第4話
天正元年九月二十日――武田、上杉、北条の三国による上野進攻の前夜。
高札によって甲斐に集まった僧侶や陰陽師達は
武蔵にある猪俣城へと移動し、城の中で待機していた。
上杉軍は越後から、武田軍は信濃から、北条軍は武蔵から攻め込み、同時に進攻する事で三方から上野を囲い込む作戦である。
亡者は人間の臭いや気配を察知し、集まってくる。
それだけの大軍が一度に進攻すれば、間違いなく多くの亡者が人間の臭いに釣られて、大群を成しながら襲ってくるであろう。
それこそが、狙いである。
本願寺と風魔衆が率いる僧侶や陰陽師達は、その隙に北条軍の後方を迂回し、下野経由で手薄になった上野に入り込む。
東三国が亡者を引き付けている間に回りこみ、魔招門を封じてしまおうというのだ。
亡者の大群を引き受けた東三国は亡者を撃退しながら前進――周囲の小規模な魔招門を封じつつ、上野に入り込んだ本願寺や風魔衆の援護と、退路の確保を行う。
これは武田信玄が提案した作戦で、部隊の主力も武田軍になる。
周辺に憂いがなく攻め込む武田と違って、上杉は東北の、北条は関東からの亡者襲撃に備えて、防衛能力を大きく割く事はできないからだ。
本願寺と風魔衆は別働隊となり、敵陣奥深くへと密やかに侵入する。
それに追従する椿達にとっては非常に危険を伴う作戦である。
下手をすれば、亡者の蠢く土地に取り残され、全滅する可能性も考えられる。
しかし、巨大魔招門を無事に封印できれば、多くの土地を亡者の手から取り返す事ができる。
危険に見合った物は得られるわけだが――その成功率は魔招門の大きさによって変わってくる。
魔招門が巨大になればなるほど、強力な亡者が出現するからだ。
大した知能を持たない下級の亡者である餓鬼や鬼と違って、強力な亡者は知能を持っている。
厄介な事に、知能を持つ亡者は下級の亡者を従わせ、操る。
彼らの持つ知能は人間と何ら変わらない。いや――それ以上かもしれない。
知能を持つ亡者が相手に居た場合、通常の戦いより遥かに慎重に行わなければならない。
僧侶達からのそういった進言を無視し、亡者をただの化け物と侮った信長は、二度目の比叡山進攻で大いに苦戦し、多大な被害を生み出した。
信長が苦戦したもう一つの要因として、亡者は魔招門から溢れ出てくるが、当然の如く、魔招門が大きければ大きいほど一度に出てくる亡者の数は多い。
よって、正面からの力押しでは殲滅速度が間に合わず、結果、ジリ貧になる可能性が高い。
――今回の戦いには多くの人員と物資が注ぎ込まれている。
敗北は許されない。
この作戦が失敗した場合、土地を取り戻すどころか、さらに奪われるかもしれない。
焚き火の前に座った椿はそっと息を吐き、それから視線を巡らせた。
小高い山の山頂に築かれた猪俣城は小さく、規模はそれほど大きくない。
城というより物見砦に近い形状だった。
そのため、城内にはせいぜい、数百人程度が収容できるくらいで、本願寺が率いてきた僧兵と風魔衆は入りきれない為、城の外に作られた陣営で待機している。
椿が居るのは複数の曲輪で形成された城の一番北側、総曲輪に当たり、そこには三十人ほどの人影があった。
総曲輪に設置された幾つかの焚き火を数人ずつで囲む者達――
椿を含む彼らこそが、今回、高札によって集まった者達だ。
一見、少なく見えるが、本願寺の僧兵を入れれば、その数は膨大なものとなる。
ここに居るのはあくまで特定の主人を持たない――いわゆる在野の僧侶や陰陽師で、どこの大名にも属していない者達だった。こういった者達は一般的に野良法師、と呼ばれている。
