三章 優しさの門
三章 優しさの門
あれから三十分ほど歩いた後、猫とも犬とも思える不思議な動物の乗り物に乗った。
長い胴には窓が沢山あり、車両毎に分かれている所など、ぱっと見は電車と見えなくも無い。 意味があるのか無いのか、その乗り物は前足で車輪の軸を握り締め、後ろ足で地面を蹴るように走っていた。
この世界の文字が読めないアタシには、電車の乗り方はさっぱり分からなかったけど、エドがその辺りの事を全部やってくれたので簡単に電車に乗ることができた。
その電車の中でエドは、どの電車に乗って行けば目的の門に行けるかなど、事細かく教えてくれていたが、それよりもアタシは電車から見える風景に興味を持っていた。
空の上にある雲の駅、ハンバーガーの形をした駅、鉛筆の形をした駅、それらは到底現実世界にあった駅とはかけ離れていた。
そんな不思議な駅を十ほど通り過ぎた所で、エドがアタシに降りるように促した。
アタシ達がたどり着いたのは、倒木をくりぬいて作った駅だった。
「次はどう進めばいいのかな?」
「ボクも駅を降りた先の事は、あんまし詳しくないからなあ……」
緑色のコケのついた駅の中を通りながらエドが答える。
「とりあえず、駅員さんにでも聞いてみますか」
あたしは、エドの後に従い駅長室へと向かった。
「すいませーん」
改札口の横にある駅長室の前で声をかけると、
「はいはーい」
野太い声が返ってきた。
それと同時に奥から人が動く気配がする。
数瞬後、小窓から駅員さんが顔を出した。
こんな世界だから、もしかしたら? とアタシが思っていたまんまの姿だった。
毛むくじゃらで、少し丸めの男?
いや、オスというべきか。
アタシの目の前には、ニコヤカな笑顔の熊がいた。
森だから熊?
アタシの頭の中で『あるーひ、もりのなかー』という童謡が流れてきた。
このあたりをしっかりと覚えてるあたり、アタシの記憶は全て消えたわけじゃないみたいだ。
「あの? どうかしました?」
アタシの意識がここに無いのを気遣ってか、熊の駅員さんは尋ねてきた。
「あっ、いえ。えーっと、門を探しているんですが……」
「門ですね。それでしたら、駅を出て正面にある道を奥に行った所にありますよ」
アタシとエドは熊の駅員にお礼を言ってその場を離れた。
「この森を奥にですか……」
駅を降りるとすぐに森になっていた。
今までアタシは本物の森を見たことが無かったのか意外と暗い印象を受けた。
地下鉄の薄暗さに似ているような気がする。
ただ、地下鉄と違うのは緑色が心地いいところだ。
奥へと進んでいくと、だんだんと日の光が薄れ少し涼しげな気持ちになる。
そんな中を、道に沿って歩いていくと、道の真ん中で長い髪を広げながら、ごろんと寝てる女の人がいた。
怪我でもしているのだろうか?
¢大丈夫ですか?」
アタシが声をかけると、女の人はパチリと目を開けてアタシを見た。
そして
「ただ寝てるだけー」
と一言言った。
ただ寝てるだけって……
アタシがそう思って、じっと見ていると
「気持ち良いから、寝てるだけー。なんていうかこのまま、ゆっくりしてても良いかなと思ってー」
消えいりそうな小さな声で言った。
もしかしてと思い彼女の周りを見たが、やはり誰もいなかった。
「案内人さんは?」
何か思う事があるのか、彼女はゆっくりと目を閉じ、
「いないよー」
と、小さな声で言った。
この人も始まりの門で出会った人と同じなんだ。
案内人無しで旅してるんだろうな。
「それじゃあ、一人なんですか?」
「うーんそうですねー。基本的に一人です。お客さんを相手にする時くらいかなー一人じゃないのって」
彼女は、上半身を起こしてアタシを見上げる。
「お客さんですか。接客業って、なんか大変そうですね」
アタシも生きていた時は、何か仕事をしていたのだろうか?
「まあ、そうなんだけど、こんな野山にいる限りでは、たまに来るお客さんとのコミュニケーションが結構楽しいんですよー」
なるほど、この人は、ここで仕事してるんだ。
「お客さんとのコミュニケーションですか? 難しくないですか?」
「結構難しかなー。でも、そんな事あんまり考えたこと無いですー。もともとそういうことをするために、生まれてきたようなものですからー」
接客業をする為に生まれたって……?
「もともと、そいう事をするために生まれたっていうのは、どういうこと?」
あれ? 何かおかしい、この世界で接客業?
確か、この世界で生きれる時間て決まってなかった?
この人は、なんでこの世界で仕事を持ってるんだろう?
