンドツーに連れて行かれ、さんざんメアリーとジョニーに付き合い遊びました。まさかアメリカサンタの権力で特別に子供まで深夜に遊べるようにするとはビックリです。
すでに太陽は上り、現在朝の七時を迎えます。アメリカ人の二人も少しは満足したのか今は遊びを中断して、フードコートで朝食を取っています。
「オイオイサトル情けないな。夜は始まったばかりだぜ」
「…………ああ、そうですか」
もう夜は明けましたよとツッコむ元気もサトルくんにはありません。今日は学校が休みで助かったとサトルくんは心底思います。逆にジョニーはアメリカンドッグとお好み焼きをむしゃむしゃと頬張り、元気に食事しています。とても初老の老人の体力ではありません。さすがサンタです。
「…………」
ジョニーの孫娘でサトルくんと同い年のメアリーはジョニーとは対照的に先程から静かに食事していました。
疲れたのかなとサトルくんは思っていましたが、少しメアリーの様子がおかしいのです。さっきから朝食に頼んだワッフルを見ないでジッとサトルくんの胸元を見ていました。それも顔を歪ませながら。
「メアリー? えーっとどうしたのかな? さっきから僕の胸を見て」
男の子が女の子の胸を見るなら分かりますが、女の子が男の子の胸を見る理由はサトルくんには分かりませんでした。
そんなメアリーはサトルくんの声に、
「……やっぱり酷くなってる」
神妙な声で静かに呟くだけでした。
「……酷い? 大丈夫メアリー?」
メアリーの様子にサトルくんは心配になって来ます。
「サトル……」
しかしメアリーはサトルくん以上に心配そうにサトルくんを見つめていました。
「……っ」
メアリーの心配そうな瞳と目が合うとサトルくんは今までは高揚したドキドキ感を感じていましたが、初めて高揚以外の感情が出てきました。ゾクリとした恐怖の感情です。
その恐怖はまるで自分の醜い中を見透かされているような感覚なのです。ちゃんと隠しているはずなのにです。だからこれは気のせいだとサトルくんは自分に言い聞かせます。
「……ごめんなさい。ちょっと疲れたみたい。少し仮眠室で眠って来るわ」
メアリーはそれだけ言うと、ワッフルをジョニーに渡すと席を立ち、そのままフードコートから去っていきました。
「……ジョニーさん? メアリー大丈夫なんですか。辛そうでしたけど」
「うん? ああ、大丈夫さ。あの子は慣れてるからな。それよりサトルちゃんと飯を食えよ」
ジョニーはメアリーが立ち去っても変わらない様子でしたが、一瞬だけ心配そうに見つめているのにサトルくんは気付きました。ただ分からないのはジョニーのその視線はサトルくんに向けられていたのでした。
あれからさらに一時間程が経ちました。ジョニーは相変わらず元気でただいま若い女の子たちをナンパ中です。
そしてサトルくんは一人になりたくて、ラウンドツーのカラオケルームに居ました。昨日から一睡もしていない上に朝まで遊んだのですから眠くて堪らないはずなのに眠気は全くありませんでした。さっきのメアリーの心配そうな瞳が気になって仕方がないのです。メアリーはなぜ自分を見て、あんなに辛そうにしていたのかサトルくんには分かりませんでした。またなぜ自分がメアリーの瞳を見て怯えたのかも理解できませんでした。メアリーは大切な友人で…………いやだから怯えていたのかもしれないとサトルくんは考え付きます。
あの青い瞳に自分の醜い感情を見透かされたかもしれないから怖いのです。だって自分の醜い姿など見られたらきっと幻滅して、また母のように捨てられてしまうかもしれないとサトルくんは思ってしまうのです。
それが嫌なのです。怖いのです。もう誰にも捨てられてたくない。誰にも自分のせいで傷ついて欲しくない。……何より誰にも自分を傷つけられたくないのです。辛いのはもうサトルくんには耐えられないのです。怖くて震えが止まらないのです。
