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#19

体育館前にあるサッカーゴールと害獣対策用の網を利用した設備の周りには、全校生徒の三分の二ほどの生徒たちと、学院の教職員の大半が集まっていた。美月や藤沢もその中に加わっている。美月は離れたところで見守っているだけだが、藤沢は網を立てている支柱を支える役を(にな)っていた。既に戸辺山田の()いている赤い靴以外の付喪神は、朧露(ろうろう)堂の札によって動きを封じられ、プールに落ちた日本人形の付喪神だけは、蓋の上に置かれて乾かされていたが、それ以外は葛篭(つづら)に収められている。最後のひとつを捕獲するべく、一同の士気は高かった。

今、この場にいない生徒たちのうち、半分ほどが戸辺山田を追っていた。この即席の捕獲設備が出来た後、校舎の裏から正門に向けて爆走しているところを追尾され、それからずっと、手を変え、品を変え、ひとを変え、追い立てられているのである。

『行ったぞおっ!』

食堂と一年生寮の間辺りから大声が上がった。直後、必死の形相で走る大崎がまず美月の目に入った。実は今までに二回、捕獲設備の近くまで戸辺山田を追い詰めたものの、網で作った柵の間に追い込むことが出来ず逃げられていた。二回目に失敗したときに、赤い靴の付喪神が(さと)いというより、戸辺山田の、走るのは止めたいと思っていても、捕まりたくないとも思っている深層心理が少なからず影響しているのではないかという意見が出された。結果、逆に戸辺山田が今一番、追いかけ、捕まえて、もの申したいであろう大崎を目の前にぶら下げれば、上手く誘導されるのでは、ということになり、大崎は事務所から連れ出され、今、馬の前の人参の役割をやらされていた。

「…っひっ、まひっ、まひ、こら!」

そしてその大崎の後を、()でた蛸でもここまではならないだろうというほどに真っ赤で、蒸気を吹き上げているような顔の戸部山田が続いていた。体操着は汗だくで下のランニングシャツが透けて見えている。肩と頭部は上下と前後に不自然に揺れて、(あえ)いでいる。何か言っているので、まだ意識があることは確認出来たが、戸辺山田の身体状況を探った美月は、そろそろ限界だな、と感じた。そして戸部山田の後ろから、何人かの生徒たちが、戸辺山田を更に追い立てていた。

「来た!来たからっ、もう!」

絶え絶えの(あえ)ぎを上げ、大崎は、生徒たちに支えられた網で作った二つの柵の間に走り込むと、左寄りに二三歩進み、倒れ込んだ。その後を猛然と戸辺山田が追いかけて来て、その速度のために急停止が出来なかったのか、倒れた大崎が目に入らなかったからなのか、サッカーゴールに向けて一直線に突進して行った。わっ、と周りの面々から歓声が上がると共に、捕獲設備の入り口が閉じられた。戸辺山田はそのまま、サッカーゴールの網に真っ正面からぶつかった。衝撃でサッカーゴールが(かす)かに傾き、地面から浮いたが、裏側で支柱を支えていた生徒たちが踏ん張って(こら)えた。

『おおおおおっ!』

雄叫びが上がった。捕獲設備の入り口側で、害獣対策用の網の支柱を支えていた生徒たちが、旗立台(ポールスタンド)から支柱を外すと手に(かか)げ、大崎を(また)ぎ越し、戸辺山田の背後から迫った。このまま動ける範囲を(せば)めて捕獲しようとしたのだが、ゴールネットに一旦、身体を受け止められた戸辺山田はくるりと百八十度回転すると共に、その背後から迫り来る網と生徒たちに向かって地面を蹴った。一瞬で速度を上げ、力任せに突進すると害獣対策用の網に突っ込んだ。サッカーゴールを支えていた生徒たちと違い、足を動かし移動状態にあった生徒たち何人かが、その凄まじい衝撃に耐えきれずに転んだ。だが、丈夫でサッカーゴールのものより細い糸で(あつら)えられた網は破れもせず、がむしゃらに進もうとする戸辺山田の足や手が網に(から)まった。転ばなかった生徒たちと、転びはしたものの、その体勢でもしっかり支柱を握り、離さなかった生徒たちの頑張りで、戸辺山田の体は停止した。

