伝える気持ち
今日はお嬢様と御息子の結婚式。
披露宴は伯爵家のホールで行われる。そこから大通りをパレードして、相手方のお屋敷に移るのだ。
お屋敷はとても忙しかった。
ロズも朝からあちこちに駆り出された。式場の準備からお料理の盛り付け。それが終わればお皿をテーブルに並べ、新しいワインとシャンパンを酒蔵に取りに行く。
ぱたぱたと動き回るロズを、掴まえたのはお嬢様だった。
真っ白なウェディングドレスに身を包み、よそゆきの化粧をしたお嬢様は、とても綺麗だった。
「お嬢様!! まあ、なんて素敵」
「ロズ。どうしましょう。私緊張しているのよ」
お嬢様は、そわそわと辺りを見回し、落ち着かない様子だった。
お嬢様のお付きでいられるのも、今日までなんだ……そんな思いがわき起こる。ロズは寂しくなって、しみじみとお嬢様を見つめた。
お嬢様はお嫁に行く。新しい生活を始める。どうか幸せになってほしい。
「お嬢様、紅茶はいかがですか?」
「紅茶?」
「お砂糖をたくさん入れましょう。あたたかくて甘いものは、心を安らげますわ」
実はこれは、ミールの受け売りである。
台所からポットとカップと茶葉を拝借し、ロズはお嬢様のために紅茶を淹れる。料理は苦手だけれど、ミールの所作をいつも見ているのだ。紅茶やコーヒーに関しては、ロズにも少し自信があった。
お嬢様のお部屋で、ふたりだけの小さなお茶会をひらく。本当はすぐにも仕事に戻らなければならないのだが、ここに流れる時間はゆったりしたものにしたかった。心のゆとりが、最高の調味料なのだから。
角砂糖をみっつ、カップに入れる。
お嬢様はゆっくり紅茶を飲み、ほっと息をついた。
「……美味しい」
「よかったですー」
にへへ、と笑うロズを見て、お嬢様は苦笑する。
「あなたの呑気な顔ともこれでお別れだと思うと、寂しいものね」
「あたしも寂しいです。その、お嬢様……お幸せに」
「何よ……」
お嬢様の目から、ほろりと涙がこぼれる。ロズは驚いた。あわててハンカチを差し出す。
「お、お嬢様。いけません、式がありますのに。お化粧が」
「大丈夫よ。少し涙ぐんだだけじゃない」
お嬢様は冷静に、ハンカチで涙を吸いとる。
「私は幸せになりに行くの」
いつもと変わらない声でそう言いながらも、お嬢様の目からは次々に涙がこぼれてくる。
いつしか、ロズも泣いていた。
「お幸せに……お嬢様、お幸せに」
大好きなご主人様。このひとに仕えられて、本当によかった。同じ街で暮らすのだ、一生の別れではない……そう自分に言い聞かせても、寂しさは拭いきれない。
それでも、何よりおめでたい日を飾ってあげたくて。ロズは涙を流しながらも笑った。それを見て、お嬢様がぷっと吹き出す。
「……何よ、ぶさいくね」
「へへへ。お嬢様も」
ふたりは声をあげて笑う。涙に滲む視界は、紅茶の香りに優しく包まれていた。
結婚式は順調に行われていった。あんなに泣いてすっきりしたのだろう。お嬢様は夫の側で嬉しそうだったし、ロズもほっとして仕事に集中していた。
お客さまはたくさん。飲み物を勧めたり、お料理の補充をしたり、てんてこまいの大忙しだ。
サンドイッチの大皿を持って人々の間を縫っていると、ご婦人のひとりがロズに気づかず動いた拍子にぶつかってしまった。よろけたロズはお皿を投げ出しかける。まずい、と思った瞬間、誰かがそれをひょいと奪い取った。ついでにロズの腕を掴んで助けてくれる。
見上げるとそこには、シャウラの顔があった。ロズの心臓が跳ね上がる。
「シャウラさま、いらしてたんですか?」
「ええ。こんにちは、ロズさん」
よいしょ、と立たせてもらって、ロズはあわててお礼を言う。
もう会えないかと思っていたのに。嬉しくて、どきどきと鼓動が高鳴る。
「使用人は皆駆り出されております。お手伝いしましょう」
シャウラは奪ったサンドイッチを、そのままテーブルに運んでくれた。
「そんな、シャウラさま、いけません。あたしの仕事ですのに」
「途中で手を出した責任がありますので」
「まあ……ありがとうございます」
ロズは、口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じる。訊いてみようか、やめようか。
お嬢様が結婚すれば、ロズは御息子宛のお使いをすることがなくなる。シャウラと会うこともなくなる。それを寂しく思うのは、ロズだけなのだろうか?
「ご令嬢がこちらの屋敷にいらしたら、あなたはどうなさるんです?」
先に口を開いたのはシャウラだった。
「……元に戻ります。侍女として、このお屋敷に仕えますわ」
「お付きとして、共に来てはくれないのですか」
シャウラは驚いたようだった。ロズは顔を曇らせて、
「もうそちらを訪ねることもなくなります」
「……それは、寂しいですね」
今度はロズが驚く番だった。
「お使いに来たあなたと、暖炉の前でお話しするのは、私の楽しみだったのですが」
ロズはあわてて口を開く。伝えたい、自分もそうだと。シャウラも同じ気持ちでいてくれて、とても嬉しいと。今すぐ伝えたい。
けれど上手く言葉が出てきてくれなくて。
シャウラは続ける。
「雨の日、あなたは黄色いレインコートと長靴を身につけていらっしゃった。晴れの日よりもいきいきとしていましたね。雨が好きなんだろうと思っていたんですが、当たっていますか?」
いつものおしゃべりと同じ調子で、シャウラは尋ねる。ロズは頷いた。
「今日はいい天気ですね。パレードにはちょうどいいですが、あなたが雨が好きなら、それもよかったかもしれません」
「……晴れが嫌いなわけではないんですの。結婚式の日は、やっぱりお天気の方が相応しいです」
「確かに、今日の町の霧は綺麗だ」
青空の下、今日の霧は、まるで雲のじゅうたんみたいだった。結婚のパレードにはぴったりの天候だ。
結婚式が終われば、もうシャウラに会えない。
会いに行けない距離ではない。互いのお屋敷は近いのだから。
けれど、ロズはきっともう訪れることはしない。
だから、今日が最後なのだ。
「あの、シャウラさま……」
この気持ちが恋ならば、伝えなければ。
「あたしも、シャウラさまとお話しする時間、すごく楽しかったんです。大切な時間でした。もう会えないのが、寂しいです」
これは、本当の気持ち。けれど、もっと伝えるべきことがある。
「あの、ですから……」
ロズは、微笑んだ。
「どうかお元気で」
心の奥が、すっと冷めていく。
違う。言いたかったのはこんなことではない。
「……仕事がありますので、失礼しますね」
泣き出したい気持ちを隠しながら、ロズはシャウラに背を向けた。