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第六章 ―― 即応部隊

名目上は三軍統帥権の移譲を終え、軍の指揮系統も「殿下へ忠誠」と整った――はずだった。

だが、本土と連絡が途絶えた瞬間、イリサの地位は一気に脆くなる。


(切り離されたら、最後にものを言うのは“現地の力”だ)


キング、あるいは内閣に巣食う貴族たちが「この機に永続的な権力」を狙うなら、躊躇などしないだろう。

KANATAで十数年、二十年以上と権力を握ってきた連中が、本土から降ってきた新人を歓迎するはずがない。ましてその新人が、政治改革を持ち込むのならなおさらだ。


郊外には軍営がある。けれど――市内にいるのは警察だ。

彼らが素早く動き、忠実な警官隊で街を押さえ、殿下を人質に取れば、軍は手出しできなくなる。


しかも、軍が必ずしもイリサ側に立つ保証もない。


仮に本土が事態を察知し、政変者のブリテン諸島にいる親族を人質に取ったとしても――国王が「イリサを切り捨てる覚悟」を持てなければ、実質的に動けない。

たとえば政変者が、「家族に手を出すなら、殿下の片腕を落とす」と脅す。そういう下劣な想定は、十分に現実になり得る。


そうなれば――殿下は、生涯を人質として過ごすことになるかもしれない。


だから、十数名の護衛隊と、総督府門前の衛兵だけでは足りない。

郊外の部隊が市内に駆けつけるにも時間がかかる。となれば、握るべきは“警察の指揮権”だ。


だが警察は、管轄ごとに分かれていて管理が分散している。


(集中管理? それとも、市内に私直属の部隊を新設する?)


装備を整えた部隊なら、通常の警察を抑え込める。変数が出ても、総督府を固守して軍の増援を待てる。

安全策としては、百名あまりの兵を抽出し「警察」の名目で近隣に配置する手もある――が、宿営地をどうするかが問題だ。


なら、既存の警察から選抜すればいい。

施設もそのまま使えるし、住まいの手当ても比較的容易だ。


装備と訓練を引き上げ、準軍事組織へと変える。

対外的には「特殊事態への備え」と説明すれば済む。


(……まずは、総督――キングに話を通そう)


イリサは受話器を取った。


彼女は意図的に、ドロンドが国境都市であること――合衆国から銃器が流入する危険があること。

そして、ケベックの仏語系過激派が自分を狙う可能性があること。

その二点を強調した。


「……もちろん可能だ」


数秒の沈黙の後、キングが答える。


イリサは内心で小さく拳を握った。


(やっぱり、ケベックは便利な口実ね。最近は大騒ぎしてないけど……)


受話器の向こうで、キングが続ける。


「公共安全部に伝えておこう。……また予算を増やせと言われるだろうな」


イリサは左手で頬の髪をくるくると弄びながら、さらりと言った。


「当然よ。これから必要なお金は山ほどあるわ。議員の報酬も、選挙も。必要なら財務省と増税も検討して。民主主義は無料じゃないもの」


「承知した。他に用件は?」


「今はないわ。思いついたらまた連絡する。……それじゃ、また」


通話を切り、イリサは椅子に深く身を沈めた。


(……今日も平和だわ)