他にも、名を上げる事を目的とした剣豪や、剣術師範とその弟子達などが参戦しているという話も聞いたが、ここには見当たらなかった。
「……よお、あんた随分と若いな。名前はなんて言うんだ?」
椿の隣に座っていた男が声をかけてくる。
闇の中、焚き火の明かりによってぼんやりと照らされた男の顔を椿は見る。
年齢は椿より一回り上くらいだろうか。少々、剣のある顔付きをしており、薄っすらと茶色掛かった頭髪が特徴的だった。
「……如月椿です」
「へぇ――聞いたことのない名前だな。俺は山名宗司だ。宗司って呼んでくれればいい。椿って言ったか? あんたの式神は随分と美人だな。俺の式神と交換して欲しいくらいだぜ」
山名宗司、と名乗った男は椿の隣に座る月見に視線を向けた。月見は別の方向を見ており、彼の言葉を聞いても、見向きもしなかった。
猫又はこの場に居ない。人の多い所が苦手な猫又は猪俣城周辺のどこかで、いつものように眠っている事だろう。
椿は苦笑しながら、口を開く。
「宗司さんも式神を連れてるんですか?」
「ん? ああ、俺の相棒は夜刀神っていうデカイ蛇でな。これが口うるさいんだわ――見た目の問題もあるから、普段は封印術で札の中に入れてるがな」
宗司は呟き、袈裟の中から封印術が施された札を取り出し、椿に見せてくる。
人外の姿を持つ式神は人々を無闇に驚かせないよう、通常は封印術を施され、札の中に封じられている。
この封印術は複雑で、解除して呼び出すまでにそれなりの時間を有する為、戦いになる前に呼び出しておく事が基本だ。
最も、月見のように人の姿になれる妖怪なら、引き連れていても騒がれない為、わざわざ封印術を施す必要はない。猫又は札の中を嫌がる為、よほどの事がない限り、椿は封印しないようにしている。
「しかし……結構、集まったもんだな。俺はもうちょい少ないかと思ってたんだが……。まあ、多いに越した事はないわな――で、お譲さんはあの男が気になるのか?」
宗司は耳たぶに触れながら言う。そして視線を椿から、再び月見に移した。
それに釣られて、椿も隣に座る月見を見る。
彼女は先程から、ある一点を凝視していた。
月見の視線の先――それは総曲輪の隅に向けられていた。そこには焚き火にも当たらずに、闇の中に佇む二つの人影がある。
月明かりで薄っすらとしか見えないが、男と女の二人組だ。男の方は鳥の形を模した仮面を身に付けていた。
宗司は月見の横顔を見据えながら、言った。
「あの男は宗園小角だな。有名な陰陽師だから、知ってるだろ?」
椿もその名前は聞いた事があった。
かなりの実力者で、陰陽師としての歴史も長い名門である。
どこにも属していない野良法師の中では、最も有名といってもいい。
「女の方は、式神の九尾か――あんな名門まで出てくるとは驚きだな。それに、ほら。あそこに座ってる男――」
宗司が指を向ける。
ここから少し離れた場所にある焚き火を彼は指しており、そこには数人ほどの者が焚き火を囲んでいる。彼はその中の一人、長槍を傍らに置いた禿頭の男を指差していた。
「あの男は益田円景。伊賀の僧侶だな。妖術だけでなく、槍の方もかなりの使い手って噂だ……。やれやれ、戦功を取られないように頑張らないとなぁ。大名が三人も参加している戦だ。こんな機会、そうそうないからな」
宗司は左耳の耳たぶを触りつつ、気楽そうに語る。
その落ち着いた様子から、彼がそれなりに多くの戦いを経験している事は判断できた。
ここに集まった者達は比較的、若い者が多く、そのほとんどが緊張した面持ちを浮かべていた。夜明けには大きな合戦が始まるのだ。それも仕方ない。
