第二章 一人の夜には騒音とHAHAHAを
それから数日が経ち、十一月三十日の夜になりました。サトルくんはあの夢をなかったように振る舞い、サンタもポチもそれに付き合うかのように仲良く穏やかに過ごしていました。
「サトル、……明日から私たちは一か月ほど家を空けるけど、本当に一人で大丈夫かい? やっぱり今年もケンタくんの所にお世話に……」
「大丈夫だよ!」
サンタが言い切る前にサトルくんは声を張って大丈夫だと言います。
「僕来年中学生だし、一人で留守番くらい出来るから! だから安心してよ」
サトルくんの様子はいくらサンタが鈍感でも無理していると分かりました。
「…………」
しかしサンタには何も言えませんでした。例え何か言おうとしてもサンタはサトルくんの傍に居てあげることが出来ないからです。少なくともクリスマスが終わるまでは。
世界中のサンタは十二月になるとクリスマスのためにグリーンランドのサンタ協会で多くの過酷な訓練を受けないといけません。とてもではないですが日本とグリーンランドを往復する余力も時間もありません。
もちろんサンタとしての仕事自体を放棄することも可能です。引退すればいいのですから。しかしそれは簡単に決断できることではなく、何よりそんなことをすればサトルくんはさらに落ち込んでしまうでしょう。
サンタとは子供たちにプレゼントを贈る存在として知られています。しかし正確に言えば、サンタが贈るのは物ではありません。サンタは光を雪としてクリスマスの夜に降らすのです。
その光の雪の源は人々の希望です。
サンタたちが一年間世界中で人々が感動した時、嬉しい時、希望を持った時の感情を魔法で光に具現化してそれを集め、その光を今度は科学の力で雪の粉に変えていきます。
その雪をクリスマスイブの夜にサンタたちは空飛ぶソリでトナカイと共に世界中の空に降らせます。その光の雪によって人々の、特に感受性の高い子供たちの希望の花を育て、同時に孤独や悲しみの花を刈り取られて行くのです。
今ではこのサンタたちの活動によってクリスマスイブの夜だけ世界中には平等にホワイトクリスマスが訪れ、希望が詰まった光の雪によって犯罪や戦争などの悲しいことが激減しているみたいです。人々はこれを『聖夜の奇跡』だとクリスマスと共にサンタたちを称えているのです。
しかしそれでもサンタたちには救えない人たちはたくさん居ます。孤独や悲しみ、憎しみなどのマイナスな感情の花が光の雪でも刈り取れなくなるほど強くなった人たちに通じないのです。それに例え一時的に人々に希望が宿っても、クリスマスが過ぎて行けば徐々に人々の希望の花はまた枯れてしまいます。お正月の時期には再び多くの犯罪や戦争がまた始まってしまうのです。それもそのはずです。咲いた花には水をやらなければ枯れてしまうのですから。
だからこそサンタたちは世界に悲しいことを少しでも失くすためにクリスマスの活動を怠るわけには行きませんでした。そのことをサンタとずっと暮らしているサトルくんは当然知っていますし、誇りにも思っています。それだから『一人は嫌だ』という言葉も感情を見せることも我慢していたのでした。
「サトル、おめえ本当に大丈夫か?」
最後にトナカイのポチが聞きます。
「……うん」
サトルくんは静かに頷くとサンタもトナカイも何も言う事はありませんでした。こうしてこの日の二人と一匹の夜は静かに過ぎて行き、十二月は訪れ、サンタたちはグリーンランドに向かい、サトルくんは一人の夜を過ごしていきました。
『クリスマスまでもうすぐです。みなさん幸せハッピーですかー!』
「…………」
テレビで女性アイドルが可愛らしい笑顔を振りまく中、それを見ているサトルくんは無表情で黙々とテレビを眺めているだけでした。面白いともつまらないとも何も感じません。
サンタたちが家に居なくなってから、十日程の日数が過ぎて行きました。サトルくんは一人になってもちゃんと学校に行き、学校が終わった後は遅くならない程度に友人たちとも遊び、家事や宿題も全てこなします。その間は何もかんがえることはありません。しかしやることが無くなると感じてしまいます。一人だと言う事を。
寂しさを感じつつもこんなことで泣き言を言っていたらサンタたちに見捨てられてしまうと自身を振り立たせて、テレビを消すために立ち上がります。
「自習でもしようかな」
テレビを消した後、独り言を呟きながらサトルくんは勉強部屋に向かおうとしたその時、
「っ! うっ……がああ!」
唐突に頭の中でたくさんの映像が一気に流れてきます。フラッシュバックです。
脳裏には自身の母の顔が流れてきます。胸の鼓動はどんどん早くなり、それに伴い頭痛や目眩までやって来ます。
「…………ああっ……はあ……」
堪らず膝をつき、胸を押さえます。
「………………まただ」
ようやく症状が治まってくると、諦めたようにサトルくんはそう口にします。
この症状は別に珍しいことではありませんでした。十二月になるといつも夢とはまた別に発作のように母のことを思い出すのです。特に一人で居る時ほどこの症状は顕著に出てきます。
「…………」
あの時からかなりの時が経ったのにこの症状は良好に向かうどころか年々と酷くなっています。それに気付くたびにサトルくんは自分は人として欠陥品なんだなと自覚させられます。
十二月になると一人で居るだけでここまでおかしくなるのは明らかに自分の心が弱いからです。そんな自分が情けなくて、何よりそんな弱い自分のせいで死んでしまった母のことを思うと自分は本当にこの世に居ていいのかといつも思います。