KANATAに来て、まだ六日目。

彼女は退屈しのぎに机を指の関節で叩き――うっかり、机の手前にある黒いボタンに触れてしまう。


突然、呼び鈴が鳴り響いた。


白髪の少女は飛び上がりそうになり、肩をすくめる。

扉が開き、金髪のメイド――クレアが顔を覗かせた。


「何か?」


「……いや、気にしないで……」


イリサは気まずそうに視線を逸らす。


クレアは呆れたように目を細め、扉を閉めようとする。

だが――


「待って。来たついでに……一緒に外へ行かない?」


「毎日出歩く必要ある? 私はここでゆっくりしたいけど」


そう言ってクレアが右手を上げると、そこには本があった。


「そのうち、どこへ行っても顔を覚えられるかもしれないの。今のうちに、少しは“私の時間”を楽しみたい」


イリサは苦笑する。


「好きにしなさい」


クレアはため息をつき、踵を返す。


「護衛に声をかけてくる」


そう言い残して、部屋を出ていった。


イリサはクローゼットから黒い外套を適当に掴み、総督府の玄関へ向かう。

外には外観の異なる四台の車が待機していた。彼女は先頭車の後部座席に乗り込む。


「おはようございます。どちらへ?」


運転席のユウが振り返る。助手席ではクレアが地図を広げていた。


「うーん……特に目的地はないのよね。市中心部でも見に行く?」


「了解」


エンジンがかかり、後ろの三台も続いた。


「市中心部は渋滞の可能性があります。近くに停めて、歩くほうが安全です」


「任せるわ」


イリサは助手席の金髪を指でつつく。クレアが不満げに振り返った。


イリサは彼女の地図を指差し、手招きする。


「……」


イリサは“戦利品”のように地図を見下ろした。


ドロンドの南端には大きな湖。縮尺を小さくしても、地図で見えるのは湖の北側だけだ。岸近くには小島がいくつか浮かぶ。

湖岸に沿って鉄道と東西の幹線道路。北側は商業地区。市中心部を越えてさらに北へ行くと、道路に囲まれた――陸上競技場のような輪郭の巨大公園がある。

その緑の塊が、街の中でひときわ目立っていた。


公園周辺は官庁街。そこを越えると東西の道路が、集合住宅地と森林の境界線になる。

放射状の道路がさらに北へ伸び、首府ドロンドと他都市を結ぶ。そのうち一本が森へ分岐し、そこが総督府だ。


揺れる車内で読むと、すぐに酔いが来た。

イリサは地図を畳み、背もたれに寄りかかって目を閉じる。


再び目を開けたとき、周囲は騒がしくなっていた。


窓の外に、巨大な灰白色の城砦めいた建物がそびえている。

向かいの新古典主義の連合駅――薄茶の円柱と平たい屋根の構造でさえ、隣に並ぶと小さく見えた。建物の高さは駅の倍ほど。圧倒されるのも当然だ。


頂にはKANATA総督管区旗と、連合王国のユニオンフラッグ。


歩道を行き交う人々の間から、地面に置かれた看板が見えた。

建物の挿絵と、「ロイヤル・ヨーク・ホテル――王国最大のホテル」といった文句。


見上げているうちに、車はホテルの影へ入り、地下の検問で停止した。


ユウが窓を開け、証明書を提示する。警備員は敬礼し、後続三台が同行だと告げられると通した。


車を隅へ停めると、残りの車も並んで停車する。


十三人の少女が降りた。


数名は近距離に残り、他は距離を取り四方へ散る。

服装はバラバラだが、共通点があった。濃色の外套に黒い山高帽。ステッキや日傘を持つ者もいる――だが中身は細剣だ。


遠い位置の者たちは、人混みのコート姿に紛れて消えた。


「着きました」


ユウが降り、後部座席のドアへ回ろうとする。

しかしそれより早く、イリサとクレアは自分で出ていた。


白髪の少女が薄暗い周囲を見回す。


「さて、次は?」


「知らないわよ。とりあえずこの駐車場から出ないと」


クレアは天井の暗がりを睨む。


「こちらへ」


ユウがガラス扉へ向かう。二人が続き、周囲の護衛も一定の距離で同調する。


十数人がまとめてホテルのロビーを通るのは目立ちすぎるため、彼女たちは数組に分かれて通過し、外で合流した。


道路の向かいにある連合駅は、ドロンドの鉄道拠点だ。ここからKANATAの主要都市へ行ける。自治領で最も忙しい地域の一つ――そう言っていい。


汽笛は頻繁だが、近年は燃油機関車が普及したせいで、駅の裏から煙が立ち上る光景は少ない。


入口や交差点に青い制服の警官が立つ。

だが最も目を引くのは、広場中央の警察詰所。そこに立つ警官は、茶色い半自動小銃を抱えていた。


イリサは周囲の警官を見る。目立つ装備は少なく、腰のホルスター程度。

ほとんどは拳銃止まりだ。


(半自動小銃で固めた小隊が来たら――この人数では止められない)


