六章 雫の門
六章 雫の門
駅に降りると、だだっ広い空間が広がり中央に一本の太い柱があった。
中央の柱の一番高い場所から均等に何本もの金属の棒が出て弧を描いている。
そして、その棒に張り付けられるように青い布が覆い被さっていた。
「傘を模した駅なんだ」
雨が布に弾かれる音が響く。
駅員さんどこなんだろ?
だだっ広い駅をきょろきょろと見渡す。
奥に窓のついた大きな立方体がある。
それ以外は部屋らしきものは見当たらなかった。
きっと、そこが駅長室なのだろう。
そうじゃなければ、この駅に駅長室は存在しないだろう。
アタシは立方体へと歩いていった。
その立方体は予想通り駅長室だった。
ただし、トラックの後ろに付いているようなコンテナで出来ていた。
「あのー? スイマセン」
「はいはいはあい」
奥から駅員さんの足音が聞こえる。
今までのパターンからすると動物だろう。
きっと雫という言葉が似合う美しい動物。
駅員さんが小窓から顔を出した。
カエルだった。
確かに雫という言葉は似合うけど……
「どうかされましたか?」
駅員さんは心配そうに聞いてくる。
気を取りなおして、
「えーっと、雫の門まで行きたいんですが」
「それなら、この通りをまっすぐに進んで右に曲がったところに豪雨がありますからその中に入ってくださいね」
「はあ、豪雨の中ですか?」
「ええ、流されないように気をつけて下さいね」
「あっ、はい」
この世界は何でもありだとは理解してきたつもりだけど、それでも豪雨が一定へ場所に在るっていうのは……。
しかも、それで人が流される事があるのか。
いや、あるか。
テレビ中継での台風を思い出した。
川付近に住んでいる家が川の氾濫で流されてたなあ。
泳ぎ下手だしどうしよう。
そんな事を考えながらアタシは出口へ向かった。
空は厚い雲に覆われ雨がシトシトと降っていた。
豪雨があるなんて信じられないほど穏やかな雨だ。
静かに降っている雨を見てそう思った。
視線を空から降ろし辺りを見渡す。
そこは、西洋を連想させるレンガで作られた町並みだった。
「そう言えば傘ないや」
あたしは門があるという豪雨へ向かった。
そこは滝を思わせるような局地的な豪雨だった。
空を見上げるが、それが滝ではなく本当に空から落ちている雨だという事が分かる。
しかも、集中的な豪雨で雨水を氾濫させない為の川があった。
そして、辺りは生暖かい風が吹き、霧が立ち込めほとんど何も見えない。
ずぶ濡れ決定だね。
そんな事を思いながら豪雨の中へと入っていく。
その中には、ずぶ濡れのまま、その場でうずくまっている人達がいた。
どうしたんだろう?
アタシは、その中の一番背の高い男に近づいて話かけてみる。
「あのー? どうしたんですか?」
「うるさい! 俺のことはかまうな!」
男は、アタシを見るなり叱咤した。
横では、犬の姿をした案内人が、男を心配そうに見ている。
「あの? この人どうかしたんですか?」
案内人に顔を向け聞いてみたが、首を横に降る。
「ここの門に入ってからずっとこうなんです」
そう言うと男に視線をもどした。
結局男に何もできないままアタシは豪雨の中を歩いていった。
しばらく進んでいくと門が見えた。
豪雨と霧のためか近づくまでそれが門だとは分からなかった。
その門は、巨大な鉄の塊でできていて、人を拒絶するかのような姿だった。
しかし、雨で鉄から流された錆びが、まるで泣いているかのように見え妙な親しみを持たせた。
そして門の横には、髪の短い五十歳くらいの女性が雨に濡れながら立っていた。
「あの? 門番さんでしょうか?」
「ええそうです」
今回は、いたって普通の人のようだ。
小さな声だけど、雨音にかき消される事なく声が聞こえる。
「中に入られるのですか?」
門番さんは、濡れた髪をかきあげると、アタシに質問してきた。
「はい」
アタシは首を縦に振った。
「入れば後悔しますよ」
「どうして後悔するんですか?」
彼女の強い視線に目を向けて質問する。
「外で、苦しんでいる方を見たでしょう。貴方もきっとそうなります」
アタシも、外にいた人達のように、誰も構うな! って思うようになるのだろうか。
「でも、入らないといけないんです。アタシを知るために」
アタシは、不安を打ち消すように言い放った。
「それじゃあ仕方ありませんね」
門番は手を差し出した。
「カードを渡してください」
アタシは、ポケットからカードを取り出すと門番さんに渡した。
門番さんは数歩下がると後ろにある機械にカードを入れる。
門番さんが機械のボタンを押すと、地図が機械から印刷されながら出てきた。
その地図が印刷されている間に機械から入れたカードが出てくる。
門番さんは、カードと印刷し終えた地図を手に取るといっしょにアタシに渡してくれた。
そして、一言
「お気をつけて」
と言ってくれた。
ずぶ濡れの中、アタシの門へと進む。
地図を見るたびに雨で紙の上のインクが滲む。
雨が嫌いになりそうだ。
滲んだ地図を辿りながらアタシは目的地へと辿りついた。
目の前の門がアタシの雫の門らしい。
今まで見てきた門と大差のない二メートルくらいの門だ。
もちろん金属で出来ている。
門に彫ってある模様を調べる。
雫の模様が記入してあった。
アタシは、ポケットから雫のカギを取り出す。
そして回す。
