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偽りの聖女と悪役令嬢

作者: たっくん
掲載日:2026/05/12

「クラリス・レインフォード。お前との婚約を破棄する」


 王立学院、卒業舞踏会。


 その夜、第一王子アルベルトは会場中に響く声でそう告げた。


 周囲の貴族たちが息を呑む。


 私は扇を閉じ、静かに彼を見る。


「理由を伺っても?」


「まだ惚けるのか」


 アルベルトの隣には、白いドレスを纏った少女がいた。


 聖女エミリア。


 平民出身でありながら、女神の加護を授かった奇跡の少女。


 誰にでも優しく。


 誰からも愛され。


 王都中の人間が、彼女を“本物の聖女”と讃えている。


 エミリアは涙を浮かべ、震える声で言った。


「クラリス様……私は、ただ仲良くなりたかっただけなのに……」


 その一言で、会場の空気が変わった。


「可哀想に……」

「やはり悪役令嬢だったのね」

「聖女様を虐めるなんて」


 悪役令嬢。


 いつからか、私はそう呼ばれるようになっていた。


 王子の浪費を注意したから。


 学院の寄付金不正を暴いたから。


 貴族令嬢たちの派閥争いを止めたから。


 そして何より。


 皆が愛する聖女エミリアを、私だけが疑ったから。


「クラリス」


 アルベルトが冷たく言う。


「お前はエミリアの紅茶に毒を混ぜ、階段から突き落とし、社交界で孤立させようとした」


「証拠は?」


「証人ならいる」


 数人の令嬢が前に出る。


「見ました。クラリス様が聖女様のカップに何かを入れるところを」

「階段でも、クラリス様が手を伸ばしていました」

「いつも聖女様を睨んでいて……恐ろしかったです」


 私は、その令嬢たちの目を見る。


 皆、少し濁っている。


 憎しみではない。


 熱に浮かされたような、奇妙な正義感。


 ああ。


 やはり、そうなるのですね。


「エミリア様」


 私は彼女を見る。


「貴女は、本当に私に毒を盛られたと思っているのですか?」


 エミリアはびくりと肩を震わせる。


「わ、私は……」


「階段から突き落とされかけたと、本当に思っているのですか?」


「……怖かったんです」


 エミリアの瞳から涙がこぼれる。


「クラリス様は、いつも私を見る目が冷たくて……私、何かしてしまったのかなって……」


 会場中から、私への敵意が膨れ上がる。


 泣く。


 震える。


 傷ついた顔をする。


 それだけで、世界は彼女の味方になる。


 だが。


 私は知っている。


 彼女は嘘を吐いているわけではない。


 本当に怖かったのだろう。


 本当に傷ついたのだろう。


 そして本当に、自分が被害者だと思っている。


 だからこそ、厄介だった。


「クラリス。お前を北方修道院へ送る」


 王子が宣告する。


「公爵家からは除籍。王太子妃候補の資格も剥奪する」


 事実上の追放。


 会場の誰もが、それを当然だという顔で聞いていた。


 私は、ゆっくり息を吐く。


「そうですか」


「反省すらないのか」


「反省すべきは、私だけでしょうか?」


「何?」


 私は一歩、前に出た。


 騎士たちが警戒する。


 だが構わない。


 ここで終わらせなければ。


 この国は、いずれ“善意”に潰される。


「皆様に、お尋ねします」


 私は会場を見渡した。


「聖女エミリア様を、疑ったことはありますか?」


 誰も答えない。


「彼女の言葉が本当か、調べたことはありますか?」


 沈黙。


「彼女が泣いた時、その涙の理由を確かめましたか?」


 貴族たちの表情が揺れる。


 私は続ける。


「皆様は、エミリア様を信じていたのではありません」


 エミリアの顔色が変わる。


「信じたくなっていただけです」


「やめて……」


 小さな声。


 私は彼女を見る。


「貴女の加護は、癒やしではありません」


 会場が凍り付いた。


「クラリス!!」


 王子が怒鳴る。


 私は止まらない。


「貴女の加護は、“好意を集める力”」


 エミリアの瞳が揺れる。


「近くにいる人間は、貴女を守りたくなる」

「疑えなくなる」

「貴女を傷つける存在を、悪だと思い込む」


 周囲からざわめきが起こる。


「まさか……」

「そんなはずが……」

「でも、確かに……」


「違います!」


 エミリアが叫んだ。


 その声に、何人かの貴族がびくりと反応する。