やはり、市内で即応できる武装部隊は必要だ。


イリサは考え込んだまま歩く。普通なら危険だが、左右にクレアとユウがいる。


顔を上げると、オンタリオ湖が見えた。


湖――のはずなのに、水平線のように果てがない。

波が石を叩き、まるで海だ。


遠くの埠頭には船が並び、大型の貨物船すらいる。長い列も見える。合衆国との往来口なのだろう。


湖の向こうに目を凝らしても、隣国の国境線は見えない。


(人の目なんて、こんなものね)


ちょうど正午。湖畔のテラス席へ入った。

店が連なっているおかげで、十数人を別々に散らしても不自然にならない。


イリサは楽しげにメニューを眺め、クレアは椅子に凭れて本を読む。

ユウは二人が静かなことに不満はない。周囲は十分うるさいし、会話が増えれば危険の兆しを見落としかねない。


(それにしても、この騒音で読書できる人がいるんだな……)


ユウには無理だ。読むより周囲を見るほうが性に合う。


家族連れ、相場談義をする銀行員――客層は様々。

少なくとも、いきなり襲ってくる雰囲気ではない。


遠距離からの攻撃リスクを考え、ユウは数名をさらに離して警戒に回した。彼女たちは昼食を逃すが、店内側がサンドイッチを持ち帰らせる手筈だ。


リスクはゼロにならない。

それでも“目立たずにできる最善”がこれだ。


(殿下は言っていた。『自由のためなら、多少の安全は捨てる』って)


確かに、毎回の外出で計画待ち、常に監視される生活など耐えがたいだろう。

だからといって、単独行動など論外だ。結局、毎回この護衛隊が付く。


イリサは何度も読み返したメニューを置き、二人を見る。


「ねえ、変じゃない? 周りはこんなに騒がしいのに、私たちの卓だけ静か」


「……確かに」


クレアは適当に返し、視線を本から上げない。


「この人、私のこと嫌いなのかな……ユウ、何にする?」


イリサはメニューを差し出した。


「うーん……」


ユウは一瞥する。金融街が近いせいか値段が高い。セット一つで最低賃金二時間分くらい。


(中身は普通なのに)