椿もその一人である。気持ちがそわそわとし、どうにも落ち着かない。
視線が定まらず、周囲を見てしまうのはそのせいか。
椿と同じような行動を取っている者も数人ほど居た。
「あんまり、きょろきょろしないの。みっともない」
そんな椿に、月見が言葉をかけてくる。
彼女はようやく小角から視線を外し、椿に顔を向けた。
その表情はどこか硬く、まだ小角達を気にしているような気配があった。
「……そんなに気になるの? あの二人」
「妖怪の性質ね。強い者を見ると血が騒ぐのよ」
「……そうなの?」
それは初めて聞く性質だったが、数日前、月見が信綱という男に拘った事をふと思い出す。
あのときも、月見は彼の事を鋭い目付きで見据えていた。
首を傾げた椿に、月見は口の端を歪め、意地の悪そうな笑みを見せる。
「さあ、どうかしら。私だけかもしれないわね」
「月見姉さんだけじゃないの? それ。猫又はそんな感じじゃないし……」
のんびりとした性格の猫又には似合わない性質だ。
月見の性格を鑑みれば、彼女が特別だと考えた方が自然だろう。
「へぇ。顔だけじゃなく、声も綺麗じゃないか。ますます羨ましいね。どうだい? さっきの提案、受けてみる気はないか?」
宗司はにやにやした笑いを浮かべて言った。
彼の手は左耳の耳たぶを触っている。どうやら、彼の癖らしい。
喋る時によく触れているのが目に付いた。
彼の言う提案とは、式神の交換の事だろう。契約の儀を行えば他人に式神を譲る事はできるが、契約の儀は式神である妖怪自身の意志が非常に重要である為、契約者だけの意志で変更する事はできない。
また、誇り高い妖怪は契約した者の一族以外に仕える事は滅多にない。
仕えた一族が滅びた場合、大半の妖怪は野に下り姿を消すか、死を共にする。
よって、宗司の提案は冗談だろう。彼の表情からも、それが窺い知れた。
月見は宗司の顔を見て、眉を寄せる。
「……誰?」
どうやら月見は完全に話を聞いていなかったらしい。
そう言われた宗司は鼻白み、椿は苦笑するしかなかった。
宗司は気をそがれた様子で、肩を竦めてみせる。
「別にいいさ、そういう邪険な扱いには慣れてる。もう一度、名乗らせてもらうが、俺の名前は山名宗司だ。よろしくな」
「……ああ、そう。よろしく」
どうでもよさげに月見はあしらう。
素っ気無い態度を見せる月見に対して、宗司は特に気にした様子はなかった。
彼が自身で述べたように、慣れているのか。
「……誰か来たわね」
月見が南側にある門の方を見ながら、呟く。
椿と宗司がそちらに目を向けると、門の向こうから、こちらに人影が近付いてくるのが見えた。南側の門は本曲輪へと続く門であり、そこから現れるという事は本願寺に所属する立場の偉い者だろう。
「全員、注目!」
門を潜って現れた人物はそう叫んだ。よく通る男の声だ。黒い甲冑に身を包んでおり、背中には一本の槍を背負っている。口髭を生やした、年配の男だった。
その声を聞いて、焚き火を囲んでいた者達は多少ざわつきながら、男が立つ門の方向へ顔を向けた。
門の前に立った男は全員の視線が集まった事を確認してから、声を張り上げる。
「これより――本願寺顕如様による作戦の確認が行われる。我々の動きが今回の合戦の成否を決める! 心して聞くように」
男はそう告げると、横に退く。
その男の後ろから、二つの人影が歩み出てきた。
一人は大柄の男で、金の刺繍が入った見るからに高そうな法衣を纏っていた。