そして今度はサッカーゴールに近い側で、害獣対策用の網を支えていた生徒たちが、動きの止まった戸辺山田を包み込むようにして、網を(せば)めた。戸辺山田が気付いたときには、自身の体は害獣対策用の網で囲まれていた。不意に、赤い靴の付喪神は、それまでただ前に進もうとしていた動きを変化させた。片足を戸辺山田の腰の辺りまで持ち上げると、思いっきり振り下ろして、手近にいた、まだ倒れたままの生徒の足首を網越しに踏み付けた。悲鳴が上がり、戸辺山田を取り囲む人員が一斉に殺気立った。

「ひっ、あ、ちがうぅ。わざと、ちがう!」

危険な空気を感じ取り、戸辺山田が真っ赤な顔を(ゆが)ませて叫んだ。一瞬、誰かが一歩踏み出せば、全員が戸辺山田に襲いかかりかねない危うさが辺りを支配したが、一瞬だけだった。

叫び声がまだ尾を引いているにも関わらず、戸部山田の体が、びくり、と脈動したかと思うと、顔から表情が一気に消え、突然、両手を体に沿って下ろした直立の姿勢になり、(かかと)を打ち合わせた。予想外の挙動に周囲が戸惑った。と、戸辺山田は、下ろした両腕を、肘を伸ばしたまま大きく弧を描きつつ上に挙げ、頭の上で平手を打ち合わせた。ぱん、という乾いた音が響いた。呆然とする一同の前で、戸辺山田は平手を頭上で合わせたまま、左右に体を揺らし始めると共に、大声で歌い出した。

…オレンジとレモン、と、セント・クレメントの鐘が鳴る

オルゴールの付喪神が奏でていた遊び唄だと、美月は気付いた。英語の歌詞で歌っているが、発音は完全に日本語だった。戸辺山田は、それに合わせて体を左右に揺らし続けている。

「今のうちです。問題ありません」

戸辺山田の突然の奇行への困惑から(かす)かに上がったざわめきを縫って、声が上がった。代田だった。その場にいた一年三組の担任教師が、胸をなで下ろす表情になった。

「…ああ、里崎か」

「そうです。混乱させられているだけですから。今のうちに」

無言で(まばた)き一つせず戸辺山田を凝視している里崎に代わり、代田が説明した。美月が後で聞いたところ、里崎は他者を混乱状態に(おとしい)れるという術というか能力が使えるとのことだった。行使出来る範囲が狭いとか、作用時間が短いとか、あくまで混乱なので、少々動きを鈍らせるくらいにしか使えないとの事だったが、戸辺山田個人だけでなく、赤い靴の付喪神の動きも阻害し得るだけの強さはあるらしい。

事情が分かると同時、一斉に生徒たちが動いた。戸辺山田は害獣対策用の網で、全く身動きが取れない様に、ぐるぐる巻きにされると地面にうつぶせに転がされた。この時点で既に里崎が与える混乱は終わっていたので、戸辺山田はとにかく、赤い靴の付喪神は再度走り出そうと地面を爪先でえぐって動き続けていた。

「脱がせろ!」

「痛っ。蹴るな!」

「押さえろ。もっと強く!」

「だからっ、蹴るな!」

「ひ…くっ、むり、むりい!」

教師たちと、藤沢など力に覚えのある生徒たちが数人掛かりで戸辺山田の足を押さえ、赤い靴の付喪神を取り外そうとして、かなりの抵抗を受けた。生徒の一人は顎にまともに蹴りを食らってひっくり返った。戸辺山田は、必死で首を(ひね)って、周りから浴びせられる怒声と疲労困憊(ゆえ)の半泣きの顔を上に向け、応対していた。

「無理だ。紐!紐が、ほどけない!」

「切れ!切ってしまえ!何か切るもの!」

「どうぞ」

「ああ、ありが…とう?」

赤い靴の付喪神を取り外そうとしていた一人、今日、生徒たちに的確な指示を出して一番活躍している若い教師が、美月から差し出されたものを受け取り、反射的に礼を言い掛けて止めると、手の中の手斧をまじまじと見つめた。半泣きの戸辺山田の顔がさらに(ゆが)んで、今にも泣き出しそうになった。