 彼女は泣きながら首を振る。


「私は、ただ皆と仲良くしたかっただけです!」

「皆が笑ってくれるのが嬉しかっただけです!」

「私を好きになってくれる人がいるのが、嬉しかっただけなのに!」


 その言葉は、本心だった。


 だから、胸が痛んだ。


 エミリアは悪魔ではない。


 狡猾な偽聖女でもない。


 ただ、愛されることしか知らない少女だ。


 けれど。


 それで傷つく人間がいる。


 それで歪む判断がある。


 それで、悪役にされる者がいる。


「クラリス様」


 エミリアがこちらへ歩いてくる。


 その瞳は潤み、唇は震えていた。


「どうして私をそんなふうに言うんですか?」


 会場の空気が再び揺らぐ。


 人々の視線が、また私へ戻ってくる。


 冷たい目。


 責める目。


 “聖女を泣かせた悪女”を見る目。


 私は奥歯を噛む。


 やはり、加護はまだ生きている。


「私、クラリス様と仲良くしたかったんです」


 エミリアは私の手を取ろうとする。


「なのに、どうして……」


 私はその手を避けた。


 エミリアの表情が、初めて固まる。


「触れないでください」


「……っ」


 会場に、明確な怒りが広がる。


「なんて冷たい……」

「聖女様が歩み寄っているのに」

「やはり悪役令嬢だ」


 私は静かに笑った。


 ええ。


 そうでしょうね。


 貴女を拒めば、私は悪役になる。


 貴女を疑えば、私は悪役になる。


 貴女を止めようとすれば、私は悪役になる。


 ならば。


「分かりました」


 私は扇を閉じる。


「そこまで仰るなら、喜んで悪役令嬢になりましょう」


 懐から、小瓶を取り出す。


 銀色の液体が揺れる。


 アルベルトが目を見開いた。


「クラリス、何を――」


 私は小瓶を床へ叩きつけた。


 甲高い音。


 砕けた瓶から、銀色の霧が舞い上がる。


 聖女の加護を一時的に無効化する禁制薬。


 会場中の人間が、はっと息を呑んだ。


「……あれ?」


「私は、どうして……」


「なぜ聖女様を、あんなに信じ込んで……?」


 熱が引いていく。


 視線が変わる。


 崇拝が、困惑へ。


 正義感が、恐怖へ。


 そして。


 エミリアは初めて、誰からも愛されない場所に立たされた。


「……待って」


 彼女は周囲を見渡す。


 誰も駆け寄らない。


 誰も守らない。


 誰も、彼女の涙だけで動かない。


「どうして……?」


 エミリアの声が震える。


「どうして皆、そんな目で見るの……?」


 私は彼女の前に立つ。


「これでようやく、話ができますね」


 エミリアは私を見た。


 その瞳に浮かんでいたのは、怒りではなかった。


 初めて味わう、恐怖だった。


「クラリス様……」


 彼女は小さく呟く。


「私、何か悪いことをしましたか?」


 私は答えなかった。


 答えられなかった。


 なぜならその問いこそが。


 彼女が“偽りの聖女”である、何よりの証だったから。


「私、何か悪いことをしましたか?」


 エミリアの問いに。


 誰も答えられなかった。


 会場は静まり返っている。


 つい先ほどまで、彼女を崇拝していた貴族達は困惑し、互いの顔を見合わせていた。


「……私は」


 アルベルト王子が、自分の額を押さえる。


「何を、していたんだ……?」


 その声は震えていた。


 私は静かに彼を見る。


「ようやく、ご自分で考え始めましたか」


「クラリス……」


 王子の顔色は悪い。


 当然だろう。


 今まで、自分が絶対に正しいと思っていた感情が、“加護によって増幅されていた”可能性を突き付けられたのだから。


「違うんです……!」


 エミリアが一歩前へ出る。


「私は誰も操ってなんか……!」


「ええ」


 私は頷いた。


「貴女は操っているつもりなどないのでしょう」


 それが一番厄介なのだ。


 悪意がない。


 だから、自分を疑わない。


「私は、ただ……皆と仲良くしたくて……」


 エミリアの声が小さくなる。


「皆が優しくしてくれて……嬉しくて……」


「その結果、周囲の人間がどうなったか考えたことは?」


「っ……」


 私は会場を見渡した。


「皆様も同じです」


 貴族達がびくりと肩を震わせる。


「誰も、確かめなかった」

「誰も、疑わなかった」

「誰も、自分の感情を不自然だと思わなかった」


 私は静かに続ける。


「“聖女様がそう言うなら”

