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#01

鳴く蝉の声が変わってしばらく経つ。人里離れた辺境の山奥に鎮座する全寮制男子校、座生(ざおう)学院高校の一年生寮には夏休みを実家で過ごした生徒たちが順々に戻り始め、今はもう最後に一人を残すのみとなった。その一人は一年一組の組委員にして、学院が養成している特殊能力者たち、特に除霊を行うものにとって後々の就職先として最大手である丹白(にもう)宗という仏教の一宗派の代表者を父に持つ坊坂(ぼうさか)慈蓮(じれん)である。宗派内の権力争いの一端として、その坊坂の高校生活を監視するために送り込まれた須賀(すが)光生(みつき)、本名を美月(みつき)と書く十六歳の女子は、自身が寮に戻ってから今日まで、その仕事をする必要なの無い数日間を気楽に過ごしていた。

既に明後日は始業式という日付である。坊坂はこの日に戻ってくると連絡を寄越していたが、既に夕食も終わった時間でありながら、その様子も無い。学院への進学を、反対する親戚連中から妨害されることを予想して、秘密裏に行ったというくらいであるので、実家で足止めを食らっているのかもしれない。坊坂と寮で同室の八重樫(やえがし)郁美(いくみ)はその日の夕食後、美月と藤沢(ふじさわ)賢一郎(けんいちろう)の部屋である10106号室に入り(びた)り、三人で車座になって、明日になれば忘れてしまうような軽い話しを交わしていたが、不意に廊下を大股で歩く音がして、10106号室の前で止まり、直後、扉が強く叩かれた。この部屋の住人ではない八重樫が開いている、と返事をし、扉が開けられると共に、ふわりと抹香の匂いが漂った。

「おう」

「お疲れ。遅かったな」

「おかえり」

「ただいま…」

藤沢、八重樫、美月の順に声を掛けられ、疲れ切った顔で、肩掛けの鞄とペットボトルのお茶を小脇に抱えた坊坂がつぶやきつつ室内に入り、床に座り込んで脱力した。

「や…っと、帰って来られた」

ペットボトルのお茶を開けると、残っていた中身を一気に飲み干し、大きく息を()いた。実際に何があったのかは不明だが、疲労困憊状態であることだけは一目で分かった。坊坂は再度大きく呼吸をすると、鞄を開け、大振りの茶封筒を取り出した。

「良かったら」

そう言いながら渡された八重樫が糊の付いていない封を開けると、中から印刷された写真が数十枚(こぼ)れ出て来た。

「お、サンキュ」

軽い口調で(こた)えつつ、八重樫は封筒を床に置き、その上に中の写真を一枚一枚並べていった。夏休みの前半、美月たち三人は八重樫が育った寺に手伝いを兼ねて滞在していたのだが、その間に撮られたものだった。西瓜を食べていたり、花火を振り回したりしている八重樫と藤沢が写っている。途中、諸事情で訪れ、一日だけ泊まって行った二組の組委員の倉瀬(くらせ)英忠(えいちゅう)も写っていた。美月は身元を偽っている立場上、痕跡を残すことは極力避けており、写真撮影や録画は全て拒否していたので、写っているものは一枚もない。学院の生徒たちの中には、一緒に写ると必ず心霊写真になってしまう者や、電子機器を向けると必ず不具合を起こさせる者などがちらほら見受けられるので、美月の撮影拒否も普通に、学院にも友人たちにも受け入れられていた。なのだが、八重樫がある一枚の写真を床に置いたときに、坊坂が気まずそうに口を開いた。

「須賀、悪い。一枚、写っていた」

「え…」

示されたその写真は、中央にジャイアントスイングを掛ける藤沢、掛けられつつ両手でピースサインをしている八重樫がいる。美月は写真をなめるように見て、その右端にアイスクリームのカップを持つ手と、カップを置いている膝だけが写っているのに気付いた。当たり前だが、個人の特定は不可能である。

