第一章 フライドチキンの後の夢
あれから五年が経ちました。サンタたちが見つけたボロボロだった少年はサンタたちの必死の看病もあり、元気になって来年で中学生です。
少年には帰る家がなかったのでサンタが育てることにしました。今ではサンタが全力で手続き等をしてくれたおかげでサンタの家で養子として暮らしています。
そんな少年の名前はサトルくん。サンタの住むミドリ村で村一番のよい子として知られており、今では村の人気者。
「サトルくん? 本当に今日はボクの家で開かれるフライドチキンパーティーに参加できないのかい? 正直親友の君にはぜひ参加して欲しかったんだけどね。おじいさまや父上たちも君に来て欲しがっていたよ」
学校の帰り道、サトルくんは世界中でフライドチキンを売りさばいている会社の社長息子ケンタくんにパーティーに誘われます。ケンタくんの言葉にサトルくんも嬉しい気持ちで一杯です。
「ありがとう。でもごめん。ずっと前から今日はポチと遊ぶ約束を先にしてたから行けないや。今日は一年に一回開かれる最強の熊のゴン太郎さん主催の相撲大会があるんだよ」
しかしサトルくんは断ります。ポチとは同じ家で暮らす二足歩行のトナカイのことです。サトルくんとポチは家族であり、親友でもあるのでした。
「ポチさんか……。ポチさんとの約束なら守らないとね。彼をもし怒らせでもしたら世界中で大きな影響が出るからね」
ケンタくんフライドチキンを食べすぎて太ってしまった自身の顎の肉をタプタプしながらは戦々恐々にそう口にします。
ポチはトナカイとしての巨体と野生の血、サンタ協会直伝の戦闘訓練と魔法耐久訓練のおかげでとても強いのです。その強さは普通のクマなどの猛獣を拳一つで倒し、村がテロリストに襲われれば生身一つでテロリストを制圧し、妖怪が現れればテロリストから奪った銃器等を駆使して倒してしまう程の強さを持っていました。
そのためポチは村の守り神として称えられている共にあまりの強さに畏怖の存在としても知られています
「アハハ、ポチはそんなことしないよ」
しかしサトルくんはポチが強さ以上に優しいということを知っていますからそんな心配は微塵もしていません。
「……っ! ……フッ。ボクとしたことが彼の能力に目が行き過ぎて彼本来の中身を見ることを忘れていたよ。サトルくん君の家族を侮辱してしまったこの愚かなボクをどうか許してくれまいか」
ケンタくんは結果的にサトルくんの家族であるポチの悪口を言ってしまったことに気付き、サトルくんに跪き、謝ります。
「ううん、悪意がないのは分かってるし、僕もそれにポチもきっと気にしてないよ。それよりさすがに反応がオーバーすぎて逆に困るよ」
「ああ、君はなんて寛大なんだ! 主よありがとう。そしてサトルくんこの情けはいずれ必ず返すよ。神に誓ってもね!」
「いやだからケンタくん……。もういいや。とにかく僕は気にしていないからね」
サトルくんは笑顔でケンタくんに困惑しながらも許します。サトルくんは家族のサンタも二足歩行のトナカイのポチも大好きですが、この村の人たちも好きなのです。
サトルくんは神に感謝しているケンタくんに別れを告げると走ってサンタとポチの待つ家に帰っていきます。帰る道々で村の人々はサトルくんに親しげに声をかけてきます。それだけでサトルくんは幸せな気持ちで一杯になるのでした。
「ただいま」
家に着くとサトルくんはそう口にして、手洗いうがいをした後にサンタが機械技師として仕事をしている作業場に足を運びます。
作業場につくと歪な形をしたロボットのような物や大きな機械などさまざまな物が目に入ります。中には絶賛稼働中の大きな四角い装置のような怪しいものまであり、同時に油の臭いが鼻に纏わりつくように漂います。
サンタの家に来た頃はこの臭いが苦手でしたが、今ではこの油の臭いこそサンタが頑張って仕事をしてくれている証拠だと思うと自然と好きになっていました。
「サンタロウおじさんただいま」