 “聖女様が泣いているから”

 “聖女様が可哀想だから”」


 その言葉に、何人もの人間が顔を伏せた。


 図星なのだろう。


「……私は」


 一人の令嬢が震える声を出す。


「クラリス様のこと、嫌いでした」


 私は彼女を見る。


「聖女様に冷たくするから」

「怖い人だと思っていました」


 彼女の瞳に涙が浮かぶ。


「でも今思えば……ちゃんと話したことも無かったんです」


 周囲がざわめく。


 すると別の貴族も口を開いた。


「私もだ……」

「クラリス嬢は厳しかったが、間違ったことは言っていなかった」

「寄付金不正の件だって、本当だったじゃないか……」


 空気が変わり始める。


 今まで“悪役令嬢”という言葉で思考停止していた人間達が、ようやく自分で考え始めていた。


「やめて……」


 エミリアが小さく呟く。


「お願いだから、そんな目で見ないで……」


 彼女は怯えていた。


 今まで向けられたことのない視線に。


 崇拝ではない。


 熱狂でもない。


 疑問。


 困惑。


 恐怖。


 それらを真正面から向けられることに。


「エミリア様」


 私は静かに呼びかける。


 彼女がびくりと顔を上げた。


「貴女は、“愛されること”に慣れすぎたのです」


「……違う」


「だから、嫌われることを異常だと思っている」


 エミリアの呼吸が乱れる。


「違う……」


「否定されることを、攻撃だと思っている」


「違うッ!!」


 その瞬間。


 凄まじい聖力が爆発した。


 轟音。


 会場のシャンデリアが砕け散る。


「きゃあああ!!」


 悲鳴。


 貴族達が倒れ込む。


 純白だった聖力に、黒い靄が混ざっていた。


 私は目を細める。


 やはり。


 この力は不完全だ。


「皆、私を好きでいてくれたのに!!」


 エミリアが泣き叫ぶ。


「どうして急にそんな顔するの!?」


 彼女は本気で理解できていない。


 だからこそ危うい。


「エミリア!」


 アルベルト王子が叫ぶ。


 だが彼女は止まらない。


「私はずっと頑張ってきた!」

「皆のために笑った!」

「優しくした!」

「救ってきた!」


 涙が零れる。


「なのにどうして、皆離れていくの……?」


 その言葉に。


 私は、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 この子は、本当に孤独なのだ。


 “愛される”ことでしか、自分の価値を確かめられない。


 だから、愛が揺らいだ瞬間に壊れる。


「クラリス様……」


 エミリアが私を見る。


 その目は、迷子の子供みたいだった。


「私は、どうすれば良かったんですか……?」


 会場が静まる。


 私は少しだけ黙って。


 そして、静かに答えた。


「嫌われれば良かったのです」


 エミリアが目を見開く。


「……え?」


「誰にでも好かれようとしなくて良かった」


 私は彼女へ近づく。


「貴女を嫌う人間がいても」

「否定する人間がいても」

「離れていく人間がいても」


 彼女の胸元へ、そっと手を当てた。


「それでも残ってくれる人を、大切にするべきでした」


 エミリアの瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。


「……分からない」


「ええ」


 私は頷いた。


「貴女は、今まで知らなかったのですから」


 愛されることしか。


 知らなかったのだから。


「愛されることしか、知らなかったのだから」


 その言葉を聞いた瞬間。


 エミリアの聖力が、ゆっくりと揺らいだ。


 純白の光。


 だが先ほどまでの圧迫感は無い。


 まるで迷子の子供が、泣き疲れて立ち尽くしているみたいだった。


「……私は」


 エミリアが震える声を漏らす。


「間違っていたんでしょうか」


 誰も答えない。


 会場は静まり返っていた。


 アルベルト王子も。


 騎士達も。


 貴族達も。


 皆、初めて“聖女”ではなく、“エミリア”を見ていた。


 私は静かに息を吐く。


「間違っていたかどうかは、私が決めることではありません」


「……っ」


「ですが」


 私は彼女を真っ直ぐ見つめた。


「貴女は、一度も立ち止まらなかった」


 エミリアの肩が震える。