彼女は中庸な値段のハンバーガーセットを選んだ。


イリサが覗き込む。


「じゃあ私もそれ。クレアは?」


「私も同じ」


クレアは本を抱えたまま即答した。メニューを見てもいない。


イリサが手を上げ、店員が注文を取っていく。


店員が離れると、イリサは肩をすくめた。


「ここの料理、本土とほとんど同じね」


「食の適応で困らないのは利点です」


ユウは前向きに言う。


「うん。変わらないのも悪くないけど……ここの人はどう思ってるのかな」


「変化を望む、と?」


「分からない。たぶん望まない? “郷土料理”みたいなのは薄いけど、いろんな地域の料理が揃ってる。選べるから」


イリサは氷水のグラスを握り、少し考え込む。


「……今の、食べ物の話? それとも政治体制改革のことを言ってる?」


「特にどっちでも。思いつきです」


ユウは肩をすくめ、イリサの前の小冊子を指差す。


「では、将来“このメニューだけ”しか選べなくなったら?」


「毎日同じ店なら飽きる……でも、飽きないかも。日替わりで回せばしばらく被らないし、組み合わせ次第で新しい味にもなる」


イリサは冊子を畳む。


「私なら最初は不満かな。でも慣れたら“まあいいか”ってなる。少なくとも、毎日一品しかない場所よりはマシ……でも、やっぱり選択肢は多いほうがいい」


ユウは頷いた。


「相対的、ということですね。最善でも最悪でもないなら、人は受け入れる」


「移民が多い分、食の多様性は本土よりあるかも。ここの人は慣れてるけど、本土の選択肢がもっと少ないと知ったら、むしろ満足するでしょうね」


イリサは道の向かいの特色料理店を見た。


「……さっき、あっちにすればよかった」


「残念ですが、もう注文しました。決めたことは変えられません」


ユウは卓上のポットを取り、深い褐色の液体を自分のカップに注ぐ。


「少なくとも、ここのコーヒーは悪くない」


「それ飲んだら今夜眠れないんじゃない?」


イリサが見守る中、ユウは角砂糖を二つ落とす。


「かもしれません。でも午後は頭を回さないと」


一口飲み、さらに一つ砂糖を足した。


「大変ね。じゃあ早めに帰って休めるように、食べ終わったら戻る?」


「そこまで気を遣わなくて大丈夫です。この街、興味があります」


ユウは手を振る。


イリサは両手の甲で顎を支え、感心したように言った。


「十数人に指示を出すのって技術よね。ユウ、すごい」


「恐縮です。ただ、十数人は少なすぎます」


ユウはカップを置いた。


「失礼ながら、政要暗殺は珍しくありません。南の合衆国だけでも、この百年で数例あります」


イリサは頷く。リンカーンの話は誰でも知っている。


「確かに。……何か提案はある?」


口調は穏やかだが、組んだ指とわずかな前傾が、興味の強さを示していた。


「殿下が正式に就任後、公式行事なら衛兵と警察が大規模に展開します。道路両側で群衆を隔離し、周辺建物にも配置が付きます。私たちも同行します。ですので、警戒下ではリスクは下がる――ただしゼロにはなりません」


「群衆を隔離できるなら、かなり安全じゃない?」


「問題は、今日のような私的外出を続ける場合です。就任後は顔が広く知られます。現状の警備に加え、一定の変装をお願いします」


「えぇ……面倒」


イリサは頬を膨らませる。


だがユウは真顔のまま続けた。


「それだけではありません。警察の増員と装備更新が必要です。抑止力を上げるほど、潜在的脅威は減ります」


イリサは頷いた。


「反対しないわ。むしろ軍用レベルの装備を持つ警察部隊――市内即応部隊を作るつもり。拳銃だけの警察じゃ限界がある。郊外から軍を呼ぶのは遅すぎる。市中心部で勤務させ、装甲車で巡回……かなり効くはず」


「賢明です。車載無線で呼べば、武装した部隊が即座に駆けつける」


ユウも同意した。


「もうキングには話したわ。近いうちに現職警官から選抜できるはず」


「軍からも出しましょう。戦闘力も人数も増えます」


「考えたけど、施設がパンクしそうで。でも要求は出す。向こうで何とかするしかない」


「軍式訓練を導入できるなら理想です」


ユウは頷いた。


「……ところでユウ、軍にいたことがあるのよね? どうだった?」


「私ですか」


ユウはカップを持ち上げかけて止めた。


「長くはありませんが、興味深かったです。普通の歩兵訓練ではなく、護衛隊の他メンバーと同様に特殊作戦寄りでした。体力は厳しいですが、理論や技術、戦術は好きでした」


イリサの目が輝く。


「楽しそう! じゃあ数年前、訓練が終わってすぐ私と一緒に学院へ?」


「はい。何が起きるか分かりませんから。……結果的に出番がなくて良かった。私も楽しい学園生活を送りました」


ユウは微笑み、コーヒーを一口。


「すごい……護衛しながら学業も? 私なら無理だわ」


「ありがとうございます。学業は殿下やクレアさんには及びませんが」


ユウは小さく首を振り、話題を変える。


「殿下は、大学で何を学ぶおつもりですか?」


イリサは首を傾げ、少し考える。


「まだ決めてない。でも経済は役に立ちそう。あと……本土で『コンピュータ』っていう機械が出たって聞いたの。計算をするらしい。合衆国も似た開発をしてるとか。そういう学科、あるのかな」