「ああ、まただ」
サトルくんは頭を押さえます。結局また自分の身ばかりを案じていました。自分の本心は自分さえ良ければそれでいいと思っているのです。なんと愚かで汚いんだろうと自分が嫌で気持ち悪くて吐き気さえ催します。
「……クッ! グウッ!」
吐き気と共に今までと同じようにいつもの症状も出てきます。頭の中はフラッシュバックでたくさんの記憶が流れ、酷い頭痛が訪れました。
もういっそ死んでしまいたい。
サトルくんがそう思った瞬間、背中に暖かく優しい感触が訪れます。
「……ハーイ。サトル大丈夫?」
いつの間にかメアリーカラオケルームに入ってサトルくんの背中を擦っていました。
「メアリー……。眠ってたんじゃないの?」
「いいえ。ちょっと気分が優れなかっただけよ。それで大分落ち着いて来たからおじいちゃんにあなたの居場所を聞いて来たの。カラオケルームに居るのにあなた歌わないからどうしたのかと思ってたらずいぶん辛そうね」
メアリーは気遣うように言いますが、その言い方さえサトルくんには自分を見透かされているからこそ同情しているように聞こえます。
「……僕なら大丈夫。だからメアリー今は一人にしてくれないかな。誰とも居たくないんだ」
幸か不幸かメアリーが傍に現れたおかげで発作のような症状は徐々に引いていき、サトルくんは落ち着きを取り戻し、そして拒絶の言葉を口にします。今はメアリーに自分を目に入れて欲しくないのです。
「いいえ。悪いけど、あなたの傍に居させてもらうわ」
しかしメアリーは拒絶を拒絶しました。そのままサトルくんのすぐ近くの席にドッカリと座ります。
「……メアリー?」
「NO」
「…………」
こうなったらメアリーはどうしようもありません。彼女は筋金入りの頑固者なのですから。
サトルくんは困ります。何よりメアリーとすぐ近くの席だということに耐えられなくなり、少し横にずれます。
だけどサトルくんがずれるとメアリーは追うようにサトルくんに近づきます。するとまたサトルくんはメアリーから離れます。でもメアリーはさらにサトルくんを追い続けます。
離れる。迫う。離れる。迫う。しばらくその攻防が続きますがついにサトルくんは壁際まで追い込まれ、逃げる場所は無くなりました。
「もうなんなのさ! さっきから僕は一人になりたいって言ってるだろ!」
堪らずサトルくんは怒りを露わにします。
「だーかーらNOって言ってるでしょ!」
「この自分勝手!」
「何よ!」
いつの間にか口喧嘩にまで発展してしまいます。サトルくんも珍しくムキになってしまっていました。
「とにかく君が離れないなら僕が出て行くよ!」
サトルくんはそのまま部屋から出て行こうとしまいますが、しかしそれは柔らかな手に阻まれます。
「待ってサトル。……あなたがアタシと居るのは嫌なのに無理矢理迫ったのは謝るわ。でも少しだけアタシの話を聞いて」
メアリーがサトルくんの手を握り、引き留めるのでした。本当に申し訳なさそうに彼女は引き留めるのでした。
「…………」
サトルくんは黙って、メアリーの隣の席に座り直します。彼女のあんな顔を見てしまっては従う以外にサトルくんには選択肢はありませんでした。
「ありがとう。……まず何から話せばいいかしら。ねえ、サトル去年のクリスマスを覚えている?」
「……去年」
去年のクリスマスは例年のごとく十二月からサンタたちが家に居なくなり、友人のケンタくんの家でお世話になりました。その際にメアリーも日本にやって来て、ケンタくんの友人となってそのままケンタくんの家でサトルくんと共に数日程過ごしたのです。
「うん。覚えてるよ。楽しかったね」
本当に楽しかったのです。ただ去年から母とのトラウマによる症状は酷くなっていきました。
一度だけケンタくんやメアリーたちの前で症状が現れ、気を失いそうになりました。当然心配されましたがその時ははしゃぎすぎたということでなんとか誤魔化したのは今でもよく覚えています。
