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第1話 流星到来

 人には、人それぞれの求める幸福がある。そして俺の求める幸福というのは、『魔法少女』と再会することだ。


 俺が『魔法少女』と出会ったのは、十年前に一度だけ。

 ただその一度の出会いは、俺の人生を一変させた。命の危機に瀕していた俺を、魔法という奇跡で救ってみせた少女をこの目で見てから、俺の足はその道を歩き続けてきた。


 本来アニメや漫画だけの存在である『魔法少女』を実在すると信じ切り、その彼女と再会するために生きる。


 それは荒唐無稽な、たった一度の人生を棒に振るような人生設計だろう。


 それでも俺は彼女との再会を諦めなかった。いや、諦められるわけがなかった。


 何故ならばあの日、俺の命を救ってくれた彼女は。


 流星の如く夜闇を切り裂いて俺を救いに来た、かの『魔法少女』は。

 

 今まで見た何よりも美しかったのだから。



 俺の住む神板町の守り神であり御神体である益荒男山の中腹、臍ノ原は、俺が知る中で最も美しい夜空を見上げられる場所だ。標高一四〇〇メートルの山中でありながら、開けた平地が広がるそこは、木々に邪魔されることもなく満天の星空を一望出来た。


「今日も流星は無し、か」


 そんなため息が出るほど美しい夜空を見た者の例に漏れず、俺も大きなため息を吐いた。落胆から漏れ出たものという違いはあったが。


 一日の終わりにそこで星を見るのは、俺の日課だった。山の麓にある神板高校での授業が終われば、登校に使っているマウンテンバイクを駆り出し、一気に臍ノ原まで駆け登るのだ。

 これを日課にしてから五年が経った。中学を卒業し、遂には高校の二年生になった俺は、雄々しい名前の印象通り険しい山道が続く益荒男山を難なく登り切れるようになっていた。


 この日課を知る者からは、俺は天体観測マニアと呼ばわれている。

 確かに五年も毎日空を眺めている俺は他の人間よりは空に詳しいだろうが、これは別に空が好きだから覚えた訳ではなく、捜し物をする上で夜空の常態を把握しておく必要があったからに過ぎない。


 無論、俺が見つけたいのは、あの日の『流星』、つまり『魔法少女』に他ならない。

 俺だけが知り、俺の胸の内に燦然と輝く一等星を探し出そうと言うのだから、それ以外の星については断じて違うと言えなくては話にならない。


 そして今日も収穫はなし。平常運転の星々が瞬いているばかりだった。


「今日こそは、と思ったんだがな」


 空を見上げる。

 そこに在ったのは、夜空に興味の無い俺でも少し見とれてしまうほどの魔力を放つ巨大な満月だ。しかも今の季節の風物詩である桜を思わせる光を纏っていた。そう、今日は毎年4月の初旬に訪れるピンクムーンの日で、それは彼女と初めて会った日にも上っていた。

 つまり今日は一年に一度の、彼女を見つける条件の再現性を最大限確保できる日だったのだが、それもなんの意味も果たさなかった。日付が変わるギリギリまで粘ったのもまた徒労に終わったのだ。


「君は今日も、誰かを救っているんだろうな」


 君との再会を願ってから、今日で丁度十年が経った。


「それに比べて俺は何をしているんだろうか」


 彼女に再会したいという一心で続けている俺でも、十年という歳月は自分の行動に疑問を持つのに十分すぎた。


 俺は彼女にまた会いたい。だが、彼女について俺が知っていることと言えば、流星のように空の彼方から飛んでやって来て、夜空の果てに帰っていったということだけ。

 

 それ以外に手掛かりもない。だから俺が出来ることは、あの日の夜のように澄み渡った綺麗な夜空の中に、彼女がいないかと目を凝らすことぐらいしかない。それは分かっている、分かっていても、何も見つからないまま時間だけが過ぎていくのは辛かった。


「いいや、何を気弱になっているんだ」


 俺はぶんぶんと頭を振り、頭の中に連なった悪い考えを追い出そうとした。

 『魔法少女』と再会する。それが如何に険しい道であるかなど、今更考えて何になる。それでもそれに縋ると、俺は覚悟を決めたはずだ。


「それにあの時、彼女は言っていたんだ」


 自分の記憶の中にある、最も綺麗なもの。俺が無謀な夢に縋る唯一の希望。


「『きっとまた会えるよ』って」

 

 彼女の笑顔を、俺は思い出して。未練がましくももう一度、その空の中に君を見出そうとして。

 だが、ついさっきまであった満天の星空はその一切合切が見えなくなっていた。


「……は?」


 自分の目がおかしくなったのかと思った。

 まるで山の全てが黒い幕で覆われたかのように、急に星が消えてしまったのだ。

 ただ結局のところ、それは目の錯覚でも、あながち見当違いでも無かった。星が見えなくなったのは、益荒男山の巨木を優に超える巨人が、唐突に俺の目の前に現れたからだ。


 端的に表せば、それは影の巨人だった。深淵の闇を集めて一つの塊にしたかのような漆黒の肉体を持つそれは、しかし辛うじて人の形を保っているだけのように見えた。人のような輪郭は常にぼやけており、次の瞬間には全く違う形に変わってしまいそうな程不定形に蠢いていた。


「これは……あの時の!?」


 全身が総毛立つ。

 十年前の記憶が蘇る。


 最も綺麗な記憶が出来たあの日は、最悪の記憶が生まれた日でもあった。

 そもそも何あの日に何故、『魔法少女』が俺の前に現れたのか。それは、彼女が相対するに相応しい『魔性』が、俺の目の前に現れたからだった。


『ミツケ、タゾ』


 人の恐怖を形にしたような、低くくぐもった声が、耳ではなく心に直接響いた。そして巨人は突如として泥のように崩れ落ちた。そして人の形という枠から解き放たれた深淵は、溢れ返った水のようにゆっくりと辺りを侵食し始める。

 深淵は、世界を壊す毒だった。

 深淵に触れた辺りの木々や草も、その深淵と同じように泥のように崩れていく。鬱蒼と茂っていた木々の尽くがどろどろと溶けだして、その輪郭を失っていく。


 そしてその深淵は、辺り一帯を飲み込みながら、俺の方にも伸びてきた。


「くそっ、なんだって今更!」


 俺は咄嗟に逃げ出したが、影の侵攻の方が圧倒的に早い。


 追いつかれる。

 追いつかれて、俺もどろどろに溶けて死ぬ。


 なれば、彼女に再会することも叶わなくなるだろう。あぁそれは本当に嫌だ。


 この期に及んでも俺が思うのはそれだけで「きっとまた」と言った彼女の笑顔が、俺の脳裏を過ぎった。


「ちくしょう、こんなところで——!」


 俺はまだ何も果たせていない。このまま死んでは俺の人生は一体何のためにあったのか分からない!


 俺は吠えた。影に遮られて全く見えなくなった夜空に向かって、ただ行き場のない怒りのままに吠えてみせた。だがそれは怒りというよりは、祈りだった。彼女に会いたいと願うその心が、包み隠さず声に出た。


 ——その願いは、天に届いたのか。

 

 臍ノ原に『流星』が到来した。

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