第五話 皇后陛下のお呼び出し
皇后の私室。
扉の前に立ったアイリスが、軽く息を整える。
「お母様」
そして、いつものように声をかける。
「アイリスですわ!」
「入りなさい」
「はい。失礼しますわ」
扉を開ける。
中へ入ると、皇后は椅子に腰掛けていた。
「お母様、どうなさったんですの?」
「ええ……」
皇后は微笑みながら、アイリスを見る。
「最近、あなた……」
「はい?」
「髪もそうですし」
視線がアイリスの髪へ移る。
「肌も、少し綺麗になっていませんか?」
「えっ」
一瞬。
アイリスの表情が固まった。
「そ、そうですわね」
そして、妙に平静を装う。
「多少は……綺麗になったかと」
「多少?」
皇后がゆっくり立ち上がる。
「…………」
アイリスが一歩後ずさる。
「私の目を誤魔化せるとでも?」
「そ、そんなつもりは……」
皇后がアイリスへ近づく。
そして、その髪を一房そっと手に取った。
「…………」
指を通す。
さらり。
「……本当に綺麗になりましたね」
「…………」
「以前から手入れはしていましたけれど」
皇后は髪を指先で滑らせながら、娘の顔を見る。
「これは、少し違います」
「…………」
「それに、この香り」
皇后が少し近づく。
「今まで使っていなかった香りですね」
「…………」
アイリスの視線が泳ぐ。
そして。
「アイリス?」
「はい……」
「私に隠していること、あるでしょう?」
「…………」
完全に見抜かれている。
アイリスはしばらく黙っていたが。
「……お料理のことも、そうですし」
「…………」
「最近、皇宮で見慣れない料理が増えていますね」
「…………」
「料理人たちに聞いても、教えてもらえませんでした」
「…………」
「どういうことかしら?」
にこり。
皇后が笑う。
その笑顔に、アイリスは観念したように肩を落とした。
「そ、それは……」
「はい?」
「……少々」
アイリスはちらりとヴィンセントを見る。
「ヴィンセントと相談させて頂きます」
「まぁ?」
皇后の目が細くなる。
「それはもう」
くすりと笑った。
「答えを言っているようなものですけれど」
「…………」
アイリスは何も言えない。
「まぁ、いいでしょう」
皇后は楽しそうに微笑んだ。
「相談なさい」
「ありがとうございます……」
「ただし」
「はい?」
「相談が終わったら、ちゃんと私にも説明してちょうだいね?」
「…………はい」
アイリスは小さく頷いた。
その横でヴィンセントは。
「…………」
なぜか妙に嬉しそうな顔をしていた。
皇后の私室を出たあと。
廊下を歩きながら、アイリスは隣のヴィンセントを見る。
「…………」
「ヴィンセント」
「はい、アイリス殿下!」
「おそらく……と言いますか」
アイリスは少し言葉を選ぶ。
「もう、バレていますわ」
「え?」
「お母様には、わたくしが何かを隠していることは完全に見抜かれています」
「…………」
「ジャングルストアそのものには、まだ気づいていないと思いますわ。ただ……あなたがわたくしに、何か色々と与えていることは、もう気づかれています」
「…………」
「髪もそうですし、香りもそうです。皇宮の料理まで変わりましたもの」
「なるほど……」
「つまり……」
アイリスは少し気まずそうに目を逸らした。
「わたくしが自分が綺麗になるのが嬉しくて、あなたに色々とお願いしてしまったせいですわ……」
アイリスは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。
「申し訳ありませんわ……」
「いえいえ!」
ヴィンセントがすぐに手を振る。
「アイリス殿下が謝られることではございません!」
「でも……」
「アイリス殿下が綺麗になって、私も嬉しかったので!」
「…………」
アイリスが足を止めた。
「……あなた」
「はい?」
「ちょっと、ズレてません?」
「そうでしょうか?」
「ええ……」
アイリスはじっとヴィンセントを見る。
本人には、どうやらまったく悪気がない。
「まぁ……」
ため息をつく。
「怒っていなければ、いいのですが」
「怒るなんてとんでもございません!」
「あなた……」
再び歩き始める。
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「それで」
「はい?」
「お母様にも、ジャングルストアについて説明してもよろしいですの?」
「ええ!」
ヴィンセントは即答した。
「もちろんです!」
「……本当に?」
「はい!」