「それでね今回アタシたちはあなたに会いに来るために日本に来たって言ったでしょ。それはアタシが去年のあなたを見たからなの。アタシの目で意図的にね」
「……どういうこと?」
サトルくんには意味が分かりません。
「サトル、アタシたち昔からの仲よね。でもお互い家族にサンタが居ることもあって冬休みに会う事はなかったわ。それで去年初めて冬にあなたに会うことに実現した。……その時アタシサトルを見て、ビックリした」
「…………」
まだサトルくんにはメアリーが何を言いたいのかよく分かりません。
そこでメアリーは決心した顔つきでアタシの秘密聞いてくれる?と口にします。
「メアリーの秘密?」
「ええ。とっておきのね。アタシ人を見ると感じられるの。その人の痛みがアタシの目から心に流れて来るの」
「……何を言っているの?」
「言った通りよ。おじいちゃんたちはサンタで魔法の使い方を訓練で覚えた。そしてアタシはサンタの孫だからか生まれつき人とは違う特殊な力があるの。……それがこの目よ」
メアリーは自身の青い瞳を示しながら言います。
「……つまりきみは人を見るとその人の痛みが感じられるってこと」
サトルくんはようやくメアリーの言葉を呑み込みます。普段サンタといるおかげかこういう不思議な話ならすぐに理解は出来ます。
「ええ。今はコントロール出来るけどね。そしてその痛みは外傷ではないわ。正確に言うならアタシは力を使って見た人の心の痛みが分かるの」
「……っ」
サトルくんはその言葉に顔を歪ませ、動揺します。
「もちろんあなたの心の傷もアタシには感じられるわ。……とっても痛いあなたの傷を。さっきも食事の時もあなたの傷を見たけど、思わずあなたから逃げちゃったわ。それくらい酷い傷」
「そう。……嘘じゃない?」
「ええ。本当よ。あなたの傷は痛いだけじゃないわ。アタシには人の心は読めないけど、それでもその人の抱えている辛さは分かる。あなたには悲しみ、自身の憎悪、喪失感、大きな罪悪感、何より周りへの疑いでいつもビクビクしているってことくらいならアタシのこの目でも分かるわ」
「……ハハッ」
思わず笑ってしまいます。あまりにも隣の友人の言っていることが的確でサトルくんは笑うしかありませんでした。
サトルくんはずっと自分のそんな醜い姿を隠していたつもりでした。しかしメアリーはそんな姿をとっくに知っていたのです。これではまるでただの道化だなとサトルくんは思います。
「……すごいなメアリーは。まるでサンタロウおじさんたちの魔法みたいだ」
「魔法みたいに便利じゃないけどね。第一これ使うと相手によっては色んな負の感情が胸の中で暴れて息が苦しくなって、それにすごい痛いのよ。あなたみたいな人とかを見るととても痛いの」
「……そう。それでこの話が僕に会いに来たのかと関係あるの? ……同情ならやめてくれよ」
サトルくんは歪ませた表情のまま攻撃的な口調になってしまいます。羞恥が、心を覗かれた怒りが消えないのです。
「同情ね……。どうかしら? アタシは少なくともそんなことをしているつもりはないわ。そしてサトルアタシがなぜこの時期におじいちゃんに頼んでまであなたの所に来たのには当然理由があるわ」
メアリーはサトルくんが怒っているのが分かってもただ淡々と話し続けます。
「人の心の傷って普通の傷とは全然違うの。普通の傷なら徐々に治っていくものだけど、心の傷は何かの出来事で急に傷がふさがったり、逆に辛いことや傷口の出来た経緯で関係にあることに出くわしたりするとそれまで治りかけて小さくなっていた傷が突然大きな傷になることだってある。不安定な傷……というより治りようがないのよこの傷って」
メアリーは心の傷について説明します。
「だから何? 話の終わりが見えないんだけど」
「…………分からないのよ」
