恋の自覚
お嬢様と御息子の結婚の準備は、着々と進んでいた。
旦那様は披露宴のための馬車を予約なさったし、一流の仕立て屋がウエディングドレスの採寸にやって来る。
至って順調。なのにお嬢様の顔色は、日に日に悪くなっていく。ロズが心配して声をかけても、何でもないのと顔を背けてしまう。
このことを、ロズはミールに相談した。
「お嬢様は、結婚が楽しみではないようなんです」
ミールは穏やかに、
「ご令嬢は、相手方に嫁入りするのでしょう?」
「はい」
「結婚とは難しいものなんですよ。いくら好き同士でも。ご令嬢には今までの生活があった。そこからまったく知らない世界へ踏み出すわけですから、不安で当然です」
ロズは驚いた。結婚とは、幸せに溢れたものであるとだけ思っていたから。
「家族と離れ、頼れるのは夫となる御息子だけ。その御息子のことも、すべてを知っているわけではない。ご令嬢も、いろいろと思うことがあるのでしょうね」
「あたし、結婚って、お互いが好きであればそれでいいと思ってました」
「もちろんそれが一番必要なことです。しかし、それだけではない」
神妙な面持ちになってしまうロズを、ミールは安心させるように微笑んだ。
「けれど結婚は素敵なものですよ。愛するひとと結ばれるのですから。ご令嬢も、今は不安であって大丈夫。いずれが幸せであればよいのです」
「……うん。そうですよね」
お嬢様は御息子といるとき、本当に幸せそうだった。だからきっと、大丈夫。
ロズの心を沈めるのは、他にも要因があった。
お嬢様が嫁いでしまったら、ロズはただの侍女に戻る。相手方の家とは、何の関係もなくなる。
もう手紙を届けることもない。シャウラに会うことも、なくなってしまう。
ロズが訪れると、シャウラは優しく笑って、暖炉の前に通してくれた。御息子がお嬢様への返事を書く間の、シャウラとのおしゃべりの時間。いつしかそれは、『ひだまりの丘』でミールと交わす会話のように、ロズの中でかけがえのないものとなっていた。
シャウラは身分も立派な執事で、ロズは田舎から出てきたしたっぱの侍女。ただ彼が優しいから、善意で付き合ってくれているのかもしれない、と、時々思うこともあった。
けれど、楽しいのだ。世間知らずのロズに、シャウラはいろいろ教えてくれる。暖炉の前での、穏やかな会話は、ロズにとってとても楽しいものなのだ。
シャウラはミールに似ていると思っていた。けれど、全然違うとも思った。
シャウラは笑うとき、どこか照れくさそうにする。くしゃりと顔を歪めるのは慣れていないみたいだ。お屋敷の召使いに用事を頼むときの声は、きびきびとしている。冷静なひとなのだろう。時折見せる真剣な顔は、どこか冷たささえ感じさせた。
あれ?と、ロズは頬をおさえて思い出すのをやめる。
頬はどんどん熱くなる。
ロズはあわてて、ミールにすがるような視線を向ける。
「マスター、どうしましょう」
ミールは首をかしげる。
「お嬢様が結婚したら、あたしはシャウラさんにもう会えません。それは、とっても寂しいんです」
頬が火照るのを止められない。
「あたし、シャウラさんとお話するのが楽しいんです。マスターとお話するのと同じくらい楽しいんです。でもマスターといるときと、シャウラさんといるときの楽しさは違うんです。マスターといると、とっても落ち着くけど……シャウラさんといると、なんだかどきどきします。けど不快じゃないんです。むしろ嬉しいんです。だから、えっと……もっとおしゃべりしたくて……でも、だから、それができなくなっちゃうのが、とても嫌で……」
スッと目の前に紅茶が差し出される。
ミールが、心から嬉しそうに微笑んでいた。
「ロズさんは、シャウラさんが大好きなんですね」
ロズは口をぱくぱくさせる。震える手でカップを手に取り、ぐっと紅茶を飲み干す。
ミールは変わらない笑顔を向けている。ロズは椅子に沈みこみ、俯いた。
「そう、なんでしょうか」
正直、よくわからない。
ミールは笑った。
「いずれわかりますよ。さ、もう1杯いかがですかな?」
「いただきます」
美味しい紅茶に口をつけながら、ロズは考えてみる。この気持ちは、恋なのだろうか。
恋だとしたら……。
ああ、どんな顔をしていればいいのだろう。