「この世界ができたときからず―――っと門番やってるからですー」
アタシは言葉を失った。
ここで彼女に気がつかなかったら、門の中へ入れたのだろうか?
考えるだけてで、怖くなってきた。
「貴方がここの門番さんですか?」
「ええ、私が門番ですー」
女は首を傾げ、一瞬の間を置いて何かに気がついたように口を開く。
「あっ、もしかしてお客さん?」
「え? あっ、はい。多分お客さんだと思います」
アタシの横でエドが口元を押さえながら笑っていた。
「えっと、それで、この奥にあるって言う門に行きたいんですが……」
アタシは頭をかきながら門番さんに向かって言った。
「えっと、それでは、私の後をついてきてくださいねー」
女の門番さんは、お尻と背中を軽くはたいて立ち上がる。
「それじゃ、門に着くまで雑談でもしましょうか?」
「えっ? あっ、ハイ」
アタシは、マイペースな門番さんの提案に乗った。
そしてアタシ達は、横にならんで歩いていく。
「何か、質問とかあるかな?」
「うーん、そうですねえ」
「この世界がどうやってできたのか……とか」
電車から見えた色々な景色がどうやってできたのか、興味があったので聞いてみた。
何が元であんな不思議な景色になったのだろう?
「うーん。私も噂程度でしか知らないんだけど、人が自分で自分の心を壊し始めてからとか言ってたなあ」
人が自分で自分の心を壊し始めてから?
そう思った瞬間、急に胸に痛みを感じた。
「どうかした?」
隣りで跳ねながら歩いていたエドが、心配そうにアタシを見る。
「ううん。何でもないよ」
エドが声を掛けて来た頃には、胸の痛みはひいていた。
何だろうこの痛さ……
「そう?ならいいんだけど……」
エドは安心したように微笑むと門番さんのほうを向いた。
「ボクが聞いた限りでは、人が元の世界に戻りたいからだってて話だったよ」
どっちが真実なんだろう。
「私は、門番一筋生きてきたから、えーっと君の……」
門番さんがエドを指差し、
「エドです」
と、エドが自己紹介をした。
「エド君の言ってる事が正しいのかもねー」
そういえば、アタシもまだ自己紹介してないな。
「自己紹介まだしてませんでしたね。アタシの名前は幸です。しばらくの間お世話になります」
門番さんに軽く会釈をした。
「よろしく、頑張って下さいねー」
その後、どんな客がいたとか、どんな生活をしてるとか、なんで駅員さんは熊なのかとか、なんかについて軽く雑談をし目的の門へと到着した。
その門は、始まりの門ほど大きいわけでもないが、十メートルを超える巨大な門だった。
やっぱり、シンボルは大きくないといけないらしい。
特徴的だったのは、二本の大きな木と、太めの蔓を編みこんで作った門扉を使ってできていた所だ。
門を森に調和させる事が狙いなのだろう。
「それじゃあ準備してくるね」
そういうと門番さんは倒木で出来た受付へと歩いて行く。
門番さんが向かった受付には、男女数人がイライラしながら待っていた。
きっと、門が開くのを待っているのだろう。
「あっ、道で倒れてた人だ!」
「あれが門番なの?」
「早くしてよ! 残り時間が無くなっちゃう!」
とか、様々な声が聞こえる。
門番さんは、その横をさも当たり前のように歩いて行く。
「それでは、優しさの門の受付をはじめます。皆さん順番に並んで下さいね」
彼女の声は、さっき話していた時とは比べものにならないくらい大きく勢いのあるものになっていた。
その声を聞いてなのか、門番さんが来たことに安心してなのか、待っていた人達の声は次第に小さくなっていく。
森の小さな音が鳴り響く中、門の前で待っていた人は次第に減っていった。
そしてアタシの番になる。
アタシは順番を待っている間、門番さんに対する疑問とも、怒りとも言えない感情を必死に整理していた。
「次の方どうぞ……あ、幸ちゃん」
「あの? どうして、仕事を放棄してまであそこで寝てたんですか?」
門番さんに、質問をする。
「うーん。それはやさしい気持ちに触れたいからかなー?」
最初に会った時と同じくらい静かな声で答えた。
「やさしい気持ちに?」
門番さんは軽く微笑んだ。
「なんていうのかな、この門に来る人は時間に急かされて、他の何にも、誰にも目をくれずに突き進んで来るんですー」
柔らかい眼差しの中にはどこか疲れたものを感じさせる。
「そんな人を見てて、もう少しギスギスしてなくて、優しさを持ってる人がいないかなって思ってあそこで待ってたわけですー」
「それって! それで仕事放棄なんて自分勝手じゃないですか!」
アタシが怒鳴った後、沈黙が世界を覆った。
「元の世界に戻る人が、優しさを持ってる人だけだといいなって思いませんか?」
「それで、私はその優しさを持ってる人が来るまで、そこでふて寝してたって訳です」
確かにギスギスした人が居ないほうが良いとは思うけど、何か違ってるような気がする。何だろ……この違和感。
「実際には、幸ちゃんが通り過ぎたら、仕事に戻ろうかな、とは思ってたけどねー」
本当とも冗談とも取れる顔で彼女は言った。
「それじゃ、お仕事に戻ってもいいですか? カードをお願いします」
アタシは、ポケットの中からカードを取り出し門番さんに渡した。
それを受け取ると、門番さんは後ろにある機械のまで下がる。
そして手に持ったカードを機械の中へと入れた。
門番さんが機械のボタンを押すと、機械から、地図が出てくる。
その地図が印刷されている間に機械からカードが出てきた。
門番さんは、カードと印刷し終えた地図を手に取るとアタシに渡してくれた。
「えーっと、幸ちゃんは、ここね」
「はい」
そう返事をする。
そう言えば、乗り物はどこなんだろう?