サトルくんの冷たい言葉にメアリーはポツリと呟きます。
「アタシには分からないから。あなたがどうしてここまで大きな傷を負ってしまったのか。あなたみたいな子がどうしてこんなに苦しんでいるのかを知りたいとも思った。……そうよ、アタシはあなたのことが知りたくてここに来たの。おじいちゃんに迷惑をかけてまで」
メアリーはあくまで真摯にサトルくんに問いかけます。しかし、
「……僕だって迷惑だよ」
サトルくんにはメアリーの言葉は響きません。彼には今余裕がないのです。
「なんだよ。突然やってきて家を連れ出して、次は僕のことが知りたい? やめてくれよ! きみが僕を知って何になるんだよっ!」
爆発するようにサトルくんは感情を吐き散らかします。もうメアリーには自分の醜い心を見られたのですから今更隠しても無駄だからこそサトルくんは自棄になります。
「どうせ僕のことを知ってもきみだって僕を嫌いになる。母さんがそうだった。母さんが連れてきた男も僕を嫌って僕を殴った! 僕が居たせいで母さんは死んだっ! 死んだ母さんを僕が守れなかったせいで妖怪に食べられた! おじさんたちだってサンタだから僕を同情で拾ってくれたんだ!」
サトルくんの言葉はすでに支離滅裂です。サトルくん自身自分が何を言って、自分の言ったことが本音なのかどうかも分かっていないでしょう。ただ彼はめちゃくちゃに言葉を吐き出し、息を切らしながらメアリーを怯えた目で睨むのです。
「怖いんだよ! みんなが、おじさんたちが、きみが僕は怖いんだ! みんなが大好きだから怖いんだよ。もう嫌なんだ。好きな人に傷つけられたくないんだ。そんなことなら一人の方がずっとマシだよ! だからもう僕に近寄らないでよ!」
怯えた目でサトルくんはメアリーに捲し立て、拒絶するのです。
「サトル大丈夫だから。アタシは……ううん。アタシだけじゃない。あなたは周りのみんなから愛されている。そう簡単に嫌われたりしない」
メアリーはサトルくんが拒絶しても全く引く様子はありません。
「そんなの口だけじゃどうだって言えるよ! でも消えないんだ! 僕は……僕なんかどう……」
そこでサトルくんの言葉は途絶えます。包まれるようにメアリーから抱きしめられたのです。
「大丈夫。大丈夫だから。あなたが言葉だけでは信じられないならアタシはちゃんと行動に移して見せる。……それが出来るのはあなたがアタシと同じことをしてくれたからよ」
メアリーはまるで子供をあやす母親のようにサトルくんの背中をゆっくりと擦りながら耳元でお話のように語ります。
「アタシね、あなたと出会う前は学校にも行かないで家に引きこもっていたの。知ってた?」
「…………」
サトルくんは答えませんが、それは初めてアメリカサンタのジョニーの家に遊びに行くときにサンタから聞かされていたことです。
「原因は察しはつくでしょうけど、この目でのことなの。当時のアタシにはこの目の力をコントロール出来なかった。だから痛かった。いつも痛かった。悲しいことなんて起きてもないのにいつも悲しくて痛かった。そしてアタシは悲しんでいる子を知っているのに助けることも出来なかった。すると今度はアタシの心自体まで悲しくなるの」
メアリーが語っていることは楽しい話じゃないのにサトルくんは彼女の声を聴いていると段々と安心してきます。
「もちろんこういう類に詳しいサンタのおじいちゃんはアタシにコントロールする訓練をしようとしてくれたわ。でもアタシは嫌がったの。だって痛いんですものとても。……何よりアタシなんかじゃ出来っこないと思った」
そのメアリーの言葉にサトルくんは現在の自分のようで一人心の中で共感してしまいます。
「だからアタシは誰も見ないようにしようと思った。人と関わることをやめればアタシは痛くなるから。それからは学校にも行かなくなったし、ママたちとも極力話さないようにした。もちろんおじいちゃんとも。傷つくくらいなら一人の方が楽なんですもの。だって寂しさは慣れるけど、痛みは我慢できないの」
