勇気を貰って
いつになく沈んだ気持ちで、ロズは『ひだまりの丘』に向かっていた。
今日も雨。レインコートから雨が滴って、ロズの頬を濡らした。
お店の扉を開けると、カランコロンとベルが鳴る。リボン付きの、少し滑稽な木の鳥で飾られたベル。
ロズはレインコートを脱ぎ、傍らのハンガーに引っかける。鞄からハンカチを取り出す。お気に入りのハンカチはお嬢様にあげてしまったんだった。いつもと違うハンカチで雨粒を拭いているうちに、また泣きたくなる。
「いらっしゃい」
ミールの優しい声に、ロズはとうとう堪えきれなくなった。
席につくなり、手で顔を覆って泣き出してしまう。
「おや……」
ミールが困っているのはわかる。けれど、ロズはくぐもった泣き声を止めることができなかった。
カタリ、と物音がして、少しの時間の後。
優しく背中を撫でられる。
驚いて顔を上げると、ミールが隣に座っていた。微笑みを浮かべて、何度も背中をさすってくれる。
いつも、このお店に来れば、ミールはカウンターの奥のマスターだった。
けれど今、こうして隣に座ってくれている。お客とご主人ではない距離で、変わらない笑顔を向けてくれている。
それが嬉しくて……ロズはまた熱い涙を流した。
「お嬢様の、結婚式が、終わりました」
しゃくりあげながら言う。
「あたしはもうシャウラさんに会えません。会いに行く勇気がありません」
ミールは優しい顔で頷きながら、黙って聞いてくれている。
「もし、この気持ちが、恋なら……好きと伝えなければいけなかったんです。でも、言えなかった……わからなかったから。本当に、これは恋なのか……」
だって、ミールへの初恋は、いつしか友情に変わってしまったから。シャウラへの気持ちも、同じではないかと思ったのだ。
けれど、違った。
恋は、ふわふわしていて楽しいものだと思っていた。それが、こんなに胸の奥が苦しくなるものなのだったのか、と、ロズは初めて知ったのである。
ミールはそっとロズの髪の毛をかきあげた。優しく、優しく問いかけてくる。
「シャウラさんに会いたいですか?」
「……はい」
「シャウラさんに伝えたいことがありますか?」
「……はい」
ミールはにっこりする。
「シャウラさんが、好きですか?」
「……はい」
言ってしまった途端、ロズの胸にあたたかい気持ちが広がった。冷えた体に熱い紅茶を流し込んだみたいに、ぽかぽかしてくる。
シャウラが好きだ。
優しいところが好きだ。お仕事になると冷静で、きびきびしているところが好きだ。おしゃべりしていると楽しくて、笑顔が可愛らしいところが好きだ。
シャウラのことが、大好きなのだ。
ミールは満足そうに頷いた。
「ロズさんが望むようになさい」
「だけど……失礼じゃないでしょうか?あたしは身分も低いし……」
「相手の身分に怯むような方は、ロズさんには相応しくありません」
きっぱりと言ってくれたその言葉が、どれほどロズを勇気付けただろう。
「あなたの好きなひとを信じなさい」
ロズはそっと涙を拭う。
「ミールさん……ありがとうございます」
ミールは微笑んで、固くロズの手を握ってくれた。
そして、カウンターの奥に入り、ミールは喫茶店のマスターに戻る。
「さあ、紅茶を差し上げましょう。ロズさんに元気と勇気が出るように」
ロズは涙で濡れたほっぺたを、へへ、と緩ませる。
「お砂糖をたくさん入れてくださいね」
本当は、元気と勇気はミールがくれた。
もう大丈夫だ。