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#04

二学期の始業式から数日が()ち、生徒たちの身体から、夏休み中に染み付いた緩い生活が徐々に取り除かれると共に、学院は平常取りの空気を取り戻していった。一方で、別種の浮き足立った雰囲気が漂っている。熱心な文化系の部活に所属する部員たちは、文化祭という年に一度の大発表会を控え、忙しく動き回っていたし、体育祭での活躍を夢見る一部の生徒たちは、授業や部活動の合間を縫って、各々練習に(いそ)しんでいた。

そんな中、就職後にストレスで肥大化してしまった姉を持つ二年一組の生徒が、黒縁の伊達眼鏡と共に婦人用の黒のスーツ一式を届けてくれた。眼鏡はスーパーマンごっこが趣味の誰かがいたらしく、新調する必要はなかったが、その他の、サテン地のグレーのブラウス、黒のパンプス、黒髪の(かつら)に黒のストッキング、そして体型を女性的に見せるための下着、は全て新調したため、そのときよりも前に通販会社から届いていた。購入する際、ブラウスの胸元はどれくらい開いたものにするか、パンプスのヒールは何センチくらいか、髪の長さはどうするのかと、細かい注文をする一部の生徒がいたために、既にその時点でげんなりしていた美月は、スーツのタイトスカートが、決定された長さよりかなり長いため、調整しなければならないことに気付いて、更に沈鬱な気分になった。広げたスカートを前に溜め息を()く美月を楽しそうに眺めながら、二年の生徒は事務室からの、明日の授業後から化粧品の貸し出しをするので、取りに来るようにという連絡も届けてくれた。化粧品は、毎年何人かの生徒が、親族の女性が不必要になったものを持ち寄って来ていて、それが事務室の管理で保存されている。以前、あらかじめ練習をしたいという生徒がいたために、学院祭前から貸し出されることになっていた。もちろん、個別に購入しても良いのだが、一度きりしか使わないものなので、大半は貸し出されるもので済ましていた。


女装用の服飾一式が揃った翌日は、週に一度の芸術の授業がある日だった。組で二人だけの書道選択者である美月と田中は、だらだらと廊下を歩いて、二階の一番奥の教室までたどり着いた。いつも果てしないお喋りをし、しかも内容は賛美対象である坊坂のことだけ、という田中だが、この日は少し機嫌が悪く、愚痴めいたものを美月に向けて来た。

「夏休みさあ、何があったの?坊坂が最近、俺らに冷たいんだよね。その代わりに須賀や、今日なんか二組のうざ眼鏡と気楽にお喋りしていたし」

二組のうざ眼鏡、は、二組の組委員の倉瀬(くらせ)英忠(えいちゅう)のことである。眼鏡を掛けていて、うざい口出しをしてくることが多いから、というそのままの呼び名である。うざ眼鏡の呼称は美月も納得出来るが、坊坂が、田中をはじめとする自身の信奉者や媚びへつらってくる連中と距離を取っているのは以前からなので、殊更美月や倉瀬との仲を持ち出されることには納得がいかなかった。しいていえば夏休みの前半に、犯罪に巻き込まれるは『ひとならぬもの』に襲われるはと、一般人が一生経験し得ないようなあれこれに一緒に遭遇してしまったが(ゆえ)、連帯感というか共に死地をくぐり抜けた戦友とでもいうべき感覚が育ってしまっているのは確かではあるが。

しかし、どうも夏休みの顔を合わせていない間に、自分を坊坂の親友か腹心かに昇格させる思い込みを発動してしまっていたらしい田中は、なおも坊坂から受ける冷遇を嘆いていた。幸いというか、美月が聞き流しているうちに、その内容は、いつもの一方通行な賞賛を(まく)し立てるだけのものになった。そして、これも毎回の通り、田中は書道の授業が終わるや、美月には目もくれず、食堂に直行して行った。田中の長所の一つは切り替えの早さだ、と美月は冷ややかに考えた。美月は他の生徒に比べて、どうも書道用品の片付けの手際が悪かった。他の生徒が書道教室を去る中、未だに慣れない手付きで道具を片付けていたが、この日は同様に片付けが遅れている者がもう一人いた。というより二人分を片付けていたので、その分時間が掛かっていた。一年三組の組委員の里崎(さとざき)(あまね)が、実質的に同組を仕切っている代田(だいだ)健太(けんた)の分まで片付けていた。

「代田は?珍しいね」

大体この二人は一緒にいるし、片付けにしろ何にしろ、片方が二人分を(にな)っている現場をこれまで見たことがなかった。美月が素直な感想を漏らすと、里崎は筆を洗う手を止め、傍らの美月を見、溜め息を()いた。