「メアリー……」
サトルくんはようやくメアリーに抱きしめられてから声を発します。彼女は震えていました。自分の過去を、自分の傷を見せて震えているのです。サトルくんは思わずメアリーを強く抱きしめます。さっきまであんな酷いことを言っていたのにいざ彼女が傷つくとサトルくんはどうしようもない気持ちになるのです。
「そんな時に日本からおじいちゃんのサンタ友達が来た。あなたの家族のサンタロウとポチね。そしてサトルも一緒に付いてきたわね」
「……そうだね」
「アタシね、あなたたちに会うつもりはなかったの。会ってもアタシの心が痛くなるだけですもの。だからベッドでずっと寝たふりをしていたの。なのにサトル、あなたと来たらレディの部屋に勝手に上がってきたのよね」
「……ノックはしたさ。でもきみ返事がないし、あの時はまだお昼って時間でもないからお昼寝でもないと思って、だから、その……」
「言い訳ね。返事がないくらいで女の子の部屋に勝手に入って来たらそのうちあなた通報されるわよ」
そこでメアリーはようやく小さくですが、クスッと笑います。ただ声の調子はまだ重いままです。
「あなたが部屋に入って来てアタシはビックリしたけど、それ以上に痛かった。あなたを見るだけでとても痛かった。一目であなたがとても傷ついた心を持っている人だって分かった」
「…………」
サトルくんはメアリーと初めて出会った時のことを思い出します。確かに自分は母の死を経験してからまだ半年くらいしか経っておらず、悪夢のように母との出来事を思い出すのはしょっちゅうでした。当然いつも内心はサンタにいつ捨てられるのかビクビクもしていましたし、周りの人間にも嫌われたくないから媚びを売るようにいい子の自分を演じ続けて疲れさえしていました。
しかしそんな思いに反するかのようにサトルくんはサンタの友達であるジョニーの孫娘のメアリーと出会えることを楽しみにしていました。サンタが彼女はいつも一人だと聞かされていたからです。自分と同じ孤独を知っている子ならどこか分かり合えるかもしれない。自分の心の震えを、不安を消してくれるかもしれない。そんな僅かな希望を持ちました。
そしていざメアリーと出会った時、サトルくんはメアリーと会う前に思っていた不安だとか同じ孤独を分かり合えるなんていう考えは強い衝撃を受けたかのようにどこかに吹き飛んでしまいました。
目に入った少女があまりにも可憐だったからです。触ってもいないのに柔らかさを感じさせるような金色の長い髪に、白く仮に触れてしまったら自分のせいで穢れてしまうんじゃないかという思うくらいの美しい肌、長く整っている睫毛に、花を連想させるくらい可愛らしい顔立ち、何よりおとぎ話に出てくるお姫様のような青色の瞳に心を奪われて何も考えられなくなったのです。
しばらく放心状態になってしまったサトルくんでしたが次に出てきた感情は残念だというものでした。何せ目の前の少女の美しい瞳は怯えが見え、悲しんでいるとサトルくんには分かってしまったのです。少女はあんなに美しいのに自分と同じ瞳なのですから。
だからこそサトルくんは必死に笑顔を作って、しつこいくらいにメアリーに話しかけることにしたのです。ただ彼女の笑顔を見るために。それが二人の始まりでした。
「……初めて出会った時ちょっとうるさくなかった?」
過去を思い返して、ふとサトルくんは訊ねてみると、
「ちょっとではないわ。すっごくうるさかったわ」
即答されてしまいます。サトルくんはやっぱりかと少しだけ落胆します。
「でもね、凄いとも思ったわ」
「凄い? 僕が?」