「まあ、何と言うか、良く気付いたね」

個人識別されなければ、特に問題はない。むしろ良く人影だと分かったと感心してしまった。藤沢と八重樫がいるのが野外、美月はその手前の縁側に座っていて、撮影者の坊坂は部屋の中にいるという構図で、焦点も明度も技の掛け合いをしている二人に合っている。手も膝も言われれば気付くが、ほとんど影である。

「気付いたのは従姉(いとこ)だよ」

美月が気分を害した様子が無いことに、少しほっとした様子を見せながら、坊坂が(こた)えた。

「仲、()いんだ」

(かす)かに(うらや)む気持ちを(にじ)ませて、美月は言った。美月の親戚は母方に少しあるだけで、付き合いは皆無である。夏休みの楽しい思い出の写真を見せ合うなど、微笑ましい情景を想像したのだが、坊坂は露骨に顔をしかめた。

「良くない。あいつ、勝手に俺のスマートフォンを(いじ)って、壁紙にしてある写真を見たんだよ。で、もっと見せろと言い出して、仕方なくプリントアウトして、見せたんだよ」

美月が知っている坊坂のスマートフォンの壁紙は柴犬の写真だったが、その後に夏休み中に写した写真に変更していたようだ。

「へえ、他人のケータイ、勝手に(いじ)る奴って実在するんだ」八重樫が珍獣を話題にするような声を上げた。「おちおち、置きっぱなしにできないな」

坊坂は更に不機嫌な表情になった。

「置きっぱなしどころか、椅子に掛けていた上着に入れていたのを、(あさ)ってやがったんだ。有り得ないだろ。昔から距離が測れないというか、こちらの都合を考えないというか、従姉(いとこ)だけじゃなくてあそこの一家全員がそうなんだが、そいつらが全員来てやがるし、それに加えて他の親戚郎党まで盆中出入りしているから、もう。部屋で勉強していても集団で乱入してくる奴らはいる、高校の転入手続きの書類一式持参で来た地元の高校の校長とかまでいた」

坊坂は実家で溜め込んでいた不平不満を一気に吐き出すと、下を向き、空のペットボトルを無意味に床に打ち付けた。八重樫はおもしろがっている表情で、項垂(うなだ)れた坊坂の頭をぐしゃぐしゃと()き混ぜた。藤沢は心からの同情を表す表情で、見やっていた。そのややこしい親戚たちのいるお陰で、坊坂の監視役と言う仕事を貰っている美月は、無感動に一言つぶやいた。

「大変だね」

坊坂は顔を上げると、他人事の顔をしている美月をじっと見やった。

「本当にそう思っているか?」

「…思っているけど?」

実際、大変だろうとは思っているので、嘘ではなかった。

「本当に?」

「思ってるって。そう、部屋に鍵を付けてもらう、とか駄目なのか?」

更に言い(つの)られて、美月はそれなりの提案をしてみせた。坊坂は首を横に振った。

「前に付けてもらった。酔っぱらった親戚の爺さんが、無理に開けようとしたのか何なのか、戸に頭突きして、ひっくり返って救急車呼ぶ騒ぎになって、外された」

「…ああ、うん」

何と言って良いか分からず、美月は曖昧に濁した。

「で?大変だと思っているか」

「だから、思ってるって」

妙にしつこい坊坂に、美月は少しだけ声を(あら)げた。

「なら」坊坂は大きく息を吸い込んでから言った。「生物の課題、見せてくれ」

「…終わってないの!?」

一瞬の沈黙の後、美月は驚いて声を上げた。坊坂は深々とうなずいた。

「あと、数学と現代国語と日本史と英語と…」

「それ、全部…」

「全部じゃん」

「全部じゃねえか」

美月に続いて、八重樫と藤沢も呆れた声を上げた。坊坂は何故か少し得意げな表情になった。

「代替えの効かないものは終わっている。作文とか。後は写させてもらえばなんとかなると思って」

「…坊坂、俺らと一緒の時点で八割くらい終わってなかったか?」

藤沢に確認され、坊坂は再度深くうなずいた。

「そこから、進んでいない」

美月は無言で立ち上がると、机の上に積まれていた夏休みの課題の中から生物の問題集の解答冊子とノートを取り出した。ノートには問題を解く際に使った計算用紙や、生物部で使う資料の一部やレポートの書き潰しが挟まっていたが、取り出すのも面倒だったので、そのまま渡す。受け取った坊坂は、美月の机に座り込むと、鞄から己の解答冊子を取り出しかけた。