辺りをキョロキョロと見まわした。
「ここは、始まりの門みたいに大きな場所じゃないから、乗り物無しでも場所がわかると思うよ」
門番さんは微笑みながら教えてくれた。
アタシは頭を掻きながら、アタシの門を探しに歩いていった。
鬱蒼と茂る森が、幾重にも並んだ門を、一層お墓のように見せる。
なんとも不気味な光景だ。
その中を歩きながら、アタシはエドに聞いてみた。
「エド、さっきの話違和感とか感じなかった?」
「さっきの話?」
「うん。優しさを持ってる人だけ現実世界に戻ればいいなって話」
エドはどうして? と言いたいのか首をかしげる。
「そうかなあ? そのほうが、元の世界も優しさで溢れるような気がするな」
「うーん。それは、そうなんだけど」
何だろうな、この違和感。
まあ、考えたって仕方ないか。
とりあえず、今は門へ向かおう。
アタシは、門へと向かった。
地図を見ながら、しばらく歩いた後目的の門の前へと着いた。
門は始まりの門と、ほとんど同じ形をしているが、表側のマークは違っていた。
ハート型だ。
「なるほど、優しさの門だからハート型なんだ」
カギ束をポケットから取り出しハートの装飾のしてあるカギを探す
そして、その穴へカギを入れる。
カチャという音と共にカギが開いた。
アタシは門をゆっくりと引く。
そして、エドの方を向いて軽く手を振った。
「行ってくるね!」
エドもそれに答えて手を振ってくれた。
その時エドの姿が薄れた。
「あれ?」
そう思った直後アタシの体は、その中へと吸い込まれた。
そこは始まりの門の中と同じで暗闇だった。
向いている方向すら分からない。
アタシをしっかりと持つんだ。
そうすれば、始まりの門の時みたいに光へ近づけるはず!
しばらく前進すると奥から、いくつかの柔らかい光が見える。
見つけた。この光に近づけばいいんだ。
そのひとつへと、近寄る。
夕焼けの中から手を繋いでる親子が見えた。
お父さんとお母さんだ。
父親と母親の間に挟まっている子供は、両親の手を握ってブランコのようにゆれている。
三人共楽しそうに笑っていた。
懐かしい、よく三人で買い物したな。
隣の光へと近寄ってみる。
道路でかくれんぼをしている女の子がいる。
辺りを必死に探しているが誰も見つけられなくて悲しそうだ。
その姿を電柱の影から見ている男の子がいた。
男の子はわざと電柱から背中だけ、はみ出すように隠れる。
女の子は男の子を見つけると大喜びをしていた。
こんな事があったんだ。
アタシはそんなこと知らずに、アタシの力だけで見つけたと思ってた。
隣の光を覗く。
デパートでアタシが座り込んで泣いていた。
何で泣いていたんだろう?
その正面にいる父親が叱りつけている。
何かしちゃいけない事やったのかな?
そうだ、確かお店のものを盗んで怒られたんだ。
お父さんには悪い事したな。
他にも幾つかの光を覗いた。
どれもアタシは誰かに助けてもらったり、優しさを教えてもらったりしている。
その全てを確認した後、光は急速にしぼんだ。
まぶしい……
真っ暗な世界から急に飛び出したせいか、夏の太陽を思わせる光が、アタシの視力を奪っていた。
次第に光に目が慣れ、情景が広がる。
「ただいま」
そこは、門のあった森だった。
「おかえり!」
アタシの前には、アタシが門に入った時とほぼ同じ位置でエドが立っていた。
「分かったよ。何で違和感を感じてたのか……」
エドは、アタシをまじまじと見る。
「さっき話していた門番さんとの会話?」
「うん」
「で、どんな理由だったの?」
エドは、ポケットからメモ帳を取り出す。
「うーん。ちょっとまってね。まだ頭の中でちゃんと整理できていないから」
「門番さんの所でちゃんと言うよ」
そう言うと、エドは残念そうにメモ帖をポケットにしまった。
「そう言えばエド! アタシが門に入る前に、一瞬体が透けてなかった?」
エドは、自分自身を指差すと
「なんで、ボクが消えるの?」
と呟いた。
さっきのは錯覚だったのだろうか?