頭を丸めており、その服装からも、彼が本願寺顕如である事はすぐに分かった。少し厳つい顔をした男だが、椿が想像していたよりも若く、体つきもがっしりとしていた。
もう一人は顕如の隣に立っているが、かなり小さい。
その人物の身長は顕如の半分もなく、恐らく椿よりも低いだろう。鬼にも負けず劣らずな巨躯をした顕如に対して、対照的な人物だった。
小柄な人物は全身を黒い装束で覆っており、顔すらも覆い隠している為、性別は分からない。背中に巨大な手裏剣を背負っているのが気になった。
「皆の者、今回はよく集まってくれた! 私が本願寺顕如だ」
椿の予想通り、豪華な法衣を纏った男――顕如がよく通る声で言った。
「そして、この者が風魔衆の長――風魔小太郎である」
顕如は隣に立つ小柄な人物の肩に手を置く。
小太郎はわずかに頭を下げた。言葉は、発しない。
「さて、今回の作戦について事前にある程度は話してあると思うが……。東三国は日の出と共に動き出し、亡者を引き付けつつ上野へと進攻を行う。その間、我々は下野を経由する事で亡者の背後を付き、目的である魔招門へと向かう事になる。封じるべき魔招門は巨大である為、場の歪みは酷く、小規模の魔招門が複数、開いている可能性は高い。よって、迅速な行動が求められるだろう」
顕如はゆっくりと頭を巡らせ、一呼吸置いてから言葉を続けた。
「そのため、上野到着後――戦力を二つに分け、分散。亡者の集まりと強襲を最小限に抑えつつ、目的の魔招門に少しでも早く到達し、素早く封印を施そうと考えている。何か意見のある者は?」
顕如の問いかけに、ざわめきが起こる。
その中で、真っ先に手を上げたのは宗司だった。
「ちょっといいか?」
宗司の口調は顕如相手でも変わらない。
「うむ」
顕如は小さく頷いた。
「なぜ、わざわざ戦力を二つに分けるんだ? 確かに、大勢でぞろぞろと進軍するのは亡者に襲撃される可能性が高い。だけど、分散するのはあまりにも危険じゃないか?」
それはこの場に居た誰もが気になった疑問だろう。
宗司の言葉を受けて、顕如は禿頭を軽く撫でた。
「この中に、信長の比叡山進行に参加した者は何人いる? もし居るなら手を挙げてもらえるか?」
再び起こる、ざわめき。
何人かが手を挙げたが、少数だ。ここに集まった大多数は比叡山進行に参加した事のない者達のようだった。宗司も、どうやら参加していなかったらしい。
それを見て、顕如は口を開く。
「あの戦いは酷い惨状であった。我々の助言に信長が素直に耳を傾けていれば、あれほどの被害は出なかったであろう。亡者の能力を甘く見て、正面からの力押しを選んだのは愚策としか言いようがない。そして、私は彼と同じ過ちを犯すつもりはない。部隊を分ける理由は二つ――まず、目的の魔招門までは山に囲まれた谷底を進む事になる。大軍での進軍は戦列が間延びし、亡者の襲撃による咄嗟の行動が取りづらい」
顕如は宗司に鋭い視線を向けた。
「そして、もう一つ。目的の魔招門は大きく、一度に溢れ出る亡者の数は数十……いや、数百に及ぶだろう。正面からの力押しでは限界がある。こと亡者との戦いに置いて、最も優先すべきは亡者の供給源である魔招門の封印だ。それは、お主達が一番よく理解しているはず。よって、二つに分けた部隊による北と南からの挟撃。これによって魔招門周辺に群がる亡者を分散させ、少しでも早く、魔招門到達を目指す。なお、山を取り囲んでの包囲戦は不可能だ。魔招門が存在する山は、今は亡き長野業正の手によって築かれた砦跡にあり、東西は侵略対策に急斜面に加工されている。人が入れる状態にない」
