胸の高鳴り
ロズは時折シャウラと顔を合わすことになった。
伯爵家と相手方の家は近いので、お嬢様が御息子に宛てたお手紙は駒使いが届けることとなっている。そのお役目を、ロズが承ることになったのだ。
「あなたなら信用できるわ」
と、お嬢様が任命してくれたのである。
そして、伯爵家に赴けば出迎えるのは執事であるシャウラ。自然に顔馴染みとなったふたりは、言葉を交わす量も増えていった。御息子からのお返事を待つ間、ロズはシャウラとおしゃべりを楽しむのだ。
なんてことはない話だ。どこの出身なのか、いつからお屋敷で働いているのか。世間話だったりもする。ロズが話せることといえば、『ひだまりの丘』でのことだけだ。シャウラは、ひっそりと営まれる小さな喫茶店に、興味を持ってくれた。
ロズはミールに、ダンスパーティでの出来事と合わせて、このシャウラの話をした。お嬢様の婚約者の執事さんで、とてもよいひとだということ。ミールに似ているということ。
ミールはいつも通り、にこにこしながら聞いてくれた。
「マスターみたいな仕草をするんですよ。しなやかで、綺麗に動くんです」
「おや、それは遠回しに私を褒めてくれているんですか?」
ロズは赤くなる。
「マスターは殿堂入りです。特別なんです」
「嬉しいことを言ってくれますね」
ミールはティラミスと、紅茶のおかわりを用意してくれる。
「ロズさんにもよい出会いがあったようですね」
「そ、そんなのじゃないです!! 一緒にいると楽しいなって、それだけで……」
あわてて紅茶にむせたりするロズを見て、ミールは笑う。
ロズは真っ赤になった。シャウラといると楽しい。けれどそれはミールといて楽しいのと同じことで……その、恋とかでは……ない。そう思うのだけれど。
シャウラの方から訪ねてくることはなかった。執事なのだから当たり前だ。だけどそれは、ロズがお嬢様からお使いを頼まれたときにしか会えないということ。考えてみれば、寂しい気がしなくもない。
「……わかりません、まだそんなの」
憧れに近い初恋しか経験したことがないのだ。どこからか恋なのか、ロズには線引きができない。
「少しずつ、わかっていきますよ。今は焦らなくてよろしい。ロズさんが店に来なくなったら寂しいですからね」
「あら、あたしは恋をしても、ここへ来ますよ。マスターとのおしゃべりは特別です。この時間、とっても好きです」
ロズの初恋のひとはミールだ。新しい恋を自覚しようと、それは変わらない。いつまでもミールは大切なひとで、素敵な友人だ。かけがえのないこの時間は、何物にも変えられないだろう。
外は今日も雨。
「マスターはお休みの日、何をするんですか?」
「早起きして、天気を確かめます。晴れなら喜んで、雨なら普段通りです」
「もう。そうじゃないです、予定を訊いてるんですよ」
「そうですね。日によって違いますが、次の休みには遠出してみましょうかね」
「お出掛けですか?お友だちのところとか」
「それもいいですが、ひとりで散歩するのもいいものですよ」
少し年寄りくさい趣味ですかね、とミールは笑う。ロズは首をふって否定した。
「マスター、日常を楽しむ術を知っているんですね」
「年の功ですよ」
「いえいえ。素敵ですー」
「ありがとうございます」
『ひだまりの丘』の中には、とても静かな空気が流れている。コーヒー豆のよい香りと、雨粒が窓にぶつかる微かな音。
「ロズさんは明日、何をして過ごすんですか?」
明日はお仕事。ロズは、侍女長から頼まれていた用事をひとつずつ思い出していく。
「お屋敷でお勤めです。お洗濯をして、お掃除をします。お嬢様の身の回りのお手伝いをして、お使いを引き受けます」
もしかしたら、また財閥のお屋敷に行くことになるかもしれない。胸がそっと高鳴る。
「明日もロズさんは、頑張り屋さんですね」
「えへへ……雇っていただいてるんですもん。ご恩返ししなくては」
ミールはにっこりした。この笑顔を、次の休日にも向けてほしいから。ロズは一生懸命、頑張ろうと思うのだ。