自室(へや)でやれよ!持って行っていいから!」

「分からないところがあれば、すぐに()けるだろう」

当たり前のように言い出した坊坂を美月は無言で(にら)んだ。課題に追われている者が室内にいる状況では馬鹿話で騒ぐことも出来ない。無言の圧力に屈したのか、坊坂は渋々席を立った。

「俺は、数学を見せればいいのか?」

立ち上がった坊坂に八重樫が声を掛けた。坊坂はうなずきつつ(こた)えた。

「ああ。でも、先に藤沢に、現代国語を頼みたい。そっちの方が先に授業があるだろ」

藤沢はうなずいた。坊坂は重い足取りで部屋から去って行った。部屋の扉が閉じられると同時に、美月は深々と溜め息を()いた。

「想像以上に実家が大変そう…」

坊坂の両親が、後々面倒なことなると分かっていて、あっさり寮住まいを認めた心中が理解出来た。今はまだ一年だから良いが、高校三年の夏休みに自宅の部屋で落ち着いて勉強出来ないとなると、暴れ出したくなるだろう。

「まあねえ。今年は特に、学院に進学したことでとやかく言いたい連中が激しく行動しただろうし」

情報通の八重樫が言い出した。藤沢は納得出来ないという表情で問い掛けた。

「そんなに問題になるのか?高校の進路くらいで」

「息子・娘をご学友にし(そこ)ねて、ご立腹の方々いらっしゃるんだよ」八重樫は方をすくめた。「あとは、この()に坊坂が宗派から距離を置くんじゃないかと戦々恐々としている方々」

「ご学友…」

「本当にそうなんだよ。あそこの総本山のある町って門前町として発展した、丹白(にもう)宗ありきの町なんだよ。今でも町の土地の七割だか八割が丹白(にもう)宗の所有で、町の住民の九割が信徒というか檀家。もちろん、行政担当者…町長とか町議会とかは存在するけど、事実上、丹白(にもう)宗が許可しないと建物一つ建てられない、山の木一本、切ることすらままならないところなわけ」

『…』

特殊能力者の育成をする学校に在学しているが、出が一般家庭の藤沢と美月は、坊坂の地元の事情を初めて聞いて無言になった。

「宗派から距離を、っていうのもねえ、最近までずっと坊坂の父方実家と母方実家で権力争いしていて、それが解決したと思ったら、坊坂と同世代の強力な能力者ってか術者を跡取り候補として(かつ)いだ一派が出て来て、という具合なものだから、いい加減、坊坂が()んでるのは皆分かっているんだよね。そのうえ坊坂はさあ、優秀だから宗派を離れても十分やって行けるだろ。だから、放り出しちゃうんじゃないかって、特に坊坂を跡取りにしたがっている長老たちはびくびくものなわけ。対抗馬を担ぎ出しているのはいわゆる新興派閥で、そっちが天下取っちゃうと、既得権益を奪われちゃうから。丹白(にもう)宗って総本山のある町だけじゃなく全国に宗派の寺があって、それぞれちゃんと機能してるから、動いているお金も段違いなんだよね」

「ああ、想像以上に大変だ」

藤沢が重々しくうなずいた。これまで()えて坊坂の詳しい事情を知ることを避けていた美月である。美月の身元を偽って送り込む一事だけでも費用も手間も相当掛かっているとは思っていたが、考えていた以上に大事で、内心(おのの)いた。

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