サトルくんはサンタの本名を言いながら自分の帰りを告げます。ですが、サンタは仕事に集中しているためか返事がありません。代わりに何かボソボソと呟いています。サトルくんはその声に耳を澄まして見ることにしました。
「……もう少しで十二月。はぁー仕事をしたくない。嫌だ働きたくない。なんでサンタになったばかりに……。仮病でも使おうか……。でもサンタの代わりなんてそうそう見つからないし、みんなに迷惑が……。そもそもサンタ協会が仮病なんて通じるわけないし。あークリスマスなんて無くならないかなぁ。嫌だな行きたくないな。仕事は怖いなー」
「…………」
サトルくんはかける言葉が見つかりません。そのままその場を立ち去ろうとします。しかし、
「サトルなーに突っ立ってんだ?」
サトルと遊ぶ約束をしていた二足歩行のトナカイのポチが大きな声でサンタの作業場 にズカズカと入り込んで来ました。
ちなみに今のポチはトナカイのシンボルとも言えるツノは生えていません。オスのトナカイは春頃にツノが生え、秋から冬にかけて抜け落ちてしまうのです。
「……おや、サトル帰って来てたのかい。おかえり」
ポチの声でサトルくんの帰りを知り、サンタはサトルくんの方に振り返ります。白く染まった薄い髪の毛、垂れ目とやけにぽっこりと出たお腹がトレードマークのぽっちゃり体型、髭はふさふさではなくザラザラの無精髭。それがサンタの普段の姿でした。一見どこにでもいる初老の男の人にしか見えません。
「ただいまサンタロウおじさん」
サトルくんはさっきのサンタの独り言を聞いてしまったため少しだけ気まずいなと思いながらも笑顔で返します。
「しっかしサトルはなんで爺さんの後ろに突っ立ってたんだ? 爺さんになんか言う事でもあったのか」
「おやそうなのかい? だったら私に声を書けてくれたら良かったのに」
「いや……その、ほらなんていうかおじさんがお仕事大変そうだったから……うん」
「お仕事? まあもちろん大変というか地獄というか…………サトル?」
「な、何かな?」
「もしかしてなんだけど? さっきの私のその、アレも聞いてた?」
サンタは顔を青くしています。どうやら先程の独り言を聞かれたくなかったようです。
「う、うーん? そのおじさん! 僕はおじさんを尊敬してるから安静してね!」
サトルくんは嘘が上手ではありません。だからサンタの悲しい独り言も聞かなかった振りが出来ずに下手な励まししか出来ないのでした。
「サ、サトルに私の独り言を聞かれた……。はあーあー。子供に愚痴を聞かれるとは。私はサンタとして失格だ……。今まで私なりにカッコいい大人になろうと頑張っていたのに」
サンタは落ち込みます。
「おじさん安心して! 僕知ってるよ! おじさんがいつも暗いこと言ってるの! それに前なんか仕事が嫌すぎて人類を滅亡させようとする魔法を考えていたのも知ってるし、サンタの知名度を利用して女の人にモテようとしてるのも知ってる! 最終的にはサンタの知名度でも絶望的にモテないのを知って、この地上の全ての女性を自分の虜になるように仕向ける魅惑魔法を本気で考案して、そして完成させたことも知ってるよ! でも大丈夫僕おじさん大好きだよ!」
サトルくんはサンタにとどめを刺します。
というよりサンタはサンタとしての技術を完全に悪用して何をしているのでしょうか。今までこの世界が無事だったのもサンタが悪事を働こうとしたら二足歩行のトナカイのポチが全力で止めてくれているおかげなのです。
「…………ぁ」
「おじさん?」
「うわぁぁぁぁぁ恥ずかしいぃぃぃぃぃ!」
「おじさーん!」
サンタはサトルくんの暴露によって悲しみと羞恥と少しの罪悪感で作業場を飛び出し、靴も履かずに家まで飛び出してしまいます。もうそろそろ十二月になるというのに。
「ポ、ポチ! サンタロウおじさんが出て行っちゃったよ。僕何か悪いこと言ったのかな?」
「お、おう。自覚ねえのか。まあアレだ。いつものことじゃねえか。爺さんが家を飛び出すのだなんて。腹が減ったら帰って来るさ」