顕如の視線と言葉を受けて、宗司は肩を竦めて押し黙った。
「……他に、何か意見のある者は?」
静寂が訪れる。燃え盛る焚き火の中で、薪の弾ける音だけが流れていた。
顕如が小さく息を吐く。それに合わせるように、一人の男の声が静寂を切り裂いた。
「――戦力の分け方は?」
低く、それでいてよく響く重低音な声色は、宗園小角のものだった。
彼は相変わらず隅の方で闇に紛れるようにして立ち尽くしている。
「……うむ。それは既に考えている。我々や風魔衆はもちろんのこと、皆の者に関しても各々の名声を元に均等に分けたつもりだ。戦力の偏りは出るかもしれん。だが、そこは考慮してもらいたい。全員の事を一から全て把握している時間はないのでな」
再び静寂が訪れる。しかし、今度は誰も言葉を発しようとしなかった。
顕如もそれを察したのか、小さく頷き、傍らに控えた甲冑を着た男を一瞥する。
男は顕如に頷きを返し、一歩、前に歩み出る。
そして、懐から丸められた一枚の紙を取り出した。
「より迅速に行動する為、部隊分けの内容をここで発表しておく。これより名を読み上げるゆえ、自身が呼ばれたかどうか、しっかりと把握しておくように」
男はそう言ってから、紙を見ながら名を読み上げ始めた。
真っ先に呼ばれたのは小角だ。男は小角に続いて次々と名を読み上げていき、十人ほどの名を上げたところで一度、口を閉ざした。
椿の名は、呼ばれなかった。
「先ほど名を読み上げた者には上野到着後、風魔衆と共に魔招門が存在する山の南側へと回り込んでもらう。名を呼ばれなかった者は我々、本願寺と共に北側へと向かう」
どうやら、椿は本願寺の指揮下に入る事になったようだ。
「……一緒みたいだな」
宗司が小さく呟く。
彼も、名を呼ばれていなかった。
「これにて、説明を終える」
手にした紙を懐に戻しながら、男は言う。
それを見届けてから、顕如は声を張った。
「二の曲輪に眠れる場所を用意した。明日の合戦に備え、今夜はそこで各自ゆっくりと休んでくれ」
身を翻した顕如は小太郎と、甲冑を着た男を伴って門を潜り、城の奥へと姿を消した。
彼らが去っていった後、総曲輪はざわざわとした雰囲気に包まれた。
――俺は風魔側か。あの忍者どもは信用できるのか?
――戦力を分散させるなんて、正気かよ。
――だが、顕如の言う事も一理ある。確かに、魔招門を先に封じないと……。
――よし。あの小角と一緒か。それなら、死ぬ事はないな。
様々な言葉が飛び交い、これまでの静寂と打って変わって喧騒が起こる。
「二手に分かれるなんて、思い切った作戦を取ったものね」
「まったくだ。だが、顕如の言うように時間を掛けてる余裕はない。魔招門がある以上、雑魚を幾ら倒しても無駄だし、こちらの戦力が削られるだけ――強引な作戦ではあるが……。問題は、そう簡単に挟撃できるかどうかだが……それは今、気にしても仕方ない事だな。それに、自分達の力によほどの自信があるんだろう」
月見の呟きに、宗司が答える。
彼はさらに言葉を続けた。
「風魔側は人数が少なかったな。ま、あっちには小角が付くから、その分を差し引いたんだろう。それはつまり、俺達の力を信用してないって事だよなぁ。これはなんとしてでも、戦功を上げて見返してやらないとな」
宗司は椿の顔を見て、笑った。
屈託のない、気持ちのいい笑い方だ。
切れ長の双眸をしており、一見すると強面な彼だが、性格は見た目に反して人当たりが良く、表裏が無さそうだった。
「そうですね。できるだけ、頑張らないと……」
「できるだけ頑張る、じゃあ駄目よ、椿。こんな機会、滅多にないんだから、是が非でも活躍して名を売らないと」