「それが数学の宿題をやってくれたら最高ですね」


「ほんと、それ」


イリサは大きく頷く。


「ユウは?」


「特に希望はありません。殿下と同じ履修でいいです。護衛は他の者でもできますが、私がそばにいるほうが安心です」


学院内にも警備はいる。だが護衛隊が同行するのは必須だ。

本土でも同じで、ユウの履修は常にイリサと揃えられていた。


授業にはユウ以外の護衛も数名が交代で同席する。好みが違うため、顔ぶれは毎回変わる。


「それなら、私の授業が退屈じゃないといいけど。クレアは?」


「たぶんあなたと似たようなもの。経済と政治とか」


クレアは本から目を上げずに答える。

読みながら会話に耳を残せるのが、イリサには信じられなかった。


料理が運ばれ、三人は食事に移った。

ハンバーガーは片手で持てるため、クレアの読書は止まらない。


ユウがとうとう聞いた。


「……ずっと気になっていました。クレアさん、その本は?」


クレアは表紙を見せた。


『傲慢の致命性について』


「本土の経済学の本。作者の別の本は読んだことがあるけど、これは難しくてね……」


ユウは分からないなりに頷く。


「なるほど……」


(この騒音で、それを読むのか……)


昼食後、三人――と、少し離れてついてくる黒い外套の集団は、湖近くの金融街を歩いた。

高層建築は多いが、ロンドンほどの密度はない。


主幹道を北へ。

人が増え、道が詰まり始める。


市中心部には大きなロータリーがあり、中央にはKANATA初代総督の像。

周囲には大型百貨店と、段状の広場。


夏休みの大学生が、広場でバンドの即興演奏を囲んでいた。


ロータリー左の出口を西へ行くと、すぐに見えてくる。

高い鐘塔、アーチ、白い石柱、薄赤い外壁――リチャードソン・ロマネスク様式の巨大建築。

KANATA管区政府の中央庁舎だ。


南北の大通りに立てば、正面の完全な左右対称が見渡せる。


(初日にキングの執務室へ行ったの、ここね……。あの時は暗くて何も見えなかったけど)


前には歴史人物の名を冠した広場。

長方形の噴水が建物と広場の軸線上に置かれ、中央には王国の過去の女王の白い像。


(教科書で見た名前の人だ)


スーツ姿の職員が昼休みにベンチでうたた寝し、別の者は灰色の鳩の群れを追い払っている。


イリサは日陰の空いたベンチへ飛び込むように座った。クレアとユウも左右に腰を下ろす。

湖からここまで三十分以上歩いたのだ。


これ以上北へ行けばドロンド大学方面。イリサはここで打ち止めにするつもりだった。

(このあと同じ道を戻って駐車場……最悪)


イリサは中央庁舎の柱に彫られた白い石獅子を眺め、ふと思いつく。


「ねえ、キングに頼んで車を回してもらえない? 戻るの遠すぎる」


ユウは中央庁舎の銅の両開き扉を親指で示す。


「可能です。車を数台借りられれば、殿下をお送りしつつ、他の者をホテルに回して車を回収できます。今、手配しますか?」


「私も行く。初日は疲れて見てないし、ちょうどいい」


ユウが答える前に、イリサはもう立って歩き出していた。


クレアがため息をつき、膝に手を当ててゆっくり立つ。

座って五分も経っていない。


ユウが笑った。


「お疲れさまです」


クレアは白い目を向け、追った。


入口で、黒いトレンチコートの警官に止められる。


「すみません。ここは見学禁止です」


想定どおりだ。

イリサの総督就任はまだ公表されていない。五千キロも離れたKANATAの住民が王族の顔を全員覚えているはずもない。

むしろ、紙幣の国王しか知らない者が大半だろう。


「私、見学じゃなくて……身分証が……」


イリサは外套のポケットを探り――出てきたのは、ドロンド大学の学生証だけ。

しかも数日前に書いた偽名入り。


白髪の少女は眉を寄せる。


(他にも何か……パスポートは?)


一般の旅券では効かないかもしれないが、姓があれば多少は違う。

そのとき、後ろからユウが深藍の小冊子を差し出した。


「こちらを」


警官は疑いながら開き、固まる。

そこには王立衛隊の所属証明。


彼はユウと冊子を交互に見比べ、しばらく動けなかったが――やがて脇の警官に合図し、扉が開かれた。


「……ど、どうぞ」


三人が入っていくのを見送りながら、警官は首を振る。人は見かけによらない。

――そして振り返った瞬間、いつの間にか現れた十数名の外套姿の少女たちが並んでいた。

全員、同じ深藍の小冊子を手に。

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