それとも、門の中へ入る時におこる現象なんだろうか?
うーん。
それはそうとして、門番さんに言おうとしてる事をまとめないと。
そう思うとアタシは入り口へと走り出した。
「お帰りなさいー」
門番さんは、アタシの姿を見るとニコヤカに迎えてくれた。
「どうですか? 記憶のほうは何か戻られましたかー?」
「ええ、幾らかは戻ったみたいです」
「それは、良かったですー」
門番さんは、優しく微笑んでくれた。
「それは置いといて、ひとつ良いですか?」
「はい」
と返事をした後、門番さんは長い髪をかきあげると真剣な目でアタシを見た。
「気になってたんですよ、さっきの話」
門番さんは軽くうなずく。
「門番さんは、先ほど『もう少しギスギスしてなくて、優しさを持ってる人がいないかなって思ってあそこで待ってたわけですー』って言ってましたよね」
「ええ、そう言いました」
話した内容を思い出すかのように視線を中空に泳がせる。
「門に入る前からずっとその事に対して違和感があったんですよ!」
「それで門の中へ入って気付きました!」
「何に気付いたのですか?」
話に興味を持ったのか、彼女は食い入るようにアタシを見た。
「ギスギスした人が全員、優しさを持っていないわけじゃないんですよ」
アタシは、門の中で見たものを思い出しながら話した。
「門の中の光の中で女の子がいました。多分それはアタシです」
「はい」
門番さんはうなずいた。
「ある光では、アタシは盗みをやって、父親に怒られて泣いていました」
「でも違う光では、お父さんと仲良く手を繋いでました」
「ええ、それで?」
「父親はアタシが、盗みといういけない事をしたから怒ったんでしょう」
アタシは一呼吸置いて静かに言った。
「怒ってギスギスしてたお父さん、優しく手を繋いでくれたお父さん」
「両方ともアタシのお父さんの優しさです」
「この二つを見て思ったんです。いろんな、優しさがあるんだなって……」
門番さんは相槌を打った。
「この門では、優しさを取り扱ってるんですよね?」
「それなら、何で彼らがギスギスしてるのか考えてあげれないんですか?」
アタシだって来る順番が変われば、どうしようもないくらいギスギスしていたかもしれない。
「彼らは、必死で自分の愛する人や愛してくれた人達の元へ戻ろうとしてるかもしれないんですよ!」
アタシも、もう一度家族に会いたい。手を繋ぎたい。
「残り時間が無くて、だから時間に追われてギスギスしているのに!」
「それも優しさじゃないんですか?」
門番さんはアタシの言葉を真剣に聞いてくれていた。
「彼ら……いや、アタシ達に与えられた時間は限られています」
「なのになのに……」
いつの間にか涙が出ていた。
門番さんはアタシをぎゅっと抱き寄せてくれた。
このまま泣きたい。
でも最後まで言わないと……。
「そんな必死に戻ろうとしてる彼らの時間を奪うような事ができるんですか!」
門番さんはアタシをギュッと抱きしめると、頭をゆっくりと撫でてくれる。
気持ち良い……。
「幸ちゃんって、本当にやさしい子ですね」
門番さんは、アタシの髪を撫でながら言った。
「長いこと、この門で番人をしてたからかなー」
「皆同じように見えて、ギスギスした部分しか見えなくなってきて」
「それを見てて、何度か応援をしようとして、」
「ほとんどの人が、『ありがとうこれは自分の事だから気にしないで』って言ってくれて」
門番さんの抱きしめる力が少し強くなった。
「必要とされない自分がいて、なんかやる気が無くなって」
「でもそんな事にも慣れて来て、だんだん相手の事なんてどうでも良くなって」
「大丈夫!」
アタシは、涙を指でぬぐいながら声をあげた。
「皆ここに来る人は門番さんが必要だと思ってます。門番さんがいないと、どうやって自分の場所を探したら良いかわかんないですし」
「それに、安心できません」
門番さんはあたしをじっと見た。
「ありがとう」
アタシが泣き止むまでの間、門番さんは優しく頭を撫でてくれた。
門番さんが口を開いた。
「さあ、そろそろ幸ちゃん達も次の門へ向かわないとー。これ以上幸ちゃんの時間を無駄に使いたくないからねー」
「それじゃあ」
アタシと、門番さんは微笑みながら手を振った。