「呼出し。ミーティングだって。少しは待ってくれてもいいのにさ」

「弓術部の?」

代田も里崎も弓術部なのは知っていたので、美月はそう尋ねた。里崎は首を横に振った。

「学院祭、というか体育祭のミーティング。何で代田なんだと思うけどね。実行委員でも組委員でもないのに、何故か代田を呼びつけるんだよ、あのひとたち」

「二年生に、熱心なひとがいるわけか」

何となくつぶやいた美月の言葉に、里崎は強く、首を横に振った。

「三年。二年生は…はっきり言って役立たず」

吐き捨てるような物言いに、美月はまじまじと里崎の顔を見てしまった。穏健というか、余りきつい言い方をする方ではないと思っていたので、その言葉と口調、そして厳しい顔付きに少々驚いた。

「三年三組の、戸辺山田(とべやまだ)先輩って、須賀は知っている?」

里崎に問われ、美月は首を振って否定した。

「だよね。俺もさ、今回まで、名前しか知らなかった。悪い噂のある人じゃなかったんだ。なのに今回だけ、ちょっと。…三組って去年、一昨年(おととし)と学院祭で最下位続き、というか今の三年三組って、余り運動が得意じゃない生徒が集まっているらしい」

学院には組替えがない。一年から三年まで同じ面子(めんつ)で持ち上がる。運動が苦手な生徒が多い組があれば、三年間そうである。

「二年の三組も、やる気が無いわけではないのだろうけど、何と言うか、間が悪いというか、やることなすこと裏目に出るというか、頑張る方向がてんでばらばらというか、そういうひとたちが多いんだよね。上級生相手に失礼だとは思うけど、正直、三組の、一年・二年・三年の対抗で何かやったら、うちが勝つよ。運動だけじゃなくて、朗読とか合唱とか、暗算大会とかでも」

一年三組の生徒が優秀というより、二年・三年に比べてまとまれる、と言いたいらしかった。他学年に比べ、一年生が組ごとに団結し易い学年だとは美月も思っていたので、うなずいた。

「でさ、その戸辺山田さんが、今回の体育祭では三組が絶対優勝する!、って燃えているんだ。それで口を出してくる。しかも、うちのクラスで一人、いつの間にか戸辺山田さんの腰巾着になってる奴がいて、そいつ経由で指示を出される。そいつがいなくても、二年がそんなだから、現場というか実際に何かするのはうちのクラスの奴らになっちゃうんだろうけど。で、ケンタが走り回る羽目になっている」

里崎は心底不快そうだった。里崎と代田は、仏教系である学院では異色の、キリスト教系の新興宗教である『光の園』という教団に所属する身である。学院内の人間関係全てを掌握していると豪語する八重樫によると、教団内では代田が指導者層に属している一方、里崎は一信者扱いとのことだった。もっとも学院内で見ている分には普通の友人同士である。ただ、指導を乞う対象であれ、友人であれ、使い走りにされて面白いわけが無い。

「悪い。詰まらないことを愚痴って。でも、須賀、というか一組の生徒は気を付けたほうが良いかもしれない。二組は、二年が夏の模試の結果が散々で学院祭に構っていられないらしいから、争う相手として一組が集中的に狙われると思う」

「うん、まあ、俺は出ないしね」

気を付けてと言われても、例えば選手を襲撃するなどの大事を起こすとも思えず、美月は曖昧に濁した。一組(ひとくみ)十二人、一学年に三組だけ、という少人数しかいない学院では、何かやらかした場合に、発覚と、事情の拡散が酷く早い。体育祭の優勝のために、停学だの謹慎だのといった懲罰を受ける危険性を犯すとは考え(にく)かった。

「総選挙は須賀が出るんだろ」

「ああ。あれね。うん。三組は…ひょっとして…?」

「俺。夏休み前に決められていた」

美月が想像した通り、里崎だった。里崎は優しげというか線の細い感じがある。女装が似合いそうだと美月は内心で思った。

「そういや、化粧品のこと、どうなっているか、知っているか?」

美月の心中など知らない里崎に尋ねられ、美月は簡単に(こた)えた。

「今日から貸し出しだろ?今日、授業が終わってから、行くよ」

「…聞いてない。またかよ…」

里崎は低くつぶやいた。基本的に女装をするのは一年生なのだが、組対抗戦の大将は二年の組委員である。事務室などからの連絡はそちらに行くわけで、二年三組の担当者はちょくちょく連絡を忘れているのだと思われた。

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