カチャリというカギの開く音が聞こえた。
アタシは振り向くことなく門を開けた。
一瞬後、アタシの意識は闇の中へ吸い込まれた。
辺りは今までと同じように暗い。
そして感覚も何も無なかった。
アタシは、自分の存在を確認しながら、光を求めた。
あれだ、あれがアタシの記憶。
目の前には、いくつかの光が見えてきた。
アタシは光に向かって進んで行く。
だんだんと光に近づき、そして、その光に目をむける。
少女がいた。
この子はアタシだ。
アタシは公園の中で、ぬいぐるみを抱いていた。
このぬいぐるみは、確か小さい頃に大切にしていたぬいぐるみだった。
どこに行くにも、いっしょだった。
アタシはぬいぐるみをべンチに置き友達とかくれんぼをはじめた。
次第に夕暮れになりアタシは友達に手を振った。
友達は、公園から去っていく。
そう、ここで……。
ぬいぐるみを置いたべンチを振り向く。
べンチの上にはカッターか何かで切り刻まれたぬいぐるみが置いてあった。
隣の光を見る。
シロだ。
アタシの飼っていた犬。
アタシはその横で泣いていた。
両親になんで、動かないの? と、言っていた。
寿命で死んだとは、知らなくて。
シロが怒って遊んでくれなくなったんだと思ってた。
何時までたっても、シロが動かないのを見て死というものを知った。
そして、隣を見る。
部屋中に散らかった本やシャーペン。
アタシはベッドの上で座りこんでいた。
これは、受験に失敗した時のアタシだ。
今まで必死でやった事が全く意味を持たない事があるのを初めて知った。
せっかくあの人のために頑張ったのに……。
その隣を見る。
アタシは懐中時計を持っていた。
それをぎゅっと握りしめた。
確かあの時、最後に貰ったんた。
アタシはもう一度時計を見ると涙を流していた。
その隣りを見る。
アタシは眠るようにお風呂に浸かっていた。
そうこれは、最近の事だ。
水が段々と赤に染まっていく。
どこかで、こうやれば痛くないと聞いた。
コーヒーにクリーム入れたかのように水が赤に染まる。
そうアタシは自ら手首を切ったんだ。
イタイ胸がチクチクする。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
何で自殺したんだろう?
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
思い出せない。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
たしか……
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
男の人が
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
世界中が
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
だからアタシは、
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
アタシは一体何でこんな事やったんだろう?
そう思った途端、アタシの意識は闇に包まれた。
雨の音が聞こえた。
外の世界に出たようだ。
アタシ何で自殺なんてしたんだろ。
確か……
男の顔が浮ぶ。
泣いる自分がいる。
何だろ……
思い出せない。
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
何か大切な事を忘れているような気がする。
学校、握手、トラック、
赤い血、風呂場、赤に染まる湯船。
アタシが自殺した理由は?
雨の音がノイズとなってアタシの思考を止める。
なんで、アタシ生き返ろうとしているんだろう……。
ポケットから力ギをとり出してじっと見る。
カギを開けずにいたほうが楽だったんじゃないかな?
自分で、命を絶つくらいだし、きっと戻っても良い事ないよ。
「見つけた」
ボーッとしていたアタシの目の前に、二十歳位の痩せこけた女の人が立っていた。
女の人は、アタシと目が合うとニヤリと笑う。その瞬間アタシを蹴飛ばした。
「ぐっ」
痛みはないが、反射的に声が漏れる。
女は近ずくと、仰向けになったアタシの腰を踏みつけた。
「何すんのよ!」
必死に立ち上がろうとするが、女の足が邪魔になって立ち上がる事ができない。
「これを貰いにきたのさ」
女の人は、そう言うとその場にしゃがみ込み何かを手に取った。
そして、アタシにその何かを見せる。
カギだ!アタシの持っていたカギだ!
女の人は乗せていた足を上げもう一度アタシを蹴飛ばす。
「アンタには必要無いだろ!貰っとくよ」
そう言うと、アタシの前から立ち去った。
どうしよう……
アタシのカギとられちゃった。
体そのまま上半身を起こしてその場に座り込む。
でも、これで良かったのかもしれない。
もう前に進めないや。
雨が心地よくアタシの思考を止めてくれる。
ザ――――ッ
雨の音が響いていた。
『しっかりと二人共が会いたいって思って行動に移したら、もう一度会えるよ!』
清の言った言葉が頭の中をよぎった。
アタシがここで止めたら、もしエドがアタシを探してたら……。
エドが待ってる!
取り返さないと!
アタシは、その場から立ちあがり雨の中を歩きはじめた。