「皆が好きと言ってくれる」

「皆が褒めてくれる」

「皆が守ってくれる」


 私は続ける。


「だから、自分が正しいかを考える必要がなかった」


 それは幸福だったのだろう。


 同時に、不幸でもあった。


「クラリス様は……」


 エミリアが涙を流しながら笑う。


「ずっと苦しかったんですね」


 私は少し驚いた。


「私のこと、嫌いだったでしょう?」


「嫌いでした」


 即答だった。


 会場がざわめく。


 だがエミリアは、泣きながら続けた。


「だってクラリス様だけだったから」

「私に、そんな目を向ける人」


 彼女は俯く。


「皆、優しかった」

「皆、私を好きになってくれた」

「でも……」


 小さく唇を噛む。


「誰も、本当の私を見てくれなかった」


 私は目を細める。


 その瞬間。


 ようやく彼女は、“聖女”ではなくなった気がした。


「クラリス」


 アルベルト王子が前へ出る。


 顔色は酷かった。


「俺は……お前に酷いことをした」


「ええ」


 私は頷く。


「しましたね」


 王子が苦しそうに顔を歪める。


「俺は、自分で考えているつもりだった」

「でも違った」


 拳を握る。


「皆がそう言うから」

「聖女が泣くから」

「お前が悪役令嬢に見えたから」


 彼は俯いた。


「……最低だな、俺は」


 私は少しだけ沈黙して。


 そして、小さく笑った。


「ようやく、自分で考え始めたではありませんか」


 王子が目を見開く。


 私は扇を閉じる。


「私は、貴方を許しません」


 周囲が息を呑む。


「ですが」


 私は静かに続けた。


「今の貴方なら、“誰かに流されるだけの王”にはならないかもしれませんね」


 アルベルトは何も言えなかった。


 その時だった。


「クラリス様」


 エミリアが、ゆっくりこちらへ近づいてくる。


 もう彼女の周囲に、あの異様な熱狂は無い。


 ただ、一人の少女として立っていた。


「私、怖いです」


 彼女は小さく言った。


「もし誰からも愛されなくなったらって考えると……怖い」


 その姿は、あまりにも普通だった。


 どこにでもいる。


 弱くて。


 寂しくて。


 愛されたくて仕方ない少女。


 私は少しだけ考える。


 そして。


「でしたら、嫌われる練習をしなさい」


 エミリアがきょとんとした。


「……練習?」


「ええ」


 私は静かに笑う。


「人は、全員から愛されることなどできません」

「だからこそ」

「それでも傍に残ってくれる人が、本当に大切なのです」


 エミリアの瞳から、涙が零れる。


「……はい」


 その返事は。


 今までで一番、人間らしかった。


 すると。


「クラリス嬢」


 一人の老貴族が頭を下げた。


「我々は、貴女を誤解していた」


 続いて、他の貴族達も頭を下げ始める。


「申し訳なかった」

「我々は、聖女様ばかり見ていた」

「貴女の言葉から目を逸らしていた」


 私は、その光景を静かに見つめる。


 以前なら。


 きっと少し嬉しかったのだろう。


 でも今は違う。


「……別に構いません」


 私は淡々と言った。


「貴方達は、“悪役令嬢”という言葉に安心していただけです」


 皆、顔を伏せる。


「誰かを悪者にすれば、自分は正義でいられる」

「考えなくて済む」

「責任を持たなくて済む」


 私は会場を見渡した。


「ですが、それを続ければ、また同じことが起きます」


 静寂。


 誰も反論しない。


 そして。


 エミリアが、そっと口を開いた。


「……クラリス様」


「何ですか」


「私、貴女みたいになりたいです」


 私は思わず目を瞬かせた。


「おすすめしませんよ」


「どうしてですか?」


「嫌われますから」


 その瞬間。


 エミリアが、初めて声を上げて笑った。


 作った笑顔ではない。


 誰かに愛されるためでもない。


 ただ自然に零れた笑顔だった。


 後に歴史は語る。


 “偽りの聖女”と。


 “悪役令嬢”と呼ばれた二人を。


 だが。


 その記録の最後には、こう残されている。


『誰より嫌われた令嬢だけが、誰より正しく人を見ていた』

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