最終章 サンタさんちのサトルくん
「いいかい? さっきも言ったけど、今から私の魔法によってサトルの中に君のお母さんの魂を入れる? それによって君の中の魂とお母さんの魂が共鳴して、君の意識も君たち親子の魂への世界に行くことになる。そこに君のお母さんも居る」
「…………うん」
「リスクとしては本来人間の体の中に魂は一つしかない。二つの魂が一つの体にあり続けると体がその矛盾に耐え切れなくなって、無理矢理君のお母さんの魂を追い出すか、もしくは君とお母さんの魂が混ざり合い一つの魂になるかもしれない。その場合君は君でなくなるし、君のお母さんも同様だ。つまり新たな自我が生まれるということになるんだ」
「へえ。怖いね」
「うん、本当怖いんだよ。私もね君のお母さんの魂を入れる時に怖くて怖くて、正直半泣きだったんだよ。いや本当怖いよね」
「だね。ドンマイ」
「でも私頑張ったんだ。サトルも頑張って」
「そうだね。僕も頑張るよ。じゃあそろそろ時間もないし……」
「いやちょっと待って。まだ終わってないよ」
時間がないと言っているのにサンタはまだ話を続けます。
「体が耐えきれるまでに君は自分でお母さんを君の中から外に出さないといけない。方法としては君のお母さん自身が外に出ると決めたらそのまま出て行き、天に昇る仕様にしてある。ただし君のお母さんがあまりにも自身の存在の価値が希薄だと思った場合はそのまま消滅する恐れがある。もう一つとして君自身がお母さんを拒絶すれば勝手にお母さんは君の中から出て行くようになってる。ただその場合は無理矢理追い出すことになるからこれもまた魂が消滅するかもしれないからくれぐれも考えて行動してくれ」
「ねえ、おじさん?」
「それでね、体が耐えきれるまでの目安としては君のな、」
「おじさんってば!」
そこでサトルくんはサンタの話を遮ります。
「なんだい突然? 私は今大事な話をしているとこなんだよ! じゃあもう一回」
話を遮られたサンタは顔をしかめて、サトルくんに注意します。サンタはサトルくんを比較的大人びている子だと思っていましたが、この様子ではまだまだ子供のようです。少なくとも社会に出て人の話を遮る人間は通用しないので、そこはしっかりと教えていかないといけないとサンタは新たに心に刻むながらもう一度話し出します。
「ええっとどこからだっけ? えっと……? ……今から君の中にサトルのお母さんの魂を入れ、」
「いやいや最初からになってるよおじさん!」
「でも大事な話だし、こういうのは何回も説明した方がいいかなって」
「長いよ! 僕もうこの話最初から終わりまでに四回も聞いたよ! もう一度言うけど、長いよおじさん!」
サトルくんの言う通り、サンタはあれから長い話を長々と四回に渡って説明していました。
「そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。アレだよ。自我とかなんか危ないかもしれないじゃないか? 怖くないのサトル?」
「怖かったよ。恐ろしいと思ってたよ。でもおじさんが何回も説明するからもう怖さとか危うさが薄れたよ! 今の僕危機感超薄いよ!」
サトルのその発言にサンタは厳しい顔つきになります。
「サトル、君は今から自分の人生のために自分の傷に向かい合うんだよ。なのに緊張感が足りないんじゃないのかい?」
「誰のせいだと思ってるの! もういいからおじさん早く母さんの魂を入れて」
「そ、そんな急かしたらダメだよ。私焦るじゃないか」
「焦ってよもう! おじさんたちはサンタで、今日はイブなんだよ! さっさと用件を済ませよう!」
「し、しかしだねサトル。……よし分かった最後にあと十回話したら君の中にお母さんのたま、」
「ええいっ! 日が暮れるじゃねえかバカ爺! もう俺がやる。サトル準備いいかっ!」
ついに今まで沈黙を守っていたポチが痺れを切らして、立ち上がってサトルくんの母の魂を鷲掴みします。
「え、う、うん。でもポチ? ポチはポチでちょっと急す、」
「つべこべ言うな。行ってこいィィィィィ」
「ええっ! い、行ってきますっ!」
「おりゃああああああああ!」
サトルくんが言い終わるとほぼ同時にポチはサトルくんの胸に思いっきり彼の母の魂を叩き込みます。
するとその魂はスッとサトルくんの胸に溶け込むように中に入っていきます。直後、
「っ……。……………………」
サトルくんはパタリと首が下がり、動かなくなります。意識が魂の世界へ行ってしまったのです。
「ちょ、ポチ! いくらなんでも強引過ぎだよ! サトルの身に何かあったら……」
サンタは突然のポチの暴挙に抗議しつつも意識を失ったサトルくんの身を案じます。
「大丈夫だよ」
しかしポチはそんなサンタをよそに平然とそう言いのけるのでした。
「しかし!」
「爺さんアンタがアイツを心配なのは分かってるよ。そんなの俺だって同じだからな。でもな、アイツは自分のために過去と戦うって言ったんだ。家族がそう言うなら俺たちは待つしかねえだろうが。サトルが目が覚めるまで待ってやるしかねえんだ」
「…………。フッ。全く私はあの子のことになるといつも冷静さを失うね。つくづく思うよ。あの子は私の大きな弱点で、そして私たちの大きな強みなんだね」
サンタはしみじみとそう言います。そのサンタを見て、ポチも口の端を上げて笑います。
「……さてと、じゃあ俺たちは待っている間に協会に連絡して、今日の最低限の手続きをやっとくように言わねえとな。んで、サトルが帰ってくるまでに朝飯の支度もしねえといけねえ。爺さんアンタが一人でやれよ」
「えー君もやってくれよ。私職場に電話するのが一番嫌いなんだよ。電話する前お腹痛くなるから」
「……なーに意味不明のこと言ってんだ。んな糞みてえなメンタルでよくサンタなんてやってられるな。第一俺は怪我人だ。今日の夜に備えて少しでも体を休まねえといけねえんだ」
「……君この怪我で本当に今日働くの?」
「当然だ。簡単に休んでいい仕事じゃねえよ」
「そうだね。……はぁー。でもアレだよ。事前に仕事はほぼ終わらせたと言っても協会に帰ったら今日の準備をして、夜には徹夜で仕事だよ。たぶんテロリスト辺りにも命を狙われるし、二十五日はイブの後処理で、二十六からも今後の課題への会議から年末の忘年会。そして帰って来たら副業の溜まった仕事。……全くつくづくやりがいのある仕事だね」
「そりゃあな。爺さん言っとくが今日はサトルも含めて誰一人不幸な奴なんて居させねえ。させちゃいけねえ。それが俺たちサンタとトナカイの使命だ。その覚悟はあるよな?」
「……あるよ。私だっていくら家族を優先して脱走するようなサンタでもやっぱりサンタなんだ。私の力は小さなものだけどイブだけは誰一人として悲しみの夜にはさせない」
「ヘッ! んじゃあ気合い入れるぞ」
ポチは右腕を伸ばします。それに答えるようにサンタも拳を作り、コツリとポチの蹄に当て、一人と一匹は互いに使命を果たすことを誓い合うのでした。
――――
「痛てて……。もうおじさんもおじさんだけど、ポチはちょっと強引すぎるよ」
ポチに母の魂を叩き込まれたサトルくんは気が付くと真っ白な世界に居ました。
「それにしても何もないなぁ」
辺りを見渡しても何もないこの世界にサトルくんは少し驚きますが、その後苦笑を浮かべます。
「……いや何もなくはないね。母さんが居るね」
そう言ってサトルくんは目の前の膝をつき、俯いている女に話しかけます。
「久しぶり母さん」
まるで皮肉のように言いました。
その声は長い間会っていなかった母に対してはあまりにも明るい声のかけ方でした。
「………………」
サトルくんの言葉に母は何も言いません。
「本当に何も言わないんだ。おじさんとも会ったって聞いたけど、おじさんともほとんど話していないんだってね」
「…………」
何度話しかけてもサトルくんの声に母は反応しません。それでもサトルくんは気にしていないように笑みを浮かべて母に近づいていきます。
「母さんはこのまま何も言わないつもりなの? このまま何も言わないまま僕と別れるつもりなの?」
ゆっくりと語りかけ、ゆっくりと母に近づき、サトルくん母の肩に触れようとします。
「触らないで!」
「っ!」
そこでサトルくんの母はようやく声を出します。声を張り上げて威嚇するように叫んだのでした。
「……本当にあの人が言っていたようにアンタとまた会うことになるとは思っていなかったわ」
叫んでからは先程の様子が嘘かのように母は話し出します。
「そうだね。僕もこうして母さんとまた話すことになるとは思っていなかったよ」
サトルくんの声のトーンが少し落ちます。まだ笑みは浮かべたままです。
「……アタシはあの化け物の中を出てからずっとここに居るの。消え方も分からない。ただ自分からやって来てアタシに話しかけて来た男は自分から帰って行った。アンタもその男と知り合いのならここからの出方は分かるでしょう?」
「一応おじさんからここの出方は習ったよ。……ここから出て行きたいの母さん?」
サトルくんは自分の母の問いに答えた後に、今度は自分が母に問いかけました。母から帰って来た答えは、
「いいえ出る気はないわ」
きっぱりとした声で返してきました。その後も顔を俯けたまま母は言います。
「アンタが出て行くのよ。もうアタシの前から居なくなって」
「…………」
母から出て来た言葉は思った以上に辛辣なものでした。サトルくんはいつの間にか笑みは消えてしまいました。不安そうな顔で震えていました。それはきっとかつての彼の顔なのでしょう。母の言葉の一つ一つに大きく一喜一憂する小さな頃の彼。無理矢理浮かべた笑顔では覆せない過去と彼は今直面しているのです。
小さな頃の彼ならここで母に嫌われないようにしながらなんとか母に縋り付くのでしょう。ただ今の彼は目の前に居る女の子供だけではないのでした。彼はサンタさんちのサトルくんなのです。
「嫌だ。絶対に嫌だ」
だから彼は告げるのでした。小さな頃は縋りつき、見上げるしか出来なかった女にサンタさん家のサトルくんははっきりと否定の言葉を告げます。
「いいから言うことを聞きなさい!」
そんなサトルくんの言葉にサトルくんの母は叱りつけます。
「嫌だって言っているだろう」
「いい加減にしなさい!」
「いい加減にするのは母さんの方だよ!」
ついにはサトルくんは母を怒鳴り返すのでした。
「僕は母さんに会うために来たんだ! なのに母さんは顔を俯いたままで帰れなんて言われて納得出来ない。母さん顔を上げてよ。顔を僕に見せてよ!」
少年はいざ母親と出会って出て来た感情は憎しみでも、不幸にしてしまった罪悪感でもありませんでした。少年から出て来た感情は知りたいという衝動でした。
「…………いいから帰って。お願いだから」
「嫌だ。僕は母さんの顔を見るまで帰らない。母さん僕に顔を見せてよ。僕の……ッ! 僕を見てよ!」
彼はただ自分が愛されていたのかを知りたいのでした。ずっとずっと大好きで、死して尚夢にまで出て来る大好きな母親に愛されていたのかが知りたかったのです。
「無理よ」
しかし少年の懇願をその母は拒みます。
「アタシはあなたと話す気はないし、あなたを見る気もない。だから帰りなさい」
俯いて表情も見せない母はそれでもはっきりと言うのです。サトルくんもそれが彼女の意思だということをちゃんと理解しているのでしょう。
「…………。やだ。帰らない」
それでも彼はなお母の拒みを拒みます。彼はもう戦うと決めたのです。傷つくことを覚悟したのです。それに彼には自分が傷つけば一緒に傷ついてくれる人たちが居ます。
だから彼は一つ決心していることがあります。どこまでもワガママに貪欲に本心のまま母と接すると。母が生きていた頃には出来なかったことをやってみようと思っているのです。その結果傷ついたらサンタたちも一緒に道連れになって傷ついてもらおうと思うと震えは徐々に収まってきました。勇気が湧いてくるのです。
「……見れないわよ」
吹っ切れたサトルくんの言葉を聞き、母は弱弱しい声で言うのでした。
「見れない? なんで? 僕には分からないよ母さん」
「今……さ、……合わ……い」
母の声はさらに弱弱しくなり、聞き取れませんでした。
「母さん、聞こえないよ。お願いだからちゃんと僕に教えてよ。聞きたいんだ母さんの言葉を」
言いながらサトルくんはゆっくりと母の肩に触れます。母は死んだ時と同じ体系でした。やせ細って肉があまりついてない骨張った肩は暖かくありました。死んで魂だけの身なのにこの魂の世界では母は確かに存在していることにサトルくんは改めて実感が沸いてきます。
「ッ! やめて! アタシに触れないで!」
しかし母はサトルくんに触れられて取り乱すようにまた彼を拒みます。
「…………」
しかしサトルくんはもう母を離しません。暴れる母を両腕で母の肩をしっかりと握るのでした。
「嫌ぁ! お願いだからアタシを離してよッ! 離してって言ってるでしょう!!」
まるで妖怪に触れられているように母はサトルくんを怖がります。
「母さん。……僕は母さんの子供だよ」
サトルくんは怖がる母を目の前にして、決して変えることが出来ない事実を口にするのでした。
「知ってるわよ! だからよ! だからアタシはアンタに合わせる顔がないのよッ!」
取り乱したままの母はやっと顔を上げました。母は泣いていました。震えるように、怖がるように泣いていました。その姿はまるでかつてのサトルくんでした。
「母さん……」
「アタシはアンタの、……サトルの母親を名乗る資格はないのよ! だってそうでしょう! アタシはアンタを不幸にした!」
母は泣きながら叫びます。自分の息子しか居ない場所で喉が枯れるような声で叫びます。
「アタシはサトルにアンタなんか要らないって言った! 苦しいのをサトルのせいにした! 小さなサトルに産みたくなかったって言ったのよ! アタシはサトルのお母さんなのにっ!!」
それは一人の母親の懺悔でした。
「アタシはサトルが居るのに、サトルのお母さんなのに耐えられなかった! 自分が辛くて勝手に孤独だと思って世界を憎んで、……サトルを殺そうとした。アナタに刃を向けた」
そこで一旦母の声は消えてしまいます。叫びすぎて喉を傷めたのでしょう。ただそれでも母は続けるのです。掠れた声で懺悔を。
「でも……結局は出来なかった。……どうしても殺せなかった。憎んでいたのに、自分がこうなったのは全部サトルが悪いって決めつけて、憎んでいたのに……どうしても殺せなかった。体が動かなかった」
「…………」
母は震えていました。サトルくんはそれを見て、しゃがみ込みます。そしてかつて母が死ぬ直前にやってくれたように抱きしめました。
「怖かったの。どうしてもサトルが死ぬことが。殺そうとしたのに怖かった。直前になってサトルに生きていて欲しいと思ったの」
懺悔しながら母は言います。
「気が狂いそうだった。……いいえあの時にはアタシは気が狂っていたんだと思う。このままじゃサトルをきっと殺してた。それが嫌だからアタシは自分で自分を殺した」
母の声はさらに重々しいものになります。
「……小さなサトルを冬の山奥に残してアタシは死を選んだ。アタシはサトルのために何も出来ないまま死んじゃったの。しかも死ぬ時はこれでもう罪の意識も苦しみも何も感じずに全部から逃げられるとホッとしたの。サトルは泣いてたのにね」
でも違った、と母は言ってさらに話を続けます。
「死んでアタシは無になったかと思ったけど、気付けばアタシは真っ黒でたくさんの屍と丸い光の玉が無数にある所に居たわ」
母が言っているのはきっとサンタたちが退治した幽鬼の体内でのことでしょう。
「そこは地獄だった。意志はあるのに動けないで、居るだけでおぞましい気分になって、たくさんの丸い光の玉が声にもならない悲鳴で発狂してた。アタシもそうだった」
「…………」
「でもね、それにもいつしか長い時間が過ぎる中慣れて行ったの。そしてその長い間考えてしまったのはサトルのことだった。最初は後悔から始まって、次にサトルのせいでってサトルを憎むの。……でも最後はサトルとの楽しい思い出しか出てこなくなった」
あんなに酷いことしていたのにね、と母は自嘲気味な口調で言います。サトルくんは黙って母の話を聞きながら母を抱きしめる力が強くなっていました。まるで母を逃がさないかのように懸命に抱きしめているのです。
「……結局アタシはサトルが好きだったみたい。アタシはサトルを愛してたのね。アタシは地獄の中で自分の罪でサトルが死んでないのか本当に不安だった。自分がやったことなのにサトルに幸せになって欲しいって考えてしまった。……あの男が地獄を破壊するまでアタシは後悔とアンタの身の事しか考えることが出来なくなった」
母もいつの間にかサトルくんを抱きしめ返していました。彼女はこのことに気が付いているのでしょうか。
「だから嬉しかった。あの男からサトルが生きていることを知らされて。あの強い男の元でサトルを育ててもらっているって聞いて心底安心した。でもその男はアタシにサトルに会えって言った。サトルを不幸にしたアタシに対して男はサトルに会えって。……アタシの存在を消してほしいという懇願を聞かないで、男はアタシみたいな女に土下座してまでサトルに会ってくれって頼み込んできた」
母はサンタのことを話しているのでしょう。サトルくんはサンタが母に土下座している姿を想像するとそれだけで胸は痛くて、暖かくなりました。
「でもアタシは断った。何度も願ってくる男に何度も断った。そうして男がこの世界に居られる時間が過ぎるまでアタシは断り続けた。なのに男は結局去り際になってもサトルを会うようにって言いながらアタシの前に消えた。……そして今サトルはアタシの傍に居る。アタシはサトルに抱きしめられる資格なんてないのに。サトルを抱きしめる資格なんてないのに」
そんなことを言っているのに母はサトルくんをさらに強く抱きしめています。震えた手で力一杯。女は恐らく怖いのでしょう。
自分がやってきた過去の行為を思い知らされることを。自分の息子に傷つけられることが怖くて、息子を拒絶しようとしているのでしょう。そしてそれが出来ないから女は泣いているのでしょう。同時に女はもう知っているのでしょう。
この時間がもう終わってしまうことを。
「……母さん」
サトルくんの母は体が薄れて来ています。母の体の感触も徐々に軽く薄いものになりつつあります。同時にサトルくんの体には先程から鈍い痛みが襲い始めて来ていました。
もう時間なのでしょう。サンタは言いました。この世界に居られる時間が長くないことを。
すでにサトルくんの体は自分の魂と母の魂の二つを留めて置くには限界が来ているのでした。
早く魂の世界から出て行かなければ、サトルくんの体が耐えられなくなって自我が崩壊してしまいます。
同時に母もこの世に居られる時間がもうないのでしょう。このまま何もしなければ母はこの世から消えてしまいます。ただサンタは言っていました。本来ならそのまま天に昇るようになっているが、自分の存在を激しく拒絶すれば魂は消滅してしまうかもしれないと。
母の様子を見れば、もう母は消滅することを願っているのでしょう。そして恐らく母の願いは叶ってしまいます。
「……ッ!」
そんな考えに至っている間にも痛みはさらに強くなります。体が壊れ始めてきているのです。
だからサトルくんは――――
「こんのバカ親がぁああああああ!」
――――頭突きを母に見舞うのでした。
「っくあっ!」
抱きしめている状態での零距離から突然のバイオレンスに母は痛みと困惑でさっきまでの情けなく悲しそうな顔が一転して目を丸くしています。
「……人が黙って話を聞いてれば、勝手なことをツラツラと」
「サ、サトル?」
未だに事態を呑み込めていない母からサトルくんは身を捩り、立ち上がって自分の下に居る母に人差し指を突き付けます。
「ふざけないでよ! 僕は母さんに不幸になんてさせられてない! 確かに苦しいことはたくさんあった。今だって苦しめられている。でもそれが苦痛であっても僕は不幸になっていない! だって僕は生きているんだ! 僕には母さんの他にも家族が居る。友達も、好きな子だって居る。僕は幸せなんだ!」
言いながらも痛みは当然消えません。そのせいか彼の剣幕はさらに激しくなります。
「それに資格って何さ! そんな資格なんて元々ないよ! 母さんは僕の母さんだ! 母さんを抱きしめるのに、母さんに抱きしめられるのに資格なんて要らないよっ! だって僕たち親子じゃないか!!」
母が懺悔したように少年にも懺悔することは多くありました。
「僕だって同じだよ。僕が生まれたせいで母さんの重荷になったし、死んだ母さんが化け物に食べられているのに何も出来なかった。母さんが居なくなってからおじさんたちに拾われて、優しくされても心の底では信じられないでいつも周りの目が怖かった。もう一人になった方が楽なのにと思ったことも何度もあるよ」
その傷は母を目の前にしても未だに抱えています。ただ少年はその傷がもう怖くはありませんでした。
「僕はやっぱり醜いんだと思う。母さんが母親の資格がないって言うなら僕は母さんの子供の資格はないんだよ」
少年は言いながらも今の醜い自分は嫌いじゃないのです。ある女の子が言ってくれた言葉があるから。
「でもこんな僕を強いって言ってくれる女の子が居るんだ。ヒーローだって。僕が生きていてくれて良かったって泣いてくれる子がいる」
少年はその少女の顔を浮かべるとこの状況なのに笑みしか出て来ません。
「その子だけじゃないよ。僕の家族で友達のトナカイはいつも一直線に行動するんだ。僕が無理だと思うことをそのトナカイは無理矢理ぶち壊して、僕の前に立っていてくれる」
家族であるトナカイと野山を駆け回ったことやトナカイに戦闘の特訓をさせられた時のことを考えると苦しいのにとても楽しかったと思ってしまい、少しおかしな気分になってしまいます。
「そして僕の近くにはとんでもないダメな人がいるんだ。その人はいつも仕事をしたくないって言ってるくせに小心者だから仕事をサボれないでむしろやりすぎるような人で、それのせいで鬱憤が溜まってさらに愚痴を言って、挙句の果てには無駄に魔法とかが出来るからいっつもろくなことを言いださないんだその人。その度に僕の家族にボコボコにされてしまう人で……」
サトルくんはお腹がぽっちゃりと出たそのダメ人間のお手本のような家族の愚痴は止まりません。そのダメ人間のダメな所ならサトルくんはいくらでも言える自信があります。何せダメ人間ですから。
だからこそサトルくんはそんな優しくて暖かいダメ人間が好きなのです。
「でもそのダメな人は僕を抱きしめてくれる。僕に愛しているって言ってくれた。僕に母さんと会って欲しいって、戦ってくれと言ってくれた。……だから僕はどんなに自分が醜かろうと、僕が過去に罪を犯したとしても僕はもう逃げない。もう母さんから逃げるわけにはいかない。逃げたくないんだ」
それが例え他の誰かにとって間違っていようが、サトルくんはもう他の誰かの目を気にして言葉を変えることはありません。この言葉こそ自分の意志だからです。
「ごめん。僕のせいで母さんを苦しめてごめん。僕のせいで母さんは僕しか居なくなってしまったのに僕はそれを知っているのに……。なのに母さんから拒絶されるのが怖くて結局僕は母さんの苦しみを癒せなかった。それに死んだ母さんを守れなかった。……本当にごめん。ごめんなさい」
そしてこの行動もきっと彼の意志なのでしょう。たくさんのごめんを彼は口にします。そんなことをした所で自分の罪がなくなることがなかろうとも、それが正しい選択ではないとしても彼は目の前の母の前で頭を下げるのです。
「…………アタシは」
そんな息子の言葉を聞いて、女は立ち上がります。体は薄れてもう消える寸前。未だに自分の存在の価値だなんてないというような顔をしている女はそれでも跪くのをやめて、立ち上がります。
「…………。サトル身長伸びたわね」
立ち上がった女は改めてサトルくんを見てそう言い、恐る恐るとサトルくんの頭に触れます。
「違うわね。アンタはずっと成長してた。アタシと居た時からずっと。それなのにアタシはそれを見ようとしなかった。自分しか見ていなかった。不幸をサトルに押し付けて、辛いのはアタシのせいじゃないって思おうとしていた。……でも間違っていた。アタシは間違っていた」
女が自分の息子に触れている手はすでにほぼ透明になっており、サトルくんからは母親の手の温かみを感じることは出来ません。
「アタシはサトルを責めているときだけは自分がどん底じゃない人間に浸れた。サトルはアタシ無しでは生きていけないって思い上がっていたの。それでしかサトルに対して親と思ってもらえる方法を見つけられなかった」
「…………」
母に頭を下げた少年は母の話を黙って聞きながら、歯を食い縛ります。
「でもたぶん簡単なことだった。愛せば良かったのよね。サトルを抱きしめて愛してるって言えば、良かったのよね」
母はサトルくんを今度は自分から抱きしめました。半透明になった体にはもうサトルくんには重みを感じられません。
「サトルごめんなさい。許してもらう資格も何もないけど、本当にごめんなさい。……サトルが今幸せで本当に良かった」
サトルくんのように母は謝罪の言葉を口にします。
「…………。母さんは僕を許してくれる?」
確認のようにサトルくんは母に訊ねます。
「……ええ」
母は小さく頷きます。もう彼女の下半身は光の粒となって天の昇って行きます。
「……もう一回。お願いだからもう一回僕を愛してると行って」
「アタシは……お母さんはサトルを愛しているわ。心の底から」
その言葉ですでにサトルくんの心は満たされました。彼はもう痛くありません。体も心も。
「……そっか。母さんは僕を愛してくれるんだ。じゃあ僕も母さんを許すよ」
もう母はサトルくんを抱きしめてはいません。彼女にはもう抱きしめる手はありません。
「……良かった」
ただ母はそれを気にした様子はなく、むしろ心底安堵した声を出します。彼女の目から流れるあふれ出す涙は光の粒となっていきます。
「…………行かないで」
サトルくんはもう分かります。母がもうまもなく自分の前から居なくなることを。
「せっかく。……せっかく会えたのにまた母さんと離れ離れになるだなんて嫌だよぉ。お願いだよ。消えないでよ。僕の前から居なくならないでよ! ずっと一緒に居てよ!!」
分かるからこそ少年は最後のワガママを母に言います。
「……ごめんね。もうここには残れないみたい」
母も二度目の謝罪をする。息子の願いを叶えられないことを。
「……じゃあ! じゃあここに居なくなっても! 僕が母さんが見えなくなっても僕をずっと見ていてよ母さん! 空の上からでもいい! また生まれ変わってでもいいから僕を見ていて! ……お願いだよ」
もう泣き声になりながらもサトルくんは涙だけは溢しませんでした。そして母は――――
「大好き」
――――その願いに何も答えませんでした。ただ全身が光になるその前に母は大好きと呟き、息子の額に優しく口づけをしたのでした。
「僕も! 僕も大好きだよッ!」
その母の口づけに少年は涙をたくさん溜めた瞳で下手くそな笑顔で母に答えました。
「……あり……がと……」
そうしてサトルくんの母は感謝の言葉を残して、全てが光の粒となって天に昇って行くのでした。
真っ白な空間に光の粒が全て消えた時、サトルくんは静かに天を見上げて願いました。自分に大きな傷をつけ、そのくせ自分の心にいつまでも残り続ける女性の冥福を祈るのでした。
「…………」
その後魂の世界から現実世界に帰って来たサトルくんの前には温かい味噌汁の香りを始めとした食卓の前で彼の帰りを待っていたサンタとトナカイが居ました。
「飯だ食おうぜ」
「…………。うん」
現実世界に戻った反動からかしばらくサトルくんはただただ空間を見つめていましたが、ポチの問いかけにゆっくりと頷きました。
サトルくんは食卓に座るとゆっくりと味噌汁を口に入れます。温かな味噌汁は彼の身体も心も温めてくれているようで、彼は二度、三度とどんどん口に運びます。
しかしおかしなことに味噌汁はどんどんしょっぱくなっていきます。それでも彼は気にせず、味噌汁や魚に卵焼きとどんどん口に運びます。
「サトル」
ご飯を夢中で食べているとサンタから声をかけられます。
「頑張ったんだね。おかえり」
そこでサトルくんは限界でした。溜めていた涙が溢れ出し、母と再会し、そして再び別れたことで彼の中から色んな感情が沸き上がって彼は泣き始めます。大きくサンタの胸の中で一人の少年はポチが怪我した時と同じくらいに大きな声で泣き始めました。
泣き終わった後、落ち着いた少年はメアリーと一緒に誓った自分の夢を話すとサンタとポチは嬉しそうにしていました。
『でもアレだよ。サンタって福利厚生とかアレだし、世界に貢献しろって副業進めて来るし、ぶっちゃけブラックだよ』
話し終わった後に言ったサンタの一言を少年は一生忘れないでしょう。……悪い意味で。その後少年は色々とあったせいで疲れ果てて寝てしまいました。
目を覚ますと朝からすでに夜になっていました。サンタたちはもう家には居ません。サンタ協会に戻ったのでしょう。
長い間サンタ協会を脱走していたのにサンタたちは果たして大丈夫なんだろうかと心配に思いながら、外を出ると空には無数の光の雪が降っていました。
ふとその光の雪が少年の元に落ちてきます。雪は暖かいものでした。そしてその雪に当たるだけで元気が底からどんどん出て行きます。なんだか愉快になってきました。
だから少年は笑うのです。一人でクリスマスイブに少年は空を見上げて声を出して笑うのでした。
一人で笑っているとふと声が聞こえてきます。やたら高そうなリムジンに乗って、少年の友達であるふくよかな男の子がやってきます。リムジンにはたくさんの食べ物もありました。
どうやらふくよかな男の子は自分の家で行われているパーティーを抜け出して少年の家に遊びに来たようです。
少年は仕方がないなぁと小さなため息をつきながらも友人を満面の笑みで迎え入れるのでした。
この夜、光の雪の中で少年は再び強く決心しました。絶対に世界一のサンタになってみせる、と。
それは非常に大きな目標なのでしょう。しかし少年にとってそんなのは関係ないのです。
何せ彼はサンタさんちのサトルくんなのですから。