月見がぴしゃりと言う。
それを聞いた宗司は耳たぶに触れながら笑みを浮かべた。
「考える事はやはり同じだな。あんた等も、いずれはどこぞの大名に仕官するつもりでいるのか?」
「仕官するかどうかは別として、このご時勢に名を売るのは当然でしょ」
月見は当然だとばかりに鼻を鳴らした。
如月家はかつて名のある一族だった。だが、八代目が権力者からの依頼を失敗してしまい、それ以降は没落していった。
椿を歴代最高の陰陽師に育てる――それは月見が以前に語った事だ。
その為には陰陽師としての実力はもちろんの事、かつての名声を取り戻す必要もある。
月見が如月家の名に拘る理由はそれだ。
「それもそうか……。名が売れれば生活も安泰だしな。俺も、早くあのボロ神社を修繕しないといけないんだが、先立つものがなくてな。地元の人間からも、ボロ神社って馬鹿にされるんだぜ? さすがに、このままじゃあな……」
宗司はきょろきょろと周りを見回しながら言った。
幾人かが立ち上がり、南側の門へと歩いていく。
顕如が二の曲輪に用意したという宿泊場所へ向かっているのだろう。
椿も先程から欠伸を噛み殺していた。
「宗司さんは、どこの出身なんですか?」
眠気を欠伸で抑えつつ椿が尋ねると、彼は椿の顔を見て、にやりと笑う。
「俺か? 俺は近江に住んでる。こう見えても、近江の大名――浅井長政とは古くからの友人なんだ」
自慢げに語る宗司に、月見は冷たい視線を浴びせる。
「どうせ嘘でしょ?」
「嘘じゃないって」
「じゃあ、浅井に雇ってもらえばいいじゃない」
最もな問い掛けに宗司は顔を顰めた。
「馬鹿言うなよ。そういう慰めは受けた方が惨めになるってもんだ。お情けで雇ってもらうつもりはない。俺があいつの力を借りる時は――金に困った時だって……まあ、それは今なんだが……。いや、駄目だ。俺はあいつの施しは受けんぞ……」
宗司は頭を振り、最後は尻すぼみになりながら呟いた。
月見はそんな彼を呆れた顔で横目にする。
それから、また欠伸を噛み殺す椿の顔を覗き込んできた。
「……椿、眠いの?」
「え? あ、うん」
目尻には涙が溜まり、指で拭っても次から次へと沸いてくる。
きっと目も真っ赤になっている事だろう。
「じゃあ、私達も二の曲輪に行って、寝ましょうか」
月見がそっと立ち上がった。
椿もそれに合わせて、立ち上がる。眠気で頭がぼんやりとしており、思考がまともに動かない状態になりつつあった。
「よし、じゃあ寝ようぜ」
宗司も立ち上がり、両手を空に突き上げて、体を伸ばしながら言った。
「……なんで、あんたも入ってるの?」
「おいおい、俺達はもう友達だろ? これも何かの縁だ。仲良くしようぜ。なあ?」
宗司の手が椿の肩に回される。
苦笑する椿と違って、月見はその行動に左目を細めた。
伸びてきた月見の手が椿を引っ張り、宗司から無理やり引き剥がす。
「椿に気安く触らないで。嫌がってるでしょ」
椿を抱き寄せた月見は宗司を睨み付けた。
宗司は両手を軽く広げ、苦笑交じりに呟いた。
「了解。まあ、でも仲良くいこうぜ?」
「あの……僕は別に嫌がって――」
「ほら、椿、行くわよ」
月見が椿の手を引き、歩き出す。
半ば引き摺られるようにして歩き出した椿の後を宗司が追う。
「……なんで付いてくるのよ」
月見の鋭い口調に、宗司は頬を掻いた。
「いや、寝る場所は同じだろ? 付いていくも何も……」
宗司の言葉に月見は小さく舌打ちをする。
月見の態度に宗司が気を悪くしないよう、椿は目線で彼に謝るしかできなかった。