「確かにおじさんは三日前に家を飛び出したし、一週間前にも、それに一か月前にも家を飛び出したけど、それでも心配だよ!」
一人と一匹の話を聞いているとサンタがとてもかまってちゃんに聞こえてきますが、きっと気のせいです。だってサンタなのですから。
「安心しろって。それよりお前にはやることがあるだろ」
「……ああ、そうだったね。今日はポチと遊ぶ約束だったね。早く山に行こう」
「ちげーよ。確かに俺とお前は遊ぶ約束をしていたが、どうやら今日はフライドチキンのジジイの家でパーティーするらしいじゃねえか。ジジイから聞いたぜ。だったら予定は変更だ。サトル、おめーはパーティーに行け」
なんとポチは自分の約束よりケンタくんの家のパーティーに出るように言ってくるのです。
「でもずっと前からポチと約束してたし。悪いよ」
「バーカ」
サトルくんが遠慮がちに言うと、ポチは蹄のついた前足で拳骨をします。
「い、痛いよポチ」
「バカ野郎本気で殴ってねえよ。俺は手加減の出来るトナカイだからな。それにお前がアホなことを言うからだ」
「アホなことって」
サトルくんが聞き返すと、ポチはニイィッと口のまるで人食いトナカイのような恐ろしい笑みを見せますが、これがポチの本来の笑顔なのです。危険はありません。
「俺とお前はいつでも遊べるだろ。家族なんだからな。でもフライドチキンのジジイの家のパーティーは今日だけだし、お前と俺がダチ公のようにあそこのフライドチキンのガキとサトルはダチ公なんだろう?」
ポチは人食いトナカイのような笑みのままサトルくんに訊ねます。
「……うん。僕とケンタくんは友達だよ。それにケンタくんのお爺さんやお母さんとお父さんも大好きな人たちだよ」
「ヘッ。だったら行ってやらねえとな。ダチ公ってのはダチ公がどんちゃん騒ぎしてる時は盛大に騒ぎまくってやんのがダチ公としての流儀だからな」
「……分かった。ポチ僕ケンタくんとのパーティーに行くよ!」
「それでこそ俺のダチ公だ」
ポチがそう言うとサトルくんとポチは互いになんだか胸の中がむず痒い感覚になり、互いに笑い合います。
しかしそこで一つサトルくんは問題点に気付きます。
「あっでも僕パーティーに着ていく服がないや」
そうです。残念なことに一昨日にサンタがスーツなど普段はあまり着ない服をクリーニングに出してしまっていたのです。その中にはサトルくんのパーティー用の服も入っています。
「あ? そんなのなんだっていいじゃねえか。ダチ公とのパーティーなんだ。気にすんじゃねえよ」
「駄目だよポチ。ケンタくんのパーティーにはケンタくんの会社に関わっている偉い人たちもたくさん来るんだよ。それを友達として呼ばれる僕が場違いの格好でケンタくんに恥をかかすわけには行かないよ」
「……ちっ。確かに親しき仲にも礼儀ありだからな」
一人と一匹は困ってしまいます。しかしそこで玄関先に大きな声が聞こえます。
「サトルゥゥゥゥゥッッ!! パーティー用の服を取って来たよ!」
なんと先程家を飛び出してしまったサンタがサトルくんのパーティー用の服を持ってきたのです。
どうやら恥ずかしさで雄たけびを上げながら村を走っている最中にケンタくんの家でパーティーがあることを知ったサンタはこれは汚名返上のチャンスと即座に瞬間移動の魔法を完成させ、その魔法でクリーニング屋さんから服を取って来たのでした。
これぞサンタの奇跡です。
こうしてサトルくんはケンタくんの家のパーティーに参加することが出来ました。ケンタくんの家でのパーティーはとても楽しいものでした。ケンタくんの家の人たちはサトルくんを歓迎してくれましたし、フライドチキンもたくさんあってパーティー会場はフライドチキンの匂いで充満していました。そんな匂いの中サトルくんはケンタくんや他の友達と楽しく騒ぎながら同時に自分のためにパーティーを優先するように言ってくれたポチや空間魔法を開発してまで服を取って来てくれたサンタの気遣いが嬉しくて嬉しくて胸の中は暖かさで満ち足りていました。