「もちろん。だってあの時のサトルってずっとアタシの前では笑顔だった。ものすごく心が傷ついているのに。……どうしてなんだろうって思った。あなたを見てアタシどうしてこの子はこんなに傷ついて痛いはずなのにアタシなんかに構えるんだろうって思ったの。アタシにはあなたがとんでもないくらいすごいことをやっているように見えたわ」
メアリーはサトルくんにそう言います。その口ぶりはまるで本当にサトルくんを尊敬しているみたいでサトルくんは胸がチクリと刺さるような痛みを感じます。
「そんな……褒められることじゃないよ。僕はただ……君が僕みたいに悲しそうだったからそれが嫌だっただけで……」
その後サトルくんの言葉が止まります。それ以上の言葉は今の彼には見つかりません。ただメアリーはサトルくんとは対照的に笑い出します。耳元で聞こえる彼女の声がサトルくんは本当に楽しそうに聞こえます。
「フフ……。やっぱりサトルって鈍感ね」
「鈍感って……僕はそんなに鈍感なつもりじゃないけどなぁ」
「いいえ鈍感よ。だってあなたのそれ――――」
メアリーは言います。自信満々にこう言うのです。
「――――強さよ」
メアリーは言った後、抱きつく体勢を保ちながらも少しだけ距離を開けます。その時サトルくんが見たメアリーは実に自信たっぷりに不敵な笑みでした。
「強さ? 僕が?」
メアリーの言葉はサトルくんにとって自分とは一番遠い言葉だと思っており、まるで後頭部でも殴られたかのように頭の中は真っ白になります。
「ええ。例え自分が傷ついてでも、歯を食い縛ってでも笑顔を見せているあなたは強いわ」
「そんなことないよ! 僕なん……」
「セイッ!」
直後、サトルくんの頭にそこそこの衝撃がやってきます。メアリーがなかなかの強さで頭突きをしてきたのです。
「っ~~! 痛いじゃないかメアリー!」
「NONO! ネガティブな言葉禁止なの! 全くサトルは……。本当に鈍感大王よね」
「鈍感大王って……勝手にパワーアップさせないでよ」
「だって嫌なんだもの。サトルは気付いてないかもしれないけど、初めて出会った時からあなたはアタシにとって……」
メアリーはそこからハッとしたような表情になり、言葉が止まります。何やら顔を赤らめています。サトルくんは訳が分かりません。
「メアリー?」
「…………ううー」
メアリーはうめき声をあげたかと思ったらサトルくんの胸に顔をうずめて顔を隠します。
「メ、メアリー!?」
サトルくんはものすごい声が上ずります。ただでさえ抱き合っているだけでもドキドキと鼓動が速くなってしまっているのに、こんなことされたらドキドキはさらに強くなってしまいますし、胸の音をメアリーに聞かれてしまうと思うと顔がすごく熱くなります。
「何を…………ってメアリー!!!」
メアリーは胸に顔をうずめたかと思うとさらにサトルくんを思いっきり抱きしめます。これにはサトルくんも、
「ぐわああああっ! 痛い痛いストップ! メアリー? メアリィィッィィィ!?」
悶絶です。メアリーは力持ちなのです。
「……っ……」
メアリーはサトルくんに確実にダメージを与えつつ、何やらボソッと口にします。
「え? 何? メアリー聞こえない! そして痛い!!!」
「だから……その……あなたは……」
メアリーは口ごもります。その様子から表情は見えませんが恐らく恥ずかしがっていることはサトルくんでも分かります。
「何!? メアリー早く言ってよ。このままじゃ……僕の背骨が!」
「……~~っ! ……ヒーローなの」
そこでやっとメアリーは力を緩めます。しかしまだ顔はサトルくんの胸で隠したままです。
「ヒーロー?」
「ああ! もう!」
サトルくんに聞き返すとメアリーはサトルくんの胸の中でしばらく頭をグリグリと動かす奇行をした後、
「ふん!」
二度目の頭突きをします。今度は攻撃がヒットした後はすぐさまサトルくんから離れて、カラオケ部屋の隅にうずくまります
「…………痛てて。今メアリー本気でしたね。すっごい痛いんだけど」
「Sorry」