「だ、だめ!あし、きったら、だめえ!」

「失礼、こちらでした」

美月は平然と白衣のポケットから、若干湿布の匂いが漂う(はさみ)を取り出して渡し、手斧を受け取った。(はさみ)を受け取った教師は、微妙な表情で満面の笑みを浮かべる美月の顔を見てから、戸辺山田に向き直ると足首に()わえられている紐を切り落とした。戸辺山田の体を押さえている藤沢が斜め下の地面に顔を向けて、(かす)かに肩を震わせた。赤い靴の付喪神は、戸辺山田の足から離れると、それまでの傍若無人ぶりが嘘のように微動だにすることは無かった。それは残った両の靴紐を結んでひとまとめにされ、更に朧露(ろうろう)堂の札をこより状にしたものを結びつけられ、ビニール袋に入れられた。付喪神から解放された戸辺山田は、今は全身に巻き付いている網と格闘していた。制服姿の、恐らく三年三組の生徒が、手を貸していた。

「…っく、あり、ありえ…ねえ。ぐふっ。おおさき、ゆるさねえ…」

手をあちこちに動かしつつ、戸辺山田はぶつぶつとつぶやいた。その視線が不意に一箇所に固定された。地面に倒れたまま息を整えていた大崎が、ちょうど座り直したところだった。

「…ってっめええ!」

上がった怒気を(はら)んだ大声に、捕獲設備を撤収していた生徒たちの視線が、一斉に声を上げた戸辺山田と、戸辺山田が睨みつける大崎に向かった。

「こっ、のっ、嘘つき野郎!てめっ、ぜってえ、ゆるさねえ!ドッグフード野郎!てめえで食ってろ!ロリコン!」

支離滅裂な叫びだったが、大崎の顔が真っ青になった。撤収作業をしていた久井本が、無表情に大崎を見たが、大崎からは見えない位置だった。

「ち、ちがう!あれはっ、そう!須賀が!一組の須賀がやったことで!」

大崎が叫んだ。その言い方から察するに、どうも美月がその場にいないと思い込んでいたか、女性の姿の美月を美月として認識していなかったらしい。実際には、傷の手当をするべく、戸部山田が解放されるのを末永医師と横で待っていた。美月は苦笑しつつ、片方の手を軽く握った(こぶし)状にして口元に押し当てしな(、、)を作りつつ、大崎を見据えて鼻に掛けた声で言った。

「やだあ、このひと、キっモぉぅい」

大崎が硬直した。大崎だけでなく、事態を傍観していた周囲の生徒たちと教師たちが、ほぼ全員硬直していた。久井本の傍らにいる八重樫は、必死で笑い出すのを(こら)えていて、顔がおかしな風に(ゆが)んでいた。

「キモいしぃ、臭いんだけどぉ。近寄らないでくれるぅ」

続けざまに言い放たれて、大崎は金槌で殴られたような表情になった。それまで大崎に非難の視線を向けていた周囲の面々も、酷く同情的な表情になった。皆、無論、美月が同じ学校の生徒だとは理解しているのだが、見掛けがまるきり妙齢の女性である存在に、きもいだの臭いだの言われて傷付く気持ちは理解出来ていた。そして実際、大崎は臭かった。坊坂が掛けた松精(テレビン)油は既に揮発していたが、匂いはしっかり残っていたのだ。

「それは、坊坂がっ!(にお)うのは坊坂のせいでっ」

「他人のせいにしてばかりだな」

害獣対策用の網を巻いていた坊坂が溜め息と共につぶやいた。この件に関しては本当に坊坂に原因があるのだが、おくびにも出さなかった。

「大崎、もうそれ以上口をきくな」

大崎は、更に(わめ)きかけたが、久井本に呆れ声で(たしな)められて押し黙った。卑屈な目でそろそろと久井本の方を向き直ったが、久井本は周囲を(うなが)して、さっさと撤収作業に戻って行った。教師の一人が大崎の肩を叩くと、連れて行った。

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