そして、にこりと笑う。
「皇后陛下も綺麗なお方ですので!」
「…………」
「ぜひとも!」
「…………」
アイリスが無言になる。
「あなた……」
「はい!」
「もしかして、と思いますけれど……」
アイリスはヴィンセントをじっと見る。
だが。
「…………」
やがて、ふっと目を逸らした。
「まぁ……」
「?」
「淑女のわたくしが、そういうことを口にするものではございませんわね」
「はぁ……?」
「なんでもありません」
アイリスは小さく息を吐く。
「では、お母様への説明に参りますよ」
「はい!」
ヴィンセントは元気よく返事をした。
「アイリス殿下!」
「……本当に調子のいい方ですわね」
そう言いながらも。
アイリスの口元には、ほんの少し笑みが浮かんでいた。
◇◇◇◇◇◇
再び、皇后の私室。
扉の前まで来ると、アイリスが軽く胸を張った。
「お母様!」
扉を叩く。
「相談、終わりましたわ!」
「入りなさい」
「はい!」
アイリスが扉を開ける。
「失礼いたしますわ」
その後ろからヴィンセントも続く。
「失礼いたします!」
皇后は二人を見て、微笑んだ。
「それで?」
促すように、アイリスを見る。
「どういうことなのか、説明はしていただけるんですね?」
「はい」
アイリスは頷いた。
「実は、わたくしの護衛騎士であるヴィンセントに、少々不思議な力がありまして」
「あら?」
皇后がヴィンセントを見る。
「ヴィンセントは、身体強化しか使えないのではありませんでしたか?」
「それが……」
アイリスが少し声を落とす。
「秘密にしていた能力がありますの」
「まぁ」
皇后の視線がヴィンセントへ向く。
「それは初耳ですね」
「はい!」
ヴィンセントは元気よく答えた。
「ヴィンセント?」
アイリスが振り返る。
「説明するのですわ」
「はい!アイリス殿下!」
ヴィンセントが一歩前へ出る。
そして。
「皇后陛下」
「はい?」
「少し、お近くに行ってもよろしいでしょうか?」
皇后の表情がわずかに変わった。
「…………」
その瞬間。
室内に控えていた近衛騎士たちが、一斉に身構えた。
皇后の側へと自然に距離を詰める。
「アイリス?」
「はい」
アイリスは振り返る。
「大丈夫ですわ」
「ですが……」
「これは、近くでないと見られないのですわ」
アイリスは皇后に微笑む。
「ご安心くださいませ」
皇后は娘の顔を見つめた。
そして、少し考える。
「……そうですか」
しかし近衛たちは、まだ皇后の周囲を固めている。
それを見たアイリスが、ふと首を傾げた。
「あら?」
「はい?」
「近衛の方々も、外の方がよろしいかしら?」
「へ、陛下!」
近衛騎士の一人が慌てて声を上げる。
「それは……!」
皇后はそんな近衛たちを見た。
「……あなたたち」
「はっ!」
「仮にヴィンセントが何かして暴れたとして」
「…………」
「あなたたち、止められますか?」
「…………」
近衛たちの顔が、みるみる青ざめていく。
脳裏に浮かぶ。
訓練場。
大盾。
重鎧。
そして――
轟音とともに転がっていった副団長。
「…………」
誰も答えない。
「……無理、です」
ようやく、一人が絞り出すように答えた。
「そうでしょうね」
皇后は淡々と頷いた。
「なら、下がりなさい」
「はっ……!」
近衛騎士たちは、素直に距離を取った。
それでも万一に備え、扉の近くへと移動する。
皇后は改めてヴィンセントを見る。
「では、お願いします」
「はい!」
ヴィンセントが嬉しそうに答える。
なぜだろう。
妙に楽しそうだ。
アイリスはそんなヴィンセントを見て、少しだけ呆れた。
「……あなた、本当に楽しそうですわね」
「はい!」
「なぜですの?」
「皇后陛下にも知っていただけるので!」
そう言うと、ヴィンセントは皇后のすぐ近くまで歩いていった。
「こちらでございます」
そして。
何もない空間へ手を差し出す。
次の瞬間。
そこに、一枚の板のようなものが現れた。
文字。
写真。
見たことのない商品。
いくつもの情報が並んでいる。
「…………」
皇后は目を見開いた。
「これは……?」
アイリスが、少し得意げに微笑む。
「それが、ヴィンセントの不思議な力ですわ」
ヴィンセントはいつもの調子で頷いた。
「はい!」
そして、その板の上部に表示された文字を指差す。
「こちらが――」
「ジャングルストア、と申します!」
皇后はしばらく。
言葉を失った。
こうして。
ついに皇后も、ヴィンセントの謎の能力――
『ジャングルストア』
と対面することになったのである。