そんな自分に暖かさをくれるサンタやポチに、友人たちにはいくら感謝しても足りないくらいで、大切な存在です。ただ同時にサトルくんはその大切な存在を煩わしくもありました。彼らが自分に近づいていくたびに自分の醜さを彼らにバレてはしまわないか心配で心配で堪りません。自分がこんなに醜いと知られてしまったらきっと見捨てられるから。
だからいつも周りに愛想を振りまいて、人に嫌われないように良い子を演じているのです。それはもう一人の醜い自分から観たら滑稽でしかないのでした。こんな滑稽な存在を演じなければならないのは全て大切な存在の人たちのせいです。彼らが居るからこんなに苦しまないといけないのです。いっそ一人の方が楽で、ときどき全ての関係を壊してしまいたくなる衝動さえあります。それが出来たらさぞ気持ちいいでしょう。
「…………僕は何を考えているんだろう」
一瞬でもそんなことを考えてしまったことに罪悪感と嫌悪感をサトルくんは覚えます。そして全身に痒みが襲ってきて、一瞬だけですが全身にたくさんの虫が這っている幻覚すら見てしまいます。
あの時サンタたちに助けられずに……いや母と一緒に怪物に喰われてしまえば良かったなと思いながら、サトルくんはふらつく足取りで布団につきます。早く意識を失いたかったのです。そうすれば楽だから。そしてまた夢を見て苦しみ、その後日が昇ればまた犬みたいに尻尾を振って愛想を振りまくんだろうなとサトルくんは自身の想像すると、
「フフッ」
今日初めて一人になって笑いました。
その時のサトルくんの顔は酷く情けなく、悲しそうな顔でした。ただ涙は出ません。もう枯れてしまうくらいに泣いたのですから。
そのままどん底の中眠りに就こうとしたその時、外から爆音のように騒がしい声が耳に入って来るのです。
その音はどんどんサトルくんの家の方向に近づいてきます。
「……バイク?」
それは珍しいことでした。数年前に村周辺の暴走族たちはポチが壊滅させたので、それ以来この村では真夜中に騒音でバイクを走らせることはありませんでした。
「…………」
正直バイクなんかに構っている余裕はサトルくんにはなかったので無視して、目を力一杯瞑ります。
「…………」
しかしバイクの音はどんどんこちらに近づいてきます。人が寝ようとしているのにそれをぶち壊してくるバイクの騒音にサトルくんは若干イライラします。
「…………」
バイクの音は止みません。サトルくんはさっきまで悲しい顔をしていたのに今は顔を歪ませて、不愉快全開です。
「…………。ちっ」
ついに舌打ちをします。バイクの音はもうすぐ近くまで迫っています。
よく聞けばなんだか空の上から聞こえるような気もしますがサトルくんはきっとイライラしてるから耳がおかしくなっているんだろうと判断し、とりあえずどんな人なんだろうと窓まで行くと、
「…………へ?」
その迷惑な人物は見知った人たちでした。その方々は空を飛んでいました。爆音の鳴ったバイクで。そして、
「どいてええええええええサトル!!」
見知った顔の一人である少女がそう叫んだ直後、バイクはサトルくんの家の壁を突き破り、そのままドッガシャーン!!と大きな音を立てながらサトルくんの部屋にやってくるのでした。
「…………わあ」
あまりの突撃ぶりにサトルくんは感嘆の声をあげます。
「oh。こりゃあ痛いな! HAHA」
白髪に碧眼で筋肉ムキムキで冬なのにアロハシャツを着た老人は笑います。すると老人と一緒に居たもう一人の少女が窘めます。
「ちょっとおじいちゃん! 笑うとこじゃないわよ。死ぬとこだったじゃないっ!」
プリプリと怒っている少女も老人と同じく碧眼で違う点は白髪ではなく金髪で、まさに童話の中に出てくるようなお姫様みたいな容姿です。
「オイオイ怒るなメアリー。幸いなことにバイクも無事だし、それに……オーなんてこった!」
「どうしたのおじいちゃん!?」
「お土産も無事だったよ! ……おや、近所のエルトン爺さんに買った土産がないな」
「なーに行ってるの? それならさっきお腹空いたからって食べちゃったじゃない」
「ハハッそうだったな。これはエルトン爺さんに叱られるな」
「大丈夫よ。お土産はもうアタシたちのお腹の中なんだからバレないわ!」
「それはそうだ!」
「「HAHAHA」」
「…………何をやっているんですかお二人とも」
先程から大きな動作と面白くもない冗句で笑っている異国の二人にサトルくんはこめかみをピクピクさせて訊ねます。しかし二人はサトルくんが怒っているのを察していないのか少女はニコニコ笑顔でサトルに声をかけます。
「Heyサトル! 久しぶりね! あなたに会いに来たわよ」
「なんできみが……。それにジョニーさんどうしてここに居るんですか」
「HAHAHA。グリーンランドから脱走してきたからに決まっているだろ」
「脱走? も、もしかしてサンタ協会をですか?」
「HAHA当然さ!」
「えええええええええええっ!」
サンタ協会を脱走。……そうです。この老人アメリカのサンタなのです。
名前はジョニー。一緒に居る少女はアメリカサンタジョニーの孫娘メアリーです。サトルくんのサンタことサンタロウとジョニーは昔からの友人なのでサトルくんもジョニーとメアリーは見知った顔なのです。特にメアリーとは同じ年なのでとても仲良しです。
「ど、どうしてそんなことを」
「そんなの決まってるじゃない。さっきも言ったでしょ」
金髪碧眼の少女、メアリーはウィンクをして見せてはっきりと言います。
「アタシたちはあなたに会いに来たんだって」
こうしてアメリカサンタジョニーとその孫娘メアリーの深夜の迷惑な登場によりサトルくんの孤独はとりあえずは強制的に埋まるのでした。