パーティーも終わり、少し夜が遅くなったのでケンタくんの家の人たちは車で送ってくれるように言ってくれましたがサトルくんはパーティーに招待してもらってそこまでしてもらうのは悪いので断り、歩いて家まで帰ろうと外を出るとサンタが四足歩行のトナカイのポチに跨っていたのでした。どうやらサトルくんを迎えに来てくれたようです。
サトルくんは珍しく四足歩行でいるポチに飛びつくように跨りました。ポチの背中は長い毛で覆われて、それがまるでフワフワのマフラーにでも包み込まれているような心地よい暖かさでした。サトルくんはそのまま後ろに座っているサンタのぽっこりとしたお腹に背中を預けます。するとサンタの体温がサトルくんに伝わります。ずいぶん冷たいです。もしかして外が暗くなってからパーティーが終わるまでサトルくんを待っていてくれたのかもしれません。
そう考えるとサトルくんは申し訳なさと一緒に顔がにやけてしまう程に嬉しい気持ちにもなってしまいます。
サトルくんは幸せでした。
人は夢を見ます。色んな夢を。楽しい夢、感動した夢。そして、
『アンタなんか要らない』
『アンタのせいでアタシがこんな苦しい想いをしないといけないのよ』
『アンタなんか産みたくなかった! お前が居るせいでアタシは苦しいことばかりよ! アタシが何をしたって言うのよ! ねえ、答えなさいよ! 答えろッ!』
『ダメなお母さんでごめんねサトル。……もう無理』
『さようならサトル』
映像として蘇る過去の記憶、痛み、悲しみ。そんな夢の終わりはいつだってこれで締めくくられます。
母が自分の目の前で自らの命を絶つ瞬間を。その日はクリスマスイブでした。
「ッッ! はあ……ハアハア。ウウッ……あああ」
サトルくんは呻き声と共に目を覚ます。胸は動悸が激しく上手く息が出来ず、肩で息をします。そのせいで頭にまで酸素が入らず、何も考えることはできません。
ただそれでも覚えています。忘れられないのです。
母の胸から徐々に流れてくる血、倒れた母の体温が徐々に冷たくなっていく感覚、周りは山奥で冷たくなっていく母以外は誰も居ない不安感、屍となった母が山の妖怪に喰われていく恐怖と母の肉と骨を噛み砕く音、そんな母を見ているだけしか出来ない大きな罪悪感、母さえ居なくなって一人になっていく絶望、そのまま生きていく希望がゆっくりと消え去る消失感。どれも頭の中で、心の中でこびりついて消えないのです。
「サトルどうしたんだ!?」
サトルくんの呻き声が聞こえたのかサンタがサトルくんの部屋にやって来ました。
「…………。……なんでもないよ。ちょっと変な夢を見ちゃったらしくて」
サトルくんは息をなんとか整え、サンタに心配させまいと笑みを見せます。
「もしかしてまたいつもの夢を見たのかい?」
しかしサンタにはサトルくんの見せた笑みは通じなかったようです。サンタの言うようにサトルくんはときどき母の夢を見るのです。いつも同じ始まりで同じ終わり方のを夢を。
「……違うよ。違う」
見透かされているのに関わらず、サトルくんは否定します。自分のあの感情を誰かに知られたくないのです。あの夢を見るといつも醜く情けない感情しか出てこないから知られたくないのです。そっとしておいて欲しいとサトルくんは祈ります。
「サトル」
でもサンタはサトルくんの願いに反して近づこうとします。そしてそのままサトルくんの肩に触れようとした瞬間、
「触らないで!」
サトルくんは思わず拒絶の言葉をサンタに投げつけます。まるで威嚇しながら怯える獣のような目で。
「……サトル」
「……ごめんおじさん。でも僕は大丈夫だから。本当に大丈夫だから今は一人にして」
サトルくんがそう告げるとサンタは一言謝り、部屋から出て行きました。その後サトルくんは声を殺して泣きました。サトルくんの部屋のカレンダーはまもなく十二月になります。