いつもメアリーはそう簡単に謝りませんが、今回はすぐに謝ってきます。
「まあ怪我とかしてないしいいけどさ。でも君は何をこんなとこでうずくまっているの?」
少しだけ、いえ恐らくかなりサトルくんはメアリーが抱きつくのをやめてしまったことを残念に思いながらも隅で固まっているメアリーに近づこうとします。
「ストップ! ストップよサトル! その……ちょっと……今あなたに見せられない顔をしてるからこのままで話の続きをさせて」
メアリーはそう言うのでサトルくんは不思議に思いながらも大人しく従います。
「それで、そのヒーローって僕のことなの?」
「……この状況であなた以外の名前が出ると思う?」
「でもメアリー僕は……」
ヒーローだなんて自分には強さという言葉と同じくらい似合わないとサトルくんは思うのです。
「目!」
そこでメアリーは大きな声で言います。
「あなたは初めて出会った時に私のこの大嫌いな目を褒めてくれた! 綺麗な目だって!」
メアリーは声を張り上げ続けながら言います。
「嬉しかったの。それがお世辞だったとしてもアタシと同じ年で心に大きな傷を負っているのに笑顔でいられるあなたみたいな凄い子に褒められたのがアタシにはとても誇らしく感じた。その時にね思ったの。アタシもあなたみたいに自分の傷を負っていようがいまいが、誰かの心を照らせる人になりたいって。あなたみたいになりたいって思った。サトルはアタシにとって憧れで、……サンタのおじいちゃんと同じくらいアタシにはあなたがヒーローなの」
「…………っ!」
サトルくんは震えました。ヒーローという言葉に心が震えてしまったのです。
そこで先ほどまでうずくまって顔を隠していたメアリーは立ち上がりサトルくんの方に顔を向けます。その顔はすっきりしたように清々しい程に綺麗ではにかんでいるのでした。
「サトル、あなたは周りを信用出来ないのは分かった。大切な人たちに傷つけられたくないのも。……そうよね絶対だなんて言葉なんてないもの。でも事実は変わらない。傷ついているあなたが見せた笑顔にアタシは心が動いた。アナタがアタシの目を褒めてくれたからアタシは自分の力を苦しい思いをしてでも訓練して使いこなそうと思えた」
メアリーの声には迷いは感じられません。ただ堂々としているのです。
「サトル、アタシねヒーローになりたい。あなたみたいに自分が傷ついてでも、立ち上がって歯を食い縛りながらでも誰かを救えるような、……ううん違う。アタシは自分の大好きな人たちを、アタシのヒーローで友達なあなたを救えるようなヒーローになる」
サトルくんはメアリーの言葉に耳を塞ぎたくなり。これ以上彼女の話を聞いていれば、今まで自分が自分だと認識していた汚く醜い自分ですら消えてしまいそうで、それがなんだかとても怖くて、自分自身が消えてしまいそうな感覚に陥ります。
「…………っ」
それなのに彼はメアリーの声から耳を塞ぐことも遮ることもありません。心のどこかで彼女の強い意志を聞いていたい自分が確実にいるのです。
「だからアタシはあなたを知りたいの! そのためにアタシはあなたの目の前に居る! 例えアタシがあなたのことを知って、好きという気持ちが嫌いって気持ちに変わったとしてもあなたがアタシを救ってくれた事実は変わらないっ! どんなことがあろうがその事実がある限り、あなたはアタシのヒーローで、アタシはあなたにとって友人で居続ける」
彼女の言葉は力強いのに実にめちゃくちゃです。サトルくんには嫌いになってもあなたはヒーローだとか、嫌いでも友達で居るとかなんとか言うメアリーの言葉が本当にめちゃくちゃで、もうこの子ってアホだなと思います。
だけどサトルくんは思います。
「ゆびきりげんまん」
そう言って近づいてきて、手を差し伸ばす彼女の小指に自分の小指を絡ませる自分はきっともっとアホなんだろうなとつくづく思うのでした。