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#06

美月は取り敢えず、どれくらい白く塗るか、量はどれくらい必要なのか、と里崎と確かめていた。白粉(おしろい)やファンデーションでも色に差があるので、顔にそれぞれを幾筋も塗ってみて鏡で見てを繰り返している最中、不意に廊下が騒がしくなるのが聞こえた。10303号室は寮の出入り口と、廊下を挟んでほぼその正面にある談話室の出入り口から割合近い部屋である。その辺りで誰かが大声で話していた。一瞬の後、それが藤沢の声だと美月は気が付いた。気が付いたものの、部活動中の時間に藤沢が寮に用がある筈もないので、聞き間違いかと思っているうちに、部屋の扉が強く叩かれた。顔の白粉(おしろい)を化粧落しで湿らせたティッシュペーパーで落しながら里崎が扉を開くと、藤沢の大きな身体が扉を(ふさ)ぐように迫っていて、隙間から坊坂が見えた。藤沢が、そもそも困惑したような、苛立ったような表情をしていたが、部分的に見える坊坂の顔は、それに輪をかけて(こわ)ばっていた。

「いた。悪い、ちょっと来てくれ」

坊坂が美月に呼びかけた。扉の傍と正面に立っている里崎と藤沢が体をずらしたために、坊坂の姿が美月にはっきり見えた。

「なに?急病人?」

尋ねつつ、美月は立ち上がると、扉に向かった。部活動中の二人が、普通ではない様子で自分を呼びに来る理由などは、それくらいしか考えられなかったのだが、二人は共に首を横に振って否定し、坊坂はそれ以上何も言わずに、美月の二の腕を掴むと、歩き出した。里崎が怪訝(けげん)な面持ちで、無言で後に続いたが、同行を断られるような事はなかった。寮を出てすぐに、藤沢は、坊坂に一言声を掛けると美月たちから離れて、校舎の裏手、職員寮がある方向に駆け出して行った。美月たちは校舎と校庭の間の道を歩き始めた。

「どこに行くの?」

「武道場」

美月の問い掛けに坊坂は短く応えた。武道場は基本的に棒・槍・杖術の部と剣術部、柔術部が交代で使用している。寮は運動場の西側、武道場は東側にあるので、ちょうど運動場を横切る分くらいの距離を歩いて武道場に入ると、久井本をはじめとした、棒・槍・杖術の部の二年生部員らしき面々が鬼気迫る表情で、武道場のほぼ中心にたむろしていた。その部員たちを囲むように、心配そうな、戸惑ったような表情の一年生が突っ立っている。

「ああ、須賀くん。悪いね。ちょっと聞きたいことがある」久井本は、坊坂と美月を見とめると、挨拶代わりに片手を上げつつ、尋ねて来た。「今日、授業が終わってから、武道場の裏には行った?」

久井本の問い掛けに武道場全体に緊張が走った。その一方、久井本は他の二年生部員と異なり、普段と変わりの無い、真剣ではあるが刺々(とげとげ)しさや(けん)を感じられない、落ち着いた態度である。美月は異様な雰囲気には目をつぶり、取り敢えず素直に答えた。

「裏、には行っていないです。隣の倉庫には行きましたけれど」

『本当か!?』

久井本ではなく周囲の二年生が反応した。低く強圧的な声と共に、凄みを含んだ視線が突き刺さる。気の弱い者なら、取り敢えず泣いて謝ってしまいそうな迫力である。どうも自分は吊るし上げをくらっているというか、追求を受けているらしいと、美月は遅ればせながら、理解した。

「落ち着いて下さい」

(いま)だ美月の腕を掴んだままの坊坂が、(いき)り立ち、掴み掛からんばかりの二年生を(なだ)めにかかった。複数の視線が、美月から坊坂に移った。美月もだが、坊坂も微塵(みじん)の臆した様子もなかった。

「あの、何かあったんですか?」

何かあったことは想像が付いていたが、美月はそう尋ねた。他に冷静に話しが出来そうな相手がいないので、久井本に向けてである。久井本はあっさりと教えてくれた。

「ああ。武道場の準備室に置いてあった俺の私物に、脱毛剤とドックフードが掛けられていたんだ」

「それをやったのが、俺ではないかと疑われている、と」

続けざまに問い掛けた美月に、久井本は淡々とうなずいた。

「そうなる。荷物は、窓のすぐ下にあって、いつもそこに置いている。今日、置いたのが、授業が終わって部活が開始される直前、そして今から少し前に惨状に気が付いた。その間、武道場はずっとうちの部で使っていて、準備室には誰も入っていない。だから、準備室の窓、武道場の裏側から投げ入れたというか、掛け入れたと思われるんだ」

武道場の準備室の窓には鍵が掛かっていなかったらしい。鋼鉄の格子が()められているので、そこから侵入者が入ることは有り得なかったし、そもそも学院そのものが、山奥の関係者しか訪れないような立地にあるので、防犯意識は薄かった。

「それで、彼がね、君らしいひとを裏で見掛けたと言っている。それで、坊坂と藤沢に君を探して連れて来てもらった」

久井本は、自分を取り囲んでいる生徒の一人を示した。他の生徒と違い、その生徒だけは体操着ではなく、上半身に緑色のランニングシャツを着ていた。

「あの、らしいって、だけ、なので」

ここで久井本から名指しというか、目撃者として取り上げられるとは思っていなかったらしいその生徒は、一瞬、びくりと身を震わせた後、口の中でもごもごと言い訳した。

「ああ、そういうことね」

不意に後方から上がった声に、美月は振り返った。いつの間にか、八重樫が武道場の出入り口にまで来ていた。隣に藤沢がいる。八重樫は、タオルを頭に巻き、泥の付いた長靴を()き、外した軍手を片手で持っている。八重樫は調理部なのだが、調理部の活動内容には何故か野良仕事が含まれている。その活動の一環で、校舎や校庭とは少し離れた場所にある畑にいたのを、先程一行から離れた藤沢に呼ばれ、連れられて来たと思われた。

「そういうこと。…イクミ、ドッグフード、調理するか?」

久井本は少し笑って、八重樫に向けて軽口を叩いた。美月の言葉をどれだけ信用しているかは知れないが、今のこの険悪な空気を快く思っておらず、何とか(やわ)らげようとしているのが察せられた。ただ、久井本を囲む二年生たちは、恐らく故意に察することをせず、相変わらず厳しい視線を美月に投げかけている。

「あの、高橋さん」

上がった呼び掛けに、一同は声の主を見やった。里崎が、緑のランニングシャツの生徒に真っ直ぐ向き直って話しかけていた。

「見たのは、一人だけでした?」

「え?ひとり、だよ。うん」

高橋と呼ばれた生徒は、若干目を泳がせながら答えた。里崎は高橋を見据えたまま、言葉を続けた。

「俺、授業終わってすぐからずっと、須賀と一緒でした。事務所で鍵借りて、倉庫に行って、また事務所に鍵を返しに行って…文化祭で使う道具を取りに行っていたんです。その後は、坊坂たちが呼びに来るまで、寮の俺の部屋にいました。倉庫の辺りに須賀がいた時は、俺もいたわけですが、見かけたのはひとりだけだったんですよね」

「ああ、うん。ひとり。で、その…」

「確かだね」

しどろもどろになりつつある高橋を無視し、久井本が里崎に念を押した。里崎はしっかりとうなずいた。

「事務長に聞いてもらえればはっきりします。そう、鍵は、貸出と返却の時間を記録しているんじゃなかったでしょうか。それから、二組の、関口(せきぐち)。事務所から一年生寮に戻ったとき、談話室で声を掛けて三人で話しました」

久井本は無表情に高橋を見た。

「その、俺も、そいつだって、はっきりと、見たわけじゃない。似てた、ってだけで、だから…」

高橋は顔に焦りを浮かべ、両手をやたらと振り回しながら、言葉を発した。久井本はただじっと、その様子を眺めていた。他の二年生部員は、先程までの敵対心は減少させ、代わりに困惑や疑惑を上乗せした視線で、高橋と美月を交互に見やっている。

「須賀、何で掛けられたのが、脱毛剤とドックフードだったと思う?どちらも校内では手に入らない。洗剤や調味料とかであれば、掃除用具入れや食堂から簡単に調達出来るのに」

坊坂に突然尋ねられ、美月は目を丸くして坊坂の顔を見た。

「え?…いや、理由なんてあるの?(はん)じ物的な何か?」

訳が分からない美月は、戸惑いつつ、問い返した。坊坂はただ深くうなずいただけだった。一旦、坊坂に目を移し、その後美月の困惑顔を見ていた久井本が、美月たちのすぐ後ろにまで来ていた八重樫に視線を移して、尋ねた。

「イクミ、須賀くん、知らないのか?」

「少なくとも俺は話題にしたことがないな」

八重樫は大仰(おおぎょう)に肩をすくめると、意味有りげに笑った。ますます混乱した美月は坊坂、八重樫、久井本の顔を順々に見やり、結局最後に目が合った久井本が、口を開いた。

「俺が、人狗(ひといぬ)、いわゆる人狼(ワーウルフ)の混血だって、知らない?」

「…は?…ええっ?」

ここ半年あまり、『ひとならぬもの』にしょっちゅう遭遇していた美月であるが、『ひとならぬもの』との混血の存在について考えたことが無く、つい間抜けた声を上げてしまった。声に出してから、無礼な態度だと慌てたが、久井本は気分を害した様子も無く、淡々と続けた。

「知らないのなら、わざわざ買って来ないよな」

美月は脱毛剤とドックフードの意味を理解した。他の二年生が、単なる嫌がらせにしては過敏とも言える峻烈(しゅんれつ)さで応じていたのも理解出来た。その陰湿なやり口の濡れ衣を着せられかけたことに、ふつふつと怒りが()いて来た。

「…犯人には、頭の毛根根絶やしの罰を与えるのはどうだろう」

『採用』

思わず口をついて出た言葉に、坊坂や八重樫のみならず、眼前の久井本や周囲の一年生、二年生までも同意してくれた。既に美月に向けられていた敵意は、()き消えていた。

「悪かったね、須賀くん、疑って。…高橋、本当に見間違いのようだな」

久井本は、美月に深々と謝ると、静かに高橋に向き直った。声は静かなのだが、凄みが段違いだった。久井本に続けて美月に謝罪し掛けた二年生が、思わず息を呑んで硬直してしまったほどだった。

「っていうかあ、そのひと、何の用事で武道場の裏にいたのお?」

八重樫が楽しそうに声を上げた。武道場の裏には弓術場があるが、危険を避けるため、立ち入りは部員と顧問のみ、出入りは部活の開始時と終了時だけ、活動中は閉め切られている、という場所だった。弓術部の部員に緊急の用事でもない限り、わざわざ行く必要のある場所ではない。武道場が静まり返った。

「違う!俺は、だから、ボールが裏に行っちゃって…」

久井本に凄まれた時点で既に蒼白だった高橋は、更に土気色になりながらも声を上げると、身振りで必死に反論した。結局、体育館で一緒にバスケットボールをしていた級友たちの証言で、高橋がそれ以上犯人扱いされることは無かった。武道場と体育館は並んで建てられているので、体育館の裏は武道場の裏でもある。ボールが弾んで裏側の扉から出て行ったこと、高橋がそれを拾いに行ってすぐに戻って来たこと、が、保証された。高橋が、そのとき見かけた誰かについては、美月と背格好が似ていたという以